下流社会-新たな階層集団の出現-:三浦展著 12 enero 2007
下流社会-新たな階層集団の出現-:三浦展著
光文社新書
「いつかはクラウン」から「毎日100円ショップ」の時代へ。
もはや「中流」ではない。「下流」なのだ。
「下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。(「はじめに」より)
友人や先輩・後輩、恋人、伴侶、・・・あらゆる人間関係は自分の所属するコミュニティーの中で成り立つ事が多いから、高いところで生きたいなら、夢を見るだけではなく、ハイレベルな人達のいるコミュニティーの中で生きていけるように現実的な努力を重ねていかなければならないのかなと思った。
それこそ例えば東大に入れば卒業後も東大で培った人間関係の中で生きていく確率が非常に高いわけで。
結婚が人生の全てではないけれど、男性の場合、年収300万円以下での結婚はほぼ成り立たないらしい。
年収300万といえば月にならせば月収25万円。
この数字、フリーターにはチョット厳しいかもしれない。
また年収の高い(自身か、あるいは夫の)女性ほど、勤労意欲も出産意欲も高い傾向があるらしい。
またよく良い意味で使われる事の多い「自分らしさ」を求める人ほど、いわゆる「下流社会」に属する傾向があるそうだ。
自分らしさを求め過ぎる事については私も反対です。
それについては嫌な現実も見てきた。
大体自分らしさなんてものには、第一義に求めるほど価値があるのだろうか???
それは一所懸命生きていれば自然と付いてくるものなのでは???
行動原理の根底が「自分らしさの追求」だしたら、それはちょっと考え直した方が良いかな、と思うよ。
人生への意欲が低くて、だらだらしていても誰にも迷惑はかかからないんだからいいじゃないかっていう考えも違うと思いますよ。
今は裕福な日本の社会も誰かが支えなければ崩壊に向かうしかないわけで、それは大変に怖い事だから出来るだけ多くの人が意欲を持って生産活動しなければならないし、特にこれから未来を形造ってゆく学生には怠惰を許してはならないと思う。
個人の生き方の総和に国家があるとして、日本の繁栄もわずかの月日で達成したわけだから、その逆も早いと思いますが、国家が食べていけない人を支えきれなくなれば、アフリカのとある国のように、下流社会に生きる人は短命に終わる時代が日本にも案外早く訪れてしまうかもしれない。
などと色々な事を考えてしまいます。
そんな事も思案しながら、だけど基本的にはマーケティングの本なので、詳しくは申し上げませんけれど、そちらの面で大変参考になりました。
-土曜日のライブ-
2007年1月13日(土)藤田浩司ラテンバンド
大神家(おおがみや):長生郡一宮町東浪見7545-3☆tel 0475-42-7568
1st)19:30~ 2nd)21:00~ 当日2500yen(前売2000yen)
藤田浩司ラテンバンド
[p&d:藤田浩司、fl:齊藤佐智江、d:高崎洋平、perc.:吉羽一星、s-bass:yuki]
久々に佐智江さんの暖かい音が聴けるなぁ。