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Junio 2007 アーカイブ

Junio 1, 2007

ショパンのワルツ集を聴いてみた 1 junio 2007

うわっ・・・もう6月だ・・・(>_<)
早い・・・最近は天気も長続きしないし、早くも梅雨のハシリってところでしょうか。

超久々にショパンのワルツなどを聴いてみた。
この系統は高校3年生くらいからパッタリと聴かなくなっちゃったから、ホントのホントに久しぶりに聴いた。

・・・そうか、オレはこんな世界も好きだったのか、結構微妙だな・・・みたいな。

今聴くと、美しいけれどちょっとこそばゆくもある感じ。

それからピアノ音楽の持つ音色。
最近の自分の耳には、このロマン派クラシックピアノの演奏はやたらポキポキとしたモノトーンの世界のようにも聞こえる。

自分の中ではジャズやラテンでのピアノソロとはまた全く違った聞こえ方(受け取り方?)になる。
同じような音色を持つ、どれもピアノソロなんだけどな。

もしかして、今の感覚で再びオケを聴いたら結構馴染んだりして。
過去一度もストレートに自分の感覚には飛び込んで来なかった音楽、それが交響楽だ。
しかし、今の自分には少し色彩感が必要なようだ。

さて本日、大規模な飲み会があります。
今回新ジャンルに初挑戦となる、明日のピアノソロ本番を目前にして・・・オレは大丈夫だろうか。

それでも飲み会には誘われて、しかも予定が合ったら絶対行くよな。

それが人生。
・・・なんてね。


-次回ライブのお知らせ-
2007年6月2日(土)藤田浩司PianoSolo
ナチュラルハーモニー2000:大網白里町ながた野1丁目7-7
☆tel:0475-72-7966
1st) 20:00, 2nd) 21:00
チャージ1000円


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Junio 2, 2007

楽器の注文 2 junio 2007

ここのところ立て続けに楽器の注文を生徒から頼まれている。
先日はマリンバ、この間はシンバルのセット、今日はドラム一式。
ドラムはシェル類とシンバル類をプロ仕様のもの、そしてハードは同ブランドの安いものを選んでみた。
ワンタムワンフロアでなんとか35万円くらい。
拡張性を考えると、クオリティの高いものを少ない品数で組む方がお薦めです。

楽器の場合、納得しようと思ったら結局、ある程度値が張る物を買うしかない。
楽器のクオリティはある程度イコール値段であるとも言える。


ついさっきまで盛大な飲み会がありましたが、なんとか朝を迎える前に帰って来ました。
楽しかった。
これがまた今日の活力になる(^^)

料理のちまきを開けたら食べる部分に「毛」が付いていたのでクレームを付けたら、なんと同じテーブルの全員にデザートのアイスクリームがオマケで。
一応言ってみるものです。
しかし、あれはトウモロコシの毛と言われたけれど、あそこにトウモロコシの毛が入っているのはおかしいし、どうみても人間の白髪だったけどなぁ・・・。

-本日ライブのお知らせ-
2007年6月2日(土)藤田浩司PianoSolo
ナチュラルハーモニー2000:大網白里町ながた野1丁目7-7
☆tel:0475-72-7966
1st) 20:00, 2nd) 21:00
チャージ1000円

まだまだお席に余裕があります!


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Junio 3, 2007

藤田浩司ピアノソロ 3 junio 2007

初めてとなるピアノソロライブをやって来ました。
初めてのものに当たるのはやはりちょっとドキドキします。
なんだかんだ言って、自由に楽しく弾かせてもらっちゃいました。
曲は予定通り、ラテンからジャズからクラシックからオリジナルまで色々と弾いてみました。

ソロはあらゆるフォーマットの中で、息遣いが最も自由で、そこいらへんが面白かったです。
ブレスとか、ちょっとした揺れとかも、演奏の魅力として使う事が出来る。
思い付くままにコードをその場で変えてしまったり、テンポを変えたり、ルバートしなければはみ出してしまうようなフレーズを弾いたり・・・そんな思い付きを全て自分の裁量によって奏でる事が出来る。

今日は正直なところ、これほどお客さんに集まって頂けるとは思っていなかったので、ありがたい事と思いました。
満員とは言わないけれど、8分の入り。

実はパラパラと4セット分くらいの曲をあらかじめ練習していました。
全部弾くわけにはいかないので、結構、選曲には迷いました。

それはよしとして、ライブの始まる随分前からお店にいたお客さんから、帰り際に「今度はリストのラ・カンパネラを弾いて下さい」って言われて・・・・言われても、ラテンピアニストがそんな簡単に弾ける曲ではないわなぁ。
ローディーがこの曲好きだって言うから、リハ時間中にシャレでさわりだけ弾いていたのを聞くともなしに聴いていたそうな。
ちょっとリハビリを兼ねて、さらってみようかな。

写真は美人姉妹と。
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Junio 4, 2007

色々な事をしなくちゃ・・・ 4 junio 2007

いつも忙しいし、いつも直前まで何も準備出来ないけれど。
またそれまでに、すべての懸案事項を処理しきれるものでもないけれど。
今回はこれまで以上に、様々な心配事を残したままの出発となりそうだ。
それも人生。
どうか全ての事がうまく運びますように。


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Junio 5, 2007

安い国際電話 5 junio 2007

久々にキューバに電話をかけようと思い立ち、どこの電話会社が安かったっけなんて探してみたら、当然の事ですが3年前とはまったく状況が違う!?
それに昨年の今頃はブラジルのカナさんとタダ電話でしゃべりまくったけれど、今回はスカイプは使えない。
3年前にはスーパーテレフォンとかいうのをよく使っていた気がするのだが、今はバカ安なIP電話がある。http://www.voipbster.com/
そのバカ安IP電話をダウンロードしてみたものの、個人情報入力欄に正しいと思う電話番号を入れても受け付けてもらえない。
そうこうしているうちに大体、パソコンで電話する環境を整えるのも辛く感じ始めた。
どうせ最低必要なのは宿の予約を入れるための電話だけだし、普通にかけちゃおうかな。


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Junio 6, 2007

Chopin Polonaises/Maurizio Pollini 6 junio 2007

ポリーニのショパン・ポロネーズ集を久々(ホントに久々)に聴いた。
これは中学1年の頃、友達が持っていたからものすごく影響を受けた一枚。
その頃夜中にこっそりと家を抜け出して、自転車で15分程の彼の家に行っては朝までクラシック音楽を聴いていた事が懐かしく思い出される。
ポリーニの演奏はソリッドだ。
一点の曇りもなく、そこが格好良い。
ポロネーズのリズムはやはりどこか土臭いんだけど、ショパンはドラマチックだわ。
この曲集は、自分のアイデンティティを堂々と打ち出しているところがどうにも素敵です。
幻想ポロネーズとかOp.44のfis mollとか、特に好きかも。

お昼過ぎに生徒のソルフェージュをみた後、その子を駐車場まで送り出したらピアノの音が聞こえてくる。
お母さんが待っている車の中に、ピアノ名曲集のCDセットを発見。
リストのラ・カンパネラが偶然目にとまったので、演奏者を確かめる。
アンドレ・ワッツだった。
これも自分で持っていなかったけれど、やはり中学生の頃、近所のレコード屋で売り物のレコードを何回も試聴させてもらっていたのを思い出した。
今にして思えば、その行為は大変厚かましかったし、しかしそんなお店の配慮に自分は育ててもらった。
もちろん何枚かは買いましたけれど。
今年になって、恩義のあるそのお店が閉店してしまい、それは大変残念であり、また寂しい事でもある。

さて、アンドレ・ワッツのカンパネラ、先ほどは聴くことなくバイバイしたけれど、中学生の時に聴いた記憶は生々しい。
当時とても違和感を感じた、勢いのあるカンパネラだった。
当時にして、これが黒人特有のリズム感だと思った。
あの頃好きだったのは園田高広の弾く、奇跡的に端正なカンパネラであった。

弟子からカンパネラが大好きって最近告白されたのだけど、あれを聴いていたのか・・・もしかしたら、その当時から黒人のリズムに感じ入っていたのかもしれないな。

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Junio 7, 2007

W-ZERO3が・・・ 7 junio 2007

こんなせっぱ詰まっている時にデータ閲覧用ポケットPCとして頼りにしているウィルコムのW-ZERO3が壊れました。
ネットで調べたところによれば、原因はメールを一気に大量削除したかららしい。
そんなのありかよ!?
韓国のサムソンが提供している基盤に当たりはずれがあるとも。
昨年ブラジルで強盗に遭い、帰国後すぐに代替同機種を買った時には、買ったわずか一週間後にメモリーを強化したニューモデルが出たが、今回も本日後継新機種の発表があった。
発売は今月23日・・・間に合わん。
困った・・・死ぬ程苦労してガイドとかのPDFファイル揃えたのに。
新機種発売を目前にして、またまた旧モデルを新機種と同じような値段で買わなければならないのだろうか。
オイオイ同じW-ZERO3、わずか1年半にして今度買ったら3台目だぜ。

本日より、ようやくにして物理的準備を始める。
全くやる気無し。


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Junio 8, 2007

Willcom W-ZERO3その後  8 junio 2007

壊れたW-ZERO3をウィルコムプラザに持って行ったら、同機種を代替機として貸してくれた。
よかった。
もう、また買い直しかと思っていたので。
しかし、1年間の保証期間をわずか数日オーバーして壊れたため、1万円くらいはかかるらしい・・・。
ちなみに前回修理の時には代替機として違う機種が出てきた。
ほぼデータ通信専用機として使っているのに、タダのPHS携帯電話を持たされて途方に暮れたものだ。

YさんとIさんと飲んだ。
なぜか応接セットの部屋で(笑)
Iさん、やっぱり年上っすよ。
危うく騙されるところだった。
閉店後の駅前で偶然舟橋君に会う。
そのまま明け方まで飲み会。
皆さん、楽しい時間をありがとうございました。

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Junio 9, 2007

昨日の今日で 9 junio 2007

朝帰ってきて、課題山積だったので10:30頃には起きて・・・しかし午前中はまだ身体が使い物にならなかった。
とはいえ、じわじわと作業を進める。
W-ZERO3の再設定作業がやたら面倒だ。
さ、まだまだこれから準備を進めなければ・・・。

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Junio 10, 2007

物も情報も揃った 10 junio 2007

ようやく物も情報も揃ってきた。
あとはハバナの宿を今夜電話で予約してしまえば、大体はOK。
おみやげも大体揃えたし、そこいら辺では教授に持って行く緑茶を買い忘れたくらいかな。

昨晩キューバに電話をかけまくったが、色々な形でつながらなかった。
「ピッピッ・・・」が一番多かったが、日本語でかけ間違いですとのアナウンスが流れる事も多かった。
話し中もあったし、スペイン語でかけ間違いのアナウンスにもあった。
各電話会社経由してもダメ。
ハバナのいくつかの場所にかけてみたが、どれもダメ。
携帯でかけてもダメ。
とにかくつながらない。
不安になってきた。
今晩はかかるのだろうか・・・?
こんな事初めてなのですが、何がトラブルの原因なのだろう???
携帯でかけてもNGだったので、ipフォンだからって理由でもないよね。
普通にテレコムやNTTでもかけてみたし。

しかし電話代は安くなった。
一番よくかけた時代には確か1分480円したと思う。
ラインの選択も出来なかった時代。
今はフュージョンやスーパーテレフォンを使えば1分100円くらいだ。
もっと安いのもあるらしいけれど・・・。

ここのところレッスン日でも明るくなるまで作業してるし、そうでない日だと朝を通り越して午前中起き続けちゃっていくらも寝ていないから、さすがに身体がお疲れである。
一体いつまでこんな無理がきくのだろうか・・・。

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Junio 11, 2007

キューバ(CUBA)への電話と長生高校吹奏楽部定期演奏会 11 junio 2007

結局延べ6時間程電話をかけ続けて、たったの一度だけ相手につながった。
しかし、電話口で30分待たされた挙げ句に通信の規定により自動切断。
まったく意味のない時間と金を浪費した。
今回は今までになく回線のつながりが悪い。
何かあったのか、キューバ???

午後、母校長生高校の定期演奏会を聴きに出掛けた。
今年は絶対無理だと思っていたのだが、なぜかレッスンの振り替え希望が重なり、奇跡的に行く事が可能に。
とはいえ、聴く事が出来たのは2部以降。
今年は知っている子が多いので、これで3年生は引退かと思うと感慨深かった。
意識して皆さんの演奏を聴くのは初めてだったから、色々と興味深いものがありました。
3年生は殆ど全員がこれを機に本格的な受験生活に入るんだろうけれど、全員希望通り進学出来ますように。

さてと、また電話しようかな。
やれやれ。

あれから禁酒3日目。


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あきらめた・・・ 11 junio 2007

キューバへの国際電話はあきらめる事にした。
今晩も1時間半かけ続けて、なんとか一度だけつながった。
そしてわかった事がある。
今回つながった家は非常によく知っている家だ。

しかし、今回も昨日と同じように電話口ですぐ来るといわれて誰だかわからん女に待たされ、しかも昨晩と同じ妙な機械音が電話の向こうから聞こえる。

つまりだ・・・。
どういうわけか知らないが、現在キューバへかける国際電話は現在同じところにつながるようになっていて、かけた家にはつながらないのではないか???
だって電話のむこうの音が昨晩と同じだぜ???

あそこの家はよく知っているし、出入りする人だってそうそうオレの事を知らない人はいない。
しかも家の人が一人もいないで他人だけがいるのは不自然だ。

なぜ、そんな事をするのだろう???

こんな不思議な現象が現実の話です。

どうしちゃたんだ、キューバ???

SFの世界に紛れ込んだような気味悪さだ。

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Junio 12, 2007

Buddy Rich's Modern Interpretation of Snare Drum Rudiments 12 junio 2007

バディリッチの Modern Interpretation of Snare Drum Rudiments 、ルーディメントの解説が非常に明快だ。
アクセントの準備になるアップストロークの場所や、ハーフストロークポジション、クォーターストロークポジションを使う場所が網羅されているから、結構レベルコントロールを学習する為の助けになるんじゃないかな。

禁酒4日目。



Buddy Rich's Modern Interpretation of Snare Drum Rudiments

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Junio 13, 2007

誕生日 13 junio 2007

これを書いている今からみて昨日の12日、その日が高校生の頃付き合っていた彼女の誕生日であった事を急に思い出した。
文化祭でミス長高に選ばれた程のかわいらしい子だった。
アタマも切れたから、確か首都圏の某国立大に進学したはず。
お姉ちゃんが小学校から高校までの同級生でね。
思えば彼女には恵まれている人生だな・・・
いやいや彼女だけじゃなくて、振り返ってみれば色々恵まれ過ぎてるな、オレ。
神様ありがとう。
だけど、あなたの思うようには生きていません。
ま、いいか。
いや、急に思い出した。


さて、色々な刺激を受けるべくキューバに行って来ます。
今回は今までに行った事のない都市にも足を延ばしてみるつもりです。
ルンバの故郷マタンサスとか、キューバ第三の都市カマグエイなんて興味あります。
これらの都市についてはほぼ全く情報を持っていないので、ハプニングに恵まれそうな予感。
国の操作で国際電話の通じない首都ハバナ(たぶん)。
ま、事情はわかりますが・・・・。
教授やマブダチからメールはもらっているのでそちらは大丈夫。

ちなみに品にする映像とか撮ってくる予定です。
その後の仕事がうまくいくかどうか・・・。

キューバに行くのは・・・特にハバナやサンチアゴに行く時には、そこに知り合いも多く近所付き合いのある故郷に帰るような一種の煩わしさがあって、まったく観光気分は湧いてきません。

さ、仕事だ仕事!!!!

プレミアムモルツを頂き、あえなく禁酒断念!!!
ありがとうございますっ!!!
ちなみに禁酒に意味とか、固い意志とか、まったくありません。
ただ飲まなかった日が続いただけの事です。
結構飲まなくても平気なんです。
とはいえ、キューバではまた水代わりに飲むだろうな。
いつもそうだから、たぶん今回もビールと生ジュース以外は全く飲まない。

例年キューバから帰ってくるとしばらくは獣のようにやたらギラギラしてしまうので・・・今のうちに言っておきます、帰国後しばらくはどうぞご容赦下さい・・・。

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エア・カナダ(Air Canada) 13 junio 2007

 ジェットは19:20頃、成田を離陸した。
 エア・カナダは今回初めて乗ってみたけれど、一発ですごく気に入った。
 エアカナダ成田19:00発、002便。
 機内に入ってすぐにシートがいいな、と思ったけれど、その他の設備もすごい。
 AC110V60Hzの電源タップが座席についている。
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 しかし、なぜか座席列進行方向に向かって右側の席だけには付いていないから要注意だ。
 USBのタップもあったのでMDウォークマンで試してみたが、こちらでも充電可能だ。
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 これらは電子機器を非常によく使う私にはとてもありがたいサービスだ。
 しかもディスプレイはタッチパネルで便利、ときている。
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 さらにおまけに・・・
 エア・カナダではアルコール類がエコノミークラスでも無料提供される!
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 これは嬉しいではありませんか。
 そんなわけで至れり尽くせりです。


 そういえば結構不注意に生きているので、今回の出発では肝心の航空券引き替え書を忘れた。
 ありがとう、奥さん!
 おかげでなんとかなったよ。

 実は今回の旅も荷物のパッキングに徹夜して当日朝の8時までかかった。
 だから体調はそんなに良いとはいえない。

 さてさてどうなることやら。

 カナダ最大の都市、トロントまでは地元千葉県の成田市から12時間とちょっとの飛行だ。

 機内食も米系よりいいかなあ。
 3回の食事はどれもカロリーオーバー気味だけれど。
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 途中機内より見える雪を抱いた山々や氷河の景色が素晴らしい。
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 色々と持ってきたデータを見て予習したりプランニングしたりしていると、あっと言う間に時間が過ぎてしまう。
 18:10に20分遅れでピアソン国際空港に到着。
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まだまだ陽が高い。
 夏至は近い。

 今晩の宿、クオリティ・イン&スイーツ・エアポートにシャトルサービスがあるかどうか、電話して聞いてみる。
 タクシーを簡単には使わない旅が好きだ。

 ターミナル1からはグラウンド階のSで待つよう指示を受ける。
 ほどなくしてシャトルバスがやって来た。
 隣り合わせに建つ、ホリデイ・インとの共同運行となっている。


 クオリティ・イン&スイーツ・エアポートのベッドは狭い。
 USサイズだと思って行ったら、とんでもない。
 きれいだけど、部屋は狭めだ。
 トロント空港周辺には団地かと見まごうほどにホテルが建ち並んでいるが、他のホテルの客室がどんなものかは知るよしもない。
 しかし、そのどれもが最低1万数千円は払わないと泊まれない感じだ。
 トロントの物価は安くない。
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 散歩に出たら黒いリスを数尾見かけた。
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 ホテルの近くに商業施設はわずかだ。
 15分ほど歩いたところにはいくつかの飲食店がある。

 21時を過ぎてもまだ明るいから、時間を勘違いしそうになる。

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Junio 14, 2007

ハバナ(La Habana)へ 14 junio 2007

 快晴。
 この時期のトロントは完全に夏だ。
 気温が高い。

 ホテルの朝食を7時からとる。
 温かいスクランブルエッグやベーコンが付くあたり、米国の標準的なモーテルより良い。
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 8時に予約しておいたシャトルは8時過ぎにやって来た。
それに乗り込む。
 グーグルマップで確認したときに、ホテルと空港の距離は約3kmだったが、実際に走ると大まわりするからもっと遠い感じだ。


 8:30頃ミッサウガにあるピアソン国際空港に到着。
 国際線はターミナル1だ。
 また、ハバナ行き国際線のカウンターはKである。

 わりとスムーズにチェックイン。
 しかし、預け手荷物の重量制限が成田線と違って厳密だ。

 ハバナ行きのゲートは最奥の178番だ。
 動く歩道があるものの、結構遠い。

 機内持ち込み手荷物の検査は、米国ほど厳しくはない感じだ。


 9:17、ゲート前に到着。
 余裕だと思っていたら、チケットには9:15搭乗開始となっていた。
 しかし、まだ係員さえもいない。
 出発予定時刻は10:15。
 エアカナダ、トロント発ハバナ行き964便。
 3時間半の空の旅だ。
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 搭乗後、隣の席に座っていた韓国人学生と話が弾む。
 なんでも1ヶ月かけて自転車で東部の都市、米軍基地がある事で知られるグァンタナモから首都ハバナまでまわるそうだ。

 彼は私の事をみて25歳くらいかと思ったらしい。
 それだけで彼のことが気に入ったよ。
 パク・ジョングム君。
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 ハバナ行きエア・カナダの機内食は成田線に比べると大分クオリティが落ちる。
 アルコール類も有料だ。
 しかしそれでも電源タップが付いている。
 但し、それを使ってPCへ電源供給するのはマズいらしい。


 飛行機はハバナに着陸しようとする。
 景色が懐かしい。
 言ってみれば田園の広がる、どこか田舎の風景。
 やはり、ここは自分にとっての郷里だな。
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 空港の入国審査は以前になくスムーズだった。
 米国のそれがバカみたいに厳しくなってしまったのと対照的だ。
 税関を抜けて空港内1番奥に両替所があったが、日本円は両替できない。
 仕方なくクレジットカードを使って現金を引き出す。

 まず見当を付けていた宿に電話を入れる。

 現地ではすぐにつながり、スムーズに泊まれることになった。
 日本からなぜ国際電話がほぼ全くつながらなかったのかは謎である。
 ともかく私は国際電話を8時間ほどダイヤルしてただの一度もまともに相手にはつながらなかった、それは事実である。

 小銭がないからタクシーに乗るまでに、ビールなど飲んで大きいお札をくずしにかかる。
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 その後拾った市内に向かうタクシーは25兌換ペソ(CUC)。
 30分ほどで15時頃無事に今回の宿へと到着。

 以前はキューバ人の家庭で暮らしていたが、法律等の問題でそれが出来なくなってから久しくお世話になっているのがキューバ航空の建物の10階にある、このアパートだ。
 インファンタ通りがマレコンという海岸通りにぶつかる直前にあるこの宿は音楽を聴くにはこれ以上ない便利な立地にある。
 ルンバのライブがある事で有名なラスベガスは目の前だし、ISAやカサ・デ・ラ・ムジカ(音楽の家)、ISAの打楽器科教授ロベルトコンセプシオンの家、ジャズカフェに行くバスの停留所も至近にある。
 しかもありがたい事に始発だ。
 乗りはぐれる事がない。
 キューバのバスは満員の場合があり、一発で待っていた目的のバスに乗り込めるとは限らない。
 ま、大抵大丈夫ですけど。
 それでも始発は座れる事も多いし、ありがたいです。
 少し話が横道にそれましたが、ジャズカフェへは歩30分ほど、これは歩けなくもない。
 ジャズのライブハウス、ラ・ソーラまでも歩いて5分程度だし、ハメルへは10分ほど、ルバルカバの家へは3分もかからないほどだ。
 世界遺産のビエハまでは歩いて30分。

 空港から宿へ向かう途中、雨がすごかった。
 今年の雨期は本格派の模様。


 
 宿に到着後、知人に電話をかけまくる。
 ほぼすべて繋がり、アポをとってから始めにルバルカバの家に出掛けた。
 その後タクシーを使ってロベルトコンセプシオンのところに直行。
 色々なCDを聴かせてもらったり、DVDを見せてもらったりした。
 チャンギートのアルバムやイサック・デルガドの新譜、ダフニス・プリエトのアルバム、ゴンサロ・ルバルカバがブラジルのイヴァン・リンス、ジョアン・ボスコらと競演しているDVD等々。
 親しくしている国立芸術大学(ISA)打楽器科4年生、ナイレ・ソーサがドラムを叩いているというバンドのビデオクリップもいくつか見せてもらった。
 ヒップホップっぽいサウンドだった。
 このグループのリーダーはスペインのグラミーみたいな賞を取っている。
 X Alfonso。
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 話をしているうちにサルサの黎明期からニューヨークの第一線で活躍するイグナシオ・ベロアやミッシェル・カミロの新しいドラマー、ダフニス・プリエトも彼、ロベルト・コンセプシオン教授の教え子だったことが判明。
 あらためてすごい人だなと思った。

写真:ロベルト・コンセプシオンとナイレと
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 ナイレがご飯を作ってご馳走してくれた。
 そういや、ナイレは随分と痩せたかも。

 とても楽しかったけれど、よい時間となったのでおいとまする。

 そして宿に帰ると、既に超友人、アントニオがビールを持って待っていた。
 アントニオはアルバム「インファンタ657」を捧げた、その人である。
 彼の人生にも色々とあったけれど、今は在キューバ日本大使館勤務だ。
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 会話が弾んだ。
 が、明日の事もあるので23時過ぎにはお開き。
 大人だな、オレたち。

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Junio 15, 2007

徒労 15 junio 2007

 既に強い日差しが照りつける中、朝から換金に動く。
 街に出ると相変わらず声がかかりまくる。

 部屋の隣人だと言う男から声がかかり、さすがに断りづらかったから彼の薦める換金所へと案内されるがままに付いて行ってみる。

 なんでもキューバ人と一緒に換金しに行くと、ずっとレートが良いとか。
 あまりにも嘘くさい話ではあるけれど、しばらく行かなかった3年間に大きく事情が変化している事は承知していたので、途中、信頼できる大使館のアントニオに電話、よい換金場所などを教えてもらった。

 一応その隣人に付いて行ってみたら、これが全くあてにならないというか、彼の薦める場所ではことごとく日本円からは換金不可だった。
 しかもいざ換金のタイミングでは放っておかれたから、キューバ人と行くとどうのこうのという話もまったくの作り話だったのだろう。
 しまいには、何かくれとたかられて気分悪く別れる。
 今、持ち合わせがないと言うと、彼、アルマンドは振り返りもせずに去って行った。

 初めはベダド地区にあるバンコ・フィナンシエロに行こうとしていたのだけれど、結局今はCerro地区の入り口に近い方まで来てしまった。
 アントニオお勧めのカデカはアバナビエハ(旧市街)地区のオビスポ通りにあるから、ちょっと遠いのでタクシーで移動する。

 ホテル・フロリディータまでタクシーで行き、そこからオビスポの細くてしかし賑やかな道を奥の方へと歩いて進む。
 はたしてアントニオお勧めのカデカはありました。
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 カデカはオビスポ通り、電話会社ETECSAオフィスのもう少し先にあります。
 両替率は138円=1CUCだった。
 12万円がたったの872CUCにしかならない。
 キューバ国内の物価はドルの時代と勘定が一緒だから、円安と相まって相当な目減りだ。
 正直痛い。
 初めてキューバに来たときには1万円が$110くらいにはなったのに、今は同じ1万円が$73にしかならないのだから 信じられないくらいの目減りだ。


 両替を済ませた帰りがけにソンのバンドを見る。
 ギター、フルート、ベースにマルチパーカッション、それにカンタンテ。
 ビエハにあるちょっとしたレストランでこうして聴く事が出来る何気ない演奏が素晴らしい。
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 あまり時間がないのでタクシーで帰宅、慌ただしく再び宿を出てエリサベスの家に行く。
 久々の再会だ。
 彼女はいつだってにこやかで穏やかで素晴らしい。
 私の大好きなピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバの姪っ子。

 タクシーを呼び、一緒に彼女のバンドのエンサーヨ(リハーサル)を見に行く。

 ピオレイバの残したバンドだそうだ。
 演奏はもちろん素晴らしい。
 メンバーのほとんどが来日した事もあるミュージシャンだ。
 エリサベスの相方のカンタンテ(ボーカリスト)はNGラ・バンダで来日したという。
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 ピアニストのプレーに見惚れる。
 そういえばこんなだったよな、キューバ人の演奏は、って。
 こうして日本で失っていた何かを再び取り戻し始める。

 2時間ほどでおいとまさせて頂き、今度はISA(Instituto Sperior de Arte・・・キューバ国立芸術大学)へ向かう。
 今、大学祭で今日はフルーティスト、マラーカの演奏があるからと聞いていたので、それを聴きに。
 それにお兄さんのペドロとは日本でたびたび演奏させてもらっているから挨拶もしたかった。

 向かう道は大雨、冠水がひどい。
 今回、6月は一年で最も雨が多い季節とはいえ、ちょっと量が多すぎる感じだ。
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 大雨で渋滞する中、なんとか大学に到着するも、なんとコンサートは雨天のため中止だと言われる。
 残念だが仕方ないだろう。

写真:ISAの正面玄関にて
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 ビエハからタクシー代約9CUC。
 痛い。
 レセプションでタクシーを呼んでもらうも到着まで1時間待てとの事。
 この雨で街中がタクシーを必要としているのかもしれない。
 しかして、1時間待ってもタクシーは来なかった。
 仕方なく歩き出す。
 程なくマキナ(キューバ人のタクシー)を拾う。
 途中までの約束だったので道半ばで降ろしてもらう。
 一人5ペソ(=CUC0.21)だ。
 降りるとすぐにセントロ行き222番のバスが来たからそれに乗り込む。
 こちらはたったの40センターボだ。
 ラッキーな接続。
 これだけ料金が違うから、今まで滅多な事ではタクシーなど使う事もなかったが、今回は頻繁に使うなあ。
 短い滞在に予定が詰まっているから、これも致し方のないところ。


 宿に着いた瞬間にネレイダから電話。
 着替える時間もなく、ルバルカバ家へと向かう。


 そして今晩はご馳走してもらっちゃいました。

写真:最後のデザート、プリンがとても美味しい!
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 とめどもなく会話が弾む。
 エリサベスの彼氏も紹介してもらった。
 エルネスト、29歳の録音技師。


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Junio 16, 2007

エリサベス・ルバルカバ(Elizabeth Rubalcaba)のショー 16 junio 2007

 朝、サンチアゴ行きビアスールバスのチケットを買いに行く。
 ホテルハバナリブレのCubaturで扱っている。
 ネットで見た情報とは違って、以前と同じ$51だった。

 その後、道向かいのお店でCD等を見る。
 新譜は一枚$15ほどだから、もうこれは入手困難なもの以外、チェックしておいて日本で買った方が得かもしれない。
 古いものに興味があるなら、大幅に割り引きされているので買っておいた方がよい。

写真:Hotel Habana Libre
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 道でパンを一個買って食べる。
 実は後で気が付いたら、今日はこの一食でおしまいだった。
 ブラジルもそうだったけれど、旅に出ると食べないな、俺。


 帰りがけに水を買いに懐かしのスーパーに寄ったら、ルバルカバ家のネレイダとばったり会った。
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 このスーパーの上にアパートがあり、キューバの家族のような人たちとそこに住んでいた事がある。
 自分の猛烈学習時代が懐かしい。
 朝の10時から夕方までびっしりとレッスンを入れていた時代。
 ドラム、ティンバレス、コンガやボンゴ、それにピアノとダンス。
 ドラムは大体毎日2時間だったっけな。


 スーパーから宿に戻る途中、今日もまた雨がぱらついてきた。
 水を冷蔵庫に冷やす。

 わずかの間に大雨となってしまい、ロベルト・コンセプシオンに電話をかけて、大雨だから家に行くのが少し遅くなる事を伝える。
 小一時間待って、小降りになったところで外に出て、バス停で190番のバスを待つ。
 15分ほどでバスはやって来た。

 降りるべき停留所を間違えた。
 5ブロックほど手前で降りてしまったところに、運悪くスコールがやって来た。
 突風を伴ってこれでは傘をさすことも出来ない。
 仕方なくビルの軒下で雨宿りする。

 雨はいっこうに止む気配を見せてくれないから、しばらくしてまた歩き出す。
 土砂降りの中を歩くから、ジーンズがどんどん重くなる。
 久々に靴の中がグショグショになる感覚を味わう。
 道路を流れ落ちる水の水かさが増してきて、道路を横切る度、少しでも高い場所を探す。
 大抵は道路の真ん中が一番高い。
 交差点毎に大回りして、歩道から道路の真ん中へと、水の少ない場所を見つけては跳び渡る。

 ロベルト・コンセプシオンの家まであと一区画のところで、どうにもその流れを越えられない場所に出くわす。
 道路が川となって浅いところでも深さ10cmはありそうだ。
 この後に及んでも靴を水没させるのは嫌なものだ。

 仕方がないので、道を大回りしながらあちらへ抜けられそうなところを探し歩く。


 ほうほうの体でどうにか彼の家にたどり着いた。

 しばし談笑の後、いきなりセッションが始まった。
 私のピアノにナイレのボンゴ、それにピアノ教師ダニアのピアノベース。
 曲は色々。

写真:セッション風景。私は写真撮影しながらしばし休憩中。
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 ナイレはX Alfonsoというバンドで、明日からギリシアツアーに出る事になっている。
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 会えてラッキーだった。


 おいとましてマキナ(ペソ払いのオンボロタクシー)で今度はロベルティコの新居へ向かう。

 新居はベダド地区の川向こう、ミラマール地区にあった。
 豪邸だ。
 ブエナビスタで稼ぎまくったお父さんの家も立派だけど、それをしのぐ規模と内装だ。
 娘のマイレーネは初めて会ったときまだ中学生だったけれど、なんと生後6ヶ月になる男の子の母になっていた。
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 時代は移る。

 ロベルティコはしばらくオマーラのバンドで忙しくしていたけれど、最近は再びジャズ系の活動をするべく計画しているそうだ。
 手持ちのMacG4でデモを制作するらしい。
 長年バンマスを勤めていたアフロクーバみたいなサウンドになるんだろうな、きっと。

 私の「インファンタ657」を全曲聴いてくれた。

写真:Roberticoと
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写真:アルバムタイトルのインファンタ通り
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 再び宿に戻り息を付く間もなくルバルカバの家へ。
 今晩はエリサベスのショーを彼女の母親マルティカと観に行く事にしている。
 ま、エリサベスは父のヘスス亡き今、確かに自分の子供のようなものだ。
 実子にしてはちょっと大き過ぎるけどね、さすがに。
 私のことを時に「パドリーノ・バカ(バカな保護者)」と呼んで笑ってくれる。
 そう、エリサベスは片言の日本語を知っている。
 誰が教えたって?そう、この私だ。
 逆に、この私にヒドいスペイン語を教えまくってくれたのは彼女や、彼女の兄ミッチェルと当時の彼女フロールだ。

写真:エリザベス・ルバルカバ15歳
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15歳、女の子にとっては成人式。
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 キューバ人のスラングさえも、実はこのルバルカバの家で学んだものだ。
 みんな下品な言葉が大好きだから、あの頃、父のヘススや時にはその頃まだ小学生だったエリサベスもよくバカ会話の相手をしてくれたものだ。
 私の暮らしていた家にも親子で遊びに来たりしていたっけ。

写真:遊びに来た小学生時代のエリサベスと父、ヘスス・ルバルカバ
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 ちなみに兄ミッチェルは2000年頃キューバを出て、今はチリのサンティアゴに住んでいる。

写真:ミッチェル・ルバルカバ
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 さて、カバレ・テアトロ・ナシオナル・デル・プラドでのショーは中々素晴らしかった。
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 あいつやっぱ才能あるよな。
 そこいらへんは名門音楽一家の血なんだな、きっと。
 へぇー、あのエリサベスがねーって感じだけど。
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 母親のマルティカも初めて見た娘のショーをとても気に入った様子だった。
 招待して良かった。
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 宿に着いたら午前3時半。
 明日は朝から今は亡き盟友、ヘスス・ルバルカバの墓参りに行く予定。

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Junio 17, 2007

お墓参り 17 junio 2007

 朝9時。
 マルティカからの電話を待って、ルバルカバ家へ。
 タクシーでヘスス・ルバルカバの墓があるハバナ最大の墓地、セメンテリオ・コロンに行く。

写真:コロンの門
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 今日が父の日だからか、いつもよりお墓にも人が多いようだ。
 ヘススの墓には名前が彫ってないから、もし今度一人で来るとなったら無事にたどり着けるかどうか、ちょっと自信がない。

写真:墓地にある教会
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 彼は私のピアノの師であり、また、私の大好きなピアニスト、ゴンサロルバルカバの兄でもある。
 そしてかわいいエリサベスの父だ。

 その昔、キューバでは色々なことを習ったけれど、実はピアノの時間が一番多かったかもしれない。

 ルバルカバの家のリビングはピアノを習い、ダンスを習い、ティンバレスを習った、私にとって大切な場所だ。
 1997年の5月5日に盛大な誕生日を祝ってもらったのもここだ。

 この4月に偶然見かけたボニアティージョが表紙になっている本の撮影場所もたぶんここだし(思い違いだったら失礼)、前に偶然NHKに映っていたのもここの家のリビングだ。
キューバ・トリップ―“ハバナ・ジャム・セッション”への招待/高橋 慎一 (著)
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(注・よくよく見ると、どうも勘違いであったようです・・・。でもわからない、滅多に行かない個室の方はこんな感じだった気もする)

 ヘススは弟と比べた場合、あまり成功に恵まれた人生とは言えないかもしれないけれど、それでも晩年には自己名義のアルバムがヒットチャートの第6位にまで上った。

 ラスト二枚目のアルバムは彼から直接プレゼントされたもので、私の大切な宝物である。
「エストイ・アキ(我ここにあり)」

「エストイ・アキ(我ここにあり)」

 お墓参りの帰りに豚の丸焼きを見た。
 カメーヨ(らくだ)という、二台連結の大型バスでセントロへ戻る。
 停留所でネレイダやマルティカと別れて、日曜日のルンバ、エル・カジェホン・デ・ハメルを見に行く。
 首尾良くちょうど始まるところだった。

 これはやはり本物だ。
 あふれる躍動感。
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 今日は父の日だからという事で、始めのグループの後はずっと女性が演奏している。
 これは貴重な日に来たのかも。

 女性が生き生きと演奏するルンバを、弟子に見せたかったな。
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 ルンバの後にはオリシャに捧げる音楽が続いた。

 2時間も見ただろうか、疲れてきたのでルバルカバの家に行ってお昼をご馳走になる。
 なんとビール付き。
 朝にはまだ昨晩のアルコールが抜けてなかったのだけど、ま、いいか。

 エリサベスの叔父、叔母だという親戚の人たちに初めて会う。
 叔父さんはスポーツを教えているとの事で、国内各地やベネズエラにも仕事で行っているそうだ。
 合気道も教えているって。


 しばらく談笑の後、おいとまして街をぶらぶらする。
 今日は父の日だから、やたらに押し掛けるのも気が引けるし、こうしてぶらつくしかない。


 今回初めて海沿いのマレコン通りに出てみた。
 Infanta y 23の道路向かい。
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 目の前に2001年に泊まったことのあるイノセンシアの宿が見える。
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 ふとコッペリアの近所に行ってみると、なんと今日は行列がない。
 食べるのに2時間待ちとか、普段はザラなのに、これは父の日だからだな。
 並んでみると、ほとんど待たずに中に入れた。
 5ボールのエンサラダが5ペソ。

写真:コッペリアのアイスクリーム
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写真:コッペリアにて
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 コッペリアで偶然マルティカに会った。

 今日は雨が降らない。


 例のボニアティージョが電話で挨拶した時に、今晩20:30からテレビに出るよって教えてくれたのだが、ついうっかりとこれを見落としてしまった。
 残念だ。

 夜22時にアントニオとLa Zorra y El Cuervoというジャズ系ライブハウスの前で待ち合わせる。
 が、出演者がよくわからなかったので、ハバナにある別のジャズ系ライブハウス、Jazz Cafeに向かう事にした。

 La Zorraは宿の近く、23通りに面してあるが、Jazz Cafeはベダド地区の高級ホテル、メリア・コイーバのすぐ近くにある。
 La Zorraはミニマムチャージ$5だが、Jazz Cafeは$10である。

 La Zorraは狭いが、Jazz Cafeは広い。

写真:Lazzora y El Cuervo
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 今日のライブはセッションで、ビロンゴとかステラ・バイ・スターライトを演奏していました。
 ハバナでは誰を見てもハイレベルな演奏だ。
 今回の演奏者が誰なのか、紹介もないし、全然わからないのだが。
 そう言えばメンバー紹介も曲の紹介も一切ないライブだった。
 一曲だけフルートのお姉さんが素敵なボーカルを聴かせてくれていたのだが、歌詞がわからなくなって詰まってしまい、演奏がフェイドアウトしてしまったのは残念だった。

写真:JazzCafeのステージ
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 ピアノはヤマハのP200だったようだけれど、音響はやたらハイに傾いた音作りに聞こえた。

 しかし、エアコンの風が身体に吹き付けてきて寒い。
 ここでは風の当たらない席を選ぶか、長袖を用意してきた方が良いだろう。
 とはいえ、アントニオは「寒いの好きです」と言って何ともないし、体感温度は人によってそれぞれだから一概には言えない。
 日本人の女性は大抵寒がりだから、思い当たる人は長袖を用意した方が良いと思います。

 ちなみに今晩は全てアントニオにおごってもらってしまった。
 本当はこちらが払った方が、あるいは割り勘でも、そうさせてもらったほうが気軽に誘えるのだけど。
 そこいらへんは色々とあって難しいです。

写真:JazzCafeにて、アントニオと
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写真:JazzCafeのサンド
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Junio 18, 2007

アバナ・ビエハ(Habana Vieja) 18 junio 2007

 今日は初めて朝から雲一つない快晴。

写真:宿の部屋からの眺め
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 宿のあるセントロ・アバナ(新市街)から世界文化遺産の街、アバナ・ビエハ(旧市街)へと海沿いに延びるマレコン通りを歩いて行ってみる。
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 道行く途中途中に今日も声がかかりまくる。
 大体が物売りか、外国人相手に英語の練習をしたい人だ。
 物売りはともかくとして、せっかくカナダを抜けたのだから英語は勘弁してほしい。

 旧市街までは歩いて30分ほどだ。
 すでに何度か来ているからこれは見慣れた色でもある。
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 とはいえ滅多に来ない旧市街。
 今まで商業の中心は23通りの辺りかと思っていたけれど、今日歩いてみた印象では、お店の賑やかさでは旧市街の方が上のような気がする。
 あちこちお店を冷やかしてみるが、相変わらず棚に物はない。
 ショーウインドーのチープさといったら、訪れた事のある他の国ではまずお目にかかれないものだ。
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 今日は授業が休みだという大学生のカップルから声がかかった。
 法科のミゲールと経済のエリサベス。
 彼らとは3度ばったりと街中で会い、その度に会話が弾んだ。
 しかし今回彼らには学生だと思われたが、最近ではそう見られない事も多い。
 残念な事だが、やはり誰にでも等しく老いはやってくる。


 とりあえず天気が良いから世界遺産の街で写真を撮りまくってみた。

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 今日は一日中、夕方までよく晴れたな。

 夜、といってもまだ薄明るい20:30に宿を出て、ビアスールのバスステーションへと向かう。
 $6だって言うけれど、荷物重いし、ま、いいかって感じ。
 昨日行ったセメンテリオ・コロンの脇を抜けてタクシーは進む。
 どうもキューバ人の間できれいな街として人気があるのはシエンフエゴスのようだ。
 大抵話題に上る。
 今また、タクシーの運転手もシエンフエゴスはトリニダ以上だと推薦していた。
 さて、20分もしないうちにタクシーはビアスールのバス停へと着いた。

写真:ターミナルの待合室
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 預け手荷物の重量制限が課されていてちょっとビビる。
 20kgまで。
 超過料金を払うのもなんだかバカらしいので、手持ちのリュックの方へ若干の荷物を移す。
 街中のCubaturでもらった引き替え証を券売カウンターで提示して、粗末な藁半紙に印刷された紙屑のようなチケットを受け取る。
 手荷物はすぐ隣のカウンターで預ける事。
 その先、ちょっと階段を上がった待合室からは快適な涼しさだ。

 これら中南米の長距離バスの寒さには毎回ノックアウトされているので、今回は着るものや身体を覆うためのタオルなどを多めに用意してきた。
 さて、どうなるのだろう。

 いやいや、快適だと思っていた待合室の温度も寒く感じ始めてきたぞ。


 いつものようにビアスールのバスは定刻通り22時に発車した。
 このバスはほぼ時間に正確に動く。
 車内では冷気が鼻に痛い。
 この感覚は真冬に就寝する時の、室内で暖房を切ってしばらくたった時くらいの温度だろうか。
 この日の為に持参した大きめのタオル2枚がとても役に立っている。
 膝掛けとマフラー代わりにすれば結構暖かい。
 Tシャツ、半袖シャツの上にさらにもう一枚薄手だけど長袖のシャツを着る。

 22:30現在、なんとかこの寒さをしのぎきれそうな予感。


 そう言えば今回、初めてフロールと会わなかったな。
 ちょっと明る過ぎて苦手な女の子。
 会いたくないなと思っていても、なぜかキューバへと来る度、必ずハバナの街中でオレを見つけ出すフロール。
 もちろんいい娘なんだけど。
 小耳に挟んだ。
 あのフロールもついに結婚したそうな。


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Junio 19, 2007

サンチアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba) 19 junio 2007

 バスは意外にも寒くない。
 どうやら膝掛けにしたタオルが効いているようだ。

 ビアスール・バスも確か登場して10年近く経つから、そろそろガタが出始めているようだ。
 座席のリクライニングが止まらない。

 あとで立ち寄る予定のカマグエイには6時ちょうどに着いた。

写真:カマグエイのバスターミナル
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 トイレにいってみたが、水が一滴も流れない、なんとも素晴らしいトイレだった。
 汚い話だけれど、手さえも洗うことが出来ない。
 おしぼりウェッティは必携です。


 外に出るとき声をかけたチョフェ(車掌)がサンチアゴで自分の兄弟の家に泊まらないか、と言う。

 聞いてみると場所もなかなか良さそうだ。
 1日15CUCだって言われたけれど、サンチアゴには4回来て4回とも12CUCで泊まっていると言ったら、それでエスタビエン(OK)だという。

 行ってみる事を約束する。

 ビアスールのチョフェはいつも真面目で親切な人ばかりだから、今回も多分大丈夫だろう。
 フェルナンド、黒人。
 彼には今後も色々と助けてもらう事になる。


 ところで今回フジのFinePixF30とパナソニックのDMC-TZ3の二台のカメラを持参してきているので、その比較をしてみようと思う。
 フジは昨年の今頃コンパクトでは一番人気のあったカメラで、パナソニックは今、一番人気のある機種だ。
写真:フジFinePixF30
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写真:パナソニックDMC-TZ3
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 パナソニックは28mm広角と10倍のズームが魅力。
 それからメディアが安価なSDカードというところも良い。
 ただし、暗いところでの写りはやたら悪く、それからシャッターが遅いので、動く場面での撮影は苦手だ。
 暗いところで写すための専用モードも備えているが、これを使うと画質がかなりザラつく。
 つまり使えない。
 また広角だから仕方ないのだろうが、画面の四辺が歪むところも気になるところだ。
 液晶が大きいから電池の消耗が早い。
 液晶はせっかく大きいのに、いざ撮った写真をその場で見るのには色々な情報がごちゃごちゃとディスプレイされて見づらい。

 フジは例えば夜のライブやショーのような暗いところで写してもきれいだ。
 それからシャッタースピードが速いので、例えば走るタクシーの車内から狭い路地を写しても思ったように写る。
 この二点においてパナソニックはかなり使えない。
 また、フジは電池の保ちが良い。
 使い方にもよるだろうが、一週間ぐらいの旅では電池交換必要がないだろう。
 それから撮った写真をすぐ見る場合、そしてまた写真をすぐ撮る場合、フジのワンプッシュ方式はストレスを感じない。
 パナソニックのダイヤル式には時間がかかってストレスを感じる。
 フジは液晶ディスプレイも撮った写真以外には何も表示されないから、確認にはとても都合が良い。
 痛いところは値の張るXDピクチャーカードをメディアとして採用しているところだ。
 しかも2GBまでの容量のものしか存在しない。
 パナソニックの方では8GBのカードを何枚か持ってきているというのに、こちらは予算の都合で1GBx2、2GBx1だ。
 また、パナソニックの広角28mmに慣れてしまうと、35mmの広がりでは風景を撮る時に不満を感じる。

 私は日中の屋外ではパナソニックを主に使っている。
 この広角と望遠はなんといってもやはり魅力がある。
 遠くの被写体を10x望遠で狙っても手ブレしない、この性能は驚異だ。
 それから一人旅の自分撮りに28mm広角は便利だ。
 大体失敗なく自分が画面に収まる。
 とはいえ、きちんと自分撮りをしたいならやはりポータブルな三脚は必携。
 逆にライブなどの暗所では断然フジに軍配が上がる。
 暗いところでストロボを使わなくても鮮明に写って気持ち悪いくらいだ。
 大体ストロボ撮影というのはムードが出ない。
 ちなみに、なぜか大抵の女の子はストロボで撮られた写真を嫌がります。

 フジのコンパクトで28mm広角、10xズーム、SDカードが採用されたものが出たなら即買いなのだが、現実にはなかなかそうも行かないらしい。
 デジカメなんて似たようなものかと思っていると、かなり機種に差があるから驚きます。


 さて、外は快晴のサバンナが続く。
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 そんな中、結構な頻度で時折小さな街が出てくる。
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 賑やかな街角が垣間見えたかと思うと、8時ちょうどに今度はラスツナスへと到着した。
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写真:賑わうバス待合室
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 一応外に出て、その後バスの車内に戻ると、やはりこの冷やし方は異常だと思った。
 クーラーかけ過ぎ。


 8:30ご飯休憩とのアナウンス(マイクなし、肉声のみ)。
 小さなペソ(モネダナショナル)払いの屋台(車輪は付いていないが、そんな規模)。
 レフレスコ(ドリンク)がコップ一杯1ペソ。
 パンは1種類のみで5ペソ。
 パンの名前は忘れてしまったが、脂身の多い肉を挟んだ安いヤツだ。
 私は滅多にこれを食べない。

 外人の女の子がペソを持っていなくて困っている。
 隣にいたキューバ人のおばさんが彼女にレフレスコを一杯おごった。
 外人は普通、この国ではドルよりも高価なCUC(兌換ペソ)払いのみだからね。
 1CUC=24ペソ。
 このレートは長い事ほぼ変わっていない。
 一時期1CUC=25ペソになった記憶はある。
 だけど、そんな程度。
 街では1ペソでレフレスコ(清涼飲料)、3ペソでバティド(果汁+ミルク)が飲める。
 対して1CUCでセルベッサ(ビール)、あるいは0.5-0.7CUCほどでコーラが飲めるかも。
 コーラとかは滅多に飲まないので記憶が危うい。
 水のペットボトル500mlは0.5CUCくらいだ。
 ちなみに、ここではトイレはなさそうだった。
 本当に道端の露天にある、小さな店?だ。
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 この国の値段の付け方には極端な幅がある。
 同じようなコンサートが30CUCだったり5CUCだったり、ときには無料だったりする。
 宿一泊30-40CUCするところもあれば、地方なら10CUCで泊まれるところもあるらしい。
 ハバナでは以前7CUCで泊まれたところが、今や一般的に25-30CUCだ。
 以前23CUCで泊まれたビジネスホテルは現在60CUCほどもする。
 本日1CUCは約138円。
 しかもあの頃は1CUC=84円くらいではなかっただろうか。
もう遠い昔の話だ。

 今にしてみれば貧乏な学習時代に最強の円が存在したのは巡り合わせといえば巡り合わせで、とてもラッキーな事だった。
 最近では日本人観光客も激減しているらしいが、このレートでは無理もない。
 私だって正直キツい。


 バヤモには10:40到着。
 ここでも確認のため一応トイレに寄ってみた。
 水が流れて手も洗える。
 入り口の人にチップを20センターボ渡す。
 だいぶ陽射しが強くなってきた。

写真:街角で見かけた乗合馬車
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 11時を過ぎて、バスはどんどんと高度を下げる。
緩い下りが続き、耳が痛い。
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 12時。
 サンチアゴ・デ・クーバ市内に入ると再びアナウンスが入る。
 フィデル・カストロの弟であり、今彼に代わって国の舵取りをしているラウルの妻にして革命の戦士、ヴィルマ・エスピンが昨晩亡くなったそうで、弔いの行事により市内へはバスが入れないとの事。
 ぐるぐると狭い路地をまわって、いつものビアスールのバス停ではないターミナルに停車する。
 そう、ここは車庫だ。
 3年前に忘れ物を取りに来た事のある車庫。
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 タクシーでフェルナンドの薦める宿へ向かう。
 途中、フォコと呼ばれるカーニバルチームの名門、懐かしいロス・オヨスやカラバリの家がある付近を抜ける。

 宿が近づいてくると、なんとそこは・・・
 3年前に泊まったファン・カルロスの家だった!
 これは運命だな。
 話を聞いていて近い場所だなとは思っていたけれど、まさかドンピシャリだとは。
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 彼、ファンカルロスも私の事を覚えていてくれた。
 「ええっと・・・君は音楽家だったよね」って。
 部屋に入ってみると、3年前よりずっとずっときれいになっていた。
 ベッドもアメリカのホテルのようだ。
 壁も美しく張り替えられている。
 マレーシアやシンガポールでよく見かける方式のウオッシュレットになっている。
 努力を惜しまない人なのだろう。
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 シャワーを浴びて街に出てみるが、街角から全く音楽が聞こえてこない。
 カーニバル博物館も閉まっている。
 今日は歌舞音曲が禁止されているそうだ。
 せっかくここまで来た身としては残念である。

 陽射しが強い。

 街は色々と変わっていた。
 腕時計を直したり、そんなので便利だったフェリア(露天市場)がその場所にはなくなっていた。
 残念だ。

 気を取り直してカラバリの家に向かう。
 今日はエンサーヨ(リハーサル)のある日なのだが、さてどーだか。
 はたしてエンサーヨは中止だった。
 残念続きだ。
 ついてない。
 ついてないと言えば、コロンビアの街、カリブ海に面してひろがるカルタヘナでの出来事を思い出す。
 カルタヘナといえばウキウキとする楽しい音楽、バジェナートで有名だが、その街を夜、バジェナートの楽団を乗せながら走るオープンバスがある。
 私はそれに乗りたかったのだが、大統領選挙のために数日戒厳令が敷かれてしまい、残念な思いをした。
 海辺では普通にバジェナートが聴けたし、戒厳令の前日までは楽しく走るオープンバスを見ていたのに、いざ自分が乗ろうとしたらNGだったという・・・。

 さてカラバリ。
 道を歩いているとあちらから気付いてくれたのはキューバ最古のフォコ、カラバリ・イスアマの長、ジョアングラ。
 久々の再会を喜び合う。
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 最初に彼女へと投げかけた言葉は「おーい、今日はリハーサルないのかい?」だ。
 最後にここを訪れた日から3年経ってしまったと言う気が全くしない。
 家の中にはジャイリンや、彼女の息子であり、私がパドリーノ(後援者)のクリスチャンがいた。
 後援者になる事については教会で洗礼もした。
 クリスチャンは相変わらず恥ずかしがり屋であまり喋らない。
 いやいや、この後はすぐに慣れてメチャクチャ活発に喋りかけてくるようになる。
 名前の覚えも「コージ・フジータ」と、完璧だ。
 インファンタ657の裏表紙で私が抱いている子がクリスチャンである。
 6歳だから小学校1年生だそうだ。
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 カラバリの長、ジョアングラとカラバリのDVD化、あるいはCD化について話し合う。
 サンチアゴといえば世界文化遺産のトゥンバ・フランセサが有名だが、このカラバリがキューバで最も古いフォコだ。

 色々と雑談する中で給水の話が出てきた。
 最近ピオ・ロサド通りにあるこの地区では、水が6日おきにしか出ないそうだ。
 それは大変な事だ。
 明日、水が来るって言ってたけれど。
 宿ではホテル・カサ・グランダが近いせいで水が使い放題なのだけど、同じ市内でこの差別はひどいと思う。

 ジャイリンの弟、チーチョは技術系の先生になった。
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 3年前にはまだ学生で、よく一緒あちらこちらへと遊びに行ったっけ。
 勤め始めた今は、なんと日曜日にしか休みがないそうだ。
 8月に結婚するとも聞いた。
 あの頃よく遊んだもう一人、チャックは小学校の先生をやっているそうだ。
 今は軍のボランティアに出ているとも。
 時は流れる。

 しばらくしておいとまする。


 今宵、超珍しくサンチアゴの夜は静かだ。
 音楽が聞こえてこない。
 せっかくはるばるとやって来たのに残念です。
 明日は全てが平常に動く・・・らしい。

写真:3歳にしてボニータ!
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Junio 20, 2007

カーニバル博物館(Museo del Carvanal) 20 junio 2007

 昨晩早く寝てしまったから、今朝は6時に目が覚める。
 この宿では、昼間はエアコンの効きが悪くてやや暑いが、夜はエアコンを付けっ放しで寝るとさすがに寒い。


 今回キューバを訪れた最大の目的は、カーニバル博物館の打楽器奏者、ファン・オスカール・テヘラと共にラテンパーカッションの基礎を納めたDVDを作ることである。
 昨日はムセオ(カーニバル博物館)が閉まっていて残念ながら会えなかったが、今日は会えますように。
 そういえば、この4月に見つけた新刊でボニアティージョが表紙になっている本に、彼の写真も載っていたっけな。


 そうだ、せっかく早起きをしたのだからコブレに行ってみよう。
 コブレ教会とは、キューバ人にとって最も重要な聖地なのです。
 コブレに行く事を誰かに伝えると、よく「コブレの砂を持ってきてくれよ」と言われる。


 快晴。
 バイーア(湾)の方に鉄道駅やバスターミナルがあるので、まずそちらへと出掛けてみる。

写真:バイーアに面した通り
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 が、道行く人々に訪ね、ターミナルで訪ね、コブレ行きのバスは市街地反対側のターミナルから出ている事を知らされる。
 もしかしたらそうだったよなって、薄々わかってはいたけれど、あちらは遠いから出来れば行きたくなかった。

 ビシタクシーという名前の人力車でコブレ行きのバスがあるCalle4へ向かう。
 $3。
 近い割にいい値段だ。
 途中馬車と競争させる。
 下り坂では人間の方が速い。

写真:人力車の背中から
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写真:人力車の運転手と
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 バスターミナルに着いてみると、肝心のバスは発車してしまったばかりだった。
 うん、真っ直ぐこちらに来ていれば間に合ったものを・・・
 コブレ行きのバスは8:00,9:00,10:00にあるようだ。
 次はグッと時間が開いて12:30。

写真:バス時刻表の掲示
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 ムセオに行くことが先決事項なので、今日はコブレに行く事をあきらめる。
 12:30に街を出てコブレへ行ったら、カーニバル博物館のライブパフォーマンスには間に合わなくなってしまいそうだ。

 徒歩での帰り道、ムセオに寄ったら今日は16:00からショーがあるとの事。
 ファンが健在であることもわかった。

 ついでにトローバに寄ってみる。
 午前中はまだ何もやっていなかったが、午後からは演奏が目白押しの模様だ。

 ・・・12時から演奏が始まるはずだったが、13時を過ぎてもまだ始まらない。
 仕方なくそこいらをブラブラして戻って来ると、ようやく演奏は始まっていた。
 ソンの故郷、カサ・デ・ラ・トローバ。
 気持ちの良いリズムにのって、肉声が場内に響く。
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写真:トローバにて
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 いったん宿に戻って、今度はすぐにカーニバル博物館へと向かう。

 いたいた!
 ファンが階段から手を振っている。
 久々の再会を喜び合う。

写真:カーニバル博物館にてファンと
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写真:Juan Oscar De La Tejera
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 早速仕事の話。
 収録内容や場所の話、etc...。
 明日10時にここで落ち合って、コンガの雄、サン・ペドリートのフォコで収録する事になった。

 ファンはサン・ペドリート地区の出身だ。

 ショーが始まった。
 やはりファンのプレイはすごい。
 ショー自体、ダンスや音楽も多彩だ。
 場所柄、衣装がチープなのが残念だ。
 その点、首都ハバナでは数倍豪華だ。
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 ショーを見終えて、久々に懐かしのレストラン、1900(ミルノベシエントス)に行ってみた。
 ・・・絶句。
 前々から噂はあったが、ついにCUC払いに変わってしまった事を知る。
 食事は以前に比べて約10倍の値段を提示された。
 飲み物は10ペソ→1CUC。
 円安と通貨切り上げを換算すれば、飲み物については3年前までに比べてそれでも3倍ちょっとの値段。

 思わず注文するのを止めて飲み物だけ頼んだら、どこからかチーフがやって来て今日はペソ払いでも良いという。
 辺りを見渡してみると私の他に客が誰もいない。
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 カマレロ(ウェイター)に「何でだよ?」って尋ねてみたら、「今、他にお客さんがいない。私たちも稼がなければならない」との事。
 ラッキーだ。
 だけど、もうここにはそう易々と来る事は出来ないな。
 愛用のレストランだったので、寂しくはあるが、その値段を払うなら他に良いところがたくさんある。
 ちなみにこの後レストランを探してみたところ、ペソ払いのところをいくつか見つけた。

写真:レストラン、ノベシエントスの鶏ご飯
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写真:レストラン、ノベシエントスのトマトサラダとアトウェイ
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 宿へと戻る。
 今回の宿、ファンカルロスの家はバルコン・デ・ベラスケスの裏手にあり、街の中心、セスペデス公園からわずか2ブロック離れたところに位置する。

写真:ベラスケスのバルコニー
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写真:セスペデス公園にて
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 トローバへは3ブロック、ムセオへは5ブロック、どちらへ行くにしてもせいぜい歩いて5分とかからないだろう。
 トローバに次いで有名なチボリ地区にあるカサ・デ・ラス・トラディシオネスへも6ブロック程だ。
 カラバリの家へは少し遠いが、それでも徒歩12分くらいのものだろう。
 トゥンバ・フランセサの家へは歩10分くらいか。
 ロス・オヨスへは歩15分。
 チボリのフォコへもパドレ・ピコ通りの階段を上った先、すぐ近くだ。
 クトゥンバの本拠地へも3ブロック、5分以内だな。
 たまにお世話になる事があるプラサ・デ・マルテに面したパティオ・ロス・ドス・アブエロスへはちょっと遠いがそれでも多分徒歩15分以内。
 ちなみに宿側のセスペデス公園と、このプラサ・デ・マルテにはさまれた間が最も賑やかな繁華街だと思う。
 それからサン・ペドリートへはバイーアへと下って馬車を拾えば、さほど遠くもない。

 馬車!コーチェ!
 キューバでは馬車が公共の交通機関として普通に使われている。

写真:馬車
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 その他、中距離の輸送ではカミオンと呼ばれるトラックなども一般的な公共交通機関だ。

写真:カミオン
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 ちなみに馬車はいつでもOKだが、カミオンへは車掌の機嫌が悪いと外国人は乗せてもらえない。
 近頃サンチアゴで流行っているのはバイクタクシー。
 客は一人しか乗せられない。
 こちらは外人でも10ペソ。
 市内ならどこまで行っても10ペソ。

 ま、市内ではカリブの家のみが重要な音楽の場所のうち、トロピカーナとかホテルのショーとかの高価な場所は別として、歩いていくのが辛いところだろうか。


 22時少し前にカサ・デ・ラス・トラディシオネスへ行こうと宿を出る。
 狭くて、音楽の響きがリアルで、ある意味トローバ以上に面白い場所なのです。
 コロナ通りを確か112番地くらいまで下って右へ折れ、数区画先を今度は左に入ってすぐの場所にある。

 いざ行ってみたら・・・
 ・・・閉まっていました。
 初めてです。
 上で警備の人が何かが壊れたとか言っていたけれど、よく聞き取れなかった。


 今回はアンラッキーが多い。
 ハバナではマラカが洪水で中止、ラスベガスのルンバも大雨で行きそびれ、サンチアゴに到着したら今度は追悼の為にムセオもトローバも演奏なし、カラバリがリハ日だったのに中止・・・そして今回。
 見られるはずだったものを5本も落としてしまった。
 そんなだから今回はいつもの旅よりも睡眠時間多めで、健康には良いかもしれない。


 明日はいよいよ仕事中の仕事だな。
 午前中からファンとラテン打楽器の基礎を収めるDVDの制作だ。
 そして晩にはカラバリと打ち合わせ。
 濃い1日が待っている。

写真:夜のサンチアゴ・デ・クーバ教会
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Junio 21, 2007

ラテン打楽器のDVD収録 21 junio 2007

 快晴。
 朝10時にキューバ国立カーニバル博物館の前で、館の首席打楽器奏者ファン・オスカール・テヘラ”Nino”と待ち合わせる。

 彼は時間前に来ていた。
 さすがだ。
 マキナ(タクシー)でサン・ペドリートのフォコへ向かう。
 3CUC。

写真:サン・ペドリートのフォコにて
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 3人の奏者でDVDを作ることになった。
 今日の収録リズムはポピュラー系のダンソン、ボレロ、ソン、デングェ、チャチャチャ、ピロン、モザンビーケ。
 それにコンガやティンバレス、クラベス等を演奏するための基本テクニック。

 彼らがリハをしている間に録音レベル等を設定し終える。

 横着してそれをのせたままテーブルを運んだら、R-09の三脚を床に落とした。
 初めて使ってみた今日、早速壊すとは・・・。
 さすがだ。
 このローランドR-09は大変コンパクトなのに24bit48kHzの高品位で録音できる優れたアイテムだ。
 今回のようにマルチ録音を必要としない場合、重宝する。
 しかし別売の三脚はもろい。
 負担のかかる脚の接合部がプラスチックなのはどうかと思う。
 これで約5千円。
 そう言えばこの3~4月にロサンゼルスで買ったスーツケースもトロント-ハバナ便でチャックを壊された。
 スーツケースは大体1旅行しかもたない。


 さて、収録は非常にスムーズだった。

写真:DVD収録風景
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写真:3人の奏者と一緒に
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 が、嫌なニュースを聞いた。
 来週月曜まで歌舞音曲が禁止になったという。
 重要人物の喪に服すときは歌舞音曲の禁止、日本だけではなかったか。

 だから今日はムセオも休みだという。
 いや、困った。
 音楽の都、サンチアゴにいながら何も聴くことが出来ないとは・・・。
 カラバリのDVD収録もダメかもしれない。
 楽しみにしていた6月24日、サンファンの祝日に走るコンガのパレードも喪に服すため今年はなくなってしまったとの事。
 昨日まではあるよって話だったのに、残念だ。


 宿に帰ってデータの整理をする。
 帰りはコーチェ(馬車)に乗って帰ろうかと思ったらどれも満員で乗れない。
 仕方なくまたビシタクシーのお世話になるが、セスペデス公園まで入れないくせに2CUCは高いな。
 キューバ人なら1人10ペソだ。


 無駄だとは思ったが、帰ってすぐにトローバがどうなっているか見に行く。
 残念だが、店の扉にはやはり月曜まで閉店との張り紙がしてあった。
 道でムセオのダンサーにも会ったし(つまり彼女はオフ)、やはり月曜までどこにも音楽はないようだ。

 何のためにキューバに来たのか。
 その殆どは音楽を体験するために、である。
 なのに今日、木曜日から来週月曜日まで、つまりサンチアゴに留まっているあいだじゅう音楽がないなんて。
 殆ど意味がない・・・。
 しばし脱力。

 運命とは時に気まぐれで計算が立たない。
 思った通りには物事は運ばない。
 目的地までの辻々で回り道するものである。

 さて来年、再来年のキューバはどんな顔をして私たちを迎え入れてくれるものか。
 それは誰にもわからない。
 世界は一瞥普遍に感じられるが、しかし、ちょっとした出来事によって激変する。

 ここは潔くあきらめてリゾートするか。

 待て待て、とりあえず明日には大切な仕事がある。


 夕方カラバリのフォコへと出掛ける。
 今年はカラバリ、一度も見ることが出来ないかな・・・。

写真:カラバリのフォコへと向かう道
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 果たして・・・

 どうやら週明けの月曜日には音を出しても良いらしい。
 「Hasta Lunes(月曜まで)」に月曜は含まれないのか、ふーん。
 月曜日・・・サンチアゴに到着したその日に、カマグエイへと移動するバスの切符を買ったが、始め月曜の朝便を予約しようとしたのを考え直して夜便にしたのが、偶然に正解となった。
 月曜の出発は22:00だから、時間は充分にある。
 月曜朝9時に約束する。
 このDVDによって、彼らがもっと世に知られる事となったらよい。
 キューバ最古のフォコ、カラバリ・イスアマ。

 ジャイリンにマンゴーやパイナップルをご馳走になる。
 それから少しして、夜、ピザをちょい高めのレフレスコとご馳走になる。
 結構美味しい。
 フルサイズ、10ペソだって。

 今回おみやげとしてLEDライト(発光ダイオードのハンディライト)を持っていったのだが、結構重宝するらしく需要が多い。
 これで商売しようかな。
 ちなみにこちらではリンテルニータと呼ばれています。
 仕入れは日本で0.7CUCくらいだけど、換えの電池が8個も付いているから、もしかしたら10CUCくらいで売れるんじゃないか。
 いや、チーチョに聞いてみたら電池だけでも1個1CUCくらいはするし、12CUCでも売れるだろうと言っていた。
 100個売りさばけば、単純に1200CUCくらいの利益が上がる。
 約16万5千円・・・悪くないじゃん。
 もっとも最近はこれくらい持っていてもすぐなくなってしまいますが。
 円はここのところのキューバでは使いでがない。
 私の場合、観光が目的で来る人とは使い方が違うけれど。
 寄付が多いんだ。
 個人で支えられる人数には限りがあるけれど、近しい人の何人かに。

 しかし彼らには、色々なところへ連れて行ってもらえたり、演奏を聴かせてくれたり、ご馳走になる事もしばしばだから、寄付と言ってもあながち一方的なものではない。
 だからちょっとお金の使い方が違うだけ。

 ジャイリンの誕生日が23日(土)で、なんとカミオン(トラック)をチャーターして近所の人を50人ほど引き連れて海に行き、お祝いをするそうだ。
 それに招待を受けた。
 もちろん行きます。
 期せずしてリゾート行きが転がり込んできた。
 目的地はPlaya Caleton Blanco。
 この8月に結婚する弟のチーチョのフィアンセはもう一つ先のBoca de Los Riosがいいって言っているけれど。
 シエラマエストラ山脈が海岸に落ちるところ、市街地から西へ湾の向こうを海岸づたいに40kmほど行った辺りか。
 楽しみだが、朝6時半までに来いと言う。
 果たして起きられるだろうか。

 そういやチーチョのフィアンセは18歳、大学入学前だって。
 ちょっと早くないか。
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Junio 22, 2007

サン・ペドリート(San Pedrito)にて 22 junio 2007

 快晴。

 朝9時。
 バイーア沿いの大通りを走る馬車に乗ってサン・ペドリートのフォコへと向かう事にする。
 馬車の事を当地では「Coche(コーチェ)」と言う。
 語学の本で「コーチェ」は「自動車」だけど、馬車が自動車並の頻度で使われているキューバでは当然コーチェは馬車なのだろう。
 そういやコチェロといえば馬車の運転手だ。
 馬車を指してカバーヨ(馬)と言っても、思った意味ではイマイチ通用しなかった。
 今一度、辞書で調べてみると自動車も馬車もコーチェだそうだ。 

 しかし、通り過ぎる馬車はどれも満席で乗ることが出来ない。
 しかたなく人力車(ビシタクシー)を拾う。
 今回のチョフェは正直者だった。
 サン・ペドリートのフォコまで5ペソでよいと言う。
 気分が良かったからチップにリンテルニータ(LEDハンディライト)をプレゼントした。
 パッと顔がほころんで、帰りにも拾ってくれるという。
 大変ありがたかったのですが、時間がわからないのでお断りさせて頂きました。


 9:25にサン・ペドリートのフォコに到着。

 既にメンバーは揃っていた。
 ファン・オスカール・デ・ラ・テヘラにファン・バウステ・グランダ、それにアンリス・カブレラ・オリスの3人。
 それにアンリスの弟。

 ファンとアンリスは国立カーニバル博物館のミュージシャンであり、ファン・バウステはキューバ国立民族舞踊団(コンフント・フォルクロリコ・デ・オリエンテ)のミュージシャンだ。フランスへも演奏しに行っている。
 ファンはルンベロス・デ・オイのメンバーでもあるし、またアンリスはココジェのメンバーでもある。
写真:JuanOscarTejera
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写真:JuanBausteGranda
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写真:AnlisCabreraOris
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 今日は昨日なかったボンゴ、マラカス、それにカウベルを混ぜての収録。

 リズムはボレロ、ソン、チャングィ、それにルンバのヤンブー、ワワンコー、コルンビア。
 コルンビアはマタンサス、ハバナ、サンチアゴの各スタイルを演奏してもらう事になった。
 エレメンタリーなものを目指していたのだけれど、はからずも本格的なものになりそうだ。


 ちょっとしたリハーサルの後に収録。
 とてもスムーズに済んだ。

 収録後、サンペドリートの打楽器倉庫にある楽器を拝見させて頂いた。

写真:コンガの雄、サンペドリートのフォコで見つけた打楽器たち
Pilon
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Fondo
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Campana
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 お礼をしてサン・ペドリートのフォコをあとにする。
 帰る途中、ファンの家に寄った。
 彼の息子、オスカールを見るために。
 既に8歳となっていた。
 相変わらず大人しいが、打楽器奏者を目指しているらしい。
 少し脱線するけれど6歳になった我が息子、クリスチャンは医者になりたいと言っていた。

写真:ファンと息子オスカル
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 そういえばムセオでのショーが、週明けの月曜日にはあるらしい。
 ファンでさえもよくわかっていなかったから、スペイン語は難しいんだな。


 宿に戻ると11時。
 まだ、1日たっぷりと時間があるので、キューバの守護聖人を祭るコブレの教会へと今日こそ行ってみる事にする。

 バスやカミオンの出るCalle4までは宿のある街の中心、セスペデス公園付近から歩いて30分ほどだ。

 行く道すがら、宿の上にあるベラスケスのバルコニーに寄ってみた。
 ディエゴ・ベラスケスによってスペイン人のキューバへの入植が開始された。
 街の建設は1515年。
 バラコアの建設に遅れる事3年。
 キューバの首都として1523~56年の間繁栄し、そういうわけで最も古い時代に建設された都市のうちの一つである。
 近所にあるベラスケスの家は1522年に建てられたそうだから、こちらもほど同年代の建設だろう。
 バルコニーから眺める湾とシエラマエストラ山脈のはしっこの眺めが素晴らしい。
 もはや見慣れた風景だ。
 こちら見学だけなら無料、写真撮影は有料だ。
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 さて、バスターミナルに着いて切符売り場で尋ねるとコブレ行きは13時の発車だという。
 しかし、12:20頃コブレ行きに乗らないかと声がかかり、先日切符売り場で聞いたように12:30ちょうどにコブレ行きのカミオン(トラック)は出発した。

 トラックの荷台に乗っているものだから、結構揺れをキツく感じる。
 コブレ教会までは市内から20km、5ペソ。


 13:05、コブレに到着。
 景色が懐かしい。
 以前ここに来たのは確か2002年、5年も前の事だろうか。
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 キューバ人のこころのふるさと、コブレ教会。
 5年前に来た時には、ハバナに住む知人に頼まれてコブレの砂を持っていったり、人形を買っていったりした。
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御本尊「ビルヘン・デ・ラ・カリダ」
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 帰り道、偶然バスが通りかかったので、サンチアゴ行きかどうか運転手に確かめてからそれに乗り込む。
 1時間待ちを覚悟していたので、これはラッキーだ。
 まったく待つ事なくバスに乗る。
 なんてリッチなんだ。
 13:45発、14:20着。


 歩く帰り道、スーパーに寄ったら、以前会ったことのあるルンバのミュージシャンから声がかかった。
 確かバルバロって名前の。
 少し疲れていたので挨拶も程々にスーパーをあとにする。


 15:05宿に到着。

 ブカネロを一本飲み干して、今度はカラバリへと向かう。
 ジャイリンは明日の事で外に出ていたが、学校から戻ってきたチーチョがいた。
 毎日8時から16時まで仕事だそうだ。

 チーチョが「今回はいつ麦酒飲みパーティーをやるんだい?」と度々訊ねてくるので、ビールを買ってきてもらう。
 キューバ人が買うと1本12.5ペソでアトゥエイが飲める。
 以前ペソ払いでも結構麦酒を買っていたけれど、最近はダメなのかな、外国人。
 3年前は10ペソだったから値上がりした。

 色々話をしたけれど、ナイレのバンド、X-Alfonsoはやはり結構有名らしい。
 特にビデオクリップ祭?の時には必ず登場するそうだ。

 そう言えば、ついいつもキューバ人の発音を説明する時にキューバ=ハバナって感じで説明してしまうけれど、サンチアゴ人の喋るスペイン語では末尾の「S」が落ちない。
 その点サンチアゴ人の方がハバナ人よりもインターナショナルだ。
 ハバナ人、特にバリバリ下町みたいなハバナ人は
「2」を「ド」と発音する。
 より一般的なのは「ドス」だ。
 カタカナで「ドス」と書いても"dosu"ではなく、"dos"ですけどね。


 しばらくしてジャイリンが家に戻ってきた。
 鶏肉とパスタの盛り合わせ?をご馳走になる。
 いつも申し訳ない。

 明日出掛ける海岸がもう少し市街に近いブエイカボンに変更になった事を告げられる。
 50人集めるはずが30人しか集まらなかったので、少ない人数で遠くへ行くのをタクシーの運転手が嫌がったらしい。
 しかも6時ぴったりに出発するから、5:45までにここに来い、と。
 いやー、朝は不得意です。
 5:25には宿を出るつもりでないと危ないな。
 それは通常なら寝る時間だ。
 ま、頑張ります。

 帰り際にチーチョのフィアンセがやって来た。
 彼女は高校を卒業したばかりで、今は何もないそうだ。
 なかなか朗らかで可愛らしい子だ。


 いよいよリゾートが始まる。


 ・・・暗転。

 今、ジャイリンがわざわざモト(バイクタクシー)に乗って宿まで知らせに来てくれた。
 カミオン(トラック)が壊れたから、明日の海行きは中止になったって。
 キューバでは日本以上に一寸先は闇である。

 しかし中止のはずだったコンパルサは日曜日にはしるという。
 こちらは嬉しいニュースだ。

 さて、海行きが中止になった代わりに、チーチョとチャックと3年前に行った海に行こうか、と誘われて迷ったけれど、それを辞退する。
 あの海は濁っていて、とても泳げたものではなかったからだ。
 シボネイは?と聞いたら、シボネイ行きのカミオンに外国人は乗れないという。
 3年前にはカミオンでシボネイに行ったのだけど。

 3年前のシボネイ。
 泳いでいるうちに、砂浜に置いてあった荷物を全て持っていかれたシボネイ海岸。
 もっていかれるのを覚悟で持ってきた荷物だから、全く大したものは入っていなかったのだけれど、わずかな有り金全てとTシャツを持っていかれてしまったのはそれなりに痛かった。
 無一文では街に帰れないし、上半身裸で街を歩くのも日本人にはふさわしくない格好だ。
 あの時には、浜でフルーツを売っている兄ちゃんが帰るための1ペソを恵んでくれて、それから近所に住む見知らぬおじさんがTシャツを見ず知らずの私に貸してくれた。
 益々キューバが好きになった瞬間。


 さてジャイリン。
 明日、彼女は子供のコンパルサのための服を繕うから、どちらにしても海には行けないという。

 そんな事だけを私に告げて慌ただしく彼女は帰って行った。
 ありがとう、ジャイリン。

 さて、明日は何をしようか。

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Junio 23, 2007

カレトン・ブランコ(Caleton Blanco)海岸 23 junio 2007

 快晴。

 結局はカラバリの彼らとは別にシボネイ海岸へ出掛けることにする。
 外国人はトラックに乗れないと言われたが、さて、最近の実勢は如何なものか。

 キューバ。
 貧乏旅行者にももう少し門戸を拡げればいいのにと思う。
 以前は広かったのだが、民泊が禁止になり、トラックに乗る事が禁止になり、最近では外国人が必ず必要とする兌換ペソへの換金手数料を大幅に引き上げられた。
 ブエナビスタのブームも一段落して、キューバへと行く人が減っているようにみえるけれど、ここのところのキューバは貧乏人にとっては行きたくても行けない国になってしまっているのではないのかな。

 昔は良かったね。


 11時頃宿を出る。
 海に行くには遅すぎる時間だ。

 セスペデス公園を越えたところで急に気が変わった。
 そうだ、ジャイリンお勧めのカレトン・ブランコ海岸へ行ってみよう。
 そちらの方が停留所も近所だし。

 Calle4へ行くのは止めて、宿のある丘からすぐ下に降りたアラメダ大通り沿いにあるセラノ・バスターミナルへと歩く。

 カレトン行きのバスは10:45に行ってしまった。
 タキージャ(切符売り場)で聞いてみると、カミオン(乗り合いトラック)はあるだろうという。
 バスターミナル前であてどもなく待っていると、チビリコ海岸行きのトラックがやって来た。
 これに乗って途中で降りればカレトン・ブランコ海岸だ。
 5ペソだが、あいにくと細かいのを持っていなかったので車掌に20ペソ札を出してお釣りをもらおうとすると、「ベインテ・サブローソ!(20ペソ!素晴らしい!)」と言って指定席を作ってくれてしまった。
 別に20ペソ払うのはそんなに痛くはないけれど、根っから平民根性が染み着いているので、余分なお金を使って座っていた人を立たせてその空いた座席に自分が座るのは辛かった。

 この車掌がまた道中、品のない会話を浴びせてくる。
 隣の軍人は閉口していた。
 柔道にかけて「一本」はすごいが、キューバには「ウチママ」(内股、ではない)というすごい技がある、とかしようもない事を言う。
 わかる人にはわかりますね(笑)。


 ようやくカレトン・ブランコ海岸に着いた。
 キャンプ場併設の小さな海岸だ。
 チビリコ海岸まで行ってしまおうかとも思ったけれど、これに1時間45分、往復で3時間半乗るのにはかなりな根性が要求される。

 カレトン・ブランコ海岸には海水プールなどもあり、結構賑わっている。
 波は荒い。
 サンチアゴ周辺の海岸は有名なシボネイもそうだけど、結構波が荒い。
 潜ってみれば、シマシマの熱帯魚やベラ類、それにアジ系の魚、サヨリ系の魚などが見られた。
 東から西へ流れる海流が強い。
 珊瑚は殆ど見られない。
 基本、岩礁だし、とてもキューバ最大のリゾート、バラデロ海岸のような風情はない。
 岩礁でも珊瑚が発達していれば、それは砂浜海岸以上にとても面白いのだが、ここは珊瑚もそれほどではない。

 外人は全くいないようだ。
 シボネイのような物売りもいない。

 もしかしてサンチアゴ市街からちょろっと海へと遊びに行くのならシボネイ海岸の方が面白いかもしれない。

 シボネイの方が近いし、賑やかだ。
 珊瑚礁もシボネイの方が発達している場所がある。
 ただし・・・シボネイではこの時期、「ピカ」と呼ばれる海中生物が発生して、人によっては泳いでいるうちに刺されるようだ。
 ちなみに私は刺されたことはないが、一緒に行った仲間は刺された事がある。

 さて、1人で泳ぐときのスタイルだけど、以前シボネイ海岸に置いておいた荷物を持って行かれてしまった事もあるし、全て持ち泳ぐ事を基本としている。
 コインはポケットでOK、紙幣もチャック付きのビニール袋に入れておけばそうそう濡れることはない。
 その他の日焼け止めやティッシュ類、タオルはビニール袋に入れて口を閉じ、着ていたTシャツでくるんで巾着袋に入れ、肩に掛けて泳ぐ。
 ビニール袋の浮力で巾着袋は海面に浮いている事もあって、中の物は濡れない。
 Tシャツは濡れるのを覚悟。
 Tシャツを着て泳ぐのも日焼け止めになって良い。
 足はテーバ等の水陸両用スポーツサンダルをはいたままだ。


 キューバ人が海岸ではしゃぐなか、かなり本格的に2時間ほど泳いで海岸をあとにする。

 停留所で待つも、なかなかカミオンはやって来ない。
 30~40分待っていたら、サンチアゴからやって来たカミオンがここで転回した。
 そうなると、せっかくバス停で順番に並んで待っていたのに、もうそれは関係ない。
 早いもの勝ちの世界だ。
 帰りのカミオンは、行きのそれよりかひとまわり大きい。
 そのせいなのかどうか、こちらは一人3ペソと格安だ。

 カミオンの客室は全て鉄で出来ている。
 座席も鉄なら、背もたれも鉄だ。
 道路状態も良くないし、うっかりすると背骨などに損傷を負いそうである。

 帰りの終着地点はサンチアゴの鉄道駅前だった。
 宿至近のセラーノ・バスターミナルまでは行かない。


 宿に戻ってみたら16:45分だった。

 シャワーを浴びてカラバリに行こうとするも、なんとサンチアゴで初めての雨。
 雨が止むのを部屋でじっと待つ。


 ほどなくして雨が止んだので、カラバリの家へと出掛ける。
 チャックがいた!
 しばし再会を喜び合う。
 しばらくして息子のジャンカルロスもやって来た。
 初めてみたけれど、口が達者だ。
 3歳。
 チャックも頭の回りがとても早いから、彼も賢いだろう。
 彼は3年前の、私のバンドのメンバーの名前さえも全て覚えていた。
 なぜ?
 驚異的な記憶力だ。
 ヨウヘイ・タカサキは来るはずだったんだけど、流れちゃったんだと伝えておいた。

 しかし、チャックが2年前に早くも離婚していたとは・・・
 キューバ人にとってそれは日常茶飯事ではあるけれど。

 その逆に、この8月に結婚するチーチョのフィアンセは私と同じ5月5日が誕生日である事が判明。
 1989年5月5日。
 ゾロ目だから、何かご縁があるかもしれない。

 ビールを飲みながら、とめどもなく話が続く。


 明日は午前中にカラバリの撮影を済ませた後、彼らと昼食を共にして、そのあと飲みながらコンガのパレードを見る事になっている。
 やはりサンファンの日はこうでなくちゃね。

 サポーテのジュースをご馳走になる。

写真:サポーテの実
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 こちらサンチアゴでサポーテと呼ばれているものをハバナではマメイと言う。
 関東のイナダが関西でハマチになるのと一緒だな。
 とはいえ最近はハマチが全国的に優勢なようだ。


 帰りがけに3年前はドル払いだった、セスペデス公園から1ブロックのところにあるLos Columnasへとご飯をしに寄った。
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 ミルノベシエントスとは逆に、なんとこちらはペソ払いになっていた。

 タマリンドのジュースを飲んでみた。
 それからフライド・チキン。
 以前より安いけれど、安い分、量が少なくなった。
 私にはちょうど良い感じだ。

写真:チキンはてっきり単品かと思いこんでいて、ご飯をもう一皿頼んでしまったの図
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*注:この日は盗難が怖くてカメラを持ち歩かなかったので、海の写真は一枚もありません。残念!

写真:街の中心、セスペデス公園にて
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Junio 24, 2007

サンファン(San Juan)の日、カラバリ・イスアマ(Carabalí Isuama)の収録とコンガ(Conga)のパレード 24 junio 2007

 快晴。

 9:25に宿を出発。
 約束の撮影時間前にスタンバイしておきたいから早めに出掛ける事にした。

 今日収録するカラバリ・イスアマはキューバ最古のフォコ(民族音楽集団)だ。

写真:Carabali Isuamaのメンバーと
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 そう言えば、昨晩思い付いた。
 スペイン語と英語でもブログを綴ってみよう。
 語学を磨くためにも。
 外国語で例えば手紙を書くと、相当な数の単語を覚えるから、これは自分にとって有益な事だと思う。
 もちろん毎日というわけにはいかないと思うけれど。
 週に一度でも。
 間違いを見つけたら直ちに訂正個所を知らせてくださいね。
 これを読んで下さっている方々のうち、相当な数の方が語学に堪能なはず。


 カラバリには9:45到着。
 ささっと準備をし終えるも、メンバーがなかなか集まらない。
 あと二人がやって来ないという。


 ようやくメンバーが揃って演奏が始まったのは11時過ぎだった。
 収録は一度始まってしまえば順調に進む。
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 カラバリの歌と演奏は三部構成になっている。
 ゆっくりめのマルチャ、少し速めのマルチャ、それにオッビアだ。
 順番はあまり重要でないらしい。

 私はいつもオッビアから始まるものとばかりに思っていたが、今回オッビアは三番目に登場した。
 また、オッビアのみ伝統的な(フランス系?)衣装を身にまとう。
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 収録を終えた後、チーチョの彼女のお婆ちゃんが詩人だから吟じさせてくれと言ってきた。
 ビデオに撮ってあげたけれど、なかなか良い感じだった。
動作に照れがなくて良い。


 カラバリのジャイリンにアルムエルソ(昼食)をご馳走になる。
 ポーヨ・コン・コングリ(鶏肉に豆ご飯)、それにギネア(甘くて小さいバナナ)、それからバティド・デ・マンゴー。
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 このマンゴージュース、大好きです。
 一度飲んだら止められない。
 ポーヨ・コン・コングリ、キューバでは一番食べる機会が多いかも。
 どこで何を食べるのが好きかにもよるけれど、鶏肉は大体いつもある。

 もう、超おなかいっぱいです。


 昼食後、音楽学者グラディス・ゴンサレス女史の家へと遊びに行く。
 カマグエイについて色々と教えてもらった。
 黒人はハイチ出身の人が多いそうだ。
 また、国内ではオーケストラが有名らしい。
 色々な物が穫れて豊かな土地のようだ。
 また、アカデミックな雰囲気も感じた。
 それから市街地からそう離れていないところに日本人のコミュニティがあるそうだ。
 ちょっと楽しみになってきたぞ、カマグエイ。

 それから彼女はユネスコに関わる仕事をしていて、今、このカラバリ・イスアマを世界文化遺産にするべく働いているそうだ。
 トゥンバ・フランセサの次はカラバリが指定されるとよい。


 カラバリの家に戻ると、突然嫌な知らせが入った。
 ジャイリンのお婆さんが亡くなったとの事。
 84歳だったそうだ。

 彼女と弟のチーチョは急遽そちらへ向かう事となった。

 そしてコンガのパレードへはジョアングラ達が連れて行ってくれる事になった。
 

 15時半となったので、いよいよコンガのパレードを見に行く。

 今回はパレードの出発地点まで見学しに行った。
 到着してみると、まだ行進しないでロス・オヨスが演奏している。
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 しばらくハバナのコンガを聴いていないから、コンガと言えばこのオリエンテ(東部地方)のものがまず頭に浮かんでしまう。
 ロス・オヨスとは、カーニバルのコンペティションで何度も優勝している伝統あるコンガのチームだ。
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 しばらく見た後、引き返しがてら今度はマルティ大通りで走るコンガのパレードを人の波に埋もれて楽しみ、さらに続いて、知人の家のバルコニーから道に繰り出してくるカーニバルのパレードを見物としゃれこむ。
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 ここから行列を見下ろすのは2度目だけれど、やはりすごい迫力だ。
 演奏と共に、住居の谷間を人々が河のように流れてゆく。
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 始めのコンガ集団に知人のエミリオがいた。
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 主にバタを使った古いかたちのコンガを演奏していて興味深い。
 あとに続いて先ほどのロス・オヨスがやって来た。
 時に流血を伴う捕物帳も見られてエキサイティングだ。
 上から下へ、人と音楽がうねうねと流れ下ってゆく。
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 一通り見た後、さらにしつこく先回りして今度は路上から楽しむ事にする。
 見ている途中で突然スコールがやってきた。
 あえなくコンガは雨のため、ここまで中止。
 コンガで使用する太鼓は生皮を使っているから当たり前だ。
 雨の中では皮が湿って音が出ない。
 とても残念だ。

 しかし、今日は充分過ぎるほどコンガを堪能した。

 ちなみに日本で言うところの楽器のコンガは、スペイン語ではトゥンバドーラと言う。
 コンガとはキューバのカーニバルで演奏される音楽の名前だ。
 仮装して行列するからコンパルサとも言う。


 コンガを見終えてカラバリの家で雨宿りさせてもらう。
 ジョアングラの息子、ファンカルロスや好青年マウリシオと話が弾む。
 今度は近所のおばあちゃんが誕生パーティーを開いているからって、その会場へと連れていってもらう。
 飾りがすごいから是非とも写真に撮れよとの事。
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 神様への供え物は確かにゴージャスな感じだった。
 白いオバタラ、黄色いオチュン、青いイェマヤ、赤いチャンゴ、などなど。
 私もそれに祈りを捧げて、その後食事を頂いた。
 パスタにケーキにちょっとした揚げ物にレフレスコ。
 全く食べきれないなと思ったけれど、根性で食べきった。
 今日は食べ過ぎの日だ。
 日曜日だし、サン・ファンのお祭り日だから仕方ないかな。
 いや、仕方ないなんておそれ多い。
 食事を頂くのはありがたい事です。


 宿に戻ったら、もう20時近かった。
 結局一日出ずっぱりだったな。
 これからデータの整理をしなけりゃ。


 ・・・データを整理し終えたら23時半。
 ここいらへんは辛いところだけど、DVDを作ろうとしている今回は仕方のないところ。

 しかし弔いによって音楽体験する事がまったく出来なくなりかけて、一時は暗澹たる気持ちになったけれど、こうして結局コンガは聴けたし、カラバリも聴けたし、案外ダメージは少なかったかな。

 明日はカマグエイへと発つ日だけれど、音楽が復活する日だからたっぷりと堪能しよう。
 午前中にカラバリ、お昼はトローバ、夕方にはムセオ・・・かな。

 そして夜にはバスで出発だ。


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Junio 25, 2007

サンチアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)最終日 25 junio 2007

 快晴。
 空気が乾いて、風がやや涼しい。
 しかし、サンチアゴはハバナに比べると、ずっと天気が良い。

 朝9時前に宿を出る。
 まず歩いて1分ほどの市場脇にあるカデカに行って持ち合わせが少なくなったペソを作る。
 その後、トローバで本日ライブの時間を確認。
 パティオで15時からって言うから、時間通りに始まるのなら見に行くけれど、スタートは大抵遅れるし、遅れるとムセオと時間がかぶるから、今回はもうトローバでのライブは見られないかも。

 ペソ払いのラス・コルンナスで朝ご飯。
 パン・コン・ビステクにレフレスコ。
 本当は生ジュースが飲みたかったのだが、今朝はなかった。


 その後、カラバリへと足を運ぶ。
 ジョアングラが欲しがっていたリンテルニータ(LED懐中電灯)を届けに。
 しかし、あいにくと留守だった。
 カラバリが留守なんて初めてだ。

 仕方なく繁華街へと引き返す。
 する事もないので、お店を冷やかしてまわる。
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 売り子さんがポーズをとってくれて面白い。
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 アディダスの模造品が多いが、それはないだろうってデザインでいっぱしの値段だ。
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 信じられない。
 香水なども知らないブランド目白押しの上、かなり高価だ。
 サングラスがほしいのだが、メキシコに遠く及ばずモノがない。

 途中、ロス・オヨスのコルネッタ・チーナ(チャルメラ)奏者に声をかけられた。


 宿に戻ってしばらくするとジョアングラが息子のファンカルロスと共にやって来た。
 リンテルニータを受け取りに。

写真:ファンカルロス17歳
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 しばらく雑談をしてお別れ。


 する事もないので、久々に部屋でビールを1本開ける。
 最近発売されたブカネロマックス。
 アルコール6.5%。
 ビールにしてはやや強い。


 再び宿を出て散歩する。
 トローバの前を通ったら今晩は私のお気に入り、セプテート・サンチアゲロのライブが入っていた。
 もう今回は見る事が出来ない。
 残念だ。

 ムセオは閉まっていたけれど、16時にオープンだと言われた。

 銀行で為替を見たら、どうも市内の目立つ銀行では日本円の両替は扱っていないようだ。
 持ち込みはカナダドルが有利なのかな?
 きちんと計算したわけではないが、一瞥してそんな気がした。
 また、ある銀行ではユーロとドルのみ手数料として10%を頂きますとなっていた。
 やはり万が一、外貨を持ち込むならCAD、カナダドルか。

 メインストリート、アギレラ通り沿いのカデカはいつも混んでいる。
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 ペソへの両替は湾に下る途中にある市場前にあるカデカ(両替所)がスムーズだ。

 カフェは一杯0.45ペソ。
 これにカップ一杯のロン(ラム酒)を混ぜた物は0.60ペソ。
 安く酔いたい向きには良いかもしれない。

 ソフトクリームは1ペソ。
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 とても小さいけれどね。
 味はまあまあのものもある。
 主にバニラ、イチゴ、キャラメル、チョコレートの風味のものが売られている。
 が、キューバでアイスクリームを食べるなら、やはりコッペリアだ。

 スーパーで売られている製品は相変わらず見栄えがしない。
 今時ソニー製ブラウン管の大きなテレビが12万円くらいする。
 充電器なども高い。

 やはりおみやげは日本で安くてキューバで高い電気製品にかぎるな。
 あるいはボールペンをくれないかってよく言われるから、これもおみやげとして良いのかも。


 16時近くなったので国立カーニバル博物館へと足を運ぶ。
 ファンや、収録で世話になったアンリスがいた。

 たくさんの観客。
 ファンによれば、月曜日はいつもフランス人で混むそうだ。
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 今日はまた前回とは出し物が微妙に変わっている。
ルンバ・ワワンコーで始まって、トゥンバ・フランセサのマソン、フレンテと続き、タホーナ、バタなどが続いて、シメはコンガだ。
 きっちり1時間のステージ。

写真:トゥンバフランセサ「マソン」の踊り
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 ステージが終わった後、請われてファンに日本語の単語をいくつか教えた。

 その後、ムセオすぐ目の前のカサ・デ・アルテックスへと一緒に飲みに行く。
 ダンソンやソンを演奏するバンドが入っていた。
20070625Band.jpg

 隣の席に韓国人の娘がいたので声を掛けてみる。
 ジヌという子で、ラテンアメリカを半年くらいかけてまわるそうだ。
 28歳。
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 色々と韓国の音楽事情を聞いてみる。
 やはりキューバ音楽と言えば、韓国でもブエナビスタ・ソシアル・クラブらしい。
 カシーノを上手に踊っていた。


 宿に帰ると既に掃除中だった。
 エアコンを結構使ったからって、今回は電気代を余分に請求される。
 また、ここは14時のチェックアウトだった事を今更知る。
 仕方なく宿の前の階段に腰掛けて、こうして時の過ぎるのを待つ。

 今日は朝から賑やかだな、と思っていたら、家の主人ファンカルロス40歳の誕生日だそうだ。
 かなり豪華なフィエスタだったように感じられた。


 さて、時間になったのでタクシーを探しにセスペデス公園に来る。
 立派なタクシーがバス停まで3CUCだ。
 やっぱりな。
 行きのタクシーはボッていた。
 ほとんど誰もが何かにつけて旅行者から余分に金を巻き上げたがる。

 珍しくおなかが空いたので、ターミナルの外に出てジャムとチーズのパンとピザを食べた。
 こうして長年の生活で染み着いた貧乏性はいくつになってもなかなか抜けるものではない。
 その一方でさっきはファンやアンリスに何杯かおごったんだけどね。
 ジヌはなぜかおごられたがらなかった。
 私たちより先にお店にいたから、実際お腹一杯だったのかもしれない。


 20:40。
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 ターミナルに戻るとようやくタキージャ(切符売場)に人がいた。
 街中のクーバツールで予約したチケットを搭乗券と交換してもらう。
 荷物預かり所ではなんと天秤式のはかりが健在だった。
 しつこく計っているが、今回は絶対に20kgを超過していない自信がある。
 しつこく計った挙げ句に多めの重量を言う。
 挙げ句、問題ないからチップをよこせと。
 サンチアゴのターミナルのみ、なぜかいつも必ず1CUCほど荷物を預ける時にチップを要求される。
 今回は腹に据えかねたのでチップは渡さなかった。
 もしかしたら荷物が到着地のカマグエイまで届かなかったりして。


 ビアスール社のバスは定刻の2分前に発車した。
 早いのは、ちょっとでもどうかと思うけれど。
 ぎりぎりに来たら乗り遅れるじゃない。
 そして車内は相変わらず寒い。


 さて、カマグエイ・・・キューバ第三の都市。
 初めて訪れる街。
 キューバ最大の区域に歴史的建造物群が広がる街。
 また、豊かな産物がある街でもある。
 どんな出会いが待ち受けているのだろうか。

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Junio 26, 2007

コンガ・カマグェヤーナ(Conga Camagüeyana) 26 junio 2007

 バスは3:45にカマグエイに着いた。
 あれっ?クーバツールでは5:30頃の到着って聞いていたのに・・・。
 これは早過ぎます。
 しかもターミナルではなく付近の道路で降ろされ、仕方なく歩く。

写真:バスを降ろされた通り
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 この時間にして、どういうわけか既に人通りが多い。
 狂ったように早駆けする馬車が一台、脇を通り過ぎて行った。
 カマグエイは人口30万、キューバ第三の都市にして牧畜と精糖業の中心地だ。
 また、文化の街でも学園都市でもある。

 バスターミナルへと歩く途中で車から声が掛かる。
 「ハバナへ行かないか?」

 いやいや。
 宿を探している事を伝えると、一緒に探してくれると言う。
 彼の名はアルフォンソ。
 シエンフエゴ市に住み、カマグエイに彼女がいる。
 明日の午後、私をマタンサスに連れたがっている。
 客を乗せれば帰り道のガス代が浮くからね。

 偶然なのだが、今、カマグエイはカーニバルの真っ最中だそうだ。
 これはラッキーかも。
 しかし、こういった期間は宿探しには不便だ。
 また、宿泊も普段より高い。


 宿はすぐに見つかった。
 市内の中心にあるロス・トラバハドーレス広場から3ブロックのところだ。
 邸宅はコロニアルな雰囲気で立派だが、客室はベッドとエアコンのみのシンプルな作り。
 バス・トイレはシェアだ。
 ・・・これで20CUCは正直高いと思ったが、そこはこの時間に着くと立場が弱い。
 やはり宿を探すのは、お昼過ぎから夕方までに限る。
 都市間の移動は出来ればそれくらいの時間に着くように心がけたい。

 車窓から垣間見えたカマグエイの街は既に歴史を感じさせてくれた。

 朝。

写真:宿のパティオ(中庭)。中々コロニアルです。
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 やはり早朝着だとまだ暗いから1泊分余分に持っていかれる。

 タバコを見せてもらった。
 コイバの24本入り、小さい方が15CUC、大きい方が40CUCだと言う。
 お爺さんがタバコのマエストロだから工場から何箱かもらえるそうだ。
 この値段が高いか安いかはたばこに全く興味のない私にはわからない。

 何か服を売っていないか?と宿の主、アルバに聞かれた。
 外国人の中にはそうやって物売りをするものもいるという。
 そうか、ではいずれリンテルニータ(LEDライト)を誰かに売ってみる実験をしよう。

 ダンナがコーヒーを入れてくれた。
 とても人が良さそうだ。
 しかし、正直なところ、宿はこのファシリティにしてこの値段では高いだろう。


 街に繰り出してみる。
 商業地区はハバナより、サンチアゴよりよっぽどきれいだ。
 キューバではないみたい。
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 お店でペソ払いの生ビールを飲んでみる。
 ・・・相変わらずマズい。
 馬の・・・のようだ。
 1杯6ペソ。 
 ディビサ払い、クリスタルのディスペンサーダはまあまあなのだが。
 ティナヒートという瓶入りオレンジジュースも6ペソ。
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 グラン・オテル前のCafeteria La Ragazzaというお店。

写真:街一番のグラン・オテル
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写真:ラガッサ
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 街角のそこここでポスターを見かけ、ここカマグエイでは6月24日から29日までサンファンのお祭りがある事がわかった。
 コンガのパレードも時には走るらしい。
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 商業地区は非常に活気があり、首都ハバナや第2の都市サンチアゴよりも物資が豊富だと感じた。

 また街が非常にきれいだ。

 街一番の繁華街にカサ・パルティクラルを見つけたので、どんなものか見せてもらう。

写真:カサ・パルティクラル(部屋貸)の入り口
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 あいにくと満室で部屋は見せてもらえなかったが、とても良さそうだ。
 同じ階の部屋の前にプライベートなバルまである。
 明日には一室空くそうなのでいくらか聞いてみた。
 同じ料金でプライベートバスや冷蔵庫が付いている。
 またここは今、泊まっているところよりも繁華街だ。
 明日はこちらの宿に移動する事にした。
 目抜き通りに立つグラン・オテルの目の前の家。

写真:宿の屋上はこんな感じ
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 初めての街では一発で当たりの宿を見つけるのはかなり難しい。
 それは運に左右される。
 それに大荷物を持ってぶらぶらと宿を探すのにも限度があるから、初めての街の初めての宿ではまず一泊のみとして、一度荷物をほどいてから街をぶらつきつつもっと良い条件の、別の宿を探すようにしている。
 結構どこの国のどこの宿でも気軽に部屋を見せてくれるものだ。

 豚の丸焼きをパンに挟んだボカディートを売っていたので食べてみる。
 なぜか量をサービスしてくれた。
 これは美味しい。
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 ブカネロの生ビールを見つけたので立ち飲みに寄るとカヒータ(弁当)の箱を作っている人と仲良くなった。
 庶民の3倍稼いでいるそうで羽振りがよい。
 ビールを何倍もおごってもらった。

写真:箱折り職人と。
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写真:ブカネロ生のディスペンサー
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写真:お店の前の広告塔
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 隣の席には当地、カマグエイのミュージシャンがいた。
 Conjunto Los Agramontinosの打楽器奏者、アンドレス・マルティネス。
 彼に、今晩19時に走るというカマグエイのコンガのリズムについて色々と教えてもらった。
 それはサンチアゴのものともハバナのものとも違うようだが、どちらかと言えばハバナのものに近い。

 そうか、今晩はコンガが走る!
 当地が今、カルナバルの真っ最中だとは知る由もなかったが、これはラッキーだ。

 カマグエイには6つのコンガチームがあるそうだ。
 1.La Estrella
 2.Los Comandos
 3.Los Letono
 4.La Forola
 5.La Haroyadora
 6.・・・6つ目は彼らも思い出す事が出来なかった。


 特設の野外バルを出て、郊外に尖塔が見えるから、そちらへと足を進める。
 すると、突然のスコール。
 しばし軒下で雨宿り。

 10分か15分ほどで雨は止んだので、再び尖塔に向けて歩き出す。


 あった。
 それはマルティ広場に面してそびえ立っていた。
 しばし見物する。
 珍しいキューバン・ゴシックの教会、ヌエストラ・コラソン・デ・サグラド・ヘスス。
写真:ヌエストラ・コラソン・デ・サグラド・ヘスス
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写真:遠景
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 再び繁華街へ。
 2週間で200mlのシャンプーを使いきったので、それを買いに。
 キューバでは日に4度水浴びする事も珍しくないから、シャンプーもすぐになくなってしまう。
 そこは涼しく快適な、ロサンゼルスのようなわけにはいかない。
 水洗いだけにすればいいじゃん、って話もあるけれど、それはなんだか気持ちが悪い。
 売り子さんに話をして、自分に合ったものを選んでもらう。
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 タクシーのアルフレッドに公衆電話から電話をかける。
 電話は3つ目にしてようやく使えるものがあった。
 しかし、この電話もなぜか自分の声ばかりが大きく聞こえて、相手の声が小さく聞き取りづらい。
 結局のところ、マタンサス行きは明後日でもOKだそうだ。
 14時出発の約束をする。

 夕方になったので、いよいよカーニバル見物にと出掛ける事にする。
 コンパルサの人たちの後を追って歩いて行くと、いつの間にかそれぞれのチームが準備している地点に到着した。
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 それは中心市街から鉄道を越えた、さらに先だった。

 時間を追うに従って、じわじわとコンパルサのメンバーや観客が集まってくる。
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 パレードの開始時間は18時とも19時とも言われていたけれど、結局は19時半頃始まった。
 もうすんなりとは宿に戻れない程に、道路は人で溢れ返っている。
 最後尾チームの出発地点はどうも先ほどの尖塔があったマルティ広場の辺りらしい。(・・・これはまちがいだったとあとでわかる。確かに尖塔はあるが、マルティ広場のものとは別の尖塔だ)

 時にはブラジルばりの、電飾されたオープンカーが踊り子を乗せて走る。

写真:電飾された車
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写真:踊り子さんに手が伸びる
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 カマグエイのコンガは初めて聴いたけれど、今回3種類ほどに聴き分けることが出来た。
 1つはハバナのコンガでも使われるようなボンボのパターンに乗って、しかし6/8拍子を刻む速いコンガ。
 それから勇壮な低音太鼓の頭打ちが印象的なリズム。
 さらに2つ目のものと非常に似通っているけれど、より8分音符を強調して連打するリズム。
 もしかしたら2つ目と3つ目のものは、同じ名前のリズムのちょっとしたバリエーションかもしれない。
 その2つ目と3つ目のものは基本的にはミドルテンポだが、急激にどんどんと速くして踊りを煽ることもある。
 3つともカマグエイのコンガに特有のリズムだ。

写真:コンガの太鼓
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 コンガのパレードは始まってから2時間ほど、21時半頃に終了した。
 今回、当地カマグエイがカルナバルの真っ最中にある事を到着するまで全く知らなかったので、非常に運が良かったと思う。


 パレードが終わる頃、ロス・トラバハドーレス広場付近でムラータに声をかけられた。
 マリア、25歳大学生。
 細身でなかなか活発そうなお嬢さんだ。


 その後、明日泊まる予定の宿に、何時にチェックイン出来るか確認しに行く。
 13時にはOKとの事。
 グァバの100%生ジュースをご馳走になる。
 おまけにロンまですすめられたが、これは辞退させて頂いた。
 自宅を拝見させてもらったけれど、これ以上はないってくらい豪華な作りだった。
 正真正銘のお金持ちだ。


 それから小一時間ほど話をして宿へと戻る途中、偶然に再びマリアと遭った。

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DrumStudio LA FIESTA

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Junio 27, 2007

カマグエイ(Camagüey)2日目 27 junio 2007

 朝、目覚めるとアパゴン(停電)だった。
 今回初めての停電だ。
 以前は停電しない日の方が珍しかったけれど、ここ数年は随分と電力事情が好転しているようだ。
 気が付いてから10分と経たないうちに復旧する。

 カマグエイのカルナバルは6月24日、サン・ファンの祝日に始まって6月29日、サン・ペドロの祝日で終わる。
 サンチアゴでも6月24、29の両日には必ずコンガが走ると言っていたし、オフシーズンの6月末は音楽を聴くのに狙い目かもしれない。
 マタンサスでも何かが起こるような予感。


 よく晴れた空。
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 9時半、昨日会った打楽器奏者のアンドレスが突然私を訪ねてきた。
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 キューバンリズムについての著作物を私に売りたそうだったが、残念ながら既に知り尽くしたものばかりで興味の持てる事柄は記されていなかった。
 しかし、せっかくだからと一緒にエル・ラピドへ飲みに行く。
 エル・ラピドとは、キューバにおけるファストフード店だ。
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 色々な話をする。
 個人的に外国人相手に打楽器を教えても、ギャラの60%は事務所に持って行かれてしまう話は興味深かった。
 また、彼はカマグエイのサンタ・ルシア海岸でもよく演奏しているらしい。
 カマグエイまで来る外国人に打楽器を教えるなら、キューバン・パーカッションのベーシックよりもカマグエイ独特のリズム、例えばカマグエイが持つ2つのコンガなどを教える方が需要があるのではないかと彼にアドバイスした。
 ベーシックを習いたい向きは、たぶんわざわざカマグエイまでは来ないだろう。
 きっとハバナかサンチアゴに留まると思うからだ。

 また全く別の話であるが、国内での移動はタクシーよりもレンタカーした方が安いのではないかという話もあった。

 これも道草話。
 外国人に部屋貸しをしている家は結構お金持ちに見えるのだけど・・・という話をしたら、そうでもないよと言う。
 部屋貸しは政府認可のもとで営業しなければならないのだが、それには1部屋毎に月100CUCを税金として政府に払わなければならないそうだ。
 お客は毎日入るわけではないだろうから、それは結構大変なのかもしれない。
 流行らないところは廃業してしまうとの噂も耳にした事がある。

 ちなみに彼は音楽事務所に属してサラリーマン生活を送っているが、月給は並のキューバ人の2倍ほどだそうだ。


 エル・ラピドを出て、今度は彼の家へとお邪魔させて頂く。
 教則本の音源を聴かせてもらったり、楽器をデモンストレートしてもらった。
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 彼の家のある地区にはミュージシャンが多く住むらしく、近所の道沿いに野外ライブの特設ステージがしつらえてあった。

 その後、奥さんが子供を連れてやって来た。
 3歳になるそうだ。
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 いつの間にか13時を過ぎてしまったので、今夜ピアノが聴けるライブハウスで会う約束をして、荷物をまとめるためにおいとまさせていただく。

 これから同じ市内の新しい宿へ小移動するために。


 宿と宿の間はそう遠くないのに、重い荷物を運ぶとなると結構遠くに感じる。

 今日初めて部屋に通されたけれど、思った通りの素晴らしい部屋だった。
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 まず、今まで泊まった中でもエアコンの効きがダントツに良い。
 エアコンはLG製なのだが、よくあるキューバの、ガーっとうるさいエアコンに比べたらずっとまともだな、これは。
 その他、冷蔵庫、扇風機、プライベートバス、窓付きで換気も出来る。
 インテリアはウッディにまとめられている感じだ。
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 部屋を出てすぐのおしゃれなパティオにはプライベートなバル(バーカウンター)までしつらえてある。
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 実際ここで生ジュースを何杯もごちそうになった。
 今はマンゴージュース。
 部屋に通された時には既にエアコンが効いていて涼しかったし、まぁ日本ではそれも当たり前ですが、キューバでは初めての事だ。
 そういったホスピタリティがこの宿は素晴らしい。
 ここは流行って当たり前だ。
 こちらの財布のヒモもついついゆるくなる。

 商の精神。
 価値あるものを、それを欲しいと思う人達に届ける。
 経済の発達した現代では、音楽家といえども商才がなければ生きにくい。
 私たち音楽家は一見しただけでは価値の付けづらいものを売り物としている。
 それだけに売り方にはかなりな工夫が必要だろう。
 ただひたすらに売り込みをかけるだけが良いとは思わない。
 いかにそれに満足してもらえるか、を追求すれば、音楽そのものの他にも色々と大切なものがある事に気が付くはずだ。
 今回は彼の見せてくれたホスピタリティにそのヒントを感じた。
 とはいえ、しかしその前提として、価値あるものを創り出す能力を磨いておかなければならない事は言うまでもない。
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 さて街に出ようとするも、昨日に引き続いて突然のスコール。
 しばし足止めを食う。
 カマグエイもこの季節、ハバナと同じように雨がよく降るらしい。
 サンチアゴやバラデロはそうでもない。

 時間を持て余す中で、思い出したからタクシーのアルフレッドに電話した。
 留守だった。


 雨は止まないけれど、再び街に出た。
 結構強い降りで、為す術もない。

 久々にまともな量の肉を食べる。
 ポーヨ・フリート(フライド・チキン)1/4。
 ナイフとフォークがプラスチックで食べ辛い。
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 18:30。
 カーニバルのパレードが通る道へと向かう。
 今日は通りに人がまばらである。
 コンパルサを準備する人たちも全くいない。
 嫌な予感が膨らんでゆく。
 はたして道行く人に尋ねると、今日のコンパルサは中止になったとの事。
 雨を恨む。
 マラカに次いで、雨での中止は今回2度目。
 弔いでも色々と中止になったし、今回はやたらと中止になるコンサートやライブが多いな。
 とはいえ、それを残念がるより、今は昨晩ああやって偶然にもカマグエイのカルナバルと出会えた事に対して感謝する事にしよう。
 カルナバル体験はたったの一度だけとなってしまったけれど、それでも心に残ったものは大きい。


 帰り道、この街には尖塔が2つあるのをみつけた。
 だからコンパルサ隊の出発地点だと思っていた場所はマルティ広場ではない。
 距離や方向の感覚からしておかしいな、とは思っていた。
 市街中心マセオ通りからはレプブリカ通りをどこまでも真っ直ぐに北へと上り、鉄道駅を越えたさらに先の辺りだ。


 21時半、アンドレスと約束したプラサ・デ・ラ・カリダに面してあるというライブハウスへと向かう。
 プラサ・デ・ラ・カリダ・・・カリダ広場なんて、手持ちの地図には載っていないので、道を尋ねながらそれを目指す。
 しかし・・・それは橋の向こうで、歩いていくと40分以上かかると言われて行く事を断念する。

 生演奏の音が聞こえてきたので、ついフラフラとそちらへ行ってみると、ロス・トラバハドーレス広場で野外ライブが繰り広げられていた。
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 コメディあり、サルサあり、メレンゲもダンソンもボレロも、さてはロックっぽいものまで何でも有りのステージだ。
 もちろんダンサー付き。
 キューバのライブはどこで見てもハズレが非常に少ない。
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 途中、立ち疲れたのでティニマというカマグエイのビールを飲みに行った。
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 ・・・あの味だ、あのまずかったディスペンサーダ(生ビール)の味と同じ・・・。
 残念だった。
 本当は水が飲みたかったのだが、カマグエイでは小さいペットボトルの水を見つけるのが難しい。
 観光客が少ないせいかもしれない。
 地元の人はわざわざ買ってまで水を飲まないという事だろう。

 ライブは23:30を過ぎてもまだ続いていた。


 宿に帰るとタクシーのアルフレッドから伝言があり、電話をかけ直す。

 曰く、本当は5人乗せて行きたかったのだが、あと1人集まらない。五割り増しで払ってくれないかとの事。
 丁重にお断りした。
 あとで宿の主人に聞いみても、それは法外な値段だった。

 急展開。
 明日は朝イチに代わりのトランスポーテーションを探さなければならなくなった。
 アストロのバスも、汽車もマタンサスまでは一日おきに1本しかない事は知っている。
 さてどうなるのだろうか・・・。

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Junio 28, 2007

カマグエイ(Camagüey)3日目 28 junio 2007

 8:30に宿を出て旅行会社クーバツールへ。
 快晴。
 そして朝は風が涼しい。
 当地では早朝が一番気持ちの良い時間かもしれない。
 クーバツールに来てみると、まだお店は閉まっていた。
 ウインドーの掲示によれば、開店は9時、12時からお昼休みを1時間はさんで17時までの営業だった。
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 今日は珍しく宿の朝食を頼んである。
 9時から遅い朝食。
 チーズもハムも美味しい。
 キューバの目玉焼きとか、マヨネーズを付けてパンを食べたり、11年前ハバナに住んでいた頃を突然思い出して懐かしかった。
 食は急に過去の記憶を呼び覚ます事がある。
 カフェオレにパンをつけて食べたりもしたっけな、あの頃。
 100%生オレンジジュースも今回はじめて頂いた。
 フルーツの盛り合わせもいい感じだ。
 これは案外お値打ちだ。
 宿にもよるのだろうけれど。
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 アストロバスの事務所やクーバツールに、宿の人が問い合わせをしてくれる。
 が、どちらも電話に出ない。
 9:50。
 宿の人によれば、昨日はフィエスタだったから、飲み過ぎてまだ寝ているのだろう、なんて言っている。

 仕方がないのでもう一度クーバツールへと出掛ける。
 まだ閉まっている。
 昨晩見かけたロス・トラバハドーレス広場付近のイスラスールだかインフォ・ツールだかにも行ってみた。
 バスチケット取り扱いの掲示はあるものの、ここでは売っていないと言う。
 もしやと思い、宿の目の前に建つグラン・オテルでも聞いてみた。
 ドアマン曰く、普段はバスのチケットを取り扱っているが、今日は売り子さんが病気でお休みとの事。
 おそらく昨晩のフィエスタで二日酔いでもしているのだろう。

 ついでに通りすがった銀行で日本円の両替は扱っていないか、尋ねてみた。
 インデペンデンシア通り沿いのバンコ・フィナンシエロでは扱っているという。
 これで市中に4つ、銀行を見つけた。

 宿に戻ると主人アンヘルの叔父さん、アリスティデが再びあちこちに再びあちこちに電話をかけてくれる。
 バスのオフィスにかけても、鉄道のオフィスにかけても電話をあちこちに回される。
 あるいは話し中。
 話し中が多いのは、どうもオフィスの電話を私用で使いまくっている様子だ。
 キューバではこの手の問題が数多い。
 最悪の場合、帰りたくても帰れない。
 オフィスの怠慢により。
 よって予約は早め早めにしておくべきだ。

 電話はようやくアストロにつながったけれど、ガイドブックとは話が違い、外国人はアストロバスには乗せられないとの事。
 トレン(鉄道)へはつながらない。
 どうやら今はサンチアゴーバラデロ間にビアスールの便があるらしい。
 仕方なくそれに乗る事を決断した。
 カマグエイ午前2:45発バラデロ行き、25CUC。

 出発するには厳しい時間だけど、ここは一つ前向きに、もう一度カマグエイのコンパルサが見られる事に感謝しよう。

 そういえばアリスティデは自分の事を「アリスって呼んでくれ」と言っていたけれど、彼をアリス九号(字が出ない)のアコーデオン奏者として迎え入れる事は出来ないだろうか。
 それとも誰かやってみないか、ビジュアル・ラテン。
 結構新しいと思うけどな。
 コンガ奏者にはサンチアゴからアンリスを呼んでやってくれ。
 ガタイが良くて真っ黒でコワモテの本格派、最高です。


 換金しに街に出る。
 バンコ・フィナンシエロはマセオ広場に面してあった。
 大体どこの街でもこの銀行だけは日本円を扱っているようだ。
 レートは先週よりほんの少し良い。
 頑張ってくれ、日本。
 あの頃、1CUC=84円ほどで換金出来た頃、もう二度とこんな時代はやって来ないだろうと思っていたけれど、やはり二度とは来ないのだろうか。
 20070628現在、1CUC=138円の換金レート。
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 帰りがけに一応クーバツールに寄ってみたら、午後にはオープンしていた。
 今夜のバスを予約する。
 宿の人は予約しなくても大丈夫と言っていたけれど、これで完璧に安心だ。
 出発の30分前にはターミナルに着いているようにとの事。
さらにマタンサスまでタクシーでつなぐと36km、10-15CUC位かかるだろうとも教えてくれた。


 さらにドーニャネリというケーキ屋に立ち寄り、1.5Lの水を一気飲みする。
 水を飲むのは久々だ。
 キューバに着いてからというもの、マジ殆ど全ての水分がビールだ。
 たまには純粋に水が恋しくなる。
 お茶でも良いのだが、当地に甘くない飲料は存在しない。
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 17時。
 強風と共に雷雨は今日もやってきた。
 もしかしたら今日のコンパルサも中止かもしれない。
 コンガの太鼓にとって雨は大敵だ。
 この季節、毎日夕方には雨が降るらしい。
 とすると、やはり当地でこの季節にコンガのパレードが見られたのは奇跡に近い事なのか。
 天候次第というのは不安なものだ。


 カルナバル。
 仮装して行列を作り、踊りながら道を流れてゆくコンパルサ隊。
 それを煽るのは強力なリズムを打ち刻むコンガの楽団。
 大太鼓が刻む2種類の、強拍に特徴のあるリズムに呼応して、さらにもう1種類のボンボがアウフタクトを特徴的に刻む。
 2/2拍子だとして、小振りのレドブランテは8分を刻み、カンパーナ(鉦)に見立てた車のホイールは4分や8分を全員のユニゾンで刻む。
 これがコンガ・カマグェヤーナのベーシック。

写真:Bombo
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写真:Redblante
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写真:Campana
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 当地のカルナバルで、ルンバと呼ばれているもう一方のリズムは6/8拍子だ。
 センセーロ(鉦)がルンバ・クラーベと頭打ちを刻む。
 ボンボはハバナのコンガと同じように、真ん中の音符にアクセントをおきながら1小節に4分音符3つを刻む。
 サパート・サリドールは馬の足音の様にスラップとオープンを2発ずつ、交互にアフタービートを刻む。
 こちらは2/2で表記した方が適当な感じだ。
 大体キューバには2/2で表記するべきか、6/8で表記するべきか、迷うようなリズムが大変多い。
 トレス・ドスはまた別のアフタービートのリズムを刻み、それら打楽器のリズムに乗ってトランペットやトロンボーンがメロディーを賑やかしく奏でる。
 それからキントはアドリブだ。

 まだたったの1度聴いただけでそんなに詳しくはないけれど、言葉にしてしまえば当地カマグエイのカルナバルで聴かれるリズムはそんな感じであろうか。


 雨は早めに止んだから、今夜は走るかな、コンガのパレード。
 期待を胸にふくらませて、とりあえず街に出る。
 晴れ間も出てきたし、これは案外期待できる・・・かも。

 出掛けに宿の人達と写真を撮ったりしていたら、やたらと会話が弾んでしまい、その間にビールやグァバのジュースをたらふくご馳走になってしまう。
 アリスはやたらと洒落好きだ。

写真:左アンヘリート、中央筆者、右アリス
20070628Angelito%26Alistede.jpg


 早めに出掛けようと思っていたものの、結局は宿に長居してしまったけれど、そうこうしているうちにコンガの音が聞こえてきたのでそれを聴きに外へ出る。
 マセオ通りの終点辺りでは、一昨日見た出発地点以上に人が集まっていた。
20070628Conga.jpg

 色々な人の話を総合すると、終着地点のカリダ広場が一番盛り上がるらしい。
 しばらくこの場所で見た後、6/8タイプのコンガ隊の横に付いて、私もカリダ広場に向けて走り出す。
 道々すごい人の数。
20070628Conga2.jpg

 昨日道を尋ねた時に聞いた、プエンテ(橋)をも渡る。
 しかし、疲れたのでカリダ広場までは行かなかった。
 途中2/2タイプのコンガにも付いてゆき、リズムを堪能した。
 遠くで聞いた時に、頭打ちだけだと思っていたボンボはよく聴くと、あいだに細かなリズムを刻んでいた。

 22:30頃にパレードは一段落した。
20070628Bandera.jpg


 帰り道、「カンビオ」と言う名前の酒場に寄る。
 モヒートを頼んだ。
 ここは革命前まで、宝くじの販売で有名だった場所だそうだ。
 雰囲気のある、良いバーだ。
20070628Cambio.jpg

 そういえば、今日は夜になるまでアルコール類は飲まなかったな。


 シャワーを浴びたら25時。
 もちろん今夜1泊分は払った。
 荷造りをも終えて、ただタクシーが来るのを待つ。


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Junio 29, 2007

ルンバ(Rumba)の本場、マタンサス(Matanzas)へ 29 junio 2007

 結局、今回の移動もビアスールだ。
 バラデロにいったん出てから、タクシーでマタンサス市街に出る予定。
 以前はなかったサンチアゴ-バラデロ線。
 3年前までサンチアゴからバラデロまでの移動は、仕方なくトリニダに出て、そこでタクシーを拾ってバラデロへと向かうのが常套手段だった。

 1:30。
 予約通りにタクシーの迎えが来る。
 1:45、ビアスールとアストロの共同バスターミナル着。
 4CUC。
 ここカマグエイのバスターミナルでは預け荷物の重量を計る設備がない。
 また残念ながら荷物を預ける時、サンチアゴと同じように1CUCを請求される。
 今回もチップは出さなかった。
 これはどう考えてもおかしいもの。

 待合室にいると、結構頻繁にバスはやって来る。
 どうやらアストロのバスのようだ。
 以前はアストロのボロボロバスにピカピカのビアスールバスってイメージがあったけれど、今やアストロのバスもビアスールバスと同様にピカピカだ。


 バスから外に出てたばこを吸う客が多いから、待合室まで煙草臭くなり大変に不愉快だ。

 2:10にはいったん全てのバスがターミナルから離れていった。

 そう言えば、サンチアゴ-バラデロ線だとばかり思っていた路線は、サンチアゴ-ハバナ線がバラデロにも立ち寄るようになったものの様だ。
 便の終点はハバナだと告げられる。

 その後もアストロのバスはひっきりなしに到着する。
 ピカピカとは言ったけれど、どうやら中国製のバスのようだ。
 知らないブランドだが、安全性は大丈夫なのか。

写真:アストロは中国製ユトン
20070629Yuton.jpg

ちなみにビアスールのバスはベンツだ。

写真:ビアスールはベンツ
20070629Benz.jpg


 バラデロの行き先表示を付けたビアスールのバスは、2:35にターミナルへとやってきた。

 再び荷物管理室の黒人係員に呼ばれる。
 0.25CUCでもいいからチップをよこせとしつこく要求してくる。
 それをも断ると、彼は彼の仕事を放棄した。
 つまり荷物は客の手自らで運べと。
 それはそれで全然構わない。
 わざわざ預けた荷物を、荷物管理室から自分自身でバスの荷室まで運ぶ。
 彼、このビアスールにはふさわしくない男だな。
 腐ってるよ。

 なんと、行きのバスで世話になった乗務員フェルナンドが乗っていた。
 何とはなく心強い。
 2:45の予定が5分遅れ、2:50にバスはカマグエイを出発した。
 これで一安心だ。
 体がだるい。

 7:20。
 集落が大きいなと思っていたらビージャ・クララ州々都、サンタ・クララのターミナルに到着した。
 ここで朝食のために15分の休憩をとるという。
 ここでいったんバスを降りてみると変な取り決めがあって、一度外に出てしまうと出発の瞬間までバスには入る事が出来ない。

 ビアスールバスのシートピッチはやたら狭い。
 普通の夜行バスがもっているようなピッチではないと感じる。
 前席をリクライニングされると、決して大きくない私でも膝の辺りがキツい。
 しかし不運な席だった。
 上部にあるエアコンの吹き出し口が壊れて丸々穴になっていたものだから、冷風がびゅうびゅうと吹き付けいつもに増して寒かった。

写真:壊れたクーラーの吹き出し口
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 ブラジルの長距離バスでもそれが常識だったけれど、ここキューバでも15分休憩と言われたら、その倍の30分間は停車しているようだ。

 7:50ちょうどにサンタ・クララのターミナルを出発。

 11:05バラデロ着。
 バラデロ付近の景色は相変わらず華やかできれいだ。
 ターミナルで電話をしていると、乗務員のフェルナンドがマタンサスへは同じ便でチケットを買い直せば行ける事を教えてくれる。
 11:20発で6CUC。
 タクシーの半額だ。
 なぜかこの便は自由席らしい。
 しかし、同じ便で同じビアスール、カマグエイのクーバツールではマタンサス行きの切符を求めたのに、それがダイレクトに買えないところがキューバだ。

 マタンサスまでは36km。
 今までバラデロから首都ハバナへと帰るタクシーで市街の縁を通った事はあったけれど、セントロの奥深くまで入り込んだのは初めてだ。
 マタンサスのターミナルでバスを降りてフェルナンドとお別れの挨拶をする。
 すぐに宿を紹介するという青年がやって来たが、フェルナンドがバスの中から「ダメだ、ダメだ」と合図を送ってくるので、不安になったから彼について行くのはやめにした。
 ガイドブックで見つけておいた宿に電話をかけて予約をした上、青年の呼んでくれたタクシーに乗ってその宿へと向かう。
 彼に何のメリットがあるのか、わけがわからない。
 タクシーの料金は宿に電話した時に相場を聞いておいたので、タクシーのチョフェは始め五割り増しを要求してきたけれど、すぐに割り増しなしの料金で納得してくれた。

 宿は街の中心、リベルタ公園から1ブロックの大変便利な場所にある。
 2つ部屋を持っていて1階はエアコン、もう一つはらせん階段を登った上にある風通しの良い部屋だ。
 風通しに飢えていたから、今回は思い切ってエアコン無しの部屋にした。
 3泊の予定。

写真:部屋の内部
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写真:宿の螺旋階段
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 街に出ると、図書館の前でかわいい娘と話をする。
 携帯を持っていて、リッチで聡明そうな子だ。
 キューバ的セレブ。
 街の事について色々と話をしてくれる。
 せっかくだからと、写真を撮ってお別れする。
20070629BonitaDeMatanzas.jpg


 今度は黒人の青年がやってきた。
 彼の名前はダニエル。
20070629Daniel.jpg

 ロス・ムニェキートス・デ・マタンサスのディレクトールが知り合いだというので付いて行く。
 はたしてディレクトール、ディオス・デドゥの家はリベルタ公園からそう遠くはないところにあった。
 2007年にはクーバディスコの賞を取ったそうだ。
 ライブがないか聞いてみるが、日曜日からカナダへ演奏旅行に出てしまうという。
 残念だ。
 メンバーのイバンも一緒にいた。
 しばらくルンバのDVDを鑑賞させていただく。
 ダニエルと一緒においとまするが、彼はそのまますっと別れて自分の家へと帰って行った。
 不思議だ。

写真:ディレクトールの家の飾り
20070629CasaDeLosMunequitosDeMatanzas.jpg


 いよいよ何もなさそうなので、バラデロやハバナに電話して宿の予約を変更しようと公衆電話を探していたら、今度は白人の大学生につかまる。
 教会の中へと案内してくれた。
 キューバの守り神を祭ってあるという古い教会。
 カテドラル・デ・サン・カルロス・ボロメオ。
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 スペイン人による街の建設が始まったのと同時に1693年、この教会は建てられたと説明された。
 色々と話をしてみると、彼は日本についてかなり詳しい。
 キューバを旅していると、この国の人々の日本への関心の高さをしばしば感じる事がある。
 彼は続いて市場やサン・ファン川にかかる二つの橋などを案内してくれた。
 歩き疲れたので少しカフェで休憩する。
 彼は帰る時に、ガイドしたんだし、食べるのに困っている、いくらか金をくれないかと言った。
 それが外国人に声をかけてくる普通のキューバ人だと思っているけれど、今回はさっきの娘のように、何も要求しない人たちに多く出くわしている。

 彼と別れた後、テルミナル・デ・ナシオナル(ビアスールの発着所)まで歩いて行った。
 明日のチケットは買えなかったが、バスの時間は教えてもらった。
 バラデロ行きは10:05、14:05、20:05の3本だ。
 逆にハバナ行きは8:50、12:20、18:50の3本。
 バラデロの空港へはバラデロ方面行きのバスに乗る。

 バラデロとハバナの宿に日程の変更を電話で伝える。
 キューバで宿の予約はダイレクトが便利だ。
 エージェントを通すと変更等の融通が利きづらいし、またコミッションを取られる場合も多い。
 直接の次に良いのは、クーバツール等、キューバ国営のエージェントを通す事だ。
 この場合もコミッションは取られない。

 宿に戻り、大変申し訳ないけれど2泊キャンセルしたいと告げる。
 宿では快く対応してくれた。
 ありがたい事です。
 ロンプラに載っている、街中にある宿です。

 ノドが渇いたのでエル・ラピドに行ってみた。
20070629Rapido.jpg

 道中、そして店内で色々な人に話しかけられるが、この街の人々はなぜかまったくしつこくない。
 教育が良いのだろうか、それともマタンセーロ(マタンサス人)の気質なのかどうか。
 しかし、どうも英語を話したがる人が多いのには閉口する。
 問いかけられればそれは理解できるけれど、喋りたくない言語だ。
 戦後60年以上経った今でも喋りたくない言語だ。

 黒人と白人の二人組に引っかかる。
 途中、場所を代えてまで話し込む。
 これがまたビールを2本ほどおごってもらった。
 もちろん私も彼らにおごったけれど、対等だ。
 職業は何なのか聞きそびれたけれど、興味のあるところだ。

 宿に帰るとみんな寝静まっているようだった。
 申し訳なく思いながら呼び鈴を鳴らす。
 約24時。

 シャワーを浴びた。
 今回の旅で初めて水がなくなった。
 ここの部屋にはタンクが一個しかなかったので心配はしていたが、しばらく断水がなかったので油断した。
 3度のシャワーに一度の洗濯、それに3度ほどのトイレで断水だ。
 ちょっとキャパが少ないと思う。
 明朝になれば、また水道が供給されるだろう。

写真:シャワーの上付近に取り付けられた水タンク
20070629Tanque.jpg


 明日はいよいよバラデロだ。
 これはほぼ純粋な休暇に近い。
 本当はもう少し先の予定だったのが、今期マタンサスで音楽が聴けない事がわかってしまった以上、ここに長居してもあまり意味がない。
 早めにバラデロを通過して、ラテン音楽の首都、ハバナに予定よりも長居する事にする。

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Junio 30, 2007

マタンサス(Matanzas)を出発 30 junio 2007

 快晴。
 水は結局、宿の人が止めていたようだ。
 なぜ?
 8時まで待ったが、出ないのでたまらず階下のシャワーを借りようと思ったところ「1分待って」と言われ、自室の方でも水が出始めた。
 しかし、タンクを満タンにする前に水は止められてしまった。
 充分に水が使えないのには、何か理由があるのだろう。
 しかし、いずれにしても旅行者にとって断水は最も恐ろしい。
 例えば、あなたはトイレが流せない恐怖を味わった事がありますか?
 どちらにしても残念ながら、こちらの宿に長居は出来なかったな。

 そういえば、ここマタンサスで今回初めて蚊に刺された。
 虫避け、虫刺されの準備はハバナとサンチアゴ、それにカマグエイといったキューバ3大都市の中心にいる限りは必要ない。
 が、ここマタンサスやこれから行くバラデロでは必要だ。
 特に夜、バラデロのセントロにたくさんあるオープンテラスのレストランで食事をする時には。
 最近では電池式で携帯できる蚊取り器もあって、それが便利だろう。
 とはいえ一番効くのは昔ながらの蚊取り線香。
 いずれもバラデロにいる期間分の必要量を準備すればよい。

 リベルタ公園前で待つも、タクシーはなかなかやって来ない。
 10分ほども待っただろうか、一台の車から声が掛かった。
 闇タクシーだ。
 降りる時にお金の受け渡しをすると、彼にとっては都合が悪いだろうから乗車中にお金を渡す。
 ほどなくしてナショナル・バス・ステーションに到着。
20070630BusWaitingArea.jpg


 どうやらバラデロ行きのビアスールバスには間に合いそうだ。

 10:26。
 バスは遅れているようだ。
 する事もないので、アストロのバスを観察したりする。
 ユトン・バス(YUTONG BUS)だそうだ。
 この名前は中国製・・・ですよね?
 バス停前にコッペリアがあって、いつも混んでいる。

 10:35、突然にバスはやって来た。
 待合室にいれば、係の人がバスの到着を教えてくれる。
 慌ただしく乗ってすぐに出発。
 運賃は車掌に払う。
 ビアスールが30分も遅れるなんて珍しい。

 11:45ホテルに到着。
20070630Hotel.jpg

 ここまでのタクシーは2.4CUC。
 メーター制だ。
 景色が懐かしい。

 早速泳ぎに出掛ける。
 久々に見るバラデロ海岸はやはり真っ白できれいだ。
20070630VaraderoBeach.jpg

 泳いでみるが、今日は全く波がない。
 あれっ、いつもこんなに穏やかだったっけ?
 潮流の特に速いところもない。
 クラゲもいなければ藻も生えていない。
 珊瑚も全く見られない。
 時折小魚は見受けられるものの、ここは静かで巨大な海水プールのようだ。
20070630VaraderoAgua.jpg

 海岸線に平行して泳ぐなら、それぞれの好みに応じて適当な深さの場所がどこまでも続く。
 物売りも皆無。
 喧噪とパッションがキューバなら、この穏やかさもキューバだ。
20070630VaraderoBeach2.jpg


 1時間半ほど泳ぎまくってホテルの部屋へと戻り、シャワーを浴びる。
 さ、コッペリアに行くぞ。
 行ってみたら・・・
 ・・・コッペリアはどうやら改装中だ。
20070630Copperia.jpg

 残念。
 これは結構楽しみにしていたのだけれど・・・。
 キューバの有名なアイスクリーム店「コッペリア」は通常どこの街のでも混んでいて、列を作り1時間も2時間も待たなければ食べられないのだが、ここバラデロでのみは外人租界地だからキューバ人で混む事が殆どなかったのだけれど。

 仕方なくすぐそばのラピドに行った。
20070630ElRapido.jpg

 以前にはなかったブカネロの中生(500ml)があった。
 即注文。
 1杯1.2CUC。
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 日本に比べるとビールはまだ安い。
 しかし日本の最盛期には100円で飲めたものが、今や170円だ。
 これでは日本人旅行客が減って当たり前。
 初めてキューバに来た11年前、日本人にはほぼ全く会わなかった。
 それは観光客としてではなく、キューバ人の家庭に住んでいたせいであるかもしれないけれど。
 日本人を頻繁に見かけるようになったのはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブによりキューバブームが起こった頃だ。
 今回はまた日本人を全く見かけなくなった。
 この為替レートでは、来たくても来られない人が大勢いるに違いない。
 10年前の自分は、為替レートが1CUC=120円なんて世が訪れた時にはもう二度とキューバには来られないなと本気で思っていた。
 現在1CUC=138円。
 3年前には確か1CUCが107円、手数料込みくらいで両替出来たのではなかっただろうか。

 大通りを挟んで宿の筋向かいにあるスーパーは入り口にゲートが出来ていた。

 もう少し海沿いをブラブラする。

 以前よりもキューバ人が多いように感じたが、そのせいだろうか、ペソ払いの店も増えている。
 泊まっているホテルから海に向かった辺りにたくさん屋台が並んでいる。
 そのうちの一つの店の行列をつくり、ついついペソでピザを買ってしまった。
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 5ペソ。
 これはしかし美味しいです。
 生地から作って窯焼きだ。
20070630Pizza.jpg

 この5倍の値段はするラピドのピザは冷凍ものだから、そりゃあこちらの方が美味しくても納得だ。
 レストランによっては10倍、15倍の値段が付くけれど、はたしてこれを越えるものかどうか。
 少なくともこの価格差分の価値ある一品を出せるピザ屋はキューバには存在しないだろう。
 ペソ屋台万歳。

 16:00。
 バラデロでは滅多に雨が降らないけれど、それでもこの時期、午後にはやや雲が多くなってくる。
 快晴とはいかないけれど、よく晴れ渡っている。

 キューバ人の日帰り団体が多い。
 16時には帰りを知らせるチャーターバスのクラクションがいくつか鳴った。
 カミオンのチャーターもちらほらと見かける。
 カルデナス辺りから来ているのであろうか。
20070630Camion.jpg


 16:40。
 何やら急に黒い雲が押し寄せてきた。
 雨は降らない。
 ホテルから裸足で泳ぎに行ってみる。
 お昼過ぎよりもかなり潮が引いていた。
 かなり波立っている。
 推定海水温34℃
 夕方の海は、ぬるめの露天風呂にでも浸かっているような温かさだ。
 時々熱水の固まりが肌に当たる。
 推定40℃。
 なぜか葉っぱの浮遊物が多い。
 潜ってみれば昼間よりも魚影が濃く、白い砂浜にぴたりと合う、真っ白なアジ科の魚が作る群れがいくつも見られた。
 それからヒトデ。

 人は相変わらず多い。
 真っ赤っかに肌を焼いてしまった子どもが、明日の痛さを知らずにはしゃいでいる。
 上空を、三角の羽二枚と後ろにプロペラエンジンを積んだゴムボートが飛んで行く。
 そして私は浮遊物の多さに閉口して、今回は1時間と泳がずに浜に上がる。
20070630VaraderoBeachNuberado.jpg


 18時過ぎ、散歩に出る。
 雨が15分ほどパラッと降って、すぐに止んだ。
 以前よく行ったショッピングコンプレックスはキューバ人に占領されていた。
 もはやバラデロのセントロは外人租界地ではない。
 世の中、変われば変わる。

写真:近くのショッピングセンター入口付近
20070630ShoppingCentre.jpg


 20時。
 まだまだ夕方って感じの明るさだ。
 20:40。
 まだ空に青さは見える。
 街で見かける人の殆どはキューバ人だ。
 キューバ人観光客は日帰りばかりだから、大繁盛していたペソ払いの屋台群は軒並み店を閉じ、しかし、CUC払いの高級レストランには活気がない。
 人がいない。
 何より痛いのは以前あちこちのレストランに入っていた生演奏の団体が今回は一つも見あたらない事だ。
 これは大変残念な事だ。
 バラデロセントロは変わってしまった。

 超高級な雰囲気の一店に入ったが、客は私の他には誰一人いない。
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 調理にも40分ほどかかるという。
 そりゃそうだ、お客がいないから、たぶん一から始めるんだ。
 ここは確か以前はエアコンのよく効いた店のはずだったが、エアコンは止まったまま。
 味は良かったけれど、うっかりして1CUCボラれてしまった。
 そして結局、自分の他に客は誰一人現れなかった。
20070630Comida.jpg


 こうして、ペソで物を買うのが好きな私にはむしろ好都合な環境となってきたけれど、とにかくバラデロセントロは地元キューバ人のための行楽地へと変わってしまったようだ。
 これでは再開したとしてもコッペリアも長蛇の列だな。


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