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憲法9条 28 agosto 2005

 ある人は「憲法9条を変える事は日本を戦争する国にすること」になるのです、と言う。
 そんなバカな!
 それは、戦争状態になる時には、必ず日本が他国に仕掛けるものだ、という前提に成り立っていませんか?
 日本が他国に攻められてはからずも戦争状態になる、その可能性は憲法9条を掲げさえすればゼロになるのでしょうか?

 だいたい私達は諸国の人々に比べてそんなに好戦的でしょうか。
 むしろ仏教や神道に垣間見える共生、寛容の精神からして、基本的にはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、無宗教国家よりも穏やかな国民性を持っているのではありませんか。

 極々普通の国際感覚でものを言えば、憲法9条のあるなしに関わらず戦争は起こり得るのではありませんか?まさか本気で憲法9条を掲げていれば他国は絶対に攻め入って来ないとお考えなのか・・・(笑)少なくとも「他国が日本に攻め入ってくる可能性」がある、という事を認め合った上でなければ議論になりませんね。

 現実に今でも侵略、主権の侵害は世界中にあるわけで、丸腰の日本は彼らにとって格好の餌食となりかねません。
 実際に北朝鮮に拉致された日本国民がいて、中国には天然ガス開発の領域で、韓国には竹島を、ロシアには北方領土を主権侵害された状態なわけです。いまもって中国はチベットを侵略したまま居直っていますし、また一度として実行支配したことのない台湾を、国民党政府がかの地へ避難していった事実をもって併合しようとしています。

 この国際情勢を素直に眺めれば、日本政府よりも他国の政府に信をおく、「護憲」の論理に理があるとはとても思えません。
 そして一度戦争になってしまえば軍の隅々までを完璧に統治できた政府はありません。この一見平和にみえる平時の世の中においてさえも犯罪は起きているのですから、万が一、万が一に相手国の政府が紳士的であったとしても戦争になったら末端にはどんな悲惨が待ち受けているか。それは数々の戦記物や被爆、空襲、あらゆる侵略体験を扱った書物を読んでみればよくわかります。

 二度と戦争を起こさないために、私たちは出来るだけ速やかに憲法9条を変えてきちんと防衛出来るようにしなければならないのは明白であり、またそれは国際常識であると思います。
 他国が9条を持ち上げるのは、それが自分の国の安全に都合がよいからでしょう。それに、いくら憲法9条を他国の政府やの市民に評価されたところで、それが日本の安全保障につながるロジックが、少なくとも私には見えてきません。
 何だかんだと言っていても中国、韓国、北朝鮮すべて徴兵制をもっていつでも戦闘出来るよう国民を鍛えています。その事はアタマに入れておいた方がよいでしょう。

 ・・・???もしかして、まさか攻め入られたら、たとえ皆殺しになっても降参の覚悟ですか????
 
 ここまで書いてきて、ちょっと不安がアタマをよぎりました。今の憲法9条をかたくなに守る政府が出来て、その時、戦争に巻き込まれたら悲惨を極めますな。
 無抵抗で奴隷になるのか、死か、どちらかを選ばなければならない、そんな状況に陥る可能性がありますね・・・。

 私は嫌だなあ・・。

 私たちが動物と区別されるのは、人間が「人間」であるのは、「命」よりも尊いものがあるからなのではありませんか。
 究極の選択を迫られた時に、自分の親兄弟、友人、愛してやまない人たちを、果たして見殺しに出来るものでしょうか。 
 どんなに抑圧された状態でもただ生きていればいいや、なんて人、いるのでしょうか。
 「抵抗」する事は、それこそ人間らしく生きるための権利なのではありませんか。

 戦争は防がなければなりません。
 いわゆる「護憲」の立場を頑なに守る事は、いらぬ戦争を呼び込みかねない危険性をはらんでいると思います。
 
 侵略者に隙を見せ続けるのは如何なものか。戦争になった場合、隙をみせた方も悪い、と言われかねなくはありませんか。

 大体、敗戦後まもなくに、もちろん主権回復もなされないままにして、完璧に占領された状態の中で戦勝国側の草案を仕方なしに受け入れたという、そもそも憲法の成立過程が陰謀めいています。
 「憲法とは主権国家が自主的に制定するもの」、という正論に沿えば、これは1951年のサンフランシスコ平和条約締結により占領状態を脱し、主権をおおむね回復した後速やかに、改憲どころか、草案から新たに立ち上げるべきが本来の筋だったでしょう。
 ちなみに以前日本人自らがまとめた明治憲法は、現行憲法との比較の中で限度を超えて叩かれまくっていますが、発布当初は世界から賞賛をもって概ね好意的に迎え入れられたものです。ここいらへんは憲法発布当時の、外国新聞社の評を見れば宜しいでしょう。事実「大日本帝国憲法」は世界によきものとして認められ、それはその後様々な不平等条約撤廃へとつながっていったわけです。
 今の私の目からみても、そんなに理不尽を極めたものではないと思いますが・・・。
 
 ちょっと話がそれたので、はじめに戻りますが、「非戦の誓い」を一方的にしたところで、それによって戦争の火種を100%消し去る事が出来ると思い込むのはおかしいと思います。
 相手のある事なのですから。しかも軍と兵隊を持った国々に囲まれている現実があります。
 それなのに、全部当方の意のままに崇高な理念によれば非戦へと事が運ぶと考えるのは、思い上がりではないだろうか。
 戦争になってしまった時に、「私たちは攻めなかった」と言ってみたところで、それが何の意味をなすのだろうか。

 戦争を呼び込んでしまえば、その責任は重い。

 「護憲」の立場を守るなら、偶然や相手の好意に頼ることのない、信に足る完璧な理論をみせて頂きたいものです。

        ・・・「憲法9条を守る事」は「絶対に他国に攻め込まれない事」である・・・
 
 という命題を証明してみせて下さい。

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Agosto 28, 2005 11:41 PMに投稿されたエントリーのページです。

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