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Abril 19, 2006

アマゾンの真上 19 abril 2006

朝7時まで準備にかかり、午前中少し仮眠をとってからお昼過ぎに空港へと出発。
最近はいつもこういった準備がぎりぎりになってしまう。

ニューヨークへは時差の関係で成田を出発したのとほぼ同じ時刻、同日16時に到着。
例のテロ以降、アメリカ合衆国の空港はセキュリティチェックが非常に厳しく、時間がかかるので中々外には出る事が出来ない。
ブラジル、サンパウロ便の出発は22:05だから、トランジット中に普通の国なら確実に一度外へ出られた事であろう。
しかしシャープ製Willcom W-ZERO3を手に入れたおかげでこうして海外にいる時でも日記を書く気になる。
大変ありがたい事である。

そしてサンパウロへと向かう飛行機の中での長い時間を、これから1ヶ月間に渡るブラジル滞在のプランを練るのに使わせてもらう事にする。やはりカナさんが言うように、北東部中心に巡った方が良いのかも知れない。
ブラジルのような広大な国において、たった1ヶ月であれもこれもというのは、こうして現実に日程を詰めていくと、やはり無理だと感じる。
狭い日本国内でさえ、1ヶ月で全国巡ろうと思ったら大変な事ですから。
考えた挙げ句、今回はサンパウロ、サルバドール、フォルタレーザ、ジョアン・ペッソーア、レシフェ、それにリオデジャネイロの6都市に絞って巡ってみる事にする。

そして今、午前5時半。
ここはアマゾンの真上辺りか。ようやく白み始めた空の中、どこまでもジャングルと曲がりくねる河が続く。

サンパウロと東京の時差はちょうど12時間だから、もうかれこれ25時間以上も空の旅を続けている事になる。
やはりブラジルは遠い国だ。

Abril 20, 2006

サンパウロ-カナさんのライブ 20 abril 2006

飛行機は午前9時前にサンパウロへと無事着陸。
タクシーでカナさん(ブラジル在住日本人歌手)の家へと向かう。
タクシーの運転手とカタコトながらポル語で会話が弾む。
早くポル語をマスターしたい気持ちにかられる。

そうこうしているうちにカナさんの家に到着。
とてもきれいなお家です。
私の荷物は電子機器が多いので、到着早々、まずそれらの充電をさせて頂こうと思う。

ここで西語とポル語のちょっとした違いからいきなり爆笑発言をかませてしまうのである。
「充電させて下さい」を、充電器を見せながら西語から類推して「Posso Cargar(a meu coisas electricos)?」(充電させて下さい)
と言ったら、「Posso Cagar?」(ウンコ出来ますか)と勘違いされてしまった。
特にダンナのレオに大受け。家に来るなり「ウンコさせて下さい」と言う人には初めて会ったと。違うんだけどな。参りました。しかし、未だにポル語で何というのかわからない。やばい、調べなきゃ。

そうして爆笑あいさつもそこそこに、両替へと連れて行って頂く。
ツニブラトラベルでしたっけ?円からヘアルの両替、ドルからと比べてもまったく遜色なく、恐れ入りました。

航空券買うのにも付き合ってもらった。アルファインテル。サルバドールまで319ヘアルは、かなりお買い得だったかも。

またリベルダージ(日本人街)でお昼をごちそうになる。
トンカツや何やら日本のものと比べてまったく遜色ない。むしろ、量が多い分、こちらの勝ちって感じです。
ブラジルのビールまでごちそうになる。・・・私はタカリだろうか。
「ボエミア」って銘柄。これがマイルド・華やか・女性的で中々美味しい。

その後、まったく申し訳なくも慌ただしくカナさんのバンド、「グルーポ・バイオン・ジ・クアトロ・マイズ・ウン」のリハーサルを見学させて頂く。
聴かせて頂くに、どうやらブラジル人の底流にはサンバの、あの2ビート感覚がとうとうと流れているようだ。
美しい音楽。このバンドの、ブラジルの音楽は繊細で美しく、また楽しい。
キューバのバンドには突撃ラッパが似合うイメージがあるが、ブラジルの音楽にそういったイメージはない。
キューバ音楽へのタイトルだったら「あの山に登れ!」なんて平気でつけられるけど、ブラジルの音楽には、山から見下ろした風景の印象などをタイトルにしてみたいと思う。

美しい音楽。メンバー全員が作曲するが故、曲もそれぞれのオリジナリティーによりバラエティーに富んでいる。
その中でカナさんの歌声や作品は、なぜかココロを和ませる。

リハ後、音楽の溢れる素敵な街、ビラ・マダレーナ地区でのライブへとご一緒する。
大変ラッキーな事に飛び入り演奏までさせて頂きました。

カナさんの曲や歌声には、何かこちらの心を弛ませるものがある。
日本語の歌詞を会場全体が口ずさんだあたりは圧巻でした。

そうこうしているうちに、もう午前1時。
なぜか眠らなくても元気だ。

Abril 21, 2006

サンパウロにて 21 abril 2006

サンパウロにて 21 abril 2006 [Brasil]  

本日、遅い朝を迎え、カナさんの作ってくれたご飯を、ご主人と昨日のバンドメンバーと一緒に頂く。
ありがたや。

午後、DVDを見たりCDを聴いたりして過ごす。
ブラジル音楽の貴重な映像を現地ブラジルで、それをよく知る人たちの解説付きで拝見、拝聴出来たのは大変有り難かった。
こうして色々と観ていると、ブラジルはギターの国だな、と感じる。

その後CDショップへ行き、いくつか買うべきアルバムをカナさんに推薦してもらう。

本日、ブラジル独立の英雄、チラデンテスの祝日。それにより楽器店が閉まっていたのが痛かった。

夜は昨晩に続き、再びビラ・マダレーナへと行きシュハスコを御馳走になる。(やっぱタカリだ・・・)
ここではショッピ(生ビール)が飲める。
銘柄はベネズエラ修業時代にグルーポ・マデラのスタジオからの帰り道によく飲んだ「ブラーマ」。
渋い。大人の味のする、まさに苦み走ったビールである。
淡色ピルスナーの「クラーロ」、褐色の「カリオカ」、黒ビールの「オスクーロ」(とはいえシュバルツではなく、スタウトだったかも)の3種類。
私にはピルスナーが一番良かった。昨日飲んだ「ボエミア」とはまったく違うテイストではあるが。

寝る前にカナさんが持っている、既に廃盤となってしまった貴重な音資料をMP3化して私のプレーヤーに詰め込んで頂く。
明日、大切なライブがあるのに、本当申し訳なく思います。

少しだけ日本とのメールのやりとりをして就寝。

後3時間半しか眠る時間はないけれど、なんだか元気でいられそうな予感。

Abril 22, 2006

フェイラ・ジ・サンタナ市へ 22 abril 2006

早朝6時半に青木宅をおいとまする。
重ね重ねながら、大切なライブの当日に朝早く起こしてしまう事の申し訳なさよ。
かと、言って黙って立ち去るのも礼儀の問題、鍵の開け閉めの問題等あり出来ぬ事・・・。
別れを惜しみつつ、タクシーで国内線専用のコンゴーニャス空港へと向かう。

7時頃には空港へと到着し、早々にチェックインを済ませる。
そのチェックインは非常にスムーズであった。

8:57発のTAM JJ3216便は各駅停車であった。
まず10時にミナスジェライス州の州都、ベロオリゾンテ市へと降りる。

この街もミナス派の本拠地として音楽が面白いらしい。
また近くにはオウロプレットという世界遺産の街がある。
時間が許せば、これらにも是非寄りたかったのですが。

その後ようやくサルバドールへ。
12時ちょうど着。
涼かったサンパウロから、いきなり熱帯へとやって来た事をじっとりとにじむ汗に感じる。

空港のツーリストインフォメーションでホドビアリア(長距離バスターミナル)へ向かうバスの停留所を聞き出し、言われたとおりに空港一般駐車場裏の停留所でサンジョアキン行きのバスを待つ。
しばらく待っていると、他の旅行者から声がかかった。
誘われるがままにタクシーに相乗りする。
ホドビアリアまで一人15ヘアイス。
ちなみにサルバドールの空港は、市街地までやたらと遠いので気を付けた方がよい。

ホドビアリアで次の目的地、フェイラ・ジ・サンタナ市への切符を買ってバスに乗り込む。
12ヘアイス。フェイラ・ジ・サンタナ市へのバスは頻繁に出ているようだ。

フェイラ・ジ・サンタナ市の事を知るものは少ないと思うが、当市はバイーア州の中で州都サルバドールに続いて二番目に大きい。
そして4月のカーニバル「ミカレタ」は、この時期のカーニバルとしてはブラジル最大のもので、知る人ぞ知る大イベントなのだ。
私はそれを当市のインターネットサイトで知った。
ただし、ブラジル到着時と日程が重なる事もあって、当初来訪する事を半ば諦めていたのだが、カナさんの強い勧めもあり思い切って強行日程を組んで、ここへと来る事にしたものである。運良く思い立った翌々日の航空券も取れた。
これは何か巡り合わせがあるに違いない。

2時間かけてフェイラ・ジ・サンタナ市へと向かう間、雨に降られてちょっと天気が心配になったが、着いてみれば当地、フェイラ・ジ・サンタナ市の天候は晴れ。

ここでの宿情報はまったく持っていなかったので、ホドビアリア周辺にある宿の一つに泊まる事にする。
1泊30ヘアイスでバス、トイレの他、テレビ、エアコン付き。ただし蛾等の虫が多いので、それらが苦手な女性が泊まるには適さないであろう。目の前にカーニバルの会場が見える。

そういうわけでホドビアリア付近が当地のカーニバル「ミカレタ」のメイン会場なので、すぐに宿を飛び出してカーニバル見物へと向かう。
ものすごく、それこそ日本で言えば、空港連絡バスよりも大きいトラックにしつらえたステージにバンドをのせて、車体にマウントされた巨大スピーカーからその演奏する音をまき散らしながらトラックは会場の道路をゆっくりと進む。
トリオエレトリコである。
ものすごい音量だ。この車に目の前を通り抜けられるとその瞬間、鼓膜が破れそうになる。

トリオエレトリコ
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トリオエレトリコの楽器群
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パレードする楽団の音楽は、レゲエやロックからご当地音楽までバラエティに富んでいる。

当地の音楽はサンバと同じように、スルドーのオフビート感覚がベースになっている。
ただし、ドラムセットやコンガ、ティンバレスも入って、サンバよりはずっとビートのキツい音楽をかたち作っている。
その他の特徴としては、いわゆるブラジリアンクラーベや3:2のソンクラーベ、あるいはルンバクラーベがピックアップされる事であろうか。
ドラムセットのハイハットは基本的には16ビートを刻み、またスルドーは複数個セットアップされていて、中にはオンビートを刻むものもある。
ベーシストもいる。エレキギター、時にはサックスなどもまじえながら、その上にボーカルが乗る。

ところでブラジル音楽を支えるこのサンバ系二拍子感覚は、一体どこから来たものであろうか。
一説にはアンゴラ系とも言われているが、同じアンゴラ系でもキューバのカラバリなどは徹底して6/8拍子を守り、サンバとはかけ離れたリズムフィーリングを持っている。

この日、なぜかサッカーブラジルナショナルチームのユニフォームにミニスカートをはいた男性(!!!!)があちらこちらに集団でたむろしていて、私は彼らの目にはモロ外国人に映り目立つから、彼らオカマに何度も囲まれては胴上げされ、またダンスを強要され、ちょっと参った。

オカマ
オカマ.jpg

道の途中でイスラエルから来た若者二人に声をかけられる。
カメラを持っていないので、写真を撮ってあとでメールで送ってくれとの事。
もちろん快く引き受ける。

延々とやって来るトリオエレトリコのパレードを適当に見て回った後、街中の薬局へ蚊取り線香と殺虫剤を買いに行く。
今回泊まった宿には窓ガラスがなかったので、蚊やら何やらの虫類に部屋へと進入されるのが心配だったからだ。
窓にガラスが無いというと、ひどい宿のように想像されるかもしれませんが、中南米の民家では日本に建つ民家の窓に見られるようなガラスサッシはなく、木製のブラインドになっているところが多いのである。

その後、一度宿へと戻ったが、辺りが暗くなる頃再び街へ出てみると、のんびりとしていた昼間からはまったく想像出来なかった人混み。普通に歩く事などとても不可能な程の密度で、人の波がどこまでも続く。

会場には二階建てになっている、メイン観覧席のようなものもあり、ひょんな事からそこにしばらくの間お邪魔させてもらう事が出来た。

ここから(二階席の高さ)からだと、トラックの上で演奏しているバンドがちょうど目の高さに来て、迫力が増す感じがする。

たくさんのバンドが通った中でもボディペインティングに羽根飾り、インディアンみたいな格好をしたチンバラーダには特に会場が盛り上がっていた。その時、隣にいた売り子のお姉ちゃんが、商売を忘れて踊り狂っているのを間近に見る。

Timbaladaのトラック
Timbaladaのトラック.jpg

宿に帰った夜半過ぎとなっても、今見たばかりの会場の様子をテレビで生中継していた。
いったいいつまで続くのだろう。

本当にこのミカレタを見に来てよかった。
大満足の一日である。

まだ序章に過ぎないブラジル音楽紀行が益々楽しみになってきた。

Abril 23, 2006

「ミカレタの祭り」 23 abril 2006

本日日曜日、午前中はまったく音がしないので、フェイラ・ジ・サンタナ市内を散歩してみる。
フェイラ・ジ・サンタナ市はバイーア州では州都サルバドールに続いて2番目に大きいそうである。
1回歩いただけではよくわからないけれど、しかしどうやら思いの外小さい町である様子。

午後1時くらいからトリオエレトリコの音が宿まで聞こえ出したので、宿を飛び出して見に行ってみる。
会場に一カ所常設ステージがあって、その前をトリオエレトリコの車が通る度に、エールを交わしあったり、一緒に歌ったりしている。

常設ステージの様子
常設ステージ.jpg

会場でビールを飲んでみた。
当地では、NovaSchinとSkolという銘柄がポピュラーなようだ。
Skolはマレーシアリゾートでよく飲んだので懐かしい。

昼間は昼間で、トリオエレトリコ以外にもマルシャのパレードが通った。

マルシャのパレード
マルシャのパレード.jpg

本物を見るのは、初めてだ。
また、これはかなりエキサイティングなリズムだ。

さて、夜になった。やはり夜の人手はすごい。

演奏する車の後に必ず一台、観衆を乗せた車が通り、その車の前部・後部にしつらえたお立ち台みたいな場所で踊り子さんが踊っているのだが、その格好がすごい。
もしかしたら前には小さな布が一枚あるのかも、といったいでたちで、あとはボディペインティング、さすがはブラジルである。
この露出度はキューバもかなわない。

さんざん見て疲れたので23時頃、帰る事にする。
帰り道の横道で何か音がするので足を向けてみると、打楽器隊がサンバを演奏していた。
打楽器と歌のみのサンバがとてもお祭りっぽい。その演奏に乗って次々とパレードが通る。
トリオエレトリコの大音量で疲れた耳に、生の打楽器の音が心地よい。

この2日間で本当に色々なものを見た。もう帰ってもいいやっていうくらいのものである。
この先、まだまだ続くブラジル見聞がますます楽しみになってきた。

Abril 24, 2006

サルバドールへ 24 abril 2006

朝、街は本当に祭りの後の様子だった。
何か抜け殻のようである。
11:10発のコメルシアル、12ヘアイスでサルバドールへと向かう。
13:00着。

まずホドビアリア(長距離バスターミナル)にあるツーリストインフォメーションで音楽の中心地、ペロウリーニョ付近の宿を紹介してもらう。

ツーリストインフォメーションで紹介された宿というのは大抵当たりである事が多い。
紹介された宿へとタクシーで向かう。27ヘアイス。
宿はポウサーダ・グローリア、五人部屋を一人きりで借りて一日30ヘアイス、とにかく広い。

中々快適なポウサーダ・グローリア
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窓もあって室内は明るいし、眺めもよい。

宿の窓から眺めた風景
窓の外の景色.jpg

ラランジェイラス通り、オロドゥンの学校の隣の隣、この宿はペロウリーニョでは、何を聴くにも最高に便利な場所だと思います。

荷をほどいたらさっそく街へ出てみる。
突然勝手に観光案内を始める人が出てきた。
かなり怪しいけれど、面白そうなので、お供させる事にする。
と、言っても何か契約するわけでもなく、案内するに任せるだけなのだけれど。
彼の名は、ホナルド君、とても熱心に有名な教会やら、ラセルダエレベーターを使わずに下の街へと降りる道やら奴隷市場の地下にある奴隷がつなぎとめられていた所やら、いろいろと教えてくれる。
おまけに日本人の女の子まで紹介してくれた。

ちょっと怪しいガイド、ホナルド君
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宿近所にある黄金のサンフランシスコ教会
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この先に秘密の抜け道が
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有名なラセルダエレベーター
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奴隷市場の地下・・・ここに黒人達はつなぎとめられていた。大変暗く、じめじめとした場所。
奴隷市場の地下.jpg

市場で教えてもらったカバサの実も興味深かった。
カバサの実.jpg

目的であったカンドンブレツアーまで案内してくれたので、それはせっかくなので予約していく事にする。

さて、本当はちょっと買い物がしたくて出ただけなのに、されるがままに観光地巡りを2時間ほどもしてしまい、じゃあと別れようとすると、案の定ガイド料を請求してくる。
100ヘアイスだと言うが、何とか10ヘアイスで納得してもらった。

ホナルド君とお別れした後、カンドンブレツアーの集合時間までほとんど時間が無くなってしまい、あわててシャワーを浴びに宿へ帰る。
シャワーを浴びた後、急いで集合場所であるツアー会社へと向かうが、迷いまくってなかなかたどり着かない。
そう、街を一巡りしたと言ってもホナルド君任せだったので、土地勘がまったく身に付いていなかったのである。
一巡りしてわかった気になってしまい、油断して、地図を全く見なかった。
この街、ペロウリーニョ歴史地区は、大きな広場をつなぐ道以外は登り下りが多く、また十字に交差しない道も多いので、少しわかりづらい所がある。

記憶ではペロウリーニョ広場に面してツアー会社はあったので、道行く人に「ペロウリーニョはどこですか?」と聞いても、誰もが「ここがペロウリーニョだよ」と言い、釈然としない。
後で調べてみるとよく写真に出てくるペロウリーニョとはペロウリーニョ広場の事であって、ペロウリーニョとはこの歴史地区全体を指すらしい。
冷静に地図を見てようやく進むべき道を見つける。
息せき切って、大汗をかきながら10分ほど遅れて集合場所へとたどり着く。
もうダメかもしれないと思ったけれど、間に合ってよかった。

ペロウリーニョ広場
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もっと大きなものを想像していたが、私の他、ヨーロッパ系の女の子二人のみの小さなツアーである。

車で会場のあるファベーラの一角へと向かう。
カンドンブレの儀式が始まるまでガイドの説明が続く。

さて、儀式が始まった。
演奏する側は打楽器と歌である。
打楽器は3つのコンガ状の太鼓、それにアゴゴベルである。
3つの太鼓のうちミドルサイズはオンビートの、スモールサイズはオフビートでンッタカ、ンッタカとそれぞれ定型リズムを叩き、一番大きい太鼓がアドリブでソロをとる。
一番大きいけれど、音程は一番これが高い。
アゴゴベルはサンバを連想させるようなリズムを叩いているが、時折クラーベを叩いたりもする。

この人達はやはりヨルバだ。
3つの太鼓のコンビネーションが他のヨルバ系太鼓とも共通するものを持っている。
キューバのルンバはやはり中域、低域の太鼓が定型リズムを叩き、その上に高域を担当する太鼓のアドリブが乗る。
バタは両面太鼓で演奏されるからアドリブが最低域と最高域で構成されるが、コンセプトは変わらない。すなわち二つの太鼓が定型リズムを刻み、その上でもう一つの太鼓がアドリブを取る。
ベネズエラにはマラカイボ地区にチンバンゲレというリズムがある。
これもお父さん、お母さんと呼ばれる二つの太鼓が定型リズムを刻み、その上で子供と呼ばれる太鼓がアドリブを取る。

しかし、今見ているものは本当に儀式なのであろうか。
行われている最中に入り口からの出入りは激しいし、時にあくびや雑談している姿も見受けられる。
どうも私にはただのルンバ大会にしか見えない・・・純粋に演奏したり踊ったりするのを楽しんでいるだけのように見える。

時折見せるトランス状態も演技ですし、ちょうど3時間程見て、ますます盛り上がる儀式の場をおいとまする。

Abril 25, 2006

サルバドールで見たホーダ・ド・ショーロ 25 abril 2006

午前中から今度こそ自分の足で街を巡ってみる。
まずは黒人達の手によって建てられたというホザリオ・ドス・プレートス教会を右に見ながらペロウリーニョ広場を下り、降りきったところを左へ曲がる。さらにもう一度細い路地に入りずっと下っていく。すなわち、昨日ホナルド君に教えてもらった道を下りてコメルシオ地区という、ペロウリーニョの崖の真下にある街を散歩してみる。

ホザリオ・ドス・プレートス教会
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コメルシオ地区
コメルシオ地区.jpg

電気屋でコンセントを分岐する三口タップを買った。
ブラジルのコンセントは日本やアメリカ合衆国の型のものも、ヨーロッパ系の丸い差し込みピンのものも両方させるようになっていてとても便利である。

一通り下の街をまわって有名なラセルダエレベーターに乗り、再びペロウリーニョへ。

ラセルダエレベーター
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エレベーターで上ったところにある広場がリオ・ブランコ宮殿前のトメ・ジ・ソウザ広場。広場を抜け左へ進むとすぐ旧ブラジル総督公邸前の細長い広場、ここには噴水がある。目の前が横向きのバジリカ大聖堂。バジリカ大聖堂の正面がジェズス広場。左手にサンペドロ、ドス、クレゴリス教会を見ながら広場を進んだ正面はサン・ドミンゲス三世教会、右奥に見える広場に道路をまたいで入るとその正面が、黄金で名高いサン・フランシスコ教会だ。

リオブランコ宮殿
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一通り散歩して宿へと戻ろうとしたら、ツーリストインフォメーション前で、先日カンドンブレツアーでお世話になったツアー会社の、日本語も話せるジャクソン君とばったり会ったのでしばらく話し込む。

ジャクソン君と
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すぐ目の前にある、宝石店へ一緒に行ってみる事にする。
店の女主人、ヒタさんとは、偶然にも生年月日が全く一緒で意気投合する。
いろいろな宝石を見せては詳しく解説してくれるけれど、残念ながら石っころには、あまり興味がないのである。
それにうっとおしいじゃないですか、指輪とかブレスレットとかネックレスとか。
とはいえ、これだけエメラルドを中心に見せて頂くと、どんな石がより価値を持つものなのか、少しわかってくる。
ありがたいことである。

宝石店の入り口にて
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宝石店の隣にある土産物屋の入り口にて
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そうこうしているうちに夕方が迫ってきたので、おいとまさせて頂く事にする。
そう、この後、ビラ・ベーリャ劇場で大変楽しみにしているホーダドショーロがあるのである。
少し遅れて17時半頃会場に着くと、すでにショーロは始まっていた。フルートに弦楽器三名、それに打楽器(パンデイロと横向きのスルドー?)といった構成。
こうして聞いているとフルート奏者、石井幸枝さんがショーロに惹かれるのもよくわかる気がする。
この編成の中でただ一人息のはいるフルートはひときわ艶やかで表現力があるように感じる。

今晩はステージでありながらもホーダなので、演奏者が次々と入れ替わる。
演奏者によるプレイの違いがよくわかるので、これがまた、ありがたい。
打楽器、スルドーもパンデイロも何人か出てきたけれど、色の黒い人ほどビートの切れがよく、また音がよく通る。
正確、不正確といったものではなく、ビートの躍動感といったものが全く違う。
打楽器は黒人に任せておけという事であろうか。

曲のテンポは非常にゆったりとしたものからとても速いもの、もちろん中庸なものとバリエーションに富んでいる。
今日の、この音楽は私の心にとても響く。

ショーロの音楽は、ヨーロッパの和声感覚とアフリカのリズムが上品に、絶妙なバランスでミックスされて非常に魅力的なものに感じる。
時にアドリブが混ざるが、長音階と二種の短音階を使ってアドリブするので、アドリブの苦手なクラシックの人にもこれはとっつきやすいのではないか。
逆に、ジャズをお勉強してしまった人にはオルタードやコンディミといった武器が禁じ手となってしまうので、辛いところがあるかもしれない。

ステージは一度入れ替わり、カシオトーンみたいなキーボードが二台出てきて、女性奏者二人による鍵盤でのショーロとなる。
しかし、どうも、あの安っぽい電子音は頂けない。
とはいえ、貴重なものを聴かせて頂いた。

ステージは、再び最初と同じ編成に入れ替わる。
気が付いてみれば、入った時にはガラガラだった客席が楽器を持ったお客さんで一杯である。
ショーロはリオだけのものではない、と実感する。
実際、今日の演奏は愉快で美しくて、素晴らしい。

宴もたけなわの頃、後ろ髪を引かれながらも会場を後にする。
なぜかというと散歩していた時に、野外ステージへとスピーカーを開けていたお兄ちゃんに今晩ライブがあり、雨天でも決行するという事を聞いていたからだ。
降りしきる雨の中、会場のジェスス広場へと行ってみると、何とPAが撤収されてしまっている。
さすがにこの雨ではやらないらしい。

今日は日が悪かったと思い、あきらめて宿へ戻ろうとすると、宿と一本違いの路地に人だかりができている。
何だと思って行ってみれば、オロドゥンのコンサートがあるという。
かなり迷ったけれど、この人混みの中で見ても楽しくないだろうと考えてパスすることにした。

オロドゥンの野外ライブ会場
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私は例えば行列の出来る店の行列には決して加わらない。それなら空いている他の店で気分よく食べる。
並ぶの苦手なんです。

あきらめて帰る途中、今度は何やら集団で叩く太鼓の音がする。
何かと思い行ってみると、打楽器集団のパフォーマンスであった。

道ばたの太鼓集団
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派手でわかりやすい。
このシンプルなわかりやすさは、大衆の心を掴むのではないか。
どこか、組太鼓のパフォーマンスとも似ているものを感じる。
キューバのリズムが持っているような複雑なシンコペーションはここにはない。
スルドーの作る大きな二拍子にのって、甲高い音のする太鼓たちが揃ってクラーベ系のリズムを刻む。
ときおりシンプルなキメを挟む。
すごい音量である。
生楽器なのに私の耳には痛い。

しばらく聞いた後、今度こそ宿へ帰ろうとする。
が、オロドゥン野外コンサート会場前の大スクリーンにLiveの様子が映し出されているのが目に入ってしまい、しばらく見続けた。
リズムの組み立ては先ほどの打楽器集団とほぼ同じである。

それは、私の思い描いていたオロドゥンとは少し違うサウンドだった。

しかしサルバドール、音楽に溢れた街である。

この後も明日アシェのグループ、そして明後日にはいよいよフォホーを聴く事ができる。
私はこのフォホーを特に楽しみにしている。

Abril 26, 2006

サルバドールの守護、ボンフィン教会へ 26 abril 2006

昨晩から色々と考えたあげく、5月1日 月曜日までの予定だったサルバドール滞在を4月28日金曜日までにと3日間縮める事にした。

昨晩のスクリーンでみたオロドゥンのコンサートが思ったようなものでなかった事が大きいかもしれない。
オロドゥンの音楽は、少し私にはシンプル過ぎるように感じた。
とはいえ、こういったシンプルさは大衆にアピールする可能性をおおいに秘めているので決して悪いものではないと思う。
またオロドゥンの持つリズムは非常にファンキーでソリッドである。

しかし、複雑なシンコペーションが精密にからむキューバ音楽を聴き慣れてしまった私の耳に、それを存分に楽しむ事などはもう戻れない感覚であるかもしれない。
そして今はさらに北部の音楽を存分に楽しみたいという気持ちが強くなってきているので、こちらでの滞在を縮めた分、北部のリゾート都市ナタルへの滞在を増やしてみようと思う。これは日本からブラジル・サンパウロへと向かう飛行機の中で決めた今回の旅程では、訪問するつもりのなかったところではあるが。

そうと決めたら早速ホドビアリア(長距離バスターミナル)へチケットを買いに行く。
次の目的地、フォルタレーザ行きのチケットを買った。
4月28日20:00発レイト(寝台)145ヘアイス。

ホドビアリアから道路を横切った正面にイグアテミという大きなショッピングセンターがあるので、そこでお昼ご飯にでもしようかと思って行ってみる。
が、丁度お昼時で席を探すのが難しいくらい混雑していたので、あえなく撤退する。
人混みは非常に苦手なのです。

そのまま、あの有名なボンフィン教会を訪ねてみようと思い、Ribeira(ヒベイラ)行きのバスに乗る。1.9ヘアル。
13:25発、13:43ラセルダエレベーター前着。13:55ボンフィン教会前着。

サルバドールの守護教会、ボンフィン教会
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ボンフィン教会前のバス停へと到着しても雨は止まない。
教会のある少し小高い丘に登ると、ここには物売りが集団となって立ちふさがってちょっと面倒なところだ。
なんだかんだとボンフィンのリボンを手首に巻き付けようとしてくる。
このリボンを巻かれてしまうと、ものすごい物売り責めにあうこととなる。

しばらく教会の中やその周辺をうろうろした後、宿へと戻る事にする。
オニブスは下町コメルシオ地区を通り過ぎると、宿のある上の地区まで登る事を知っていたので、なるべく宿に近いところで降りようかと思い、そのままバスに乗っていたら次の停留所は思いのほか先の方で、目的地付近とは遠く離れてしまった。

バスを降りた後、道路にかかる案内標識を頼りに宿のあるペロウリーニョ歴史地区を目指す。

途中、定食屋の兄ちゃんに呼び止められたので、そのままお店へと入ってみる。

定食屋の兄ちゃんと
定食屋の兄ちゃんと.jpg

色々と話をするのだが、真の地元人、というか、外国人慣れしていないブラジル人と話をすると、いくらゆっくり喋ってくれといってもスピードは緩まないし、ごく普通にポルトガル語で話かけられるから、かなり聞き取りに苦労する。
サッカー、日本が何とか杯でどうしたとか、そんな事なのですが、私はその話題に疎かったため増々何の事かわからない。
こちらの話す事は大抵理解してもらえるのですが。

不意に「ガロータはどうだった?」と聞かれる。
どうやら女の子の事をガロータと言うらしい。
そう言えば先日、宝石商のヒタさんに「あなたはガトー(猫)だわ」とお世辞を言われた事を思い出した。
男の比喩が「ガトー」だから、女の子の比喩は「ガロータ」。
ヒタさんの話によると、ブラジルで猫は良い意味の喩えになるそうだ。逆に犬の比喩は悪い意味になるそうである。

ここでピンと来た。
ジョビンの名曲「イパネマの娘」のタイトルがもつニュアンスを今、突然理解出来た気がする。
それはただの女の子ではなく「ガロータ」なんだ。
子猫ちゃん・・か。

そうこうしているうちに、注文した鳥のフィレ肉定食の皿が次々に出てきた。
ブラジルもキューバも似たようなもので、定食はタイ米のご飯にあずきのスープ、フライドポテトにサラダ、それに主菜の肉料理。
これにご当地ビール「ノビ・スキン」を一本つけてもらう。

鳥のフィレ肉定食とノビ・スキンではなくスコール
鳥のフィレ肉定食.jpg

ようやく宿へと戻る。

夕方旧市街へと散歩に出たら、黒人の女の子が私に声をかけてくる。
スラッとした細身の、中々のガロータだ。
あまり気にもせず歩いていると、ずっとついてくるので近くの展望台で腰掛けて少し話をした。
「カポエイラはやらないの?」と言って、独特の回し蹴りを見せてくれたりする。
実はこの時、私は少し頭痛がして早く宿へと帰りたかった。
このガロータはよりによってこんな日に「ビールを飲みに行こうよ」なんて言い出す。

大変残念だけど、その場をおいとまさせて頂くことにする。
少し熱があるようだ。
今夜は街も静かなので、予定されていたアシェのグループのコンサートも中止になってしまったのかもしれない。

ガロータと話をした眺めの良い公園
ガロータと話をした公園.jpg

Abril 27, 2006

サルバドールで聴いたフォホー 27 abril 2006  

朝から散歩してみる。
海岸の方へと下に降りるコメルシオ地区に行ってみた。
定食屋で「ダ・メ・スーコ・デ・フルータ・ポル・ファボール」(ほとんど全くスペイン語みたい・・・)と言ってミックスジュースをお願いする。
フルーツジュースと頼むと、なぜかミックスフルーツジュースが出てくる。
1.6ヘアルでコップ2杯分くらい。
プチ贅沢である。

これはアセロラのジュース
これはアセロラのジュース.jpg

晴れていた空が急に曇りだして、今日も雨が降ってきた。
サルバドールは毎日雨、雨、雨、雨続き。
一日中降る事こそ少ないものの、傘は手放せない。
現地サルバドールの人の話によると、丁度今、6月くらいまでは雨期だそうである。

出掛けには良く晴れていたので、油断して傘を持ってこなかった。

しかし、当地サルバドールでは、キューバのハバナやサンチアゴといった都市のようには朝から晩まで音楽に溢れているわけではないので、日中はやる事もなくとにかく良く歩き回る。
平均したら日に15キロは歩いているだろうか。

午後は顔なじみになった、ペロウリーニョからコメルシオ地区とは反対へと下った繁華な通りにある定食屋へとご飯を食べに行く。
今日は牛肉の定食。付いてくるものは鳥を頼んだときと殆ど全く変わらない。
サラダにキュウリがないと葉っぱ以外は全てトマトになってしまうくらいのものか。
今日もノビ・スキンを一本付けてもらう。

大体、海外にいると、必要な水分の殆どをビールで補ってしまう。
すぐ汗になって飛んでしまい、全然酔わない。

夕方、ブラジルに来てから二度目のインターネットをしてみた。
このマシンでは日本語が読める。
が、残念ながら和文を入力する方法がわからない。
メールの返事をアルファベットを使って出す。
西文、英文、それからニホンゴ。

そうしてインターネットをしていると、何やら打楽器集団の音が外から聞こえてきた。
夕方になると、この街の音楽はようやく動き出す。
昼間はカポエイラを伴奏するビリンバウの響きばかり。

聞きに行きたいのを我慢して、なおもe-mailを書き続けていたが、今度は愉快なフォホーの楽団の音が通り過ぎていったので、たまらずネットを中断して外へ飛び出す。
すでに楽団はいなかった。

そのまま宿に戻ろうとすると、ぽっちゃりとした黒人の売春婦に捕まった。
中々離れてくれない。商売だものね。
気が合いそうな、ほがらかで中々感じのよい子ではあったが、今回もご遠慮させて頂くことにする。


その後しばらくして、いよいよ待ちに待ったフォホーのライブを見に行ってみることにする。
会場はペドロ・アルカンジョ広場と言い、しかし広場とは言いつつも入り口が狭くパティオ(中庭)の様になっているので、場所が少々わかりづらい。

広場への入り口
ペドロ・アルカンジョ広場の入り口.jpg

ゆく道の途中、太鼓の音がするので寄り道してみたら、それはなんと少年少女たちのみの打楽器集団であった。
その指揮をとるのも少女。
演奏はつたないが、これはこれでよい感じだ。
おそらくプロの団体のユースなのだろう。
みんな楽しそうに演奏している。
時折シンプルなキメをはさむ。
大変わかりやすい音楽。
スルドーのパフォーマンスにどこか和太鼓に通じるものを感じる。

さて、会場に到着してステージを見渡してみれば、バンドはドラムの入った現代的な編成のようだ。
間もなく演奏が始まった。

彼らのフォホーはダンサブルに常にオンビートをキックでキメてくる。
「ドッド・ドッ、ドッド・ドッ」というように。
私にとってはさっき街角で聴いたフォホーの方が心地よかった。
これだけ拍のアタマを押さえられてしまうとどうも窮屈だ。
これなら「ドッドー・ドッドー」という、教則本にバイオンとしてよく出て来る形の方がもっと躍動感を感じさせてくれそうだ。

しばらく聴いた後、会場をあとにする。

しかし、これで私の聴きたいフォホーの音が益々鮮明になってきた。

会場を出て宿に向かって歩いていると、またどこからか太鼓の音が聞こえてくる。
今度の大人の演奏する打楽器集団。
こちらはさすが、演奏もしっかりとしている。
至近で聴いていると耳が痛い。
すごい迫力だ。
特にリーダーの叩くアドリブソロは、まるで雷であるかのように辺りへと響いてゆく。
スルドーが行進するかの如く拍を刻んでいる上で、小さい太鼓やスネアドラムがブラジリアンクラーベ、3:2ソンクラーベなどを刻む。
さらにそのビートに乗っかる形でリーダーの叩くアドリブが炸裂する。

しばらく見ていると、楽団はさらに下る坂道を下の方へと行進していった。

ふとした瞬間にこんな形で色々な音楽が舞い降りてくるサルバドールは、やはりエキサイティングな街だ。

楽団とは反対に、少し上に登っていくと今度はレストランの一角でギターの弾き語りをしていた。


話題は変わるが、私はどうもこの年にしてブラジルでは少年、青年に見られる。
ご年配の婦人などはまず百パーセント、私の事を少年呼ばわりする。
それによってみんな助けてくれたり、手加減してくれたりするから、得な事も多いけれど。
アジア人・・・外国人である私の年齢は、彼らにとってはどうもかなり不明なものであるらしい。

もう一つ彼らの認識について。
ブラジルに来て気分がよいのは、誰もが私に「ジャポネーズ(日本人)!」と声をかけてくる事。
これが他のラテンアメリカ諸国では、こうはいかない。
ほぼ百パーセント「チーノ(中国人)!」だ。
日本は中国の領土の一部だと思っている人も多い。
中文が声に出して読めなくて、なぜ?と不思議がられた事も・・・。

日本からブラジルへは移民の歴史があり、住んでいる日系人も他の国に比べればずっと多いからそうなのかもしれない。
どうもブラジル人にとって日本は親しみのある国のうちの一つのようだ。

Abril 28, 2006

フォルタレーザへの長い旅 28 abril 2006  

そういえば一昨日、宿の女主人に宿泊を短縮する旨を伝えたら、宿泊代がキャンセルした分全額戻ってきた。
この信用のおける宿はポウサーダ・グローリアといい、ツーリストインフォメーションから1ブロック奥、ラランジェイラス通りに面して建っています。
オロドゥンの学校の二つ隣。
1泊5人部屋を一人で借り切って1日30ヘアイスです。

旅をしていると出くわすのは大抵は良心的で良い人と決まっている。
悪い人は0.1パーセントもいない。
これらの事実が、私を以て深く人間を信じさせる。

黒人については色々と言われるけれど、やはり良い人の方が圧倒的に多いのはまちがいない。
この宿、ポウサーダ・グローリアの女主人も黒人だ。

本日でこの街を散歩するのも最後となるので、歩いていけるところはくまなく歩いてまわる。
この街を散歩するのは最高だ。
あちこちに美しい教会があり、また坂の多さがその街角を絵にする。

この街が本場というカポエイラを見てビリンバウの音を聞くのも、これが最後だろうか。

奴隷市場のレストランでカポエイラをする子ども達
奴隷市場で見かけたカポエイラ.jpg

夜になって、いよいよ宿をあとにする。
ペロウリーニョ広場を下って右に折れ、あまり外国人のいない街角でタクシーを探す。
地図を見るとホドビアリア(長距離バスターミナル)までは、公共のバスが通る海側の道よりもこちらからアプローチした方がずっと近い。

首尾良くタクシーを拾う事が出来た。
とても感じの良い運転手で、始終話しかけてくる。
外国人を乗せるのは初めてだと言っていた。
やはりこちらの通りでタクシーを拾う観光客は少ないようだ。

丁度帰宅ラッシュと重なり、道路は大渋滞。
車は中々前に進まない。
20時のバスに乗る人は、18時過ぎの渋滞に気を付けた方がよいだろう。

しかしラッシュ時間、ブラジルでの車の運転には鬼気迫るものがある。
わずかな隙を狙っての割り込み合い。
また、そうはさせまいとする防御。
運が良い事に?私が乗ったタクシーの運転手はたいへん割り込み上手だ。

早めに宿を発ったので、バスの出発時間には余裕で間に合う時間になんとかホドビアリアへと到着。
タクシー代は17ヘアイスだったが、渋滞がなければ12ヘアイスほどで済むのではないだろうか。

さて、バスは定刻20時を30分ほど過ぎて出発、予定ではこれから約千キロちょっと、21時間の長旅である。
千キロといえば、私の住む千葉からは九州の入り口、門司くらいまでの距離である。
これを丸1日かけて走り通さなければならないのだから中々ハードだ。

隣に子供連れの女性が乗ってきた。
なんと、子供ととはいえ、一つの座席に二人で座るらしい。
案の定、足やら荷物やらこちらへとはみ出してくる。
やれやれ。

バスのシートには足台があり、また背もたれも深く倒す事が出来、中々快適である。
毛布も付いているから全然寒くない。
これは熱帯地方のバスでは非常に重要な事だ。
大抵冷房が効きすぎているからだ。
真夏の気候の中で真冬のように車内を冷やし、その中で嬉しそうに冬服を着て過ごすのが熱帯を走る長距離バスの常である。
コーヒーや水も飲み放題でトイレも付いているから、何かと安心。

バスは何時間か毎に、休憩のための停車をはさむけれど、これが10分と言えば20分、20分と言えば40分間必ず停車している。
このままのペースでは、まず定刻には着かないだろう・・・。

Abril 29, 2006

バスで大移動 29 abril 2006  

昨晩20:30頃バイーア州サルバドールを出発したバスは、朝6時頃ペルナンブーコ州のペトロリーナとかいう街に着いた。
天気は曇り。
手持ちの地図にも乗っていなくて、ここはどこなのか乗務員さんに尋ねてみた。

ペルナンブーコ州ペトロリーナ市のバスターミナル
ペルナンブーコ州ペトロリーナ市のバスターミナル.jpg

この街で隣の母子は降りていった。

11:40にBrejo Satoという、セアラ州の街、そして12:10にMiraglesという街のドライブインに到着。

Miraglesのドライブイン
お昼に停車した町.jpg

フォルタレーザへと近づくに連れて天気が良くなってくる。
セルタンと呼ばれる乾いた土地のせいか。
セルタンではたとえ海岸地帯が雨期だとしても乾燥した気候が続くと聞いた事がある。

暇つぶしにドライブインの土産物屋など冷やかしてみると、CDのコピーされたものが1枚4ヘアイスで売られている。
こんなに堂々と違法コピーの商品が売られているのを目にするのはシンガポールで以来かもしれない。

しかし、この辺りは幹線道のはずなのに非常に道が悪い。
すれ違い困難な場合もあり。
千キロに21時間かかるのも納得である。

景色はいつの間にか乾燥地帯のそれとなり、短めの草が茂る草原の中にポコポコと熱帯の低木が生える。

セアラ州セルタンの田舎町
セアラ州セルタンの田舎町.jpg

乾きめの景色
乾きめの景色.jpg

ずっと草原が続く
ずっと草原が続く.jpg

到着予定時刻の17時を過ぎてもなおサバンナの中をバスは走り続ける。
人口192万の大都市が現れる気配はまったくない。

20時くらいになってようやく夜空に赤味が差し始める。
到着は近そうだ。
除々に道が広くなり建物が増えだし、その予感は確信に変わる。

21時。
予定時刻を4時間過ぎ、25時間かけてようやくフォルタレーザへ到着。

まずは次の目的地、ナタルへの切符を買ってしまい、それからタクシーを探す。
ツーリストインフォメーションは時間が遅いせいか見あたらなかった。

目星を付けたホテルはあったのだが、タクシーの運転手が良いホテルを知っているというので、走るにまかせてみる。
旅は予定外の出来事の方が面白いし、こうして土地の人の意見に耳を傾ける事はまた正解である事も多い。

当初泊まろうと思っていたイラセマ地区ではなく、メイレレス地区の一番イラセマ寄りに建つホテル、名前はなぜか「バーデンバーデン」。
その名前はどこかの温泉施設のようでもあるが、1泊60ヘアイスが運転手の紹介で55ヘアイスに。
エアコン、TV 、冷蔵庫、電話、それにカフェダマニャン(朝食)付き。
若干狭いものの、今まででの中では格段に快適な設備の宿、エアコンのおかげで乾いた空気がありがたい。
なるほど、カナさんが言うようにホテルも悪くないなと思った。
ちなみにベッドは広い。

着いて早々、23時頃雨の中フォホーを聴きにイラセマ地区へと足を運ぶ。
が、途中で宿へと引き返す。
なんだか体がだるかった。

今、外は暴風の大雨。
行かなくてよかったのかも。

Mayo 1, 2006

フォルタレーザ、ピラータで見たフォホー 1 mayo 2006

本日、今までと打って変わっての快晴。
この良い天気にたまらず、きれいとの評判高い、フォルタレーザ郊外にあるフトゥーロ海岸へと行ってみる事にした。
中でもホテルのフロントで一押しのクロコビーチというところに。

お世話になったホテル「バーデン・バーデン」の入り口
ホテル「バーデン・バーデン」の入り口.jpg

オニブス(公共バス)に乗る。
オニブスとは行ってもフォルクスワーゲン・ワゴンの小さなもので、51番のバスがフトゥーロ海岸行きとなっている。

30分程も走っただろうか、クロコビーチへと到着。
海岸は平日にもかかわらず、海水浴客で大賑わい。

私も早速泳いでみる。
ところで、ここの海岸は本日、殊の外波が荒い。
サーフィンには向くだろうが、泳ぐにはまったくもって不向き。

見た目はきれいで、また海水も実際きれいなのだろうが、この荒波のせいで砂が巻いてしまい、海中の視界はまったく利かない。
私は魚やその他海の生き物を見ながら泳ぐのが好きなので、これは残念。

そんな事からわりと短時間で引き上げ、今度はお膝元、メイレレス海岸で泳いでみる。

メイレレス海岸
メイレレス海岸.jpg

こちらメイレレス海岸の方が波は穏やかだが、砂粒はより細かく、やはり視界は殆どゼロに近い。
適当に何百メートルか泳いで早々に切り上げる。

メイレレス海岸に立つ近代的なコンドミニアム
メイレレス海岸に立つ近代的なコンドミニアム.jpg

着岸の際、ちょっとした岩場があり、右手薬指を切った。
血が止まらない。
しばらく血が流れるにままに任せて消毒代わりにした後、強く押さえ込んで止血。

岩場混じりの海岸では思わぬ大ケガをする事があるので十分な注意が必要である。
今回は大したことなかったけれど。

波の力は意外なほど強く、その勢いで尖った岩に身体ごと打ち付けられたりしようものなら、まるで刃物で切ったかのようにパックリと深い傷を負う。

以前、マレーシアのリゾートでスポーツサンダルを履いていたにもかかわらず、覆われていなかった土踏まずをの部分をパックリと切り、まったく血が止まらずにビビッた事がある。
それ以来、岩場が混じる海岸では短い靴下の上にスポーツサンダルを履き、しかも上半身はTシャツを着たまま泳ぐようにしている。

フォルタレーザに来て初めてアンタルクティカという銘柄のビールを見かけたので飲んでみた。
これは特に印象には残らなかった。
あまり好きなタイプではなかったように記憶している。

アンタルクティカ
Antarctica.jpg


夕方、海岸通りに出てみると思いの外、人が多い。
ウォーキングやジョギングする人で賑わっている。
それに夜市も立つようだ。
フォルタレーザは日中陽射しがとても強く、また暑いから、人々は夕方になると街へと繰り出すのだろう。

夜の海岸通り
海岸通りの賑わい.jpg

道すがらカポエイラの演舞を見た。
また、民族衣装のようなものを着て演奏しながら練り歩く賑やかな団体にも出くわした。

民族衣装の団体
民族衣装の団体.jpg

道を練り歩く太鼓.jpg


夜、ホテルのフロントでも、今夜どこかでフォホーのライブはないかと尋ねてみた。
すると、「ピラータ」と、ツーリストインフォメーションで聞いたのと同じ名前が出てきたので安心する。
やはり何かこの月曜の夜にはすごいライブがあるようだ。

何時から?と聞くと22時頃かな?と言うのでそれくらいの時間に合わせてピラータのあるイラセマ地区へと出かけてみる。

ピラータのあるイラセマ地区歓楽街
ピラータのあるイラセマ地区歓楽街.jpg

いざ行ってみると、開演は23時からと言う。
仕方なくそれまで埠頭で時間をつぶす事にする。
こういったお店の中はたばこの煙が充満しているので、出来ればあまり長居したくないのです。

たばこの煙と言えば、ライブハウスで演奏していても喫煙者が多いと翌日喉が痛くて、しかも声がかすれて出づらくなります。
嫌いなだけではなく、実際弱い。

ピラータの向かいにもフォホーをやるお店がありましたが、当初の予定通りピラータに入ってみる。

ここで聴いたフォホーは素晴らしかった。

キックはキューバンサルサと殆ど同じ場所を踏む。
また、時々踏むイレギュラーなアクセントもキューバンサルサとまったく同じ場所にはまってくる。
まず、このシンコペートした感覚が心地よい。

ベースは時折アタマも刻み、この自由なベースラインもよい。

キレの良いサンフォーナ(アコーデオン)の演奏の上で、シンプルなハーモニーのコーラスがよく調和する。

トライアングルはフォホーの場合、どうやら必ず「チキチー、チキチー」とオープンにして刻むようである。
今のところ聴いたものはすべてがそう。

教則で扱われるバイオンのリズムの場合、「チーチキ、チーチキ」と表オープンもアリと記述されている事もあるけれど、どうも実際には「チキチー、チキチー」のみのようである。

ふと、ベネズエラ修業時代にその筋のプレーヤー達とラテン打楽器の第一人者と評されるアレックス・アクーニャのビデオを観たときのことを思い出した。
その時はビデオの中でベネズエラのリズム「クーロ・エ・プーヤ」を扱っていたのですが、「なんだアレ、ちょっと違うぞ」って感じでメンバー一同ざわざわしながら観ていたのをよく覚えています。

・・・とにもかくにも、大変満足して会場をあとにするのであった。

帰り道、フロントで気をつけるように言われていたので、街角に立つ娼婦を注意深く避けながら少し遠回りだけど、海沿いの明るい道を通って帰る。
それでも捕まってしまいましたが・・・。

この街の娼婦は遠くから大声で呼びかけてくるので、まったく風情というものがない。

なんとか無事に宿へと帰り、就寝する。

Mayo 2, 2006

ナタルへ中距離移動 2 mayo 2006

朝起きてカフェダマニャン(朝食)をとった後、近所のメイレレス海岸へ今日も泳ぎに行く。
昨日より波が静かだ。
高気圧に覆われて穏やかに晴れる日が続くであろうハイシーズンにはもっと波が穏やかで透明度も増すに違いない。
100メートルほど沖合まで泳ぐと、そこいら辺から若干濁りが取れてくるようにも感じる。

午後は今回最後のフォルタレーザ散歩に出かける。
途中ガソリンスタンド併設のコンビニでボエミアを買って飲んでみた。
1.69ヘアル。

Bohemia
Bohemia.jpg

フォルタレーザ滞在後半からは傘など必要のない良く晴れた日が続いている。

しかし、日中のビーチと夜のナイトライフを両立させたいなら、このメイレレス海岸地区のホテルを選ぶのがベストのように思う。

夕方も散歩。

夕方のメイレレス海岸
夕方のメイレレス海岸.jpg

やはり夕方が一番、街は賑やかだ。
ビーチにいた人たちが街へ戻ってくる。

夜、宿へと戻りシャワーを浴び、フロントで呼んでもらったタクシーでホドビアリア(長距離バスターミナル)へ。
16ヘアイス。

今日フォルタレーザ滞在最終日、ホテルを出たのは21:30頃だったのに、このホテル「バーデンバーデン」では超過料金は必要なかった。

さて、バスはノルデスチ社のセミレイト(半寝台車)。
定刻通り23時に出発。

今回ブラジルで色々なクラスの長距離バスに乗ってみたが、このセミレイト(半寝台車)とレイト(寝台車)のクオリティには大きな開きがあると感じた。
セミレイトには足台もなく、また毛布が付かなくて非常に寒い。
なぜか熱帯地域を走るバスは冷房を必要以上にかける。
この世界では熱帯でありながら、寒いバスの中で冬用のジャンパー嬉しそうに着込むのがマナーなのだ。
レイトで毛布が付いていた事に安心して油断してしまった私は、今回ヒドい目にあった。
また、飲み放題の水やコーヒーも付かない。
何よりも車内の清潔度といったものが大きく違うように思う。
とにかく長距離の移動には必ずレイトを使うようにお薦めしておきたい。
それは払う金額の差以上にクオリティの差がある。
はっきり言ってセミレイトのクオリティは一番安いコンベンショナルのそれに近い。

Mayo 3, 2006

リオ・グランデ・ド・ノルテ州、州都ナタル 3 mayo 2006

夜が明けると、景色はサルバドールからフォルタレーザへの道よりさらに一層乾燥した土地の様相をなしていた。
より短い下草の間にぽっこりと生える低木の広葉樹や椰子の木。

乾いた景色
乾いた景色.jpg

6:50リオ・グランデ・ド・ノルテ州、州都ナタルへ到着、朝早くからホドビアリアのツーリストインフォメーションが開いていたので、早速ライブや宿の情報を集めに行く。
しかし、ここでは残念ながらライブ情報は皆無。
宿は1泊60ヘアイスで良いところがあるというので、自分の予算より少し高めだが予約をお願いする。

ナタル、ホドビアリアの切符売り場
ナタル、ホドビアリアの切符売り場.jpg

しばらくして宿の主人が来るまで迎えに来た。
サンパウロ出身の白人、タトー氏。
早着という事で、この宿では半額の30ヘアイスの超過料金を請求される。
また、迎えの車は20ヘアイスだという。
氏は中々計算高い。

だが、その部屋は値段なりに、今まででもダントツにクオリティの高いものであった。
広い室内にエアコン、ミニバー、電話、それにNHKの入るTV付。
室内も非常にきれいに保たれており、またタオル等の備品もくたびれてなんかいない。
日本のビジネス並みのクオリティ&広い部屋というところか。
日本のビジネスにも希にヒドいところはありますが、この場合はごく普通のビジネス、という事で・・・。

今回の宿、トカ・ド・タトーの室内
トカ・ド・タトーの室内.jpg

宿に着いて早々、まずカフェダマニャン(朝食)を頂く。
この宿では宿泊者がみんな仲良く知らない者同士が会話を楽しみながら朝食をとる。
同宿はイタリア人、ファブリッツォ。
イタリア人と話をするのは初めてだが、陽気なイタリア人の名に漏れず、彼の表情は欧米人の中でも一際大げさで楽しげだ。
ローマ在住との事。

朝食を済ませた後、ポンタネグラ海岸にあるツーリストインフォメーションへもライブ情報はないか、聞きに行ってみた。
2つ、3つ出てきた。
今夜はそのうちの一つ、プライア・ショッピングというショッピングセンターで行われるというライブを観に行ってみる事にする。

ポンタネグラ海岸の高台にある今回の宿、「トカ・ド・タトー」はクレジットカードが使えないとの事だったのでツーリストインフォメーションに来たついでに海岸沿いにあるATMでキャッシュを引き出す。

宿の支払いを済ませた後、ここのビーチはどんなものだろうかと泳ぎに行ってみる。
宿から真っ直ぐに海岸へと向かって降りるとちょうどポンタネグラ海岸の真ん中辺りに出るようである。

ポンタネグラ海岸
ポンタネグラ海岸.jpg

風邪をひいた後はいつもいばらく気管支に炎症が残り咳の発作が怖いので、海岸と平行して右手に見える砂漠を目指して泳ぐ事にする。
沖へと泳ぐのは不安だけど、海岸線と平行に泳いで、そんな岸と離れなければ、万が一何かあっても根性で何とかなるだろう。
とはいえ、海の色がエメラルドグリーンに変わる、150メートルほど沖合まではどうしても出ておきたい。

ここの海も視界は良くない。
殆ど利かないと言ってよいかもしれない。

砂漠に泳ぎ着いた後、Uターンして反対側へと再び岸に平行して泳ぐ。
ビーチの中ほどを過ぎると急に波が荒くなり、沖合でも時折波頭にやられてしまうほどだった。
とても泳げそうではない。

90度左に転回し、あわてて岸へと向かって泳ぐ。

岸に着いてみれば、ビーチの真ん中からこちら海に向かって右手の方はサーフポイントとなっていた。
どおりで。

夕方、例のプライア・ショッピングセンターへと出かけてみる。
ツーリストインフォメーションで聞いた話では18時頃から始まるとの事だったので、その時間に合わせて行ってみたが、いっこうに始ま

る気配はない。
ショッピングセンターのインフォメーションで尋ねると、20時のスタートだという。

仕方なく店内のベンチに腰掛けてW-ZERO3を使いこうして日記をつけたり情報をまとめたりする。

そうこうしているうち、やがて生演奏の音が聞こえだした。

その音は・・・ポータサウンドの弾き語りでした。
今晩は早々と退散。

夜はついNHKを見てしまう。
今年のゴールデンウィークは天候に恵まれているとの事。
もし日本にいたのなら、今頃どこに行っていただろうかと考える。

阪神電鉄のの大株主、村上世彰氏が若き日の欽ちゃん、こと萩本欽一に見えるのは私だけか。

Mayo 4, 2006

ナタル「ザス・トライス」 4 mayo 2006

今日はどんなものか見ておきたくて、ナタルのセントロを散歩する事にする。
とはいえ、カフェ・ダ・マニャン(朝食)の後、まずは一泳ぎ。
今日は波が静かだ。

海岸沿いの通りに面して「ハード・フォホー・カフェ」(笑)という看板のかかったお店を見つけた。

ハードフォホーカフェ(笑)
フォホーカフェ(笑).jpg

が、よく見れば既に閉店、残るは荒れた店内の残骸のみ。
往時は如何なものであったか。
名前からしてすごそうだ。

その海岸沿いのベンチに腰掛けて休んでいると、一人の青年が話しかけてくる。
しようもない話。
しかし、もうじき若きパパになるとの事であった。

話し込んだ後、一度宿へと戻る。

今回の宿トカ・ド・タトー、設備は良いのだが今のように泳ぎ疲れて宿へ帰る時、何十メートルも標高差のある坂を必ず登らなければならないのが難点と言えば難点である。
かえって健康に良いというむきもあるが・・・実は私もそう思う一人である。

午後はそういうわけでナタルのセントロへと行ってみる。

ここは雑然とした旧市街。

ナタル旧市街の一角
ナタル旧市街の一角.jpg

一つだけ眺望の良い古そうな建物があり、中にはあまりやる気の感じられないツーリストインフォメーションがはいっている。
ここは何やら歴史的建造物であるらしい。

ツーリストインフォメーションのある建物から街を見下ろす
ツーリストインフォメーションのある建物から街を見下ろす.jpg

散歩しているうちに「ザス・トライス」という当地の民族音楽をみせるシアターを発見。
迷わず予約して帰る。35ヘアイス。20:30開演で24時終演というから、かなりな見ものである。
楽しみ。

一度宿へと戻り、夜再び「ザス・トライス」へと向かおうとすると、何やら宿のロビー付近に人が集まっている。
何かあるのかと聞いてみると、なんと宿泊関係者のうち3人までもが仏教徒で、これからその集会に出かけるという。
南無妙法蓮華経を唱えていたから日蓮宗系だろう。
集会に誘われたけれど、私はマントラを唱える密教は真言宗豊山派なので、とお断りさせて頂いた。

しかし、ちゃっかりと集会へと向かう車には便乗させて頂き、途中からバスに乗り換えて会場へと向かう。
バス停で何本かバスをやり過ごしながらフロントガラスに書かれてある行き先を確認する。
以前見かけて場所のわかる、これなら大丈夫だろうと思われた「NATAL SHOPPING」と行き先を表示してあったバスに乗り込んだが、そのナタルショッピングを通り過ぎた後、右折して目的地とは違う方向へとバスは行ってしまった。

ナタルショッピング
ナタルショッピング.jpg

仕方なく次のバス停で下車して会場へと猛ダッシュ!
まだまだ目的地手前だったので25分程は走っただろうか。
会場のザス・トライスは、ポンタ・ネグラから旧市街へと向かう大通りに建つ中華料理店を目印にして旧市街に向かって左に入り、数本通りを横切った辺りにある。

余裕だったはずが汗だくで会場に入り、せっかくのシャツも汗で台無しである。
この店はウエイターの教育が行き届いている感じで、対応に好印象!
名前は忘れてしまったが、お薦め旬の生ジュースをビールの前に一気飲みしてしまった。

さて、ショーはどんなものか。

まずはフォホーのバンド演奏。
中々良い感じ。

フォホーの楽団
フォホーの楽団.jpg

このバンドではドラムのキックを「ンッ、ドッドー、ンッ、ドッドー、」といわゆるデイブウエックル系ソンゴのようなパターンで踏む。
これはこれで心地よいシンコペーション。
このBDにザブンバが絡み、最高のボトムグルーヴを生み出している。
ベースは時折アタマも突きながら進む。

ハイハットはやはりここでも裏返らない。
「チキチー、チキチー」と規則正しく刻んでいる。

その後コーコ、カボクリーニョ、カリンボ、フレーボ、マクレレ、カポエイラなど、立て続けに演じられてゆくが、ここのショーはどうもダンスメインらしい。
バンドは決して下手ではないのに、アレンジが頂けない。
どれもこれもがショーアップを狙ってデフォルメしてくる。
ブラジル音楽の源流を探るショーの一幕があり、ブラジルに影響を与えた世界各国の音楽を短くメドレーにしたてて音楽と踊りで紹介してくれたので、ブラジル音楽をよく知らない私にも、ああ、これはデフォルメかけてるな、というのがよくわかった。
それはお笑いの人がステテコをはいてハゲのカツラや牛乳瓶めがねをかけてマヌケな人を演じるような分かり易さがあり、これはこれで良い面もあるのだろう。
が、私のようにオリジナルに忠実な音楽を聴きたいと思う向きには苦々しいものである。

とはいえほぼ誰もが、楽しい派手なショーを見て大騒ぎしながら一晩過ごしたいでしょうから、商業的に成功する為にこのお店の方針はあながちまちがった方向ではないのだろう。

ただ、私の求めるものには合わなかった。
また、メインとなっているそのダンスもチーム内個人の力量の差が大きかったように感じられた。
要所で振りが揃わない。
ダンサー達はカポエイラの演舞をしている時が最も生き生きといていたように見受けられた。

カポエイラの演舞
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不満とはいえ、それぞれの音楽やダンスの大体の雰囲気が掴めたのは良かった。
しかし、本物を見てみたいという欲求は高まるばかりである。

ショーの一幕
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またサンパウロから遊びにやってきたという日系の老夫婦が楽しそうに踊りハジけていたのが印象に残る一夜であった。

ナタル「ザス・トライス」フォホーの楽団と踊る人々
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Mayo 5, 2006

誕生日をナタルで迎える 5 mayo 2006

5月5日の誕生日をキリスト生誕の名を持つこの街、ナタルで迎えるというのも何かの縁なのでしょうか。

ナタルは本日も快晴。

カフェ・ダ・マニャン(朝食)の後、もはや日課となった遠泳へと出かける。
この海岸で遠泳は大袈裟か。
出来れば珊瑚礁の島にあるきれいな入り江などで泳いでみたいものである。

誕生日だし、一人でビールを飲んでみた。
缶の上部へ偉そうに金色の箔をかぶせてあるビール。
名前は残念ながら忘れてしまった。

写真はもう1本飲んだそれとは別のクローネンビール
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午後はブラジルへ来て2度目のインターネットをする。
宿の近所、クルゼーロバス停付近にあるインターネットカフェではなんと1時間1ヘアル(56円)!
ただし和文はインストールされておらず、全く読めないし書く事も出来ない。
ちなみにクルゼーロバス停のある公園には、その名の通りクルゼーロ(十字)のモニュメントがあってわかりやすい。

画像として貼り付けてある日本語情報と記憶を頼りに、クリックすべき場所を探し当てながらネットサーフィンする。
何通かメールを頂いていたけれど和文でのものは全く解読不能。
仕方なく読めませんでしたがお返事は帰国後に、といった内容の返信をさせて頂く。

今日は見るべき催しについても全く見当がつかなかったので、一日静かに過ごす。
ナタルはあまり騒々しいリゾート地ではない。

NHKの視点・論点などをつい見てしまった。

少子高齢化を食い止めるには、といった題での某大学教授女史による論説であったが、なるほど女性が子どもを生み育てながら働ける環境を整える事は確かに大切であると納得しながらも、性差を考えない主張には違和感を覚えた。

子どもを良識ある大人に育てるためには、幼い頃充分な愛情を与える事が大切であると思うが、たとえば両親揃った環境において万が一母性愛に溢れる父親の手によって育てられた子どもが大人になった時の事を考えるとちょっと怖い。

算数を使って育児を男性女性「公平」に割り当てたとして、はたしてそれがよい事なのかどうか。
負担が公平なのは大切だとして、しかしそれぞれの役割があるんじゃないか。
父としての、母としての。
もし父と母が全く同じような役割を担う社会が到来したら・・・今以上に社会のひずみが大きくなるんじゃないかな。

未来に向けて、母からは母の愛を、そして父からは父の愛をまっとうに受けた子ども達が育つ社会であってほしい。

父、男性が正しく持つ父性とは、我が子に社会の壁といったものを教えるべき存在であってほしいと思う。
正常な男性なら母性的な愛を彼が我が子へと与える事は出来ないだろう。
それは重さが同じでも、女性が持つそれとはその形を異にするであろう。

同じく、母性は女性が持ってこそ正しく母性なのである。

これは性差、「差別」ではなくて「違い」である。

男が男である事、女が女である事はどうにも変えようがないではないか。