カマグエイ(Camagüey)2日目 27 junio 2007
朝、目覚めるとアパゴン(停電)だった。
今回初めての停電だ。
以前は停電しない日の方が珍しかったけれど、ここ数年は随分と電力事情が好転しているようだ。
気が付いてから10分と経たないうちに復旧する。
カマグエイのカルナバルは6月24日、サン・ファンの祝日に始まって6月29日、サン・ペドロの祝日で終わる。
サンチアゴでも6月24、29の両日には必ずコンガが走ると言っていたし、オフシーズンの6月末は音楽を聴くのに狙い目かもしれない。
マタンサスでも何かが起こるような予感。
よく晴れた空。
9時半、昨日会った打楽器奏者のアンドレスが突然私を訪ねてきた。
キューバンリズムについての著作物を私に売りたそうだったが、残念ながら既に知り尽くしたものばかりで興味の持てる事柄は記されていなかった。
しかし、せっかくだからと一緒にエル・ラピドへ飲みに行く。
エル・ラピドとは、キューバにおけるファストフード店だ。
色々な話をする。
個人的に外国人相手に打楽器を教えても、ギャラの60%は事務所に持って行かれてしまう話は興味深かった。
また、彼はカマグエイのサンタ・ルシア海岸でもよく演奏しているらしい。
カマグエイまで来る外国人に打楽器を教えるなら、キューバン・パーカッションのベーシックよりもカマグエイ独特のリズム、例えばカマグエイが持つ2つのコンガなどを教える方が需要があるのではないかと彼にアドバイスした。
ベーシックを習いたい向きは、たぶんわざわざカマグエイまでは来ないだろう。
きっとハバナかサンチアゴに留まると思うからだ。
また全く別の話であるが、国内での移動はタクシーよりもレンタカーした方が安いのではないかという話もあった。
これも道草話。
外国人に部屋貸しをしている家は結構お金持ちに見えるのだけど・・・という話をしたら、そうでもないよと言う。
部屋貸しは政府認可のもとで営業しなければならないのだが、それには1部屋毎に月100CUCを税金として政府に払わなければならないそうだ。
お客は毎日入るわけではないだろうから、それは結構大変なのかもしれない。
流行らないところは廃業してしまうとの噂も耳にした事がある。
ちなみに彼は音楽事務所に属してサラリーマン生活を送っているが、月給は並のキューバ人の2倍ほどだそうだ。
エル・ラピドを出て、今度は彼の家へとお邪魔させて頂く。
教則本の音源を聴かせてもらったり、楽器をデモンストレートしてもらった。
彼の家のある地区にはミュージシャンが多く住むらしく、近所の道沿いに野外ライブの特設ステージがしつらえてあった。
その後、奥さんが子供を連れてやって来た。
3歳になるそうだ。
いつの間にか13時を過ぎてしまったので、今夜ピアノが聴けるライブハウスで会う約束をして、荷物をまとめるためにおいとまさせていただく。
これから同じ市内の新しい宿へ小移動するために。
宿と宿の間はそう遠くないのに、重い荷物を運ぶとなると結構遠くに感じる。
今日初めて部屋に通されたけれど、思った通りの素晴らしい部屋だった。
まず、今まで泊まった中でもエアコンの効きがダントツに良い。
エアコンはLG製なのだが、よくあるキューバの、ガーっとうるさいエアコンに比べたらずっとまともだな、これは。
その他、冷蔵庫、扇風機、プライベートバス、窓付きで換気も出来る。
インテリアはウッディにまとめられている感じだ。
部屋を出てすぐのおしゃれなパティオにはプライベートなバル(バーカウンター)までしつらえてある。
実際ここで生ジュースを何杯もごちそうになった。
今はマンゴージュース。
部屋に通された時には既にエアコンが効いていて涼しかったし、まぁ日本ではそれも当たり前ですが、キューバでは初めての事だ。
そういったホスピタリティがこの宿は素晴らしい。
ここは流行って当たり前だ。
こちらの財布のヒモもついついゆるくなる。
商の精神。
価値あるものを、それを欲しいと思う人達に届ける。
経済の発達した現代では、音楽家といえども商才がなければ生きにくい。
私たち音楽家は一見しただけでは価値の付けづらいものを売り物としている。
それだけに売り方にはかなりな工夫が必要だろう。
ただひたすらに売り込みをかけるだけが良いとは思わない。
いかにそれに満足してもらえるか、を追求すれば、音楽そのものの他にも色々と大切なものがある事に気が付くはずだ。
今回は彼の見せてくれたホスピタリティにそのヒントを感じた。
とはいえ、しかしその前提として、価値あるものを創り出す能力を磨いておかなければならない事は言うまでもない。
さて街に出ようとするも、昨日に引き続いて突然のスコール。
しばし足止めを食う。
カマグエイもこの季節、ハバナと同じように雨がよく降るらしい。
サンチアゴやバラデロはそうでもない。
時間を持て余す中で、思い出したからタクシーのアルフレッドに電話した。
留守だった。
雨は止まないけれど、再び街に出た。
結構強い降りで、為す術もない。
久々にまともな量の肉を食べる。
ポーヨ・フリート(フライド・チキン)1/4。
ナイフとフォークがプラスチックで食べ辛い。
18:30。
カーニバルのパレードが通る道へと向かう。
今日は通りに人がまばらである。
コンパルサを準備する人たちも全くいない。
嫌な予感が膨らんでゆく。
はたして道行く人に尋ねると、今日のコンパルサは中止になったとの事。
雨を恨む。
マラカに次いで、雨での中止は今回2度目。
弔いでも色々と中止になったし、今回はやたらと中止になるコンサートやライブが多いな。
とはいえ、それを残念がるより、今は昨晩ああやって偶然にもカマグエイのカルナバルと出会えた事に対して感謝する事にしよう。
カルナバル体験はたったの一度だけとなってしまったけれど、それでも心に残ったものは大きい。
帰り道、この街には尖塔が2つあるのをみつけた。
だからコンパルサ隊の出発地点だと思っていた場所はマルティ広場ではない。
距離や方向の感覚からしておかしいな、とは思っていた。
市街中心マセオ通りからはレプブリカ通りをどこまでも真っ直ぐに北へと上り、鉄道駅を越えたさらに先の辺りだ。
21時半、アンドレスと約束したプラサ・デ・ラ・カリダに面してあるというライブハウスへと向かう。
プラサ・デ・ラ・カリダ・・・カリダ広場なんて、手持ちの地図には載っていないので、道を尋ねながらそれを目指す。
しかし・・・それは橋の向こうで、歩いていくと40分以上かかると言われて行く事を断念する。
生演奏の音が聞こえてきたので、ついフラフラとそちらへ行ってみると、ロス・トラバハドーレス広場で野外ライブが繰り広げられていた。
コメディあり、サルサあり、メレンゲもダンソンもボレロも、さてはロックっぽいものまで何でも有りのステージだ。
もちろんダンサー付き。
キューバのライブはどこで見てもハズレが非常に少ない。
途中、立ち疲れたのでティニマというカマグエイのビールを飲みに行った。
・・・あの味だ、あのまずかったディスペンサーダ(生ビール)の味と同じ・・・。
残念だった。
本当は水が飲みたかったのだが、カマグエイでは小さいペットボトルの水を見つけるのが難しい。
観光客が少ないせいかもしれない。
地元の人はわざわざ買ってまで水を飲まないという事だろう。
ライブは23:30を過ぎてもまだ続いていた。
宿に帰るとタクシーのアルフレッドから伝言があり、電話をかけ直す。
曰く、本当は5人乗せて行きたかったのだが、あと1人集まらない。五割り増しで払ってくれないかとの事。
丁重にお断りした。
あとで宿の主人に聞いみても、それは法外な値段だった。
急展開。
明日は朝イチに代わりのトランスポーテーションを探さなければならなくなった。
アストロのバスも、汽車もマタンサスまでは一日おきに1本しかない事は知っている。
さてどうなるのだろうか・・・。
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