バラデロビーチ(Varadero Beach) 1 julio 2007
快晴。
7月。
ついに夏は始まる。
バラデロはわずか数百メートルの幅を保ちながらどこまでも海に突き出た地形だから、半ば大海原に浮かぶ船で過ごすような気候だ。
今までの滞在地の中では最も涼しく、しかし、湿度が高いのだろうか、洗濯物が乾きにくい。
このリゾートまで来て洗濯なんてしたくはないが、貧乏旅では致し方ない。
ホテルの室内は快適だ。
きれいだし、エアコンがよく効く。
タオル類も豪華だ。
シャワーはキューバや中南米でよくある電熱式ではなく、給湯式だ。
レバーのひねり方次第で水からお湯まで自由に加減できる。
テレビでは久々にCNNを見た。
朝食付き。
朝食は始め焼いたパンにフルーツの盛り合わせ、それにパイナップルジュースにコーヒー、あとから主菜?が出てくる。
これはメニューの中から選ぶ。
朝だからサンドウィッチみたいのだとか、玉子料理だとか、そんなものの中から。
ホテルはさすがに外国人観光客で埋まっていて、何だか変な話だが、少しホッとする。
・・・以前選ぶ事の出来た主菜(と、言えるかどうか?)はどうやら有料化されたようだ。
メニューをもらっておいて「これはタダですか?」と聞くのはさすがにはばかられるから、ここはスマートに目玉焼きを注文してみた。
しかし会計の時にこれは朝食に含まれるのか聞こうかと思ったけれど、既にウエイターもウエイトレスも見つけることは出来なかった。
どこへ行ってしまったのか?
朝食後、海岸を散歩していると男から声がかかる。
キューバと中国のハーフで今はハバナとパナマに家を持っていると言う。
名前は中国風で覚える事が出来なかった。
ちなみに娘さんの名前は「あすみ」とか「あずみ」とか言うそうで、日本のドラマのヒロインの名前からとったそうだ。
嬉しい話だ。
次いで、キューバ人の男女から声がかかる。
ホルヘ、経済を専攻していたが今は調理人の40歳とレディス23歳、保母のカップル。
しばしビールを飲んで語らい、その後、彼らの娘とお母さんのいるパラソルの下でご飯をご馳走になる。
コングリ(小豆ご飯)、ポーヨ(鶏)、アグアカテ(アボカド)。
娘5歳、ネリス・レディス・ゴンサレス・アレナ・デ・ラ・カリダ・・・長い名前だ。
仲良くはしていたものの、徐々にタカラれ始めたので水着に着替えてくると言っておいとまさせて頂く。
その後ホテルまで追ってきた。
さすがにしつこい。
程々ならおごっても楽しい。
が、しかし、あまりにタカラレるのはごめんだ。
以前の、3年前までのバラデロならこういった事はまず起こらなかった。
そういった意味でもバラデロはすっかり変わってしまったと言わざるを得ない。
バラデロでタカラレたのは、今回が初めてだ。
いまや愛すべきキューバ人のリゾート、それがバラデロセントロだ。
もちろん1泊3万円ほどの(詳しくは知らないけれど)超高級ホテルが密集する半島の先端部は今まで通りのたたずまいだろう。
なぜタカラれる事をわかっていながらどこの街でも頻繁にこうして彼らと絡むのか・・・それは彼らと一緒に話をしていると、友達同士からでは得られないような情報を手にする事が出来るからだ。
信頼関係がすでに成立している友達同士では言うのがはばかられるような事を、しばしば彼らは私に伝えてくれる。
自分を見る鏡として、彼らと一緒にいるのはとても面白い事である。
その他、既に人間関係の出来上がった友達同士の間柄ではなかなか伝えにくいようなキューバの現実を、彼らは時折垣間見せてくれる。
親友といるのも楽しいけれど、そんなこんなで見ず知らずの人間と絡むのはとても興味深い事である。
多少のタカリなら、むしろ心地良い。
しかし限度はある。
12時過ぎ。
彼らから解放されて泳ぎに行く。
ビーチは今日もキューバ人で埋め尽くされている。
外国人は100人に1人もいない感じだ。
この3年間で、キューバ人の一部が裕福になったのは間違いないところだろう。
3年前は「インファンタ657/藤田浩司」のジャケット写真のように、殆ど誰もいないビーチを撮影出来たものが、今では望むべくもない。
あの静かだったバラデロは、もうここにはない。
それとも明日からの平日にはビーチのたたずまいもガラっと変わるのだろうか。
泳いでみると、今日は浮遊物も全くなく快適だ。
しかも私のように沖合まで泳ぎに来るものは誰一人いないから、半ばこの広い大海原を独り占めしている感じだ。
たまにはプカプカと海面に浮いてみる。
すると半島の先端に向けてやや海水の流れがある事がわかる。
見る事の出来る魚はやはりアジの群れ、それからアジよりもずっと体高の低い魚の群れ。
尾ひれの形からは、やはりアジ科の魚に見えるのだが。
1時間半ほど泳いでシャワーを浴びる。
こうしていると、自分の身体にも健康が戻ってくる感じだ。
再び散歩。
昨日雨に降られたショッピングコンプレックスに再び行ってみた。
昨日は気が付かなかったけれど、なんと裏手が一大遊園地となっていた。
びっくりだ。
小さいながらもジェットコースターまである。
確か以前から遊具はあったものの、これほどの規模ではなかったはず。
そして今日も店内はキューバ人で埋め尽くされていて、カフェやラピドでは座る席もない。
座れない事なんて、絶対になかったのに。
16時。
帰り道。
陽射しはいよいよ肌に厳しい。
持っていたタオルで腕を覆う。
サングラスを買った。
再び泳ぐ。
一日中よく晴れたせいか、水温は昨日より高い。
熱水の固まり、というには広すぎる範囲が温泉のように温かい。
この時間となっても、ビーチには人があふれている。
午後は二日続けて波が高くなったけれど、これはどこのビーチでも一緒かもしれない。
午後の方が波は高くなる。
行列のピザ屋台には、今日も人が並んでいる。
惜しげもなくチーズを投入しているのが見える。
生地をこねているのも見える。
手作りは、やはり良いものだ。
ラピドでブカネロの生ジョッキを飲もうとしたら、ジョッキが足りない、と断られてしまった。
バラデロセントロ、日曜のラピドはキューバ人で一杯だ。
余りに髪が傷むので、普段は使わないコンディショナーを買った。
うっかりと道沿いのニナ・リッチとかを扱っている高級店でそれを買ったら、同じ品がスーパーの2倍以上の値段でびっくり。
19:30。
まだまだ太陽が見える。
サマータイムも悪いものではないな。
ホテルに戻って、ふとテレビをつけるとメキシコの楽団が演奏していた。
Fue Un Placer Conocerte(君と逢えて良かった)というボレロ。
メキシコ人の楽団は服装がきちんとしている。
厳しい階級社会の現れだろうか。
メキシコはボレロの名曲をたくさん生み出しているけれど、賑やかなトランペットも定評高い。
マンボはキューバ人のペレス・プラードがメキシコの高地で肺を鍛えられた、メキシコ人のトランペッターを使って成功させた音楽だ。
全然、関係ない話だけれど・・・
為替について考える。
今、日本人にとってこの円安の中、海外を旅する事は大変苦しい事だけれど、それを逆手に取って自分も製品を海外に輸出すれば為替がどちらに傾こうが安定した生活を送れるんじゃないか。
日本での売り上げのみでは為替が円安に傾いた時、それは目減りするけれど、海外でユーロかドルにペッグさせた値段で商品を売ってそのまま売り上げを外貨でストックすれば円安も痛くない。
むしろ円安によってクライアントは日本発の製品を買い易くなるのだから、円安の時にはオフェルタ(特売)をかけるとか、売り方によっては売り上げは伸びるというメリットさえ生まれるだろう。
しかし、基本的には為替差益で利益を生み出すのではなく、為替に左右されにくい体質に自分の経済を変えたいのである。
まあ、こんな事は誰もが承知の話で、特に何も目新しいことではないのだが、今、初めて自分でそれをやってみる気になった。
円高の時には国内で経済活動をして日本円を稼いだ方がメリットが大きかったので、こんな事は考えもしなかったけれど、海外へと出るようになってから最もレートの悪い今(特に自分がよく使うキューバ兌換ペソCUCに対して)、急にそんな考えが頭の中を駆け巡るようになった。
先日拙著「ラテンキューバンドラム教本」に海外から初めて注文が入った。
つまりこのインターネット時代、それをほしいと思う人に適切にその情報が届けば、個人でも海外を相手に商売出来るのである。
特に私が扱っているような専門性の高い商品は、インターネットで販売するのにふさわしいと考えられる。
自分の消費行動を考えても、一般の店に置いていないような専門性の高いものを購入する時にはまずネットで検索をかける。
そういったものを求める、多くのインテリが同じような行動を取っているのではないか、と想像する。
すると、インターネットは世界を等しく駆け巡るから、たとえ日本の千葉県茂原市で販売していようと、その商品を求めてベルリンやマドリードやロンドンの人が消費行動を起こす事に何も不思議はない。
まず英語サイトとスペイン語のオフィシャルサイトを開設して、そこに商品をおく。
商品のアイデアは既に色々とあるから、あとは製品化するだけだ。
こういう事を考えていると、ホントにわくわくしてくる。
また、少し前までは引退したら海外年金暮らしすれば良いと思っていたけれど、こうして円安が進むとそれも不安に思えてくる。
円建ての年金が海外で威力を発揮すると思っていたのは、つい日本人の傲慢で円が永遠に強い、という前提に立った考えだった。
国民年金は積み増ししていなければ、今の制度のままなら月にわずか6万円ちょいだ。
今は海外暮らしよりも、老いても出来るような仕事で、しかも円と外貨のダブルインカムを狙うのが一番良いような気がしている。
あるいは貯蓄や投資を円のみに頼らず、外貨にもまわすとか・・・しかし、それは日本を売ってしまうようで、自分にはためらいがある。
円安が進んでしまえば、もしゲインが同じなら日本で暮らした方が暮らしやすい環境になる事も充分に考えられる。
自営の、もしくはフリーのあなたは老後、どう生きていきますか?
20:45、外にはまだ本格的な暗闇は訪れていない。
そろそろ一杯飲みに行こうかな。
近所の飲み屋で一杯頼むとすぐ乞食のおっちゃんにからまれる。
「ビールを一杯おごってくれないか」と。
その後、テーブルにいると変なおっちゃんがやって来た。
バラデロで柔道を教えているというサンチェス氏。
今、初めて会う私にビールや食事をおごらせてくれと言う。
しかもカルネ(身分証明証)や職業のカードまで見せてくれる。
いよいよ怪しいと思ったが、ここはご相伴にあずかる事にした。
さてどうなるか。
聞けば彼はグァンタナモの出身でお父さんは米軍基地勤務だと言う。
オリンピック女子柔道で金メダルを取った子もグァンタナモ出身だから友達だと言う。
怪しいから食事は断った。
何度も「本当にいらないのか?」と言われたけれど、丁重にお断りした。
彼はジュースにピザを頼んだが、そのピザを私にも分けてくれる。
色々と話をしたけれど、彼は本当に全てのお金を払ってスッと去って行った。
なぜかとても感動した。
キューバ人におごられたのは、記憶に間違いがなければいつもおごってくれるお金持ちのインテリでマブ達のアントニオを除けば、4年前にヘスス・ルバルカバにおごられて以来だ。
いや、そういえば今回もカマグエイの宿では頻繁におごってもらった。
忘れているだけで結構おごられているのかもしれないな。
とにかくこの一件でもキューバの経済が相当に上向いているのを感じるのである。
さわやかだった。
おごられて屈辱という感じが全くしない。
裏を返せば、こういうお国柄だから、タカリも後を絶たないのだろう。
ちょっと納得の夜。
カトリック万歳。
さらに何かハプニングしないかと夜の街を歩いていたら、帰る途中の海沿いのレストランで声がかかった。
一人は近くにある姉妹ホテルのウエイターだった。
計4人。
楽しく会話は弾み、歌い踊った。
そうこうしているうちに写真を撮ろうと言ったら、うちの一人、サンチアゴに住んでいて、今は休暇でバラデロに来ているという22歳の女の子にいきなりキスされた。
腰を押し付けてくるし、若干身の危険を感じたので、みんなでディスコに行こうとか言っていたのを残念ながら辞退させて頂く。
身長150cmほど、金髪の細身で、とても感じの良い子だったし、素直で可愛らしい子ではあったけれど・・・。
だけど私には、そこはかとなく教養の溢れているような子じゃないとダメみたいだ。
知性。
それに一夜限りの恋、みたいなのは苦手でもある。
そんな夜でした。
はは。
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