ゴンサロ・ルバルカバ(Gonzalo Rubalcaba)伝 14 sept 2005
ゴンサロ・ルバルカバ氏はラテンのフィーリングを濃厚に持つ、超絶技巧のジャズピアニストとして世界的に有名である。本名Gozalo Gonzalez Fonseca(ゴンサロ・ゴンサレス・フォンセカ)。
そんな氏が音大の打楽器科卒である事は意外なほど知られていない。
打楽器科卒業のピアニストとしてはMichel Camilo(ミシェル・カミロ)氏があまりにも有名である。彼のバンドのドラマー、Horacio Hernandez(オラシオ・エルナンデス)氏は以前ゴンサロのバンドに在籍していた事があって、ゴンサロ10代後半、ドイツからリリースされたライブアルバムに名前がクレジットされている。また同じくゴンサロが作った、秀逸なダンソンのアルバムにも。
それはともかく、ゴンサロの母校はISA(Instituto Sperior de Arte)である。「イサ」と呼ばれ、訳せば「国立高等芸術院」とでもなるであろうか。「スペリオール」だから「国立最高芸術院」だ、という訳も目にした事がある。もちろんキューバ共和国立である事はいうまでもない。
ロサンゼルスの売れっ子、Coky Garcia(コキ・ガルシア)と同期で、現代曲などを楽しくアンサンブルしていたそうである。コキ、キューバではCoqui(コキ)だったのだが、この綴り、海外では格好悪いと考えたものか。または「コキ」は「コンラド」のニックネームである。ISAで教えているのはクラシックばかりなのだが、なぜかキラ星のごとく輝くラテンキューバ音楽界の凄腕ドラマー達は殆どこの大学の出である。コキもメキシコシティからロスにやって来たばかりの頃は自転車移動で大変そうだったけれど、今や売れっ子でホッとしています。あの実力ならね・・・。
この凄腕ドラマー達が愛してやまないISA打楽器科教授がロベルト・コンセプシオン氏である。Sr.Roberto Concepcion Rubi・・・稀に見る、博愛精神に溢れた、生神様のような人である。だから彼と街を歩くと冗談ではなく約一分ごとに道行く人から声がかかり、中々目的地へと到達する事が出来ない。そんな人は、世界中でロベルト氏を除いて私は他に知らない。
この頃のゴンサロの話は氏からよく聞かされたものである。非常に優秀な生徒であったと。
私もゴンサロのドラムは叶うなら是非聴いてみたい。
私はゴンサロには残念ながら直接会った事がありません。彼は本国にもFidel Castro(フィデル・カストロ)首相からプレゼントされた豪邸を持っているが、滅多には帰って来ないのである。
が、彼の家族は、キューバでも最もお世話になった人たちである。 キューバ音楽学習時代に毎日通った懐かしい「私の家」である。1996年の誕生日はこのルバルカバ家で祝ってもらったし、今でもハバナに到着したら真っ先に訪ねるファミリーである。
ゴンサロ幼少の頃ピアノの手ほどきをしたのは、兄のピアニスト、Jusus Rubalcaba(ヘスス・ルバルカバ)だったらしい。ヘスス本人から聞いた話である。
しかし、そのスタイルは、ヘススのあまりにも浪漫的なピアノに比べ、ゴンサロのピアノはあまりにも完璧でストイックであろうか。
父は有名なチャランガバンド、Orquesta Rubalcaba(オルケスタ・ルバルカバ)を率いるGllermo Rubalcaba(ギジェルモ・ルバルカバ)で、そのスタイルは大変優雅、しかし時に熱い。また、この父は非常な伊達男さんでもある。もう一人の兄はベーシストのWiliam Rubalcaba(ウィリアム・ルバルカバ)である。
母はドミニカとハバナを行ったり来たりしているようで、ごくたまに私もお目にかかる事がある。
私は彼、ゴンサロのピアノが大好きなのである。なぜああなるのか、謎に満ちているところが。
個人的にはこの「謎」の部分がないと、どんなに上手な演奏でも惚れ込む事は滅多にない。
シリアスなジャズはもちろん、先鋭的な音楽もやれば、ゴージャスなダンソンのアルバムを作り、最近はラテンジャズ路線を進んでいるようであって、しかし、時たまサルサのアルバムに参加したりする。
なんなのでしょうか、あの才能は。
そんなゴンサロ、実はパイナップルジュースが大好きらしい。