槙原敬之の歌を聴いた 11 agosto 2006
偶然ラジオで槙原敬之氏の歌を聴きました。
タイトルは忘れてしまいましたが、歌詞の大意は「決して戦いたくない。人を傷つけない為に自分の命を投げ出すのは価値のあることだから惜しくない。」というようなものだったと思います。
そりゃ誰でも戦いたくない。
とはいえ、この歌詞のように人の命を奪いたくないからその為には自分の命を投げ出してもいいって、そんな風にしても世の中の悲惨は無くならないと思う。
一聴するに、この歌詞は心に美しく響くけれど・・・
まず、戦いの対象となる相手の命が大切なら、自分の命も同じように尊いはず、と考えてしまいます。
歌われる理想のように、人を傷つけたくないが為に惜しみなく自分の命を投げ出してしまったら、自分の事を案ずる家族や愛する者の悲しみは計り知れないでしょう。
また、戦いたくないが為に投げ出す命が自分のものだけで済むならまだしも、戦わない事によって自分の愛する者たちの命までもが犠牲になるかもしれない事に思いを巡らせてしまいます。
いくら考えても、戦わなければ平和が訪れるなんて、世の中はそんなに単純に出来ているとは到底信じる事が出来ません。
世の中にはお人好しもいれば、しかし確実に悪人も存在するし。
それは国家おいてにも大体当てはまるのではないでしょうか。
戦わなくても、一方的に虐殺される悲惨に巡りあわせてしまう事は充分に可能性があると思います
戦わないから平和というのは夢物語でしょう???
だからと言ってもちろん進んで戦いたくはありませんが、相手のある事だから嫌々でも戦わなければむしろ悲惨な結果を招く事もあるかもしれません。
相手の残虐が計り知れない程である可能性は誰にも否定出来ない。
最も戦争の悲惨が訪れない形とは、自分が相手の命を奪わない事はもちろんの事ですが、相手にも攻める隙を与えない事が肝要なのではないでしょうか。
極端にどちらか一方を主張しても、平和の維持はうまくいかないと思います。
今の世の中は、武器を捨てればよい、非武装になればよい、と極端な一方を主張し過ぎるきらいがあると危惧しています。
こちらに武器がなければ確かに戦争という形にはならないかもしれません。
しかし、その事と世の中に悲惨が訪れるか否かというのは、また別の事でしょう???
戦わなくても相手に蹂躙を許せば、それはまた大変に悲惨な事となります。
家族が、隣人が、恋人が、愛する者が殺されようとしている時、歌のように戦わずして相手に自分の命を丸投げするのでしょうか。
相手の命を奪わないから、それでもその結果に満足するのでしょうか。
・・・私は嫌だな。