マレーシア・ティオマン島サラン村(kampung salang, pulau tioman, Malaysia)最終日 9 oct. 2007
長かったリゾート滞在も一日中いるのはついに今日まで。
珍しく6時半に目が覚めた。
この時間、こちらではようやく朝の気配が始まる感じで辺りはまだ暗い。
が、赤道直下ではみるみるうちに夜が明ける。
今朝はよく晴れている。
起き抜けにタイガーを一本あけた。
久々にオスカーピーターソン(oscar peterson)などかけてみる。
高校卒業したての頃、友達のうちでDVD?いや、レーザーディスクか、あの頃は・・・見せられ、衝撃を受けたピアニストだ。
彼の演奏はテクニックもすごいけど、エンターテイメント精神に溢れて楽しいと思う。
フレーズも明快だ。
きっといい人なんだろうな。
朝のレストランでロティを運んで来た青年に「カミカゼとハラキリは日本の文化だよね」って訊ねられた。
日本人が忘れ去ってしまいがちな日本の事がこのようにしてマレーの青年に認識されている。
「カミカゼ」とはおそらく大東亜戦争中の「神風特攻隊」の事をさしているのだろう。
まさか元冦の時の事をさしているのではあるまい。
ただしこの場合「シンプウトクベツコウゲキタイ」と読むのが正しい。
どの程度の深い認識が青年になされているかについてまでは知る由もないが、「カミカゼ」が持つ、限りない無償奉仕の精神を私たち日本人は、忘れ去ってはならないと思う。
彼らは家族や隣人、郷土を守らんとしてかけがえのない、この世にたった一つしかない命を投げ出したのだ。
青年の話は1984年当時の首相、マハティール・モハマド(mahathir mohamad)と中曽根康弘の話にまで及んだ。
そんな古い事を知っているとは・・・よくよく聞くと彼はその当時10歳だったと言う。
えーっ・・・20台前半だとばかり思っていたのに。
人の歳はわからないものだ。
特に外国人は。
ところで「げんこう」と入力しても変換される漢字が出てこないのに、「わこう」と入れると正しく変換される。
国と国との関係であった元冦の方が、私的な海賊であった和冦よりも歴史的にははるかに重要であるという当然の事が編者のアタマから抜けていたのかもしれない。
大体「和冦」と呼ばれ、あたかもすべてが日本人であるかのようだけれど、当時中国の明朝から呼ばれた海賊「和冦」には中国人も多かったのである。
泳ぎに行く。
本日も良い天気。
結局晴れなかった日は一日もなかったな。
昨日に引き続き、クラゲの個体も全く見あたらない。
チクリともしない。
今年はクラゲのはずれ年だ。
例年、滞在中に何度かは押し寄せて来る日がある、あのクラゲを一個も見なかった。
キモくて痛い思いをしたのは、パヌーバ(panuba,tioman)の初日のみだ。
クラゲで痛いのはカツオノエボシだけど、ティオマンでは幸いな事にこれを見た事がない。
カツオノエボシに初めて当たったのは、確か山陰は鳥取の羽合海岸であったと思う。
あまりに水がきれいなので調子に乗ってクロールしていたら手先に触手がからまった。
カツオノエボシに当たると、何とも言えないイヤな痛みが翌日まで続く。
南九十九里浜を中心に、子供の頃から房総の海でさんざん泳いでいたけれど、クラゲなんかに当たった事ないんだけどな。
もちろんクラゲはいる。
港の防波堤でよく目にした事はある。
だけど、泳いでいて痛い思いをした事は一度もなかったし、だから大人になるまでクラゲに対しては無防備であった。
その羽合で刺されてからはよく当たるようになった。
どうも日本海側で泳ぐ時に限って、よく当たるような気がする。
とはいえ夏、日本海側の海岸はきれいだ。
津軽の海だってきれいだし結構暖かい。
実際理科年表で確認すると、夏場、房総辺りの海水温と同じ温度なのは東北のこの辺りだったと思う。
日南とか南宮崎の海よりも、イメージに反して新潟の海の方が暖かいだろう、実際。
日本本土の海で一番好きなのは山口県阿武町の木与が浜だ。あそこは条件が良ければ奇跡的にきれいで、鯛の稚魚やシロギス等々、魚が舞い群れている。
本土以外、沖縄や鹿児島の離島は格別にきれいです。
ただ、夏のシーズンに訪れた事がない。
これらの場所では残念ながら泳いだ事がない。
鹿児島の離島は秋に行ったから真夏と変わらない、泳げる気候だったけれど、その時はツアーの仕事で行ったから泳ぐ時間などなかった。
北海道の利尻島なんかも、とても水が澄んでいてきれいだ。
冷たくて泳ぐ気にならないけれど。
やはり地方は仕事で訪ねるのではなく、出来れば私的に訪れたいものである。
さて泳いでいると・・・今日もアオウミガメ(green turtle)がいた!
条件が良かったので、彼が深みまで行ったのを追いかけて行っても観察する事が出来た。
とはいえ彼はあまりにもトロいから、こちらの体がムズムズしだしたのでカメから離れてウロチョロと泳ぐ。
随分長い事泳いで悠々と岸へ上がる。
こうして適度な運動をするのは気持ちが良い。
シャワーを浴びた後、快晴に近い空となったので、仕事で使えそうな写真を撮りにビーチをうろうろする。
久々にジーンズをはいて出かけたら、暑さで気持ちが悪くなった。
道すがら、リスやカワセミを見つけた。
桟橋脇の、いつも白人達で賑わっていたレストラン「サラン・ドリームス・レストラン」は本日より休業期間に入るらしい。
店のテーブルや椅子を全てきれいに片づけてあった。
シーズンの終わりが近いし、またハリ・ラヤ・プアサ(hari raya puasa・・・ラマダン明けの祝日)ももうすぐだ。
ヒートダウンを兼ねて夕方再び泳ぐ。
16時半の太陽はまだまだ高い。
まったく風も波もない中、泳ぎやすいけれど獲物も見あたらない。
泳ぎやすいので、海中の珊瑚を眺めながらひたすら泳ぐ。
そうこうしているうちに、18時には完全に夕陽に変わった。
この時間まで泳いでいたのは、今期初めてだ。
熱帯では太陽が高いところにある時間は長いけれど、落ち始めたらあっと言う間に落ちる。
その後、シャワーを浴び始めた時には夕方の風景だったものが、浴び終わるまでのわずかな時間のあいだには夕暮れの風景へと変わっていた。
リゾートは終了を告げる。
夜、レセプションに宿代を支払いに行った。
「何泊しましたか?」とか聞かれて、かなりアバウトな雰囲気。
信用商売だ。
だけれど、好感が持てる。
12泊分、RM1200(40,800円)を支払った。
全てまとめて後払いでよいというのも、たとえばラテン社会じゃあり得ないだろうな。
ちなみに帰りのボートは予約せずに桟橋へ直行すればよいらしい。
夜のレストランはここに来てなぜかメチャ混みだ。
初めて海際の席に座る事が出来なかった。
ご飯を食べた後、桟橋へ散歩。
今夜もいつものように烏賊を釣る人がいる。
桟橋の両脇、いつも賑やかなドリームス・レストランとサラン・コンプレックス両方の灯りが今夜初めて消えた。
桟橋から見るサランは突然ひっそりとした。
村が全体に暗く見える。
もうじきシーズンが終わって、この島にモンスーンの季節が到来する。
カシオペアを見つけたが、北極星は山肌の陰だ。
蠍座は非常に高い位置にある。
日中の太陽を見ても、どちらが南であるか判然としない。
太陽は、ほぼ真上を通る。
日の出、日の入りを見て初めて東西がわかる感じだ。
宿に戻って荷造りをする。
すべてが名残惜しい。
明朝7時半、こうしてすでにサランのジェッティに待機している、始発のブルーウォーター10号(blue water 10)に乗って半島の港街メルシン(mersing) へと向かいます。
タイガー最後の一本をあけた。
おまけに、本当の本当に冷蔵庫の中の最後の一本、ギネスをもあけた。
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