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Mayo 2006 アーカイブ

Mayo 1, 2006

フォルタレーザ、ピラータで見たフォホー 1 mayo 2006

本日、今までと打って変わっての快晴。
この良い天気にたまらず、きれいとの評判高い、フォルタレーザ郊外にあるフトゥーロ海岸へと行ってみる事にした。
中でもホテルのフロントで一押しのクロコビーチというところに。

お世話になったホテル「バーデン・バーデン」の入り口
ホテル「バーデン・バーデン」の入り口.jpg

オニブス(公共バス)に乗る。
オニブスとは行ってもフォルクスワーゲン・ワゴンの小さなもので、51番のバスがフトゥーロ海岸行きとなっている。

30分程も走っただろうか、クロコビーチへと到着。
海岸は平日にもかかわらず、海水浴客で大賑わい。

私も早速泳いでみる。
ところで、ここの海岸は本日、殊の外波が荒い。
サーフィンには向くだろうが、泳ぐにはまったくもって不向き。

見た目はきれいで、また海水も実際きれいなのだろうが、この荒波のせいで砂が巻いてしまい、海中の視界はまったく利かない。
私は魚やその他海の生き物を見ながら泳ぐのが好きなので、これは残念。

そんな事からわりと短時間で引き上げ、今度はお膝元、メイレレス海岸で泳いでみる。

メイレレス海岸
メイレレス海岸.jpg

こちらメイレレス海岸の方が波は穏やかだが、砂粒はより細かく、やはり視界は殆どゼロに近い。
適当に何百メートルか泳いで早々に切り上げる。

メイレレス海岸に立つ近代的なコンドミニアム
メイレレス海岸に立つ近代的なコンドミニアム.jpg

着岸の際、ちょっとした岩場があり、右手薬指を切った。
血が止まらない。
しばらく血が流れるにままに任せて消毒代わりにした後、強く押さえ込んで止血。

岩場混じりの海岸では思わぬ大ケガをする事があるので十分な注意が必要である。
今回は大したことなかったけれど。

波の力は意外なほど強く、その勢いで尖った岩に身体ごと打ち付けられたりしようものなら、まるで刃物で切ったかのようにパックリと深い傷を負う。

以前、マレーシアのリゾートでスポーツサンダルを履いていたにもかかわらず、覆われていなかった土踏まずをの部分をパックリと切り、まったく血が止まらずにビビッた事がある。
それ以来、岩場が混じる海岸では短い靴下の上にスポーツサンダルを履き、しかも上半身はTシャツを着たまま泳ぐようにしている。

フォルタレーザに来て初めてアンタルクティカという銘柄のビールを見かけたので飲んでみた。
これは特に印象には残らなかった。
あまり好きなタイプではなかったように記憶している。

アンタルクティカ
Antarctica.jpg


夕方、海岸通りに出てみると思いの外、人が多い。
ウォーキングやジョギングする人で賑わっている。
それに夜市も立つようだ。
フォルタレーザは日中陽射しがとても強く、また暑いから、人々は夕方になると街へと繰り出すのだろう。

夜の海岸通り
海岸通りの賑わい.jpg

道すがらカポエイラの演舞を見た。
また、民族衣装のようなものを着て演奏しながら練り歩く賑やかな団体にも出くわした。

民族衣装の団体
民族衣装の団体.jpg

道を練り歩く太鼓.jpg


夜、ホテルのフロントでも、今夜どこかでフォホーのライブはないかと尋ねてみた。
すると、「ピラータ」と、ツーリストインフォメーションで聞いたのと同じ名前が出てきたので安心する。
やはり何かこの月曜の夜にはすごいライブがあるようだ。

何時から?と聞くと22時頃かな?と言うのでそれくらいの時間に合わせてピラータのあるイラセマ地区へと出かけてみる。

ピラータのあるイラセマ地区歓楽街
ピラータのあるイラセマ地区歓楽街.jpg

いざ行ってみると、開演は23時からと言う。
仕方なくそれまで埠頭で時間をつぶす事にする。
こういったお店の中はたばこの煙が充満しているので、出来ればあまり長居したくないのです。

たばこの煙と言えば、ライブハウスで演奏していても喫煙者が多いと翌日喉が痛くて、しかも声がかすれて出づらくなります。
嫌いなだけではなく、実際弱い。

ピラータの向かいにもフォホーをやるお店がありましたが、当初の予定通りピラータに入ってみる。

ここで聴いたフォホーは素晴らしかった。

キックはキューバンサルサと殆ど同じ場所を踏む。
また、時々踏むイレギュラーなアクセントもキューバンサルサとまったく同じ場所にはまってくる。
まず、このシンコペートした感覚が心地よい。

ベースは時折アタマも刻み、この自由なベースラインもよい。

キレの良いサンフォーナ(アコーデオン)の演奏の上で、シンプルなハーモニーのコーラスがよく調和する。

トライアングルはフォホーの場合、どうやら必ず「チキチー、チキチー」とオープンにして刻むようである。
今のところ聴いたものはすべてがそう。

教則で扱われるバイオンのリズムの場合、「チーチキ、チーチキ」と表オープンもアリと記述されている事もあるけれど、どうも実際には「チキチー、チキチー」のみのようである。

ふと、ベネズエラ修業時代にその筋のプレーヤー達とラテン打楽器の第一人者と評されるアレックス・アクーニャのビデオを観たときのことを思い出した。
その時はビデオの中でベネズエラのリズム「クーロ・エ・プーヤ」を扱っていたのですが、「なんだアレ、ちょっと違うぞ」って感じでメンバー一同ざわざわしながら観ていたのをよく覚えています。

・・・とにもかくにも、大変満足して会場をあとにするのであった。

帰り道、フロントで気をつけるように言われていたので、街角に立つ娼婦を注意深く避けながら少し遠回りだけど、海沿いの明るい道を通って帰る。
それでも捕まってしまいましたが・・・。

この街の娼婦は遠くから大声で呼びかけてくるので、まったく風情というものがない。

なんとか無事に宿へと帰り、就寝する。

Mayo 2, 2006

ナタルへ中距離移動 2 mayo 2006

朝起きてカフェダマニャン(朝食)をとった後、近所のメイレレス海岸へ今日も泳ぎに行く。
昨日より波が静かだ。
高気圧に覆われて穏やかに晴れる日が続くであろうハイシーズンにはもっと波が穏やかで透明度も増すに違いない。
100メートルほど沖合まで泳ぐと、そこいら辺から若干濁りが取れてくるようにも感じる。

午後は今回最後のフォルタレーザ散歩に出かける。
途中ガソリンスタンド併設のコンビニでボエミアを買って飲んでみた。
1.69ヘアル。

Bohemia
Bohemia.jpg

フォルタレーザ滞在後半からは傘など必要のない良く晴れた日が続いている。

しかし、日中のビーチと夜のナイトライフを両立させたいなら、このメイレレス海岸地区のホテルを選ぶのがベストのように思う。

夕方も散歩。

夕方のメイレレス海岸
夕方のメイレレス海岸.jpg

やはり夕方が一番、街は賑やかだ。
ビーチにいた人たちが街へ戻ってくる。

夜、宿へと戻りシャワーを浴び、フロントで呼んでもらったタクシーでホドビアリア(長距離バスターミナル)へ。
16ヘアイス。

今日フォルタレーザ滞在最終日、ホテルを出たのは21:30頃だったのに、このホテル「バーデンバーデン」では超過料金は必要なかった。

さて、バスはノルデスチ社のセミレイト(半寝台車)。
定刻通り23時に出発。

今回ブラジルで色々なクラスの長距離バスに乗ってみたが、このセミレイト(半寝台車)とレイト(寝台車)のクオリティには大きな開きがあると感じた。
セミレイトには足台もなく、また毛布が付かなくて非常に寒い。
なぜか熱帯地域を走るバスは冷房を必要以上にかける。
この世界では熱帯でありながら、寒いバスの中で冬用のジャンパー嬉しそうに着込むのがマナーなのだ。
レイトで毛布が付いていた事に安心して油断してしまった私は、今回ヒドい目にあった。
また、飲み放題の水やコーヒーも付かない。
何よりも車内の清潔度といったものが大きく違うように思う。
とにかく長距離の移動には必ずレイトを使うようにお薦めしておきたい。
それは払う金額の差以上にクオリティの差がある。
はっきり言ってセミレイトのクオリティは一番安いコンベンショナルのそれに近い。

Mayo 3, 2006

リオ・グランデ・ド・ノルテ州、州都ナタル 3 mayo 2006

夜が明けると、景色はサルバドールからフォルタレーザへの道よりさらに一層乾燥した土地の様相をなしていた。
より短い下草の間にぽっこりと生える低木の広葉樹や椰子の木。

乾いた景色
乾いた景色.jpg

6:50リオ・グランデ・ド・ノルテ州、州都ナタルへ到着、朝早くからホドビアリアのツーリストインフォメーションが開いていたので、早速ライブや宿の情報を集めに行く。
しかし、ここでは残念ながらライブ情報は皆無。
宿は1泊60ヘアイスで良いところがあるというので、自分の予算より少し高めだが予約をお願いする。

ナタル、ホドビアリアの切符売り場
ナタル、ホドビアリアの切符売り場.jpg

しばらくして宿の主人が来るまで迎えに来た。
サンパウロ出身の白人、タトー氏。
早着という事で、この宿では半額の30ヘアイスの超過料金を請求される。
また、迎えの車は20ヘアイスだという。
氏は中々計算高い。

だが、その部屋は値段なりに、今まででもダントツにクオリティの高いものであった。
広い室内にエアコン、ミニバー、電話、それにNHKの入るTV付。
室内も非常にきれいに保たれており、またタオル等の備品もくたびれてなんかいない。
日本のビジネス並みのクオリティ&広い部屋というところか。
日本のビジネスにも希にヒドいところはありますが、この場合はごく普通のビジネス、という事で・・・。

今回の宿、トカ・ド・タトーの室内
トカ・ド・タトーの室内.jpg

宿に着いて早々、まずカフェダマニャン(朝食)を頂く。
この宿では宿泊者がみんな仲良く知らない者同士が会話を楽しみながら朝食をとる。
同宿はイタリア人、ファブリッツォ。
イタリア人と話をするのは初めてだが、陽気なイタリア人の名に漏れず、彼の表情は欧米人の中でも一際大げさで楽しげだ。
ローマ在住との事。

朝食を済ませた後、ポンタネグラ海岸にあるツーリストインフォメーションへもライブ情報はないか、聞きに行ってみた。
2つ、3つ出てきた。
今夜はそのうちの一つ、プライア・ショッピングというショッピングセンターで行われるというライブを観に行ってみる事にする。

ポンタネグラ海岸の高台にある今回の宿、「トカ・ド・タトー」はクレジットカードが使えないとの事だったのでツーリストインフォメーションに来たついでに海岸沿いにあるATMでキャッシュを引き出す。

宿の支払いを済ませた後、ここのビーチはどんなものだろうかと泳ぎに行ってみる。
宿から真っ直ぐに海岸へと向かって降りるとちょうどポンタネグラ海岸の真ん中辺りに出るようである。

ポンタネグラ海岸
ポンタネグラ海岸.jpg

風邪をひいた後はいつもいばらく気管支に炎症が残り咳の発作が怖いので、海岸と平行して右手に見える砂漠を目指して泳ぐ事にする。
沖へと泳ぐのは不安だけど、海岸線と平行に泳いで、そんな岸と離れなければ、万が一何かあっても根性で何とかなるだろう。
とはいえ、海の色がエメラルドグリーンに変わる、150メートルほど沖合まではどうしても出ておきたい。

ここの海も視界は良くない。
殆ど利かないと言ってよいかもしれない。

砂漠に泳ぎ着いた後、Uターンして反対側へと再び岸に平行して泳ぐ。
ビーチの中ほどを過ぎると急に波が荒くなり、沖合でも時折波頭にやられてしまうほどだった。
とても泳げそうではない。

90度左に転回し、あわてて岸へと向かって泳ぐ。

岸に着いてみれば、ビーチの真ん中からこちら海に向かって右手の方はサーフポイントとなっていた。
どおりで。

夕方、例のプライア・ショッピングセンターへと出かけてみる。
ツーリストインフォメーションで聞いた話では18時頃から始まるとの事だったので、その時間に合わせて行ってみたが、いっこうに始ま

る気配はない。
ショッピングセンターのインフォメーションで尋ねると、20時のスタートだという。

仕方なく店内のベンチに腰掛けてW-ZERO3を使いこうして日記をつけたり情報をまとめたりする。

そうこうしているうち、やがて生演奏の音が聞こえだした。

その音は・・・ポータサウンドの弾き語りでした。
今晩は早々と退散。

夜はついNHKを見てしまう。
今年のゴールデンウィークは天候に恵まれているとの事。
もし日本にいたのなら、今頃どこに行っていただろうかと考える。

阪神電鉄のの大株主、村上世彰氏が若き日の欽ちゃん、こと萩本欽一に見えるのは私だけか。

Mayo 4, 2006

ナタル「ザス・トライス」 4 mayo 2006

今日はどんなものか見ておきたくて、ナタルのセントロを散歩する事にする。
とはいえ、カフェ・ダ・マニャン(朝食)の後、まずは一泳ぎ。
今日は波が静かだ。

海岸沿いの通りに面して「ハード・フォホー・カフェ」(笑)という看板のかかったお店を見つけた。

ハードフォホーカフェ(笑)
フォホーカフェ(笑).jpg

が、よく見れば既に閉店、残るは荒れた店内の残骸のみ。
往時は如何なものであったか。
名前からしてすごそうだ。

その海岸沿いのベンチに腰掛けて休んでいると、一人の青年が話しかけてくる。
しようもない話。
しかし、もうじき若きパパになるとの事であった。

話し込んだ後、一度宿へと戻る。

今回の宿トカ・ド・タトー、設備は良いのだが今のように泳ぎ疲れて宿へ帰る時、何十メートルも標高差のある坂を必ず登らなければならないのが難点と言えば難点である。
かえって健康に良いというむきもあるが・・・実は私もそう思う一人である。

午後はそういうわけでナタルのセントロへと行ってみる。

ここは雑然とした旧市街。

ナタル旧市街の一角
ナタル旧市街の一角.jpg

一つだけ眺望の良い古そうな建物があり、中にはあまりやる気の感じられないツーリストインフォメーションがはいっている。
ここは何やら歴史的建造物であるらしい。

ツーリストインフォメーションのある建物から街を見下ろす
ツーリストインフォメーションのある建物から街を見下ろす.jpg

散歩しているうちに「ザス・トライス」という当地の民族音楽をみせるシアターを発見。
迷わず予約して帰る。35ヘアイス。20:30開演で24時終演というから、かなりな見ものである。
楽しみ。

一度宿へと戻り、夜再び「ザス・トライス」へと向かおうとすると、何やら宿のロビー付近に人が集まっている。
何かあるのかと聞いてみると、なんと宿泊関係者のうち3人までもが仏教徒で、これからその集会に出かけるという。
南無妙法蓮華経を唱えていたから日蓮宗系だろう。
集会に誘われたけれど、私はマントラを唱える密教は真言宗豊山派なので、とお断りさせて頂いた。

しかし、ちゃっかりと集会へと向かう車には便乗させて頂き、途中からバスに乗り換えて会場へと向かう。
バス停で何本かバスをやり過ごしながらフロントガラスに書かれてある行き先を確認する。
以前見かけて場所のわかる、これなら大丈夫だろうと思われた「NATAL SHOPPING」と行き先を表示してあったバスに乗り込んだが、そのナタルショッピングを通り過ぎた後、右折して目的地とは違う方向へとバスは行ってしまった。

ナタルショッピング
ナタルショッピング.jpg

仕方なく次のバス停で下車して会場へと猛ダッシュ!
まだまだ目的地手前だったので25分程は走っただろうか。
会場のザス・トライスは、ポンタ・ネグラから旧市街へと向かう大通りに建つ中華料理店を目印にして旧市街に向かって左に入り、数本通りを横切った辺りにある。

余裕だったはずが汗だくで会場に入り、せっかくのシャツも汗で台無しである。
この店はウエイターの教育が行き届いている感じで、対応に好印象!
名前は忘れてしまったが、お薦め旬の生ジュースをビールの前に一気飲みしてしまった。

さて、ショーはどんなものか。

まずはフォホーのバンド演奏。
中々良い感じ。

フォホーの楽団
フォホーの楽団.jpg

このバンドではドラムのキックを「ンッ、ドッドー、ンッ、ドッドー、」といわゆるデイブウエックル系ソンゴのようなパターンで踏む。
これはこれで心地よいシンコペーション。
このBDにザブンバが絡み、最高のボトムグルーヴを生み出している。
ベースは時折アタマも突きながら進む。

ハイハットはやはりここでも裏返らない。
「チキチー、チキチー」と規則正しく刻んでいる。

その後コーコ、カボクリーニョ、カリンボ、フレーボ、マクレレ、カポエイラなど、立て続けに演じられてゆくが、ここのショーはどうもダンスメインらしい。
バンドは決して下手ではないのに、アレンジが頂けない。
どれもこれもがショーアップを狙ってデフォルメしてくる。
ブラジル音楽の源流を探るショーの一幕があり、ブラジルに影響を与えた世界各国の音楽を短くメドレーにしたてて音楽と踊りで紹介してくれたので、ブラジル音楽をよく知らない私にも、ああ、これはデフォルメかけてるな、というのがよくわかった。
それはお笑いの人がステテコをはいてハゲのカツラや牛乳瓶めがねをかけてマヌケな人を演じるような分かり易さがあり、これはこれで良い面もあるのだろう。
が、私のようにオリジナルに忠実な音楽を聴きたいと思う向きには苦々しいものである。

とはいえほぼ誰もが、楽しい派手なショーを見て大騒ぎしながら一晩過ごしたいでしょうから、商業的に成功する為にこのお店の方針はあながちまちがった方向ではないのだろう。

ただ、私の求めるものには合わなかった。
また、メインとなっているそのダンスもチーム内個人の力量の差が大きかったように感じられた。
要所で振りが揃わない。
ダンサー達はカポエイラの演舞をしている時が最も生き生きといていたように見受けられた。

カポエイラの演舞
カポエイラの演舞.jpg

不満とはいえ、それぞれの音楽やダンスの大体の雰囲気が掴めたのは良かった。
しかし、本物を見てみたいという欲求は高まるばかりである。

ショーの一幕
ショーの一幕.jpg

またサンパウロから遊びにやってきたという日系の老夫婦が楽しそうに踊りハジけていたのが印象に残る一夜であった。

ナタル「ザス・トライス」フォホーの楽団と踊る人々
フォホーの楽団と踊る人々.jpg

Mayo 5, 2006

誕生日をナタルで迎える 5 mayo 2006

5月5日の誕生日をキリスト生誕の名を持つこの街、ナタルで迎えるというのも何かの縁なのでしょうか。

ナタルは本日も快晴。

カフェ・ダ・マニャン(朝食)の後、もはや日課となった遠泳へと出かける。
この海岸で遠泳は大袈裟か。
出来れば珊瑚礁の島にあるきれいな入り江などで泳いでみたいものである。

誕生日だし、一人でビールを飲んでみた。
缶の上部へ偉そうに金色の箔をかぶせてあるビール。
名前は残念ながら忘れてしまった。

写真はもう1本飲んだそれとは別のクローネンビール
クローネンビール.jpg

午後はブラジルへ来て2度目のインターネットをする。
宿の近所、クルゼーロバス停付近にあるインターネットカフェではなんと1時間1ヘアル(56円)!
ただし和文はインストールされておらず、全く読めないし書く事も出来ない。
ちなみにクルゼーロバス停のある公園には、その名の通りクルゼーロ(十字)のモニュメントがあってわかりやすい。

画像として貼り付けてある日本語情報と記憶を頼りに、クリックすべき場所を探し当てながらネットサーフィンする。
何通かメールを頂いていたけれど和文でのものは全く解読不能。
仕方なく読めませんでしたがお返事は帰国後に、といった内容の返信をさせて頂く。

今日は見るべき催しについても全く見当がつかなかったので、一日静かに過ごす。
ナタルはあまり騒々しいリゾート地ではない。

NHKの視点・論点などをつい見てしまった。

少子高齢化を食い止めるには、といった題での某大学教授女史による論説であったが、なるほど女性が子どもを生み育てながら働ける環境を整える事は確かに大切であると納得しながらも、性差を考えない主張には違和感を覚えた。

子どもを良識ある大人に育てるためには、幼い頃充分な愛情を与える事が大切であると思うが、たとえば両親揃った環境において万が一母性愛に溢れる父親の手によって育てられた子どもが大人になった時の事を考えるとちょっと怖い。

算数を使って育児を男性女性「公平」に割り当てたとして、はたしてそれがよい事なのかどうか。
負担が公平なのは大切だとして、しかしそれぞれの役割があるんじゃないか。
父としての、母としての。
もし父と母が全く同じような役割を担う社会が到来したら・・・今以上に社会のひずみが大きくなるんじゃないかな。

未来に向けて、母からは母の愛を、そして父からは父の愛をまっとうに受けた子ども達が育つ社会であってほしい。

父、男性が正しく持つ父性とは、我が子に社会の壁といったものを教えるべき存在であってほしいと思う。
正常な男性なら母性的な愛を彼が我が子へと与える事は出来ないだろう。
それは重さが同じでも、女性が持つそれとはその形を異にするであろう。

同じく、母性は女性が持ってこそ正しく母性なのである。

これは性差、「差別」ではなくて「違い」である。

男が男である事、女が女である事はどうにも変えようがないではないか。

Mayo 6, 2006

パライバ州ジョアン・ペッソーアで見たフォホーの楽団 6 mayo 2006

朝のカフェ・ダ・マニャンの後、宿の主人タトー氏にホドビアリアへと送ってもらう。
来る時には20ヘアイスだったタクシー代が帰る時には30ヘアイスだと言う。
こういう場合抗議するべきなのだろうが、和を以て尊しとする私はやはり日本人、一度人間関係が出来上がってしまうと、それを壊したくないという気持ちの方が先に立ってしまう。
おまけに氏の知り合い女性を相乗りさせて先にそちらの用事先へと向かう。
一体どういう事か。
「トカ・ド・タトー」クオリティーの高い宿ではあるが、計算高い主人が仕切っている事をお忘れなく。

さて、10時発のコンベンショナル27ヘアイスに乗り、パライバ州々都ジョアン・ペッソーアには2時間後のお昼ちょうどに到着。
ホドビアリア(長距離バスターミナル)の周りも活気に溢れ、何か楽しげな街である。
今回はロンリープラネット社のガイドに載っている宿へと向かう事にする。

ナイトライフの盛んだというタンバウ地区にあるアパートメントタイプの宿、マル・アズール。

マル・アズール室内の一部
マル・アズール室内の一部.jpg

普段は30ヘアイスだが、週末は1泊40ヘアイスだという。
キッチンと大きな冷蔵庫が付いているのが魅力。

キッチンは向こうの部屋
キッチンは向こうの部屋.jpg

今回はこれで安くて新鮮なフルーツを贅沢にしぼって生ジュースを思い切り飲んでみたい。
部屋は人によってはファミリーで借りているくらいだだっ広い。
フロアでダンスパーティーが出来るぜってなもの。

荷をほどき、まずは泳ぎに行ってみる。
が・・・。
今回、今までの中でも最も砂をまいた海。
と、いうかまるで沼の水みたい。

タンバウ、宿の前の海岸
タンバウ、宿の前の海岸.jpg

さすがに泳ぐのをためらう。
また泳いでいる人も辺りでは見かけない。
あえなく退散し、タンバウのツーリストインフォメーションへと行ってみる。

このツーリストインフォメーションで、詳しいものの、紙が分厚くて持ち運びづらいマップを頂く。
タンバウの沖合にはピカンジーニョとかいう珊瑚で出来た島があるらしい。
そこいらの舟に頼めば連れて行ってもらえるという。
是非これは行ってみたいものだ。
写真を見せてもらったけれど、とてもきれいな水だった。

その後、街の市場へ果物を買いに行く。
もちろんジュースにするためと生食用。
オレンジとパパイヤ、それにカジュとかいうのも買ってみた。

これらを冷蔵庫に冷やして散歩へ出直し。
ホドビアリアからタンバウに向かう道が海にぶつかり、ちょうど十字路になる地点を境にし、海に向かって左がタンバウ、そして右手がカボ・ブランコだ。

タンバウとカボ・ブランコを分ける大通り
タンバウとカボ・ブランコを分ける大通り.jpg

バスターミナルで乗せてもらったタクシーの運転者が言うには、この両地区がジョアン・ペッソーア市内で最もホテルの密集している場所だとの事。
そのカボ・ブランコをも散歩してみたが、どうもタンバウよりこちらの方が町並みが整然としている。
いずれこちらが観光の中心地となってくるかもしれないな、と思った。

カボ・ブランコの海岸
カボ・ブランコの海岸.jpg

さて、夜。

すごいすごい。
海辺のレストランでは生演奏のオンパレード。
弾き語りからフォホーまでさんざん様々。
桟橋付近の三店でフォホーをやっていたので、もちろんそこに行ってみる。
見比べてみて、ザブンバ奏者のビートのキレが格段に良かった、年配の人が演奏しているその三店のうち、真ん中にある店へと入る。

真ん中の店のフォホー楽団
真ん中の店のフォホー楽団.jpg

サンフォーナ(アコーデオン)、トリアングロ(トライアングル)、ザブンバ(太鼓)による典型的なフォホーのトリオ編成。
これは楽しい。
サンフォーナの蛇腹を小刻みに震わせて16ビートで和音を刻んだり。
左手のボタンはどういう仕組みになっているのかよくわからないが、サンフォーナ(アコーデオン)はすごい可能性を秘めた大変魅力的な楽器であるなと感じる。
ここでのザブンバはこれまで見た事がない革新的にファンキーなビートを叩きだしている。
右手に持つ太いマレットでBD(バス・ドラム)にも似た低音、左手の細いスティックでSD(スネア・ドラム)にも似た音を出すのだが、そのコンビネーションがまるでドラムの名手、スティーブ・ガッドを聴いているかのようである。
素晴らしいグルーヴ。
時折ふらっとやって来るミュージシャン達と全ての楽器が入れ替わったが、ここでもやはり色の黒い人ほどリズムがよく通る。
ハギレが良いというか。

ホントに全然違うからイヤになってしまう。
私たちは黄色人種で、それほど色は黒くないですからね。

トリアングロはチキチー、チキチ-の定型を基本的には守るが、歌の合間に緊張感のあるブレイクをはさむ事もある。
これも黒い人のワザ。
これらをこんな間近で見る事が出来るなんて、本当に愉快な気分。

演奏はまだまだ続いていたが、ビールを飲み終え、午前1時頃この海辺にあるレストランをおいとまさせて頂く。

Mayo 7, 2006

白い砂の話 7 mayo 2006

朝、起きてまずママォン(パパイヤ)を自分でスライスして食べてみる。
極上の旨味なり。

ママォン
ママォン.jpg

ママォンを割ってみた!
ママォンを割ってみた.jpg

オレンジジュースも絞ってみる。
これも美味い。
混ざりものがないので、お店で飲むジュースよりも美味しい。
店で100%ピュアなものが出たとしてもそれはぬるかったり。
でなければ、大抵は冷たくても氷を入れる分薄くなる。

そうして朝を過ごした後、昨日の夕方に見たカボ・ブランコ海岸の方が状態が良さそうだったし、またあちらでは泳いでいる人も何人か見かけたので今日はカボ・ブランコ海岸へ泳ぎに行ってみる事にする。

日曜で賑わう桟橋
日曜で賑わう桟橋.jpg

日曜のカボ・ブランコ海岸
日曜のカボ・ブランコ海岸.jpg

確かにこちらは幾分状態がよく、多少泳ぐ気にはなる。
しかし、まったく見通しのきかない海の中を泳ぐのはちょっと不気味なものです。
何か不気味な生物がいてもわからないワケで。
場合によっちゃあサメとか・・・。
どうも今まで訪れたブラジルの海岸の砂浜は赤味がかかった細かい砂のところばかりで、海中の視界が悪い。

もし真っ白な砂浜が見たかったら、キューバのバラデロやその他北西部海岸、メキシコのカンクン、バハマのナッソー、北米のマイアミやフロリダキーズへと行くのがよいだろう。
いずれの海岸においても、絵に描いたような白と青のコントラストが見られるはずである。
キューバの南に連なる島々にも機上から真っ白な砂浜を確認した事がある。
また、こういった珊瑚やら石英質やらで出来た砂浜は、砂浜ながらもなぜかそれなりの透明度が確保される。
フォルタレーザにいた時、和歌山県にある白良浜海開きの映像を見たけれど、あそこの砂浜もその名に違わず奇跡的に白い。
もっとも最近はどこからか海外より砂を輸入しているという話を聞いた事があるけれど。

なんだかんだと泳いでいると、道路からこちらの砂浜に張り出したレストランでドラム入りのサンバが始まったので、それを聴きに行ってみる。
ハイハットのノリが気持ち良い。
今日は日曜日だから、日中もライブをやっているお店がいくつかみられる。
こうして日がな一日、泳いではライブを聴いていたのであった。

夜になるといよいよフォホーが始まった。
あのバイオンのリズムは何か心を浮き立たせる。
今晩も真ん中の店へと行ってみる。

フォホーの楽団本日はBass入り
フォホーの楽団本日はBass入り.jpg

隣の店では若者三人で大盛り上がりしているので、明日はもしやっていればあちらに顔を出してみようと思う。

しかし、あまり期待していなかったのに、ここジョアン・ペッソーアの音楽環境は素晴らしい。
もっとたくさんの外国人も来たらよいのに、と思う。

Mayo 8, 2006

古都ジョアン・ペッソーアを巡る 8 mayo 2006

今日はブラジルでも三番目に古いという、古都としての性格も併せ持つジョアン・ペッソーアの旧市街を巡ってみようと思う。

10時頃プロフェッソーラ・マリア・サレス通りから510あるいは513番のオニブス(公共バス)に乗ると30分ほどで旧市街に到着する。
ジョアン・ペッソーアのオニブスは珍しく後ろ乗りである。
また、ここのバスターミナルにはゲートがある。
活気のある道沿いのお店と露店。
旧市街へと向かう途中に見えた高台の教会へと向けて歩を進める。

途中露天でハンバーガーとカジュのジュースを飲む。合わせて1.7ヘアル。
愛想の良いおばさんが私のポルトガル語を根気よく聞き取ってくれる。
「ハンバーガー」はブラジルでは「アンブルゲ」だ。
キューバでは「アンブルゲサ」
音は似てるけれどアクセントの位置が違うから、そのままでは勘の鈍い人には通じない。

一息ついて高台にある、ダス・アルマス教会やビスポ宮殿のある地区へと行ってみる。

ダス・アルマス教会
Das Almas教会.jpg

ビスポ宮殿
ビスポ宮殿.jpg

近所に学校もあり、のんびりとしたムードが漂う。
ブラジルの都市には珍しく、ここジョアン・ペッソーアは大変治安の良い街であるらしい。

もっとも綺麗だと思ったのは、さらに街の外れにある教会。

ジョアン・ペッソーアのきれいな教会
ジョアン・ペッソーアのきれいな教会.jpg

ここには観光案内所もある。

また、近所にはコロニアル風な街並みもある。

コロニアル風の街並み
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ジョアン・ペッソーア旧市街散策中
ジョアン・ペッソーア旧市街散策中.jpg

喉が渇いたので、帰りにもアセロラのジュースを飲んでいく。
バスターミナル至近の食堂。
ジュースに少し水道水を混ぜているのを見てしまった。

帰りのバスはタンバウ辺りの海が見えて、こんなものかと思ってバスを降りたら宿まで思いの外距離があった。
30分くらい歩いたかも・・・バスを使った意味を半減させてしまいました。

宿へは13時頃到着。

まだ日暮れまでには時間があったから、カボ・ブランコへと泳ぎに行ってみる。
こちらの日暮れは5時前だ。
非常に早い。
考えてみれば、ここジョアン・ペッソーアは南アメリカ大陸最東端に位置する。
いま最もアフリカに近い位置にいるかと思うと、感慨深いものがある。

月曜の海岸は人もまばらであった。
また、海岸沿いのお店も半分くらい閉まっている感じ。
月曜は盛り上がらない日のようだ。
夜、フォホーが聴けるか、心配になってくる。

しかし、海岸沿い以外の店でもフォホーのライブがあるのを発見。
始まるまで近くのショッピでブラーマの生ビールを飲みながら、こうしてW-ZERO3で日記を書いて過ごす。
いざ音が聞こえてくると、どうも海岸の店の方がよさげだったので、待ったものの海岸の店へと移動する。

ちょっと興味のあった若者のフォホーを観る。
なんだかジャニーズJrでも観ている気持ちになる。
しかし中々勢いはある。
少し色の黒いサンフォーナの奏者などは中々良い感じだ。

ジャニーズ系フォホー楽団
ジャニーズ系フォホー楽団.jpg

いつの間にか、昨日、一昨日と通った店に出演していたプレイヤーが飛び入りしてきた。
今夜あちらのお店はお休みであった。
本来こちらからすべき挨拶を、握手付きで向こうからされてしまった。

キャリアの長い人のプレーには、何か深み、凄みを感じる事が多い。
テクニックとは別次元の素晴らしさを。

Mayo 9, 2006

テルサネグラ(黒い火曜日) 9 mayo 2006

10:00ホドビアリア(長距離バスターミナル)発のバスで北部最大の都市レシフェへ向かう。
12:10レシフェのホドビアリアへ到着。
まずはツーリストインフォメーションへと向かう。
ブラジルのツーリストインフォメーションは親切なところが多いけれど、ここ、レシフェのインフォもすごーく暖かみがあって親切なところでした。
まずは市内地図を頂き、音楽の聴ける場所を尋ねてみる。
インターネットを使って丁寧に調べてくれる。
しかし、特に見ものは上がってこなかったけれど、テルサネグラ(黒い火曜日)だけは見に行くようにとの事。
次に宿を紹介して頂く。
ボアビアージェン地区にあって1泊55ヘアイスの手頃な宿。
それに航空券が安く買える場所はないかと尋ねてみると、これは空港で買うのが良いとの事。

ところでレシフェのホドビアリアは地下鉄で市街地と直結しており、最高に便利である。
宿への行き方を尋ねると、その地下鉄とバスを乗り継いで行けと言う。
私の荷物を見せて「この荷物でもバスに乗る事が出来るか?」と聞いたら即座に「ポージ!(出来る)」と言うので、思い切って地下鉄とバスを使って宿まで行ってみる事にする。

まずは地下鉄でジョアナ・ベゼハ駅まで行き、そこで008番のバスへと乗り継ぎ8番の停留所で降りるように言われていたから、その通りに行ってみた。
レシフェ市内のバス停にはそれぞれ番号がふってあり、土地勘のない旅行者には大変ありがたい。

さて言われた通りに行き、しかしやはり大変な思いをし、大荷物を担いで満員のバスを降りる。
宿はすぐに見つかった。

荷ほどきする間もなくフロントで空港への行き方を尋ね、バスで空港へと向かう。
一刻も早く最後の目的地、リオ・デ・ジャネイロへの切符を確保しておきたかったのである。

空港内にあるルック・ヴィアージェンという旅行会社で12日6:00発の便を買おうとしたが、カードが使えないというので予約だけしてもらい、TAM航空のオフィスでチケットを買った。どちらのオフィスも対応良かった。300ヘアイス。10時台とか、良い時間の便はこの倍額以上する。

チケットを無事手に入れ、ほっとして宿へ戻る帰りしなに少し遠回りして海岸沿いを散歩していたら、屋台で売ってる特大焼き鳥(?)を見つけたので食べてみる。
1本2ヘアイス。スコールも一緒に売っていた。同じく2ヘアイス。

夕方のボアビアージェン海岸
夕方のボアビアージェン海岸.jpg

そういえば、このボアビアージェン海岸ではサメが出るらしい(^_^;)
まさか、こんな名の知れたリゾート地のビーチが遊泳禁止とは考えもしませんでした。
波も荒い。

サメが出る!
サメが出る!.jpg

サメが出る!拡大
サメが出る!拡大.jpg

宿へ戻ると慌ただしく今度はテルサネグラの会場となるレシフェ旧市街へと向かう。
何かと評判の悪いレシフェ旧市街だから、メトロのレシフェ駅を降りた後、タクシーを使って会場となるサン・ペドロ教会前の広場へと向かう。
なるほど確かにタクシーの車窓から見る、夜のレシフェ旧市街はひっそりと静まりかえり不気味である。

会場で聴いた音楽は・・・なんとレゲエ。ジャマイカのレゲエ。
ブラジルではレゲエが盛んだって、話には聞いていたけれど、このレシフェ、テルサネグラでぶち当たるとは。

テルサネグラのレゲエバンド
テルサネグラのレゲエバンド.jpg

テルサネグラの会場、サンペドロ広場
テルサネグラの会場サンペドロ広場.jpg

今夜はもしかしたらマラカトゥとか、レシフェ発信の本場ものを聴く事の出来る大チャンスかもしれないと思っていたので、レゲエも嫌いではないけれど正直ちょっとショックでした。
手持ちのガイドには、テルサネグラではこの地域特有の様々な黒人のリズムが聴ける、みたいに書いてあったのですが。
周りの人に聞くと、ここではいつもレゲエだと言う。
また、火曜日だけではなく、金、土曜日にもここで野外ライブがあるとも。

今回レシフェは音楽を聴くチャンスの多い週末滞在の予定はなく、平日の滞在のみだし、もしかしたらここでの音楽体験はレゲエのみで終わってしまいそうな予感・・・。

Mayo 10, 2006

世界遺産の街、オリンダとレシフェ旧市街を訪ねて 10 mayo 2006  

今日はブラジル最古の街オリンダとレシフェの旧市街を散歩してみる事にする。
まずはレシフェ旧市街から。

レシフェはブラジルのベニス
レシフェはブラジルのベニス.jpg

地下鉄レシフェ駅を昨晩と同じように降りて、しかし今日は歩いて旧市街を巡ってみる事にする。

地下鉄レシフェ駅
地下鉄レシフェ駅.jpg

市街はとても賑やかで、昨晩のガラガラさ加減からは想像し難い活気に溢れていた。

活気あるレシフェ旧市街
活気あるレシフェ旧市街.jpg

市街のあちこちに小径があり、直交しない道路も多いので、ちょっとした迷路のようである。
たくさんの教会があり、不意にその姿を見せる。

街のあちこちに教会が見える
街のあちこちに教会が見える.jpg

昨晩の舞台、サン・ペドロ・ドス・クレリーゴス教会や街の守護教会であるカルモ教会は特に独特の雰囲気を持っており美しい。

カルモ教会
街の守護、カルモ教会.jpg

また、商店や露店も非常に多く、それらを冷やかすのも楽しい。

露天の果物売り
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気に入った。
この街は散歩して面白い街だな、と思った。

San Jose、Sao Antonio、Recife Antigoの各地区を散歩した後、オリンダ行きバス乗り場から847番Alto Nova/Olinda行きのバスに乗る。
バスは小高い丘の上にある石畳の街に到着したので、車掌に「ここが古都オリンダですか?」と聞くと「違う」と言う。
どうやら乗るべきバスを間違えてしまったようだ。
どうやらオリンダという地名はあの有名な歴史地区を指すだけではないらしい。
車掌に事情を話して折り返しのバスの中で出発を待つ。

しばらくして出発した。
途中にある、これまたオリンダという街に降ろされた。
オリンダって街、3つはあるわけだ。
降ろされた近くのショッピングモールの名前がナンタラOlindaナントカ・・・でした。
車掌は来た道の方を指さし、あちらのバス停でもう一度バスを拾えと言う。
わけのわからぬままとりあえず言われた方向へと歩いてみる。
途中、男性に時間を聞かれたので、これ幸いとこちらからも質問する。
すると、その男性は親切にもオリンダへ向かうという乗り合いのフォルクスワーゲン1ボックスワゴンをバス停でしばらく一緒に待って拾ってくれた。

かくしてどういう経路を通ったのかよくわからぬまま、兎にも角にも古都オリンダに到着。

オリンダ・カルモ教会
オリンダ・カルモ教会.jpg

まずは美しいカルモ教会前にある、街のツーリストインフォメーションへと行ってみる事にする。
たいした資料はなかったが、名前を漢字で書いてくれと言うから、なるべく佳い字を当てようと悩みながら書き記す。
まさか「ペドロ」に「屁泥」とか、当てるわけにはいきませんからね。
ここいらへんはいつも悩みの種。
外人の名前は漢字の読みに当てはまらない発音が多くて、いつも四苦八苦する。

オリンダは坂の街だ。

坂の街、オリンダ
坂の街、オリンダ.jpg

この街も絵になる風景をあちこちで眺める事が出来る。
坂のある街には風情がある。
日本で思い出してみれば長崎、函館、神戸、横浜、草津etc...キューバならサンチアゴ・デ・クーバだ。

定番だけど、セー教会にあるバルコニーみたいなところから眺める景色はやはり素晴らしい。

オリンダ・セー教会
オリンダ・セー教会.jpg

しばし街と海をを見下ろし眺める。
緑の多い街の中に教会がポツポツと建つ。

丘の上から見たカルモ教会
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これまた散歩して最高の街だ。
残念なのはガイドをしたがる輩が群がってきてうるさい事だろうか。
特に街の麓と高台にあるセー教会の辺り。
しかしあとは静かなものである。

一通り散歩して満足した後、帰途に着く。
さすがにセントロ方面に向かうバスを見つけるのは簡単だ。

Mayo 11, 2006

ポルト・ダ・ガリーニャスを訪れる? 11 mayo 2006

レシフェ近郊のポルト・ダ・ガリーニャスという海岸が珊瑚で出来た砂浜を持ち、全国的に有名なくらい綺麗だというので、是非とも行ってみたいと思った。

フロントで行き方を尋ねると、宿のすぐ近くにある8番の停留所でポルト・ダ・ガリーニャス行きのバスを待て、あるいは確実に行きたいなら旅行会社のツアーで行け、と言う。
それでは、と言われたように8番パラーダでバスを待つ事にした。

前もって自分で決めておいた待ち時間、30分を過ぎても目的のバスはやって来なかったので、あきらめて地球の歩き方にボア・ビアージェン海岸より綺麗、として載っていたカンデイアス海岸へと行ってみる事にする。

ピエダージ地区を抜けると大きい建物もまばらになり、期待を抱かせる風景。
30分ほどでカンデイアスの終点に着く。
そこから真っ直ぐ下って海を目指す。
昭和40年代にあった日本の団地のような住宅地を抜けると海岸に出た。

はたして出てきた海岸は・・・
なんと緑色の水をたたえていました。
水浴をしていた人もいたけれど、とても私はあの水の中に入る気にはなれませんでした。

この海岸のある地区は田舎で水が綺麗そうではあったが、大変残念な事に地区の右側から河川水の流れ込みがある。
しかも多分、浄化の進んでいない下水をふくんだ河川水。

河の向こうには椰子の林が広がっているのが見えていて、あちらは雰囲気も良く水も綺麗そうなのだけれど、渡る橋が見当たらない。もちろんこの汚水で満たされた河を泳いで渡る勇気もない。

あきらめて、よりレシフェ中心部に近いピエダージまで引き返す。
こちらの海岸はさっきのカンデイアスよりは多少まともだが、やはり泳ぐ気にさせられるような水ではなかった。
濁りがひどい。

思うに地球の歩き方に載っている記事は田舎にある海岸だから綺麗だろう、という推測によって書かれたのではないだろうか。
あの地形、浜の右から河川の流れ込みがあり、海流が右から左へと流れている事から考えて、たまたま行った日の気象条件に因らず、常にあの海岸は汚染された水で満たされていると思うよ。

あきらめてまったく泳ぐ事なくボア・ビアージェンへと戻る。
ちなみにこのボア・ビアージェン海岸はサメが出るとかで遊泳禁止となっている。
また、波も荒い。

夕方となりボア・ビアージェン海岸に屋台が出始めたので、こちらの特大焼き鳥を食べてみる。
美味い。

後日調べてみたら、あこがれのポルト・ダ・ガリーニャス海岸へは長距離バスターミナルからバスが出ていたらしい。
う~ん残念。
しかし、こういった取り逃がしがあるから、またその土地へと行きたくなるんだよね、と勝手に納得する事にした。

Mayo 12, 2006

リオデジャネイロへと向かう 12 mayo 2006

3時前に起床し、4時半のタクシーで空港へと向かう。
タクシー代14ヘアイス、本当はもう少し高かったのだが小銭分まけてくれた。
へぇー、こんな事もあるんだ、と額は大したことないけれど、その気持ちが嬉しい。

リオへは12:00着、まずは空港内のツーリストインフォメーションへと向かうが、非常に無愛想だったので地図だけ頂いてその場を立ち去る。
空港から市内へはオニブス・エスペシアルという強力なツールがある。
わずか5.5ヘアイスで市内まで連れて行ってくれるというもの。

バスは乗ると間もなく出発、今回まず泊まろうとしている宿、オスペダリア・グローリアはメトロのカテーチ駅付近にある。
地図を見ながら現在位置を逐一確認していく。
カテーチと声がかかったが、まだ一つ手前グローリア付近であったので降りずにいたら、バスは私の行きたかった方向を外れて海岸寄りの大通りへと出てしまい、そのままコパカバーナまで連れて行かれてしまった。

せっかくなので週明け後に泊まろうと考えていたコパカバーナ地区の宿、ヒラソルに向かい予約して、その後メトロでカテーチへと向かう。
カテーチ駅を出てロンリープラネット社のガイドに載っている地図が示しているオスペダリア・グローリアの場所を目指して歩く。
が、地図の指し示している場所には宿など影も形もない。
何度か行ったり来たりした挙げ句、周りの人に聞きまくってようやくの思いで宿へと辿り着く。
どうやらガイドに載っていた位置は間違いであったようだ。
この宿はむしろセントロ方向に一つ寄った地下鉄グローリア駅に近い。

予約はしていなかったが、幸いな事に泊まる事が出来た。
1泊15ヘアイス。
バストイレ共同の、今までの中でも、というか、我が人生に於いて最低レベルの宿である。
だが、なぜか結構気に入ってしまった。
エアコンも着いていないが、冬のリオはむしろ寒いくらいなので、何も問題はない。

宿に着くも早々に、すぐコパカバーナ地区のCD屋、モダンサウンドへと行ってみる。
ここは日曜を除いて毎日午後、店内無料コンサートがある事で有名なのだ。

行ってみるとグループがジャズ系のモダンなサウンドで演奏している。
さすが、モダンサウンド!などと納得してみる。
それはよしとして、こんなアカ抜けた音楽、久々に聞いた。
ドラマーは完全左利きのセッティングをしている。
誰だろう?

このお店へはこの後、毎日のように出勤する事になる。
他にまったくライブのない時間に、ここだけ、しかも上質な音楽が聴けるので。

夜は音楽の街、ラパへと行ってみた。
あちこちから生演奏の音が漏れる素敵な街だ。
たくさんの音が聞こえる中、サクリレジオという店に入ってみた。

渋い少人数のサンバをやっている。
パンデイロを二人の奏者が演奏していたけれど、ここでもやはり色の黒い人の方がリズムにキレがあり、音がよく通る。

23時に演奏が終わったので帰ろうとすると、何と今のは前座であったという。
それではと、しばらく待っていたら、より大編成のバンドが準備を始めた。

本場リオで始めて本格的なサンバを聴いた、記念すべき日である。

サクリレジオに入っていたバンド
サクリレジオ.jpg

Mayo 13, 2006

音楽の街、ラパ(リオデジャネイロ) 13 mayo 2006

今日はまずサンクリストバンのフェイラへと行ってみる。
このフェイラは毎週催され、リオに住むブラジル北東部出身の人達の手によるものである。

サンクリストバンのフェイラという名前からあまり深く考えずにメトロもサンクリストバン駅を降りて歩いて会場を目指したものの、これはかなりなロングアプローチとなってしまいました。
しかも途中道案内もなく、会場がどこにあるのか少しわかりづらいです。
本当は2つ手前の地下鉄エスタシオ駅からバスを乗り継いでいくのが良いようです。

歩く途中、定食屋があったので寄ってみた。
こちら、ブラジルの定食にはご飯と豆のスープが必ず付いてくる。
今回の定食はそれに鶏肉のフィレとポテト。

さて、会場に着いてみると、まだお昼のせいかライブは弾き語りなどが目立ちました。
CDやDVDが街中で買うよりもかなり安かったので、ここで大量に購入。
おまけにCD2枚と帽子を付けてくれました。

サン・クリストバンのフェイラ前、入り口に立つルイス・ゴンザーガ像
ルイス・ゴンザーガ像.jpg

その後、夕方は本日もモダンサウンドへと出勤する。
サックスなどもまじえたライブは、洗練されたボサノバやサンバのものでした。

このお店のPAはとても上手だと思う。
全体にフラットで滑らかな音作り。

ドラムに目をやると、シンバルやハイハットをRODEのNT3か、AKGのC1000Sで拾っていた。
へぇ、ライブであんな風にコンデンサーマイクで拾えるんだ。
コンデンサーマイクは低域から高域まで広いレンジを収音してくれるし、少しくらいマイクから離れたり逆に近づいたりしても滑らかに収音してくれるので、もしライブで使えるものなら大変有り難いものなのである。
音をよく拾うだけにハウリングをも起こしやすいので、それを嫌ってライブではこれらコンデンサーマイクを使わずにいたのだけれど。
これらのマイクはうちのスタジオにもごろごろ転がっているので、今度機会があれば使ってみようかな。
その他、ちなみにTOM類にはシュアのSM58、スネアにはSM57を使っていました。

一度宿へと戻り、夜は夜の繁華街ラパにあるカリオカ・ダ・ジェマという店に行ってみる。
昨晩行ったサクリレジオの隣にあるお店です。

23時頃まで続いた前座演奏の後、23:30から、より大編成のバンドが登場。
打楽器隊3名、フルート1名、弦楽器3名の編成。
打楽器はスルドーの人にパンデイロの人、それに何でもアリの人がいた。その奏者はジョバンニコンパクトコンガなども使っていました。

演奏はとても良かった。
ところでサンバやショーロにはベースが滅多に入ってこない。
ギターの人がベース音も弾いている事が多い。

今日も立ち見だったが、心得て人混みを避け、階段を少し登ったところでステージを見ていたので、その高さが幸いして演奏している姿もよく見る事が出来た。
全て有名な曲なのだろう、会場で踊っている人達も一緒に歌っている。

しかし女性の踏むサンバのステップはとても素早い。
この特別なステップはどういった起源を持つのか興味は尽きない。

立ちっぱなしには非常に弱いので1ステージ堪能して会場をおいとまする事にする。

しかしラパはすごい。
帰りがけにもあちらこちらのお店から生演奏の音が聞こえてくる。
コパカバーナやイパネマには名店も多いが、ラパ地区のようには密集していない。
ここにはサンバはもちろんの事、サルバドールで聞いたような太鼓音楽の音、それにフォホーの店もある。
フュージョン系サンバのインストルメンタル、ドラム入りのサンバを聞かせる店もあった。
コパカバーナのホテルからは若干行きづらいが、音楽好きには是非ラパ地区に行ってみる事をお薦めしておきたい。

Mayo 14, 2006

フェイラ・ジ・トラジソン・ノルデスチーナス 14 mayo 2006

今日は朝、まずあの有名な両手を拡げたキリスト像の建つ、コルコバドへの登山を試みてみる事にする。

まずは芸術家が多く住むという、サンタテレーザの街への階段を登る。
振り返ればポンジアスーカルの山がよく見える。
階段を登り切ると出る曲がりくねった道路沿いには綺麗な家が続く。
そして街の中心付近にはツーリストインフォメーションもあった。
そこをもう少し登った先にバス停らしきものがあり、フォルクスワーゲンの乗り合いバンが通りかかったので、ふいに乗ってしまう。

市電の線路づたいに、車はグングン高度を上げながら登る。
右手にセントロを見下ろす絶景が続く。
市電の線路はかなり状態が悪く、また一台も通りかからないので、もしかしたらこれは廃線なのかもしれない。
日曜なのでちょっと判断に困る。

さて乗り合いバンの到着した地点は・・・
・・・なんとファベーラの入り口でした。
写真を撮っていると、近くにいた少年がこちらで絶景を撮るのはよいけれど、ファベーラを指差しながらあちらに入ってはダメと言う。

・・・それではこの先、登る道がない。
仕方なくあきらめて今日は引き返す事にする。
付近に建つ文化施設が絶好のビューポイントで、登りたかったコルコバドの丘がよく見える。
ここからは丘の頂上まで標高差400メートルくらいじゃないだろうか。
距離は、山道はくねるので6~7キロくらい。
おそらくここから登り始めれば、1時間半くらいで頂上に到達出来るだろう。
しかし今日はこの文化施設からの景色を眺めて満足する。
ここからは以前散歩したフラメンゴ海岸やセントロ方面までもぐるっと見渡す事が出来る。

ほどなくして再び乗り合いバンがやって来たので、それに乗って一度宿へと戻る。
そしてまだお昼だし、昨日も行ったサン・クリストバンのフェイラ(正式名称:フェイラ・ジ・トラジソン・ノルデスチーナス)へと再び行ってみる事にする。

今回はメトロのエスタシオ駅からバスを乗り継いで行ってみた。
首尾良く会場至近のバス停で降りる。
これは一度行ったものの強み。

会場に入ってみれば、今日は日曜ですごい人出!
ライブの音もあちらこちらから聞こえてくる。

会場のメインステージではいくつかのフォホーバンドが入れ替わりで演奏している。
サンバを聴き慣れた耳に、バイオンのリズムが懐かしく心地よく響く。

何カ所もあるうちのライブ会場のうち、お店ではなく道端のちょっとしたスペースを使って演奏していたフォホーは、特に私の心に訴えかけるものがあった。
サンフォーナ、トリアングロ、ザブンバのベーシックなトリオ編成。
長距離バスの中でよく聴いた、ルイスゴンザガのCDのようなサウンドだった。

日曜日、街中ではどこのライブハウスもお休みであまり見ものがない事もあり、リオで過ごす日曜日、一度はここに来る事を強くお薦めします。
生演奏がたくさんあるし、食べるところもたくさん。
ライブを聴くのに疲れたら席に座ってビールを飲んでいればよいし、一日中いられるところです。

充分楽しんだところで再び宿へ帰る事にする。

夜はラランジェイラス地区にあるカーザローザというお店へホーダ・ジ・サンバを聴きに行ってみる。
これは楽しそうだ。
一杯やりながらテーブルを囲んでサンバを演奏するというもの。
20時頃到着したら会場はすでに大賑わいであった。
明らかにプロの人もいれば、アマチュアと見受けられる人もみんな一緒になって演奏している。

いい音楽だ。
ブラジルを代表する音楽、サンバには楽しさの中に哀愁といったものが含まれていて、私はそういったところに強くブラジルらしさを感じてしまうのである。

Mayo 15, 2006

マラカトゥ・ブラジル(Maracatu Brasil) 15 mayo 2006

朝、現地で購入したガイドに載っていたマラカトゥ・ブラジルというお店に行ってみる。

場所は宿のあるカテーチ(Catete)駅の南隣にあるラルゴ・ド・マチャド(Largo do Machado)駅より歩5分くらい山に向かって歩き左に折れるイピランガ通り沿いにあります。

10時開店のはずなのに、時間になっても門の鍵を閉めたままボール遊びをしていたが、外から声をかけると快くお店を開けてくれた(当たり前か・・・)。

色々と話を聞かせて頂いたり楽器について聞きながら、お店の推薦するマラカトゥのCDを2枚購入。
マラカトゥのリズムはイントネーションがキューバのモザンビーケに似ていて、中々アグレッシブだ。

さらに本日午後に行われるドラムクリニックに無料ご招待。
クリニシャンはニューヨーク在住のアメリカ人、タッド・イスレール(Todd Isler)というドラマーです。

南インドでグル(師)についてあちらの太鼓をマスターしてきたそうである。
インドも大変興味ある土地なので、リオでこういったクリニックに顔を出すのも悪くはない。

その後、続いて地下鉄カリオカ駅から延びるカリオカ通り沿いにある楽器店街へ。
メトロのカリオカ駅を出てすぐのカリオカ通り沿いに楽器店が並んでいる。
6軒ほどあるうちの一番駅に近いところは楽器が充実、また二番目に駅から遠いところは楽譜が充実している。

試奏を重ね、迷った挙げ句コンテンポラネア社製のパンデイロを購入。
やはりプラスティックヘッドのものより繊細で好みであったので本皮ヘッドのものを購入。
252ヘアル。
さて、日本で買うといくらくらいするものであるか。

パンデイロを買ったお店にはショーロの楽譜がなかったので、こちらのお店で推薦してくれた別の店でショーロの楽譜を4冊購入。
買ったのは、そう、2番目に駅から遠い店です。
帰国後石井幸枝さんに見てもらったら良い楽譜だったらしい。
しかも続き物4冊のうち第1巻は、日本で中々手に入らないとも。

一度カテーチの宿に帰った後、再びクリニックの会場、マラカトゥ・ブラジルのスタジオへと足を運ぶ。
定刻10分前に会場に着いたら中にはミュージシャンと関係者しかいませんでした。
タッドと雑談を交わす。
いい人だ。
彼の、南インドのリズムをドラムセットに応用するという教則本も面白そう。

クリニックはケンジーラというジングルを一枚のみ付けた、小さなフレームドラムのソロに始まり、続いてガヴァオという大きなフレームドラムのパフォーマンスに移る。
親指を使って真ん中を弾き低音を出し、また縁を人差し指で弾き高音を出す。
その後、ブラシを使って7/8拍子のドラムソロを披露。

クリニックでは南インドのリズムを「タ・ディ・キ・ナ・ドゥム」と発音して五拍子、「タ・カ・ディ・ミ・タ・ディ・キ・ナ・ドゥム」と発音して9拍子、また、「タ・キ・タ」と歌って3拍子を刻んでいました。

終盤にはかなり長い時間サックスやギターのゲストを絡めて模範演奏。
リアルなジャズコンボの演奏は久々に聴いた。
サックスよかったなあ。
曲はビリーズバウンスやオールザシングスユーアー等のジャズスタンダードやサンバ。

クリニック終了後、コパカバーナのモダンサウンドへと今日も出勤。
店に入るとCD売り場の方にまで椅子席が出来ている。
CDのケースが塞がれて即席のテーブルに。
まだ18時前なのに、もうショップの方は閉店状態。
こんな事もあるのですね。

かなりな大物が出るのであろう。
ワインなど頼みつつ、20時スタートのステージを待つ間、W-ZERO3で日記を付ける。

久々に座席へと座った。
リオのライブでは初めてだ。

ステージが始まる頃、気が付けばお店の中は大ライブハウスと化していました。

ステージは三人の女性ボーカルを中心としたもので、小野リサのCDを聴いているかのようなアレンジでした。
こういったソフィスティケートされた音楽に、私はブラジルらしさを感じる。
ちなみに私の好きなノルデスチ(ブラジル北東部)の音楽は、私の感覚ではこれ、もはやラテンです。

ドラムのBDはほぼ2,4拍のみを刻み、その適度な抜け方が心地よい。

終演後、名店Bip Bipに行ってみたが、今夜ライブはないとの事。
一部には火曜だけでなく月曜にもショーロがあるとの噂もあって一応お店に来てみたのですが、お店の人が言うにはショーロは火曜20:30~、水曜は21:00からボサノバ、そして日曜は20時からサンバのライブがそれぞれあるそうです。

Mayo 16, 2006

楽器店で大サンバ大会! 16 mayo 2006

朝、まずはカリオカ駅近くの楽器店街へ行く。
昨日買ったパンデイロの演奏法をビデオに撮らせてもらおうと思ったからだ。
というのも、パンデイロの教則DVDくらいブラジルだし絶対あるだろうと思っていたらどこの店にもなかったので。

店員さん達はみんな快く演奏してくれました。
解説する時にジョークも入ったりしてじわじわと場が盛り上がっていき、気が付いた時には店内が大サンバ大会に。
これは本当に行ってみてよかったな、と思いました。

サンバのパンデイロは、ワントゥーと2拍子でとった時の1拍目、4分割した4つめに、上に抜ける感覚を伴うアクセントが来る。
タンボリンは右手3連で箒みたいに細かな棒を何本か束ねたスティックを使って叩く1拍目と2拍目のあいだに、左手で楽器をそのスティックに当てにいき、合わせて1拍に4つ音を入れるような何とも捉えがたいノリ。

ついでに買い忘れていたタンボリンとトリアングロを購入。

そうしてビデオに撮らせてもらった後、地下鉄を使って体力を温存しながらカテーチにある宿へと引き返す。
そう、今日こそコルコバド登山を決行するために。

一度購入した楽器等の荷物を降ろした後、すぐにバスで登山の起点になりそうと目星を付けたコスメベーリョへと向かう。

12:50、コスメベーリョより登はん開始。
13:12シルベストレ病院へ向かう道との分岐。
ここまでは立派な住宅が連なる。
どうやらセントロ行きのバスはここいらへんまで来るようだ。
Ladeira dos Guararapes通りを登る。
その後Almirante Alexandrino通りに入る。
13:20平坦な道から十字路をぐっとターンするように急な登坂路に入る。
13:30 D.Martaというビューポイントとの分岐にさしかかる。
途中、車に乗りなよって声がかかったけど、自分の足で登りたいんです、と丁寧にお断りする。
14:06 Corcovadoあと100メートルとの表示。
しかし、これは有料のゲートまでの事だったらしい。
この後、一層急な坂道が続く。
中々頂上へはたどり着かない。
14:30コルコバドの丘、キリスト像の足元まで登頂!!

結局1時間40分もかかってしまった。
登山道がなく、車道を登らなければならないので想像した以上にアプローチが長かった。

30分ばかり景色を眺め楽しむ。

コルコバドの丘の上にあるキリスト像を街から仰ぎ見るのと、こうしてキリスト像のそびえ立つ丘の上から街を見下ろすのでは、同じコルコバドの丘と言っても随分と印象は違ってくる。
ジョビンの名曲は、はたしてどちらを歌ったものであるか。

しばし自分の足でこの丘に登った充実感にひたる。

15:05下山開始。
15:20有料のゲート。
下りは写真を撮ったり景色を眺めたりしないからとても速い。
15:40 D.Martaとの分岐。
15:56例の急な折り返し。

と、ここまでは順調だったのですが、その後すぐさまセントロ行きのバス停を目前にして背後から走ってきた年の頃18くらいの少年達5人に囲まれてしまいました。
この一カ所だけがファベーラと隣接していて危なかった。

なるほど強盗とはこういうものか。
少年達の顔はまだあどけない。
これから悪い事をしようとする興奮からか、荒い息をしている。
ある一人の少年は棍棒を振りかざして目を見開いている。
される側よりする側の方が事に対して構えるから緊張するのかもしれない。
このまま大人になると慣れて冷静に強盗するようになるのであろうか。
幸いな事にケガはなく、現場の50メートルほど先、カーブを一つ曲がったところに停まっていたパトカーのお世話になる事に。
事情を話すと警官二人がチャッとマシンガンを構えた。
マシンガンの弾倉を動かす音を始めて生で聴いた。
このままフェベーラへ討ち入ってくれるのかと思いきや、しばらくあたりを警戒した後、そのままパトカーはコスメベーリョの交番へ。
それからレブロンの観光警察へと連れていってもらう。
今にして思えば、警察もファベーラの連中に自分らが撃たれるのを警戒してマシンガンを構えたのであろう。

ところでリオの警察官はとても親切です。
警察署から保険会社、カード会社それに銀行へと電話をかけさせてもらう。

モノは保険である程度補填されるだろうから大して痛くはないけれど、W-ZERO3につけていた日記を失ったのが何とも痛かった。
コンサートの印象や様子には特にページを割いて詳細に記述してあったのだが。
またあちこちへの行き方、その他諸々の情報を出来る限り詳細に記述してあったので、もし残っていればこれからブラジルへ行く人にとって非常に有益な情報をブログにアップ出来ただろうに。
それと写真、幸いな事にはリオに入ってからSDカードを替えてあったので、こちらのデータは殆どが無事である。
とはいえ、コルコバドからの絶景は思い出のみになってしまった。

警察での手続きを済ませた後、宿へ戻りシャワーを浴びてすぐにコパカバーナのBip Bipへ出かけてみる。
そう、今夜は楽しみにしていたホーダ・ド・ショーロの日なのである。

聴いてみると、これはこれで美しいのだが、ちょっと寂しかったかも。
ギター二人にバンドリン一人。ショーロの曲は大して知らないが、アドリブは全くなかったように感じた。
テンポも常にゆったりとしていて一定。
日が悪かったのか。
サルバドールで聴いたショーロは素晴らしく、それには非常な感銘を受けたのだが、それに比べると今夜は内容が寂しかったように思う。

それはそれとして、近くのテーブルにいた子達と少し会話をして、ショーロのよい楽譜について教えてもらったりもした。
Escola Macional de Musica(国立音楽学校)でコピー出来る楽譜が良いらしい。
みんなコピーしてそれを使っているとの事。
まるで以前のジャズにおけるリアルブックのようである。

Mayo 17, 2006

再び強盗に 17 mayo 2006

本日快晴。
ただ写真を撮るためにのみ、カリオカ付近へと向かう。
一通りぐるっと散歩する。
途中天然ガラナを飲む。
このカリオカ駅前の露店と、コパカバーナの一店のみしか「天然」である事ををアピールしてガラナを売っている店を私は知らない。
こちらは一杯50センターボ。
うまい。

その後、今度はコパカバーナへ。
まずは見つけておいたお店でインターネットをする。
日本語OKだとしても、読めるが書く事が出来ない。
もしかして私のよく知らない操作方法があるのかもしれない。
ミクシイ等日本のサイトは和文で読む事が出来るが、ヤフーUSAに頂いた和文のメールはすべて文字化けしている。
サルバドールでもそうだった。
日本語は少し特別な言語だからインストールされているマシンは少ない。

その後、コパカバーナの海岸を散歩。
昨日登ったコルコバドの丘にそびえる両手を大きく拡げたキリスト像がまぶしい青空に映える。
海岸では泳いでいる人たちもちらほら。
しかし、コパカバーナ海岸の波は殊の外荒い。
どうやら複雑な潮の流れをしているようだ。
それが証拠に、小規模ながら三角波が頻繁に立つ。

ひとしきり散歩した後、本日の目的であるモダンサウンドでのDVD購入へと向かう。
ブラジルでは他に見た事のない充実の品揃え。

が、結局買わなかった。
W-ZERO3を失った今、どれを買うべきか判断するための指針がない。
ジャケ買いするようなピンと来るジャケットにもあわなかったし、何を買うべきか途方にくれるのみであった。
それに同じ品にサンクリストバンの市場で見た値段に比べ、ほぼ五割増しの価格が付けられている。

店内では午後、生ピアノのソロ演奏をしている。
それを聴きながら休憩がてらこうして日記をつける。

思わぬアクシデントのため、昨日ここに出勤出来なかったのが残念でならない。

おお、ピアニストがコパカバーナを弾き始めた。
コパカバーナでこの名曲を聴くのは非常に感慨深いものがある。
とはいえ、これはおそらくブラジルの曲ではないだろうけれど。
おっ、今度はジェット機のサンバを弾いてくれている。
これはボサノバの好きな曲。

その後、有名なショッピングセンター、リオ・スールに行ってみる。
ウインドウを眺め、商品を冷やかしてみればブラジルの物価は高い。

建物の外に出てみると泳ぐ人がいるだけあって、13時半現在の気温は29℃、これなら確かに泳げそうだ。

乗り込んだバスの中でこの日記を書いていたら、隣の席の女の子に、日本語のかき方を教えて下さいと話しかけられた。
現代の和文中では、ひらがな、カタカナ、漢字、それにアルファベットを混ぜて使っている事を説明する。
漢字の読みには何通りもある事に興味深げであった。

そのまま宿へは戻らずに近所のフラメンゴ海岸へ散歩しに行ってみる。

そこで・・・

人通りはあったものの一瞬のスキを突かれて刃渡り20㎝ほどの刃物を突き付けられ、今度はケータイ等を奪われてしまった。
これで携帯内のminiSDカード1GBに入っていた何千枚もの資料写真までもがフイになってしまった。
今回は大人と子どもの二人連れ、話しかけられ、一瞬の間をつかれた。
しかし、まさか親子で強盗をするなんてね。
日本的な心情からいけば、普段強盗を働く親であっても、自分の子どもの前ではそういう姿は見せないだろうと思うのだけど、ここブラジルでは違うらしい。
あの子もポケットを探ってきて親のシゴトを手伝っていたから、このままいけば何の疑問も持つ事なく立派な強盗を働く大人になってしまうのであろう。

リオは本当に物騒である。

また警察お世話になる事に。

サンタテレーザでやられたというフランス人の夫婦と一緒にパトカーで観光警察へ護送される。
途中婦警さんに聞いたら、私の散歩場所サンタテレーザは市内で最も危ない場所の一つ、だそうである。

警察署に着いたら今度は日本人の女性がいた。
コパカバーナの繁華街でバッグをやられたという。
あそこが危ないなら行く場所ないじゃん、ってところです。

二日連続で強盗にやられ、彼等の手口がわかってきた。
彼等ははじめ穏やかに話しかけてくる。
そしてものを奪う時には必ずズボンのポケットにも合わせて探りを入れてくる。
今回はすでに財布を盗られ、持っていなかったので、素のままポケットに現金を入れておいたのだが、それには気が付かなかったようだ。
探すところが決まっているようなので、若干の小銭を財布に入れ、あとは貴重品と共にトラベルグッズとして売られているような隠しポケットにしまっておくと被害が少なくて済むかもしれない。
とはいえ、何も盗るものがないと逆上して命を狙いに来る事もあるらしいので、若干の現金は分かり易い場所へと忍ばせておいた方が良いだろう。

さて、またまた面倒な手続きを終えて、夜も再び本日二度目のモダンサウンド出勤をする事にした。

来てみれば、なんとリッチな編成でショーロをやっている。
これは昨夜のBip Bipより聞き応えがあるぞ。
楽器間の絡み方がよく練られている感じ。
こういうのを聴きたかったのです。
来てみて本当に良かった!

今、なんとあのコルコバドを演奏してくれている。
なんだか涙が出そうになった。
様々な世の中の不条理を憂えて涙腺が緩んだものか。

弦の柔らかい響きの上に乗る、低域で吹く、優しいフルートの音色が心地よい。

Mayo 18, 2006

ありがとうブラジル! 18 mayo 2006

今日はついにブラジル滞在最終日。
しかし、昨晩警察署でもらった書類にミスがあったのを見つけてしまったので、仕方なく朝早くから三日連続で観光警察のあるレブロンへと向かう。
過去二度ともパトカーで連れて行ってもらったし、帰りは辺りが暗かったので、今ひとつ観光警察の場所がよくわからない。
何しろ地図をも奪われてしまい、なおさら場所の見当を付けようがない。

とにかくレブロン行きのバスに乗り、書類に書いてあった住所の近くで降ろしてもらう事にする。
とはいえ、場所を尋ねてみたバスの車掌でさえ見当が付かずに、お客さんに質問していたようなマイナーな通り。
不安である。
一時間弱かかって宿のあるグローリアからレブロン地区に到着。

街ゆく人に場所を聞きまくるが、中々見当が付かない。
そのうち、とあるビルのガードマンが親切にも近くのキオスクの主人に尋ねてくれた。
ツーリストポリスの場所を聞くと、なんと書類の住所ではないという。

別の通りを教えられ、その方向に向かってみる。
途中交番があったので、ここでももう一度場所を確認してみる。
そこにいた警察官の確信に満ちた答えに私は安心し、教えられた方向へと向かう。

かくして、無事に観光警察に到着。
観光警察の正式名称はGoverno de Estado da Seguranca Publicaといって、なんと教えられた通りと表記されていた通りの交わる場所、すなわちR.Humberto de CamposとR.Afranin de Melo Francoの交差点にありました。
中には初回お世話になったとても親切な警察官がいて、再開を喜び合ったのでした!?
スムーズに書類へ必要事項を書き加えてもらい、挨拶もそこそこに警察署を後にする。

その後、地下鉄カリオカ駅へ最後の天然ガラナを飲みに行く。
より重要だったのはリオ市内の地図を買い直す事だったのだが、馴染みのお姉さんのところでカショーホなどを食べていたらなぜかうっかりそちらは忘れてしまった。

地下鉄カリオカ駅前の教会
地下鉄カリオカ駅前の教会.jpg

それから昨日強盗にあったフラメンゴ海岸へと行く。
というのも、強盗に遭ったその時にminiSDカードだけは返してくれと言ったら、犯人は何かを地面に投げ捨てる仕草をしてカードはそこにあると言ったから。
その時、投げ捨てられた物体が着地したであろうその辺りを私は探してみたけれど見つからなかったので、一応今日もう一度探さなければ悔いが残ると思ったから。

警察でさえSDカードって何?って認識だったので、あの時の犯人がそれを理解してケータイ脇のふたを開けてカードを押して抜き取るという一連の作業を出来たとは到底思えないのだが、とはいえ、まだ探す時間があり一縷の望みがあるうちに諦めてしまってはあとで非常に後悔しそうだった。

もう一つは現場検証をしたかったから。
強盗なんて滅多に遭う事のない貴重な経験だから、その現場をもう一度よく見ておきたかったのである。

さて問題のフラメンゴ海岸に到着してみると、今日はなんて事のないのんびりとした雰囲気が漂う。

昨日も今日も快晴、平日の午後、条件はあまり変わらない。
昨日も海岸にはそれなりの人がいた。

結局、一瞬周囲誰も人がいなくなるとか、ちょっとした瞬間に犯罪に巻き込まれてしまうようだ。
一時たりとも周囲に安全そうな人がいなくなる瞬間をは作らないように心がけた方がよいだろう。
また、昨日も一昨日も犯人はまず穏やかに話しかけてくる。
ここが難しいところで、こういった瞬間をすべて避けてしまえば無味乾燥な旅になってしまう。
気さくに話しかけてくれる良い人が圧倒的に多いのです。
私の場合、運が悪かったらそれまでと、半ば諦めてよほど特別怪しくない限りは話しかけに応えるようにしている。

また、どんなに注意いていても一度目を付けられてしまえばそれまでかもしれない。
とにかく目立たないようにするのが安全確保、この手の犯罪を避けるための最善策であろう。
しかしとはいえ、東アジアの国以外では私たち日本人の顔はどうしても目立ってしまうけれど。

それから・・・ブラジルの警察では強盗の犯人を捕まえるなんていう意欲は誰からも、どの警察官からも感じられなかった事も付け加えておきたい。
捕まらないのではこの先も、この手の犯罪が犯罪が減る事など絶対にないと思う。

フラメンゴ海岸を後にして宿へと戻り最後の準備、長い旅だからシャワーを浴びておいてから荷造りをする。

夕方のフラメンゴ海岸(リオ初日に訪れたもの)
夕方のフラメンゴ海岸.jpg

空港へと向かうのに、市内は渋滞するだろうと考え、メトロで空港付近のDel Castilho駅へと向かう。
この駅前にある賑やかなショッピングセンターでタクシーを拾い、空港へと向かう。
メトロタクシーは高めだが、それでもここからなら20ヘアイス、しかもスムーズ。

空港。
アメリカ合衆国に向かう便は相変わらずセキュリティチェックが厳しく長蛇の列。
ブラジル国内線はとてもスムーズだったから、列の中で待たされる時間がとても長く感じる。
USAの政府が第二次世界大戦以来、今に続く傲慢な態度を改めなければ、この長蛇の列も解消されないだろう。
日本、キューバ、メキシコ、ハワイ、ベトナム、パナマ、ニカラグア、イラン、アフガニスタン、イラク・・・その他アメリカに一杯食わされた国は世界中に数多い。
残念である。
多くのブラジル人も思うところがあるようだ。

今、時計もないので詳しくはわからないが、飛行機はおそらく定刻通りの出発。
まずはサンパウロへと向かう。

サンパウロでの乗り継ぎは非常にスムーズである。
乗り継ぎ時間わずか1時間だったので心配していたのだが、まったく問題なかった。

今回ものすごい量の日記を書きためていたのだが、残念な事に帰国わずか二日前にして全てを失ってしまったので、記憶を辿りながら搭乗機内で日記を書き続ける。

ところで米系航空会社の国際線スチュワーデスには英語しか出来ないのに平気でいる人が結構いる。
国際線なのだから少なくとも出発地と到着地の2カ国語では、たとえカタコトでもよいから対応出来るようにしてほしいものである。
これって常識だと思うけれど、英語しかわかりませんって、恥ずかしげもなく言う彼女等はまったくそう思っていないようだ。
私は極力英語を口にしたくはないのだが・・・。
これは大変残念な事である。

とにもかくにもありがとう、ブラジル!
親切にして下さったたくさんの皆さん!

~わずかに残るリオの想い出写真~

独立の英雄、チラデンテス
独立の英雄、チラデンテス.jpg

リオで見かけた警察の音楽隊
リオで見かけた警察の音楽隊.jpg

Mayo 19, 2006

成田へ 19 mayo 2006

NYへは定刻の6:00より15分ほど早く到着した。
ニューヨークが持つ国際空港のうちの一つ、ニュ-アーク空港はやたら広い感じで見渡せる範囲にはお店も少ない。
もう一度インターネットをしたかったのだが、付近には見当たらなかった。
またトランジットの待ち時間のあいだにシャワーでも浴びておきたかったのだが、そういった施設も噂ではこの空港のどこかにあるはずなのに、これも付近ではまったく見当たらなかった。

成田行きの飛行機は定刻通りの出発。

ブラジル出国前日に警察署で日本人の女性と会話したせいか、日本語によるアナウンスも普通に耳に入ってきた。

こんな事を言うのも、海外へ行き始めた頃にはしばらく外国(西欧圏の)にいて日本に戻ると、漢字の看板があたかも外国の文字に見えたりして、おー外人が漢字を見るとこんな漢字に見えるのか、なんて感覚に陥った事もあったからだ。
しかし、最近はスムーズにアタマが切り替わるようになった。
また、以前は帰ってきてもしばらくつい西語が口をついて出てきてしまったりして恥ずかしい思いをした事もあったけれど、それも切り替えがスムーズになった。
噂ではその頃、寝言までスペイン語になっていたらしい。

こうしてみると、海外の文化に溺れる時代は過ぎ去ったのかもしれない。
それは寂しい事でもあり、しかしまた日本人として当然必要な事でもあるだろう。

Mayo 20, 2006

なんとか無事に日本へと帰国! 20 mayo 2006

本日成田は雨、23℃との事。
1ヶ月ぶりに乗る超大型飛行機。
カナダ上空に入った辺り、非常に気流が悪く、頼んだダイエットコークをコップにつぐ事が出来ない。

ブラジル滞在中に見聞した音楽を振り返ってみれば、フォホー(バイオン、ショッチ)、コーコ、アシェ、アフォーシェと呼ばれるアフロパーカッションを中心とした音楽、カンドンブレ、ビリンバウを使ったカポエイラの音楽、トリオエレトリコ、マルシャ、素朴なものからソフィスティケートされたものまでのサンバ、パゴージ、ボサノバ、ショーロ(ショリーニョ)、フレーボ、カボクリーニョ、カリンボ、それになぜかレゲエにロック。さらには南インドのパーカッション、ガヴァオやケンジーラの演奏、それにジャズまで。
興味のあったレシフェのマラカトゥこそ見る事が出来なかったが、これだけのものをいちどきに見る事が出来て、大変満足している。
この1ヶ月の間にブラジルで見聞した事は、これから先に続く創作活動の大きなエネルギーとなるに違いない。

今回色々と情報やアドバイスを頂いた青木カナさんにはこの場でも厚く御礼申し上げたい。
フォホーの音楽は特に気に入った。
それkらショーロ。
サンバももちろん素晴らしいけれど。

こうして日記を不眠で書き続けて、フライト最後の食事時間を迎えた。
以降の鈍くなったアタマで何も考えずに出てきた言葉は「Cafe, por favor(コーヒー下さい)」、スチュワーデスに日本語で「お砂糖、クリームはお付け致しましょうか?」と聞かれているのに「De Negro(ブラックで)」。
その時は自然だったのですが、すぐ後でやっちまったと思いました。
スペイン語は私にとって完全な第二言語だ。
もちろん不足や間違いは多いけれど、自然に口をついて出てくる言葉は、やはりこの日本語かスペイン語。
もうしばらくはボケるかもしれません。
(あとでキューバ人から電話もらった時には「ベルダージ」とか、ボケてました。)

あと一時間半で成田到着です。

18日夕方リオを出て、こうして20日午後に成田に到着。
足かけ3日もかかるブラジルはやはり遠い国だ。

強盗に遭った事でこうしてチョー余分な仕事が増え、仕方なくそれでも一心不乱に少しでも記憶の新鮮なうちにと日記を書き続け、そんな中にも良い事はあった。
隣の座席に座っていたカワイらしい韓国の女子大生、リー・ミンオクちゃんから「ライターさんですか?」と声をかけられ、仲良しになった事!
今度は釜山にでも行ってみるか。

なんて、まずはしばらく日本で頑張らなければ、と気持ちを切り替えるのであった。

-藤田浩司のブラジル音楽旅行記- 2006年4月19日~5月20日

Mayo 21, 2006

帰国! 21 mayo 2006

本日、何とか帰国する事が出来ました。
ブラジル見聞録なども少しずつですがアップしていくつもりです。
どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。

Mayo 22, 2006

携帯FOMAD902i 22 mayo 2006

事情によりやむなく20日、土曜日よりFOMAに移行。
う~ん、残念。
エリアが狭くなってしまいました。

事情により、いらぬ仕事が山積。
PDA買い直して、MDレコーダー買い直して、デジカメ買い直して・・・、時計買い直して、財布は・・・作るか。

Mayo 23, 2006

忙しい 23 mayo 2006

帰国早々、仕事山積。
至近に迫るライブの曲目もリハの日程も決まっていない。

本日10:50より23:20まで、ほぼ休憩なしに久々の個人レッスンが続く。
意外な程、身体は何ともありませんが構想を練る時間、練習する時間が取れない。

頑張るぞ~!

Mayo 24, 2006

フォホーのドラムなど 24 mayo 2006 

ブラジル北東部で広く流行している音楽、フォホーのドラムを聞き覚えで練習してみました。
楽しい。
フォホーのリズムのうち、バイオンはよく教則本なんかでも採り上げられているけれど、バイオンのハイハットは絶対に「チキチー、チキチー」しかありえませんね。
キックのパターンは色々アリで、よく教則本に載っているような、「ドッドー、ドッドー」ってパターンも気持ち良いけれど、キューバのサルサにみられるようなキックパターンの典型、二種類も、それはバイオンにおいても典型となっていて、これを踏むのもまた心地よい。
あまり好きではないのは、ランバダタイプのキックパターン。
ちょっと落ち着きすぎてしまうというか。
ブラジルのリズムについて教本を書くつもりは今のところありませんが、キューバものについては世界一詳しいこの本をどうぞ!
http://la-fiesta.jp/shop/lcd.html
オラシオ・エルナンデスのお墨付きです。

Mayo 25, 2006

先入観ナシに聴く音楽は楽しい。 25 mayo 2006

ここのところ今回買い込んだブラジル音楽のCDを聴きまくっている。

プレイヤーについても歌手についても、ほぼ白紙に近いくらいまったく知らないブラジル音楽をやみくもに聴くのは、とても愉快である。

先入観なしにこうして音楽を聴いていると、中学生や高校生の頃の感覚に戻ったかのようだ。

フォホーはもちろん、サンバ、サンバパゴージ、ボサノバ、ショーロ、マラカトゥ、アフロ・ブローコの音楽、それらが混ざり合ったブラジリアンポップスとなんでも聴いてみる・・・

しかし、依然アーティストの名前などは覚えるに至らない。

こうして音楽を聴くのも良いけれど・・・いやいや、練習しなきゃ・・・。

Mayo 26, 2006

そういうわけでして・・・てんてこ舞い 26 mayo 2006

やらなければならない事がたくさんあるのに、本日も失ったアイテムの回復に努める。
アイテムは確実に進化している。
先週土曜の携帯に加え、本日PHSを復元。
端末はもちろんW-ZERO3。
ちょっとザウルスとか悩んだけど、このコンパクトさと性能のバランスは魅力。

どなたか、動画撮影と音声記録に優れるコンパクトデジカメはどれなのか、教えて下さい。
特に音声記録に関しては殆ど情報がありません。
ライブ撮っても音割れしないようなのが希望なのですが・・・。
デジカメでの動画撮影はオマケとはいえ、音割れしない製品を切に望んでいます。
音質はモノラルでも8ビットでも、とにかく資料集め用として音割れしなければすごく助かるのですが、そこいら辺の情報は皆無に等しい。

書類の作成も非常に時間のかかるものである。

楽譜と音資料も超高速で今日明日迄には仕上げなければならない今日この頃、かなりテンパっています。

練習したい気持ちがここしばらくになかった程強いのですが・・・中々そこまでは手がまわりません。

イカンイカン、さっさと事務を済ませよう。

Mayo 27, 2006

Brasil音楽見聞録アップ中! 27 mayo 2006  

少しずつですが、今回出かけてきた4月19日から5月20日までのブラジル音楽見聞録をcozy-corner~藤田浩司(ふじたこうじ)のblogへとアップ中です。

4月19日の出来事は4月19日分の日記へというようにアップしています。
また「Brasil」というカテゴリーを新たに作りましたので、そちらでまとめてご覧になることも出来ます。

滞在中に細かく記しておいたデータを全て失ってしまったので(おそらく大学ノートに10冊分くらいの量)、ディテールに欠けるところはありますが、帰りの飛行機の中でまだ比較的記憶の新鮮なうちにと、ずっと書き続けたメモに加筆修正を加えています。飛行機の中では大学ノート2冊分くらい復元出来ました。

そうして飛行機のなかでずっと見聞録を書き続けていたので、スチュワーデスさんや、隣に座っていたニューヨークに留学していたという韓国の美人女子大生から声がかかり仲良しになるという、ちょっと嬉しいハプニングもありました。災い転じて福となすとはこの事でしょうか。

ホントは写真だけ加えて、あとはあちらで書いた文章のデータをそのままネットにアップすれば済んだことなのですが、ノートに書いたものを再びデータ化するのは結構大変です。

それにしても、その場で観た生々しい印象や、その音楽や演奏の細かな観察記録を失ってしまったのは何よりも痛い・・・。

とはいえ、今もこうして書く度、新たに思い出す事もあり、こうして日記に今回の見聞録を書き連ねることは非常に自分のためにもなるようです。

今回はこちら↓
藤田浩司のブラジル音楽旅行記- 「サルバドールへ 24 abril 2006」

Mayo 28, 2006

帰国後、久々にリハなどを・・ 28 mayo 2006  

金曜の晩から起き続けて、もう足かけ三日目・・・いまだにこれはさすがに時差ボケでしょうか・・・。
とにかく帰国後はいきなりまったく以前の日常通り雑用に追われ、ごくごく普通に寝るという事も実際難しかった。

そんな中、土曜日は久々のリハ。
生き返ります。
コンガに木村啓太郎氏初登場。
リズムに対する、食い付きがすごい。

私はと言えば、弾いてなくても常にイメージしていたから、やはりプレーは変わってきます。

以前よりまた少し、音楽が無理しない形で流れるようになったかもしれない。

雑用のヤマはようやく超える事が出来たので、今度はしばらくバンバン練習して、内なる探求の旅をしてみたいな、と思っています。

Mayo 29, 2006

本日も 29 mayo 2006

ここのところレッスンの忙しい日があり、本日も10:50から23:20頃まで、あいだ1時間ほどの休憩のみで一日が終わる。
練習もしたいのですが、ちょっと今日は余力が・・・ないかも。
いや、しよう。半ば義務ですし。

Mayo 30, 2006

FUJI FinePix F30 30 mayo 2006

富士フイルムのデジカメ、ファインピックスF30というのを買ってみた。
最近のデジカメはすごい。
まるで暗視カメラのように、相当な暗がりの中でもフラッシュを使わずにブレない鮮明な画像を撮る事が出来る。
また動画撮影もきれい、滑らか。
これで音声がステレオなら大満足なのですが。

本日も10:50から23:20まで殆ど休憩なしに個人レッスンが続きました。
どうしちゃったのでしょう、最近。

Mayo 31, 2006

「三つ子の魂、百までも」  31 mayo 2006

大変ありがたい事に、拙著「ラテンキューバンドラム教本上・下巻」がコンスタントによく売れている。
これくらいはけるなら、検討中であった教則本に対応したCDをそろそろプレスに回してもよいのかもしれない。

まだまだ色々と形にしたいものがある。

ラテンピアノの教則本も原稿は仕上がっているわけだし、ベネズエラの打楽器についての教則本も九分通り仕上がっている。

ニューアルバムの構想もある。

前作と今作もかなり雰囲気の違う仕上がりになっているかと思いますが、次作もまた変わってくると思います。一期一会で。

「三つ子の魂、百までも」とは言うけれど、振り返ってみれば、趣味で釣りのハウツー本を書いては友達に売っていた小学校高学年の頃、ラジカセ二台使って一人多重録音していた中学一年の頃から基本的にやっている事が今もまったく変わっていない。

同じ頃、歌謡曲をスコアに落とす趣味を持っていたが、これは今、自分のバンド用に一見完璧かつ緻密な楽譜(笑)を作る事につながっている。

打楽器科を出た私がピアノ弾きをやっているのも、中学生の頃から描いていた夢がかなったものとも言える。随分遠回りしましたけど。

これも幼稚園から小学校低学年の頃、地下秘密基地を作るのが夢でよく空き地に穴を掘っていた。
さすがに完成した事はない。が、これは後にスタジオを自力で建てる事で完結している。

あまり誰も行かないような日本の、そして世界中の街や山奥、辺鄙な海岸に行ってしまうのは、小学校に入るかは入らないかという年の頃に、好きで読んでは実践を重ねていた、冒険やサバイバル系ハウツー本の影響があるようだ。
あの頃はロープの結び方だとか、テントの張り方だとか、それに無人島で生き残る方法だとか結構真剣に研究していた・・・(笑)。小学校一年の時には雨水を濾過して安全に飲む方法まで知っていた。

この年になって振り返ると、結構変な子であったか。

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