いまさら細田官房長官発言 23 agosto 2005
近頃の政府はおかしな発言をする。官房長官発言によれば、「東京裁判」を政府として受け入れているそうである。だが、それは真実ではないと思われます。
まず、サンフランシスコ講和条約の調印によって日本の主権は概ね回復されましたが、その後間もなくの昭和28年5月の第16回国会において社会党の堤ツルヨ議員の発議により、野党社会党も含めた全会一致で、戦争裁判の戦犯とされた人たちを無罪と認定した事実があります。それには4000万国民もの署名が集まった事も大きかったでしょう。
そのサンフランシスコ講和条約の内容ですが、日本は東京裁判判決の効力は受け入れましたが、東京裁判そのもの、その価値判断を受け入れたわけではありませんね。
英語、西語、仏語のものが正式であるという、そのうち英語での原文をご覧下さい。問題となっているのは、Article 11です。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19510908.T1E.html
日本が受け入れたのは極東軍事裁判の裁判結果「judgments」であり、裁判「trial」ではなかった事がご理解頂けると思います。当時連合国側でさえその不当性を認めていたほどの軍事裁判でしたから、日本政府が主権回復の後、戦犯に対する不当な刑執行に対して何らかの補償を連合国側に求める事態を怖れて、この一文を条文として入れたようです。
もとをたどってみると、日本がポツダム宣言を受諾して降伏したところから始まります。これを日本の「無条件降伏」だと私も教科書で教えられ、そう思っていましたが、よくよく調べてみれば、日本が受諾した「無条件」とは、前線の軍隊が「無条件に武装解除する」という事であり、日本の降伏はポツダム宣言に書かれている条件を受け入れた「有条件降伏」ではありませんか。ヒトラー等、政府の中枢人物が自殺し、また首都まで占領されてしまったドイツの無条件降伏とは立場を異にするものであります。そして、その条件の中に戦犯を裁く法廷を開く、というものがあったわけですが、当時の日本政府はこの法廷が当然当時通用していたジュネーブ条約等の国際法に沿ったかたちで裁かれると思っていたわけです。しかし、現実に行われた裁判は事後法を持ち出してきたり、事実誤認も多い非常に不当なものでした。そういった経緯があるので、サンフランシスコ講和条約によって主権を回復した日本は、その後の国会において直ちにこの裁判を無効としたわけです。
いつの間にか、たかだか50年ほど前の歴史事実も見えなくなってしまうものなのですね。
そういった経緯から、いわゆるA級戦犯とされてしまった方々の事を軽々しく犯罪者扱いするのは謹んでいかなければならないと思います。
『東京裁判は国際法上違法であった』とする森岡前厚生労働大臣政務官の発言は、まったく正しい歴史認識に沿ってなされたものといえるのではないでしょうか。
細田発言を肯定する人の多くは、当時の外務省が意図的かどうかはわかりませんが、誤訳した日本語によるサンフランシスコ平和条約の第11条条約文を根拠にして物事を判断しているように思われます。
是非原文に当たってみて下さい。