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サルバドールで聴いたフォホー 27 abril 2006  

朝から散歩してみる。
海岸の方へと下に降りるコメルシオ地区に行ってみた。
定食屋で「ダ・メ・スーコ・デ・フルータ・ポル・ファボール」(ほとんど全くスペイン語みたい・・・)と言ってミックスジュースをお願いする。
フルーツジュースと頼むと、なぜかミックスフルーツジュースが出てくる。
1.6ヘアルでコップ2杯分くらい。
プチ贅沢である。
これはアセロラのジュース
これはアセロラのジュース.jpg
晴れていた空が急に曇りだして、今日も雨が降ってきた。
サルバドールは毎日雨、雨、雨、雨続き。
一日中降る事こそ少ないものの、傘は手放せない。
現地サルバドールの人の話によると、丁度今、6月くらいまでは雨期だそうである。
出掛けには良く晴れていたので、油断して傘を持ってこなかった。
しかし、当地サルバドールでは、キューバのハバナやサンチアゴといった都市のようには朝から晩まで音楽に溢れているわけではないので、日中はやる事もなくとにかく良く歩き回る。
平均したら日に15キロは歩いているだろうか。
午後は顔なじみになった、ペロウリーニョからコメルシオ地区とは反対へと下った繁華な通りにある定食屋へとご飯を食べに行く。
今日は牛肉の定食。付いてくるものは鳥を頼んだときと殆ど全く変わらない。
サラダにキュウリがないと葉っぱ以外は全てトマトになってしまうくらいのものか。
今日もノビ・スキンを一本付けてもらう。
大体、海外にいると、必要な水分の殆どをビールで補ってしまう。
すぐ汗になって飛んでしまい、全然酔わない。
夕方、ブラジルに来てから二度目のインターネットをしてみた。
このマシンでは日本語が読める。
が、残念ながら和文を入力する方法がわからない。
メールの返事をアルファベットを使って出す。
西文、英文、それからニホンゴ。
そうしてインターネットをしていると、何やら打楽器集団の音が外から聞こえてきた。
夕方になると、この街の音楽はようやく動き出す。
昼間はカポエイラを伴奏するビリンバウの響きばかり。
聞きに行きたいのを我慢して、なおもe-mailを書き続けていたが、今度は愉快なフォホーの楽団の音が通り過ぎていったので、たまらずネットを中断して外へ飛び出す。
すでに楽団はいなかった。
そのまま宿に戻ろうとすると、ぽっちゃりとした黒人の売春婦に捕まった。
中々離れてくれない。商売だものね。
気が合いそうな、ほがらかで中々感じのよい子ではあったが、今回もご遠慮させて頂くことにする。
その後しばらくして、いよいよ待ちに待ったフォホーのライブを見に行ってみることにする。
会場はペドロ・アルカンジョ広場と言い、しかし広場とは言いつつも入り口が狭くパティオ(中庭)の様になっているので、場所が少々わかりづらい。
広場への入り口
ペドロ・アルカンジョ広場の入り口.jpg
ゆく道の途中、太鼓の音がするので寄り道してみたら、それはなんと少年少女たちのみの打楽器集団であった。
その指揮をとるのも少女。
演奏はつたないが、これはこれでよい感じだ。
おそらくプロの団体のユースなのだろう。
みんな楽しそうに演奏している。
時折シンプルなキメをはさむ。
大変わかりやすい音楽。
スルドーのパフォーマンスにどこか和太鼓に通じるものを感じる。
さて、会場に到着してステージを見渡してみれば、バンドはドラムの入った現代的な編成のようだ。
間もなく演奏が始まった。
彼らのフォホーはダンサブルに常にオンビートをキックでキメてくる。
「ドッド・ドッ、ドッド・ドッ」というように。
私にとってはさっき街角で聴いたフォホーの方が心地よかった。
これだけ拍のアタマを押さえられてしまうとどうも窮屈だ。
これなら「ドッドー・ドッドー」という、教則本にバイオンとしてよく出て来る形の方がもっと躍動感を感じさせてくれそうだ。
しばらく聴いた後、会場をあとにする。
しかし、これで私の聴きたいフォホーの音が益々鮮明になってきた。
会場を出て宿に向かって歩いていると、またどこからか太鼓の音が聞こえてくる。
今度の大人の演奏する打楽器集団。
こちらはさすが、演奏もしっかりとしている。
至近で聴いていると耳が痛い。
すごい迫力だ。
特にリーダーの叩くアドリブソロは、まるで雷であるかのように辺りへと響いてゆく。
スルドーが行進するかの如く拍を刻んでいる上で、小さい太鼓やスネアドラムがブラジリアンクラーベ、3:2ソンクラーベなどを刻む。
さらにそのビートに乗っかる形でリーダーの叩くアドリブが炸裂する。
しばらく見ていると、楽団はさらに下る坂道を下の方へと行進していった。
ふとした瞬間にこんな形で色々な音楽が舞い降りてくるサルバドールは、やはりエキサイティングな街だ。
楽団とは反対に、少し上に登っていくと今度はレストランの一角でギターの弾き語りをしていた。
話題は変わるが、私はどうもこの年にしてブラジルでは少年、青年に見られる。
ご年配の婦人などはまず百パーセント、私の事を少年呼ばわりする。
それによってみんな助けてくれたり、手加減してくれたりするから、得な事も多いけれど。
アジア人・・・外国人である私の年齢は、彼らにとってはどうもかなり不明なものであるらしい。
もう一つ彼らの認識について。
ブラジルに来て気分がよいのは、誰もが私に「ジャポネーズ(日本人)!」と声をかけてくる事。
これが他のラテンアメリカ諸国では、こうはいかない。
ほぼ百パーセント「チーノ(中国人)!」だ。
日本は中国の領土の一部だと思っている人も多い。
中文が声に出して読めなくて、なぜ?と不思議がられた事も・・・。
日本からブラジルへは移民の歴史があり、住んでいる日系人も他の国に比べればずっと多いからそうなのかもしれない。
どうもブラジル人にとって日本は親しみのある国のうちの一つのようだ。

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