第20回千葉県吹奏楽個人コンクール 26 marzo 2007
今回、実は初めて見に行きました。
気になるのは参加者に対する審査員の評。
審査する人によって、同じものに対する評価が結構割れるからびっくりだ。
人によって同じ演奏に対するその受け止め方はかなりな違いがあるように感じる。
もちろん私だって違う。
最終的にそんなところかなって場所には私もそれぞれの参加者について同じ感じで落ち着くけれど、細かな評価については結構意見を異にするかなあ。
音色に重きをおくかと思えば、それについてそれ程ではない人もいるし。
リズムに対する感性一つとってみても何をよしとするか、結構違うかな。
その曲がどういう伝統に根ざしているか、理解してそのフィーリングを出す事が大切なら、また、その演奏されたフィーリングを正しく理解出来る知識も重要だろう。
プロの演奏家だって、全てのジャンルにおいて伝統に根ざしたフィーリングをともないながら演奏出来るかというと、全くそうではないだろう。
問題が技術ではないから余計やっかいだ。
それが何であるか、それについて知らなければ、それに共感する事は難しいかもしれない。
だから私は、あるいは人は、それを求めて出掛けるのである。
昨日まで熊本、そして今日からはロサンゼルスだ。近いうちにキューバへも行くだろう。
見聞した者にしか奏でられない音楽は、絶対に有ると思うぜ。
一番大切なのは歌えている事だとして、そりゃあ細かな技術がしっかりしている事も大切だ。
複音のソロ楽器の場合、それぞれのラインがあたかもそれぞれの人が歌っているかのように演奏出来る技術等も当然重要だ。
楽器を鳴らす事に長けていても、歌心がなければそれは宝の持ち腐れだ。
とはいえ、逆に繊細なダイナミクス一つとってみても、それは人の心をとても惹く。時にささやき声とか。
別の点・・・自分について言えば、物心着いた頃からダミ声の歌がダメで、だからたとえいくら歌心豊かな完璧な演奏であったとしても、音色がNGならそれだけでガックリしてしまう。
そんなのも人によっては私ほど気にならないだろうし、評価というのは中々難しいですね。
たとえばマリンバ。
ダイナミクスが思ったより狭ければやはり魅力に乏しいし、低音なんか難しいんだけど音が割れていたらガッカリしてしまう。
フレージングやアーテュキレーションが適切でなければ、それもガックリを誘う。
それからその性質上、音の伸び方を表現しづらい打楽器だから、動作に現れる音楽なども重要じゃないか。それについては多分「音楽」というより「MUSIC」と言った方が適切だ。
ゴチャゴチャ言うけれど、出掛けてみて、今どきの高校生を頼もしく思いました。
みんな頑張ってほしい。
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cozy-corner~藤田浩司(ふじたこうじ/koji fujita)のblog