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CUBA2007-音楽の旅- アーカイブ

Junio 13, 2007

エア・カナダ(Air Canada) 13 junio 2007

 ジェットは19:20頃、成田を離陸した。
 エア・カナダは今回初めて乗ってみたけれど、一発ですごく気に入った。
 エアカナダ成田19:00発、002便。
 機内に入ってすぐにシートがいいな、と思ったけれど、その他の設備もすごい。
 AC110V60Hzの電源タップが座席についている。
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 しかし、なぜか座席列進行方向に向かって右側の席だけには付いていないから要注意だ。
 USBのタップもあったのでMDウォークマンで試してみたが、こちらでも充電可能だ。
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 これらは電子機器を非常によく使う私にはとてもありがたいサービスだ。
 しかもディスプレイはタッチパネルで便利、ときている。
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 さらにおまけに・・・
 エア・カナダではアルコール類がエコノミークラスでも無料提供される!
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 これは嬉しいではありませんか。
 そんなわけで至れり尽くせりです。


 そういえば結構不注意に生きているので、今回の出発では肝心の航空券引き替え書を忘れた。
 ありがとう、奥さん!
 おかげでなんとかなったよ。

 実は今回の旅も荷物のパッキングに徹夜して当日朝の8時までかかった。
 だから体調はそんなに良いとはいえない。

 さてさてどうなることやら。

 カナダ最大の都市、トロントまでは地元千葉県の成田市から12時間とちょっとの飛行だ。

 機内食も米系よりいいかなあ。
 3回の食事はどれもカロリーオーバー気味だけれど。
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 途中機内より見える雪を抱いた山々や氷河の景色が素晴らしい。
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 色々と持ってきたデータを見て予習したりプランニングしたりしていると、あっと言う間に時間が過ぎてしまう。
 18:10に20分遅れでピアソン国際空港に到着。
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まだまだ陽が高い。
 夏至は近い。

 今晩の宿、クオリティ・イン&スイーツ・エアポートにシャトルサービスがあるかどうか、電話して聞いてみる。
 タクシーを簡単には使わない旅が好きだ。

 ターミナル1からはグラウンド階のSで待つよう指示を受ける。
 ほどなくしてシャトルバスがやって来た。
 隣り合わせに建つ、ホリデイ・インとの共同運行となっている。


 クオリティ・イン&スイーツ・エアポートのベッドは狭い。
 USサイズだと思って行ったら、とんでもない。
 きれいだけど、部屋は狭めだ。
 トロント空港周辺には団地かと見まごうほどにホテルが建ち並んでいるが、他のホテルの客室がどんなものかは知るよしもない。
 しかし、そのどれもが最低1万数千円は払わないと泊まれない感じだ。
 トロントの物価は安くない。
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 散歩に出たら黒いリスを数尾見かけた。
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 ホテルの近くに商業施設はわずかだ。
 15分ほど歩いたところにはいくつかの飲食店がある。

 21時を過ぎてもまだ明るいから、時間を勘違いしそうになる。

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Junio 14, 2007

ハバナ(La Habana)へ 14 junio 2007

 快晴。
 この時期のトロントは完全に夏だ。
 気温が高い。

 ホテルの朝食を7時からとる。
 温かいスクランブルエッグやベーコンが付くあたり、米国の標準的なモーテルより良い。
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 8時に予約しておいたシャトルは8時過ぎにやって来た。
それに乗り込む。
 グーグルマップで確認したときに、ホテルと空港の距離は約3kmだったが、実際に走ると大まわりするからもっと遠い感じだ。


 8:30頃ミッサウガにあるピアソン国際空港に到着。
 国際線はターミナル1だ。
 また、ハバナ行き国際線のカウンターはKである。

 わりとスムーズにチェックイン。
 しかし、預け手荷物の重量制限が成田線と違って厳密だ。

 ハバナ行きのゲートは最奥の178番だ。
 動く歩道があるものの、結構遠い。

 機内持ち込み手荷物の検査は、米国ほど厳しくはない感じだ。


 9:17、ゲート前に到着。
 余裕だと思っていたら、チケットには9:15搭乗開始となっていた。
 しかし、まだ係員さえもいない。
 出発予定時刻は10:15。
 エアカナダ、トロント発ハバナ行き964便。
 3時間半の空の旅だ。
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 搭乗後、隣の席に座っていた韓国人学生と話が弾む。
 なんでも1ヶ月かけて自転車で東部の都市、米軍基地がある事で知られるグァンタナモから首都ハバナまでまわるそうだ。

 彼は私の事をみて25歳くらいかと思ったらしい。
 それだけで彼のことが気に入ったよ。
 パク・ジョングム君。
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 ハバナ行きエア・カナダの機内食は成田線に比べると大分クオリティが落ちる。
 アルコール類も有料だ。
 しかしそれでも電源タップが付いている。
 但し、それを使ってPCへ電源供給するのはマズいらしい。


 飛行機はハバナに着陸しようとする。
 景色が懐かしい。
 言ってみれば田園の広がる、どこか田舎の風景。
 やはり、ここは自分にとっての郷里だな。
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 空港の入国審査は以前になくスムーズだった。
 米国のそれがバカみたいに厳しくなってしまったのと対照的だ。
 税関を抜けて空港内1番奥に両替所があったが、日本円は両替できない。
 仕方なくクレジットカードを使って現金を引き出す。

 まず見当を付けていた宿に電話を入れる。

 現地ではすぐにつながり、スムーズに泊まれることになった。
 日本からなぜ国際電話がほぼ全くつながらなかったのかは謎である。
 ともかく私は国際電話を8時間ほどダイヤルしてただの一度もまともに相手にはつながらなかった、それは事実である。

 小銭がないからタクシーに乗るまでに、ビールなど飲んで大きいお札をくずしにかかる。
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 その後拾った市内に向かうタクシーは25兌換ペソ(CUC)。
 30分ほどで15時頃無事に今回の宿へと到着。

 以前はキューバ人の家庭で暮らしていたが、法律等の問題でそれが出来なくなってから久しくお世話になっているのがキューバ航空の建物の10階にある、このアパートだ。
 インファンタ通りがマレコンという海岸通りにぶつかる直前にあるこの宿は音楽を聴くにはこれ以上ない便利な立地にある。
 ルンバのライブがある事で有名なラスベガスは目の前だし、ISAやカサ・デ・ラ・ムジカ(音楽の家)、ISAの打楽器科教授ロベルトコンセプシオンの家、ジャズカフェに行くバスの停留所も至近にある。
 しかもありがたい事に始発だ。
 乗りはぐれる事がない。
 キューバのバスは満員の場合があり、一発で待っていた目的のバスに乗り込めるとは限らない。
 ま、大抵大丈夫ですけど。
 それでも始発は座れる事も多いし、ありがたいです。
 少し話が横道にそれましたが、ジャズカフェへは歩30分ほど、これは歩けなくもない。
 ジャズのライブハウス、ラ・ソーラまでも歩いて5分程度だし、ハメルへは10分ほど、ルバルカバの家へは3分もかからないほどだ。
 世界遺産のビエハまでは歩いて30分。

 空港から宿へ向かう途中、雨がすごかった。
 今年の雨期は本格派の模様。


 
 宿に到着後、知人に電話をかけまくる。
 ほぼすべて繋がり、アポをとってから始めにルバルカバの家に出掛けた。
 その後タクシーを使ってロベルトコンセプシオンのところに直行。
 色々なCDを聴かせてもらったり、DVDを見せてもらったりした。
 チャンギートのアルバムやイサック・デルガドの新譜、ダフニス・プリエトのアルバム、ゴンサロ・ルバルカバがブラジルのイヴァン・リンス、ジョアン・ボスコらと競演しているDVD等々。
 親しくしている国立芸術大学(ISA)打楽器科4年生、ナイレ・ソーサがドラムを叩いているというバンドのビデオクリップもいくつか見せてもらった。
 ヒップホップっぽいサウンドだった。
 このグループのリーダーはスペインのグラミーみたいな賞を取っている。
 X Alfonso。
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 話をしているうちにサルサの黎明期からニューヨークの第一線で活躍するイグナシオ・ベロアやミッシェル・カミロの新しいドラマー、ダフニス・プリエトも彼、ロベルト・コンセプシオン教授の教え子だったことが判明。
 あらためてすごい人だなと思った。

写真:ロベルト・コンセプシオンとナイレと
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 ナイレがご飯を作ってご馳走してくれた。
 そういや、ナイレは随分と痩せたかも。

 とても楽しかったけれど、よい時間となったのでおいとまする。

 そして宿に帰ると、既に超友人、アントニオがビールを持って待っていた。
 アントニオはアルバム「インファンタ657」を捧げた、その人である。
 彼の人生にも色々とあったけれど、今は在キューバ日本大使館勤務だ。
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 会話が弾んだ。
 が、明日の事もあるので23時過ぎにはお開き。
 大人だな、オレたち。

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Junio 15, 2007

徒労 15 junio 2007

 既に強い日差しが照りつける中、朝から換金に動く。
 街に出ると相変わらず声がかかりまくる。

 部屋の隣人だと言う男から声がかかり、さすがに断りづらかったから彼の薦める換金所へと案内されるがままに付いて行ってみる。

 なんでもキューバ人と一緒に換金しに行くと、ずっとレートが良いとか。
 あまりにも嘘くさい話ではあるけれど、しばらく行かなかった3年間に大きく事情が変化している事は承知していたので、途中、信頼できる大使館のアントニオに電話、よい換金場所などを教えてもらった。

 一応その隣人に付いて行ってみたら、これが全くあてにならないというか、彼の薦める場所ではことごとく日本円からは換金不可だった。
 しかもいざ換金のタイミングでは放っておかれたから、キューバ人と行くとどうのこうのという話もまったくの作り話だったのだろう。
 しまいには、何かくれとたかられて気分悪く別れる。
 今、持ち合わせがないと言うと、彼、アルマンドは振り返りもせずに去って行った。

 初めはベダド地区にあるバンコ・フィナンシエロに行こうとしていたのだけれど、結局今はCerro地区の入り口に近い方まで来てしまった。
 アントニオお勧めのカデカはアバナビエハ(旧市街)地区のオビスポ通りにあるから、ちょっと遠いのでタクシーで移動する。

 ホテル・フロリディータまでタクシーで行き、そこからオビスポの細くてしかし賑やかな道を奥の方へと歩いて進む。
 はたしてアントニオお勧めのカデカはありました。
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 カデカはオビスポ通り、電話会社ETECSAオフィスのもう少し先にあります。
 両替率は138円=1CUCだった。
 12万円がたったの872CUCにしかならない。
 キューバ国内の物価はドルの時代と勘定が一緒だから、円安と相まって相当な目減りだ。
 正直痛い。
 初めてキューバに来たときには1万円が$110くらいにはなったのに、今は同じ1万円が$73にしかならないのだから 信じられないくらいの目減りだ。


 両替を済ませた帰りがけにソンのバンドを見る。
 ギター、フルート、ベースにマルチパーカッション、それにカンタンテ。
 ビエハにあるちょっとしたレストランでこうして聴く事が出来る何気ない演奏が素晴らしい。
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 あまり時間がないのでタクシーで帰宅、慌ただしく再び宿を出てエリサベスの家に行く。
 久々の再会だ。
 彼女はいつだってにこやかで穏やかで素晴らしい。
 私の大好きなピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバの姪っ子。

 タクシーを呼び、一緒に彼女のバンドのエンサーヨ(リハーサル)を見に行く。

 ピオレイバの残したバンドだそうだ。
 演奏はもちろん素晴らしい。
 メンバーのほとんどが来日した事もあるミュージシャンだ。
 エリサベスの相方のカンタンテ(ボーカリスト)はNGラ・バンダで来日したという。
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 ピアニストのプレーに見惚れる。
 そういえばこんなだったよな、キューバ人の演奏は、って。
 こうして日本で失っていた何かを再び取り戻し始める。

 2時間ほどでおいとまさせて頂き、今度はISA(Instituto Sperior de Arte・・・キューバ国立芸術大学)へ向かう。
 今、大学祭で今日はフルーティスト、マラーカの演奏があるからと聞いていたので、それを聴きに。
 それにお兄さんのペドロとは日本でたびたび演奏させてもらっているから挨拶もしたかった。

 向かう道は大雨、冠水がひどい。
 今回、6月は一年で最も雨が多い季節とはいえ、ちょっと量が多すぎる感じだ。
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 大雨で渋滞する中、なんとか大学に到着するも、なんとコンサートは雨天のため中止だと言われる。
 残念だが仕方ないだろう。

写真:ISAの正面玄関にて
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 ビエハからタクシー代約9CUC。
 痛い。
 レセプションでタクシーを呼んでもらうも到着まで1時間待てとの事。
 この雨で街中がタクシーを必要としているのかもしれない。
 しかして、1時間待ってもタクシーは来なかった。
 仕方なく歩き出す。
 程なくマキナ(キューバ人のタクシー)を拾う。
 途中までの約束だったので道半ばで降ろしてもらう。
 一人5ペソ(=CUC0.21)だ。
 降りるとすぐにセントロ行き222番のバスが来たからそれに乗り込む。
 こちらはたったの40センターボだ。
 ラッキーな接続。
 これだけ料金が違うから、今まで滅多な事ではタクシーなど使う事もなかったが、今回は頻繁に使うなあ。
 短い滞在に予定が詰まっているから、これも致し方のないところ。


 宿に着いた瞬間にネレイダから電話。
 着替える時間もなく、ルバルカバ家へと向かう。


 そして今晩はご馳走してもらっちゃいました。

写真:最後のデザート、プリンがとても美味しい!
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 とめどもなく会話が弾む。
 エリサベスの彼氏も紹介してもらった。
 エルネスト、29歳の録音技師。


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Junio 16, 2007

エリサベス・ルバルカバ(Elizabeth Rubalcaba)のショー 16 junio 2007

 朝、サンチアゴ行きビアスールバスのチケットを買いに行く。
 ホテルハバナリブレのCubaturで扱っている。
 ネットで見た情報とは違って、以前と同じ$51だった。

 その後、道向かいのお店でCD等を見る。
 新譜は一枚$15ほどだから、もうこれは入手困難なもの以外、チェックしておいて日本で買った方が得かもしれない。
 古いものに興味があるなら、大幅に割り引きされているので買っておいた方がよい。

写真:Hotel Habana Libre
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 道でパンを一個買って食べる。
 実は後で気が付いたら、今日はこの一食でおしまいだった。
 ブラジルもそうだったけれど、旅に出ると食べないな、俺。


 帰りがけに水を買いに懐かしのスーパーに寄ったら、ルバルカバ家のネレイダとばったり会った。
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 このスーパーの上にアパートがあり、キューバの家族のような人たちとそこに住んでいた事がある。
 自分の猛烈学習時代が懐かしい。
 朝の10時から夕方までびっしりとレッスンを入れていた時代。
 ドラム、ティンバレス、コンガやボンゴ、それにピアノとダンス。
 ドラムは大体毎日2時間だったっけな。


 スーパーから宿に戻る途中、今日もまた雨がぱらついてきた。
 水を冷蔵庫に冷やす。

 わずかの間に大雨となってしまい、ロベルト・コンセプシオンに電話をかけて、大雨だから家に行くのが少し遅くなる事を伝える。
 小一時間待って、小降りになったところで外に出て、バス停で190番のバスを待つ。
 15分ほどでバスはやって来た。

 降りるべき停留所を間違えた。
 5ブロックほど手前で降りてしまったところに、運悪くスコールがやって来た。
 突風を伴ってこれでは傘をさすことも出来ない。
 仕方なくビルの軒下で雨宿りする。

 雨はいっこうに止む気配を見せてくれないから、しばらくしてまた歩き出す。
 土砂降りの中を歩くから、ジーンズがどんどん重くなる。
 久々に靴の中がグショグショになる感覚を味わう。
 道路を流れ落ちる水の水かさが増してきて、道路を横切る度、少しでも高い場所を探す。
 大抵は道路の真ん中が一番高い。
 交差点毎に大回りして、歩道から道路の真ん中へと、水の少ない場所を見つけては跳び渡る。

 ロベルト・コンセプシオンの家まであと一区画のところで、どうにもその流れを越えられない場所に出くわす。
 道路が川となって浅いところでも深さ10cmはありそうだ。
 この後に及んでも靴を水没させるのは嫌なものだ。

 仕方がないので、道を大回りしながらあちらへ抜けられそうなところを探し歩く。


 ほうほうの体でどうにか彼の家にたどり着いた。

 しばし談笑の後、いきなりセッションが始まった。
 私のピアノにナイレのボンゴ、それにピアノ教師ダニアのピアノベース。
 曲は色々。

写真:セッション風景。私は写真撮影しながらしばし休憩中。
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 ナイレはX Alfonsoというバンドで、明日からギリシアツアーに出る事になっている。
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 会えてラッキーだった。


 おいとましてマキナ(ペソ払いのオンボロタクシー)で今度はロベルティコの新居へ向かう。

 新居はベダド地区の川向こう、ミラマール地区にあった。
 豪邸だ。
 ブエナビスタで稼ぎまくったお父さんの家も立派だけど、それをしのぐ規模と内装だ。
 娘のマイレーネは初めて会ったときまだ中学生だったけれど、なんと生後6ヶ月になる男の子の母になっていた。
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 時代は移る。

 ロベルティコはしばらくオマーラのバンドで忙しくしていたけれど、最近は再びジャズ系の活動をするべく計画しているそうだ。
 手持ちのMacG4でデモを制作するらしい。
 長年バンマスを勤めていたアフロクーバみたいなサウンドになるんだろうな、きっと。

 私の「インファンタ657」を全曲聴いてくれた。

写真:Roberticoと
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写真:アルバムタイトルのインファンタ通り
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 再び宿に戻り息を付く間もなくルバルカバの家へ。
 今晩はエリサベスのショーを彼女の母親マルティカと観に行く事にしている。
 ま、エリサベスは父のヘスス亡き今、確かに自分の子供のようなものだ。
 実子にしてはちょっと大き過ぎるけどね、さすがに。
 私のことを時に「パドリーノ・バカ(バカな保護者)」と呼んで笑ってくれる。
 そう、エリサベスは片言の日本語を知っている。
 誰が教えたって?そう、この私だ。
 逆に、この私にヒドいスペイン語を教えまくってくれたのは彼女や、彼女の兄ミッチェルと当時の彼女フロールだ。

写真:エリザベス・ルバルカバ15歳
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15歳、女の子にとっては成人式。
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 キューバ人のスラングさえも、実はこのルバルカバの家で学んだものだ。
 みんな下品な言葉が大好きだから、あの頃、父のヘススや時にはその頃まだ小学生だったエリサベスもよくバカ会話の相手をしてくれたものだ。
 私の暮らしていた家にも親子で遊びに来たりしていたっけ。

写真:遊びに来た小学生時代のエリサベスと父、ヘスス・ルバルカバ
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 ちなみに兄ミッチェルは2000年頃キューバを出て、今はチリのサンティアゴに住んでいる。

写真:ミッチェル・ルバルカバ
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 さて、カバレ・テアトロ・ナシオナル・デル・プラドでのショーは中々素晴らしかった。
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 あいつやっぱ才能あるよな。
 そこいらへんは名門音楽一家の血なんだな、きっと。
 へぇー、あのエリサベスがねーって感じだけど。
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 母親のマルティカも初めて見た娘のショーをとても気に入った様子だった。
 招待して良かった。
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 宿に着いたら午前3時半。
 明日は朝から今は亡き盟友、ヘスス・ルバルカバの墓参りに行く予定。

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Junio 17, 2007

お墓参り 17 junio 2007

 朝9時。
 マルティカからの電話を待って、ルバルカバ家へ。
 タクシーでヘスス・ルバルカバの墓があるハバナ最大の墓地、セメンテリオ・コロンに行く。

写真:コロンの門
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 今日が父の日だからか、いつもよりお墓にも人が多いようだ。
 ヘススの墓には名前が彫ってないから、もし今度一人で来るとなったら無事にたどり着けるかどうか、ちょっと自信がない。

写真:墓地にある教会
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 彼は私のピアノの師であり、また、私の大好きなピアニスト、ゴンサロルバルカバの兄でもある。
 そしてかわいいエリサベスの父だ。

 その昔、キューバでは色々なことを習ったけれど、実はピアノの時間が一番多かったかもしれない。

 ルバルカバの家のリビングはピアノを習い、ダンスを習い、ティンバレスを習った、私にとって大切な場所だ。
 1997年の5月5日に盛大な誕生日を祝ってもらったのもここだ。

 この4月に偶然見かけたボニアティージョが表紙になっている本の撮影場所もたぶんここだし(思い違いだったら失礼)、前に偶然NHKに映っていたのもここの家のリビングだ。
キューバ・トリップ―“ハバナ・ジャム・セッション”への招待/高橋 慎一 (著)
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(注・よくよく見ると、どうも勘違いであったようです・・・。でもわからない、滅多に行かない個室の方はこんな感じだった気もする)

 ヘススは弟と比べた場合、あまり成功に恵まれた人生とは言えないかもしれないけれど、それでも晩年には自己名義のアルバムがヒットチャートの第6位にまで上った。

 ラスト二枚目のアルバムは彼から直接プレゼントされたもので、私の大切な宝物である。
「エストイ・アキ(我ここにあり)」

「エストイ・アキ(我ここにあり)」

 お墓参りの帰りに豚の丸焼きを見た。
 カメーヨ(らくだ)という、二台連結の大型バスでセントロへ戻る。
 停留所でネレイダやマルティカと別れて、日曜日のルンバ、エル・カジェホン・デ・ハメルを見に行く。
 首尾良くちょうど始まるところだった。

 これはやはり本物だ。
 あふれる躍動感。
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 今日は父の日だからという事で、始めのグループの後はずっと女性が演奏している。
 これは貴重な日に来たのかも。

 女性が生き生きと演奏するルンバを、弟子に見せたかったな。
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 ルンバの後にはオリシャに捧げる音楽が続いた。

 2時間も見ただろうか、疲れてきたのでルバルカバの家に行ってお昼をご馳走になる。
 なんとビール付き。
 朝にはまだ昨晩のアルコールが抜けてなかったのだけど、ま、いいか。

 エリサベスの叔父、叔母だという親戚の人たちに初めて会う。
 叔父さんはスポーツを教えているとの事で、国内各地やベネズエラにも仕事で行っているそうだ。
 合気道も教えているって。


 しばらく談笑の後、おいとまして街をぶらぶらする。
 今日は父の日だから、やたらに押し掛けるのも気が引けるし、こうしてぶらつくしかない。


 今回初めて海沿いのマレコン通りに出てみた。
 Infanta y 23の道路向かい。
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 目の前に2001年に泊まったことのあるイノセンシアの宿が見える。
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 ふとコッペリアの近所に行ってみると、なんと今日は行列がない。
 食べるのに2時間待ちとか、普段はザラなのに、これは父の日だからだな。
 並んでみると、ほとんど待たずに中に入れた。
 5ボールのエンサラダが5ペソ。

写真:コッペリアのアイスクリーム
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写真:コッペリアにて
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 コッペリアで偶然マルティカに会った。

 今日は雨が降らない。


 例のボニアティージョが電話で挨拶した時に、今晩20:30からテレビに出るよって教えてくれたのだが、ついうっかりとこれを見落としてしまった。
 残念だ。

 夜22時にアントニオとLa Zorra y El Cuervoというジャズ系ライブハウスの前で待ち合わせる。
 が、出演者がよくわからなかったので、ハバナにある別のジャズ系ライブハウス、Jazz Cafeに向かう事にした。

 La Zorraは宿の近く、23通りに面してあるが、Jazz Cafeはベダド地区の高級ホテル、メリア・コイーバのすぐ近くにある。
 La Zorraはミニマムチャージ$5だが、Jazz Cafeは$10である。

 La Zorraは狭いが、Jazz Cafeは広い。

写真:Lazzora y El Cuervo
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 今日のライブはセッションで、ビロンゴとかステラ・バイ・スターライトを演奏していました。
 ハバナでは誰を見てもハイレベルな演奏だ。
 今回の演奏者が誰なのか、紹介もないし、全然わからないのだが。
 そう言えばメンバー紹介も曲の紹介も一切ないライブだった。
 一曲だけフルートのお姉さんが素敵なボーカルを聴かせてくれていたのだが、歌詞がわからなくなって詰まってしまい、演奏がフェイドアウトしてしまったのは残念だった。

写真:JazzCafeのステージ
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 ピアノはヤマハのP200だったようだけれど、音響はやたらハイに傾いた音作りに聞こえた。

 しかし、エアコンの風が身体に吹き付けてきて寒い。
 ここでは風の当たらない席を選ぶか、長袖を用意してきた方が良いだろう。
 とはいえ、アントニオは「寒いの好きです」と言って何ともないし、体感温度は人によってそれぞれだから一概には言えない。
 日本人の女性は大抵寒がりだから、思い当たる人は長袖を用意した方が良いと思います。

 ちなみに今晩は全てアントニオにおごってもらってしまった。
 本当はこちらが払った方が、あるいは割り勘でも、そうさせてもらったほうが気軽に誘えるのだけど。
 そこいらへんは色々とあって難しいです。

写真:JazzCafeにて、アントニオと
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写真:JazzCafeのサンド
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Junio 18, 2007

アバナ・ビエハ(Habana Vieja) 18 junio 2007

 今日は初めて朝から雲一つない快晴。

写真:宿の部屋からの眺め
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 宿のあるセントロ・アバナ(新市街)から世界文化遺産の街、アバナ・ビエハ(旧市街)へと海沿いに延びるマレコン通りを歩いて行ってみる。
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 道行く途中途中に今日も声がかかりまくる。
 大体が物売りか、外国人相手に英語の練習をしたい人だ。
 物売りはともかくとして、せっかくカナダを抜けたのだから英語は勘弁してほしい。

 旧市街までは歩いて30分ほどだ。
 すでに何度か来ているからこれは見慣れた色でもある。
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 とはいえ滅多に来ない旧市街。
 今まで商業の中心は23通りの辺りかと思っていたけれど、今日歩いてみた印象では、お店の賑やかさでは旧市街の方が上のような気がする。
 あちこちお店を冷やかしてみるが、相変わらず棚に物はない。
 ショーウインドーのチープさといったら、訪れた事のある他の国ではまずお目にかかれないものだ。
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 今日は授業が休みだという大学生のカップルから声がかかった。
 法科のミゲールと経済のエリサベス。
 彼らとは3度ばったりと街中で会い、その度に会話が弾んだ。
 しかし今回彼らには学生だと思われたが、最近ではそう見られない事も多い。
 残念な事だが、やはり誰にでも等しく老いはやってくる。


 とりあえず天気が良いから世界遺産の街で写真を撮りまくってみた。

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 今日は一日中、夕方までよく晴れたな。

 夜、といってもまだ薄明るい20:30に宿を出て、ビアスールのバスステーションへと向かう。
 $6だって言うけれど、荷物重いし、ま、いいかって感じ。
 昨日行ったセメンテリオ・コロンの脇を抜けてタクシーは進む。
 どうもキューバ人の間できれいな街として人気があるのはシエンフエゴスのようだ。
 大抵話題に上る。
 今また、タクシーの運転手もシエンフエゴスはトリニダ以上だと推薦していた。
 さて、20分もしないうちにタクシーはビアスールのバス停へと着いた。

写真:ターミナルの待合室
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 預け手荷物の重量制限が課されていてちょっとビビる。
 20kgまで。
 超過料金を払うのもなんだかバカらしいので、手持ちのリュックの方へ若干の荷物を移す。
 街中のCubaturでもらった引き替え証を券売カウンターで提示して、粗末な藁半紙に印刷された紙屑のようなチケットを受け取る。
 手荷物はすぐ隣のカウンターで預ける事。
 その先、ちょっと階段を上がった待合室からは快適な涼しさだ。

 これら中南米の長距離バスの寒さには毎回ノックアウトされているので、今回は着るものや身体を覆うためのタオルなどを多めに用意してきた。
 さて、どうなるのだろう。

 いやいや、快適だと思っていた待合室の温度も寒く感じ始めてきたぞ。


 いつものようにビアスールのバスは定刻通り22時に発車した。
 このバスはほぼ時間に正確に動く。
 車内では冷気が鼻に痛い。
 この感覚は真冬に就寝する時の、室内で暖房を切ってしばらくたった時くらいの温度だろうか。
 この日の為に持参した大きめのタオル2枚がとても役に立っている。
 膝掛けとマフラー代わりにすれば結構暖かい。
 Tシャツ、半袖シャツの上にさらにもう一枚薄手だけど長袖のシャツを着る。

 22:30現在、なんとかこの寒さをしのぎきれそうな予感。


 そう言えば今回、初めてフロールと会わなかったな。
 ちょっと明る過ぎて苦手な女の子。
 会いたくないなと思っていても、なぜかキューバへと来る度、必ずハバナの街中でオレを見つけ出すフロール。
 もちろんいい娘なんだけど。
 小耳に挟んだ。
 あのフロールもついに結婚したそうな。


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Junio 19, 2007

サンチアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba) 19 junio 2007

 バスは意外にも寒くない。
 どうやら膝掛けにしたタオルが効いているようだ。

 ビアスール・バスも確か登場して10年近く経つから、そろそろガタが出始めているようだ。
 座席のリクライニングが止まらない。

 あとで立ち寄る予定のカマグエイには6時ちょうどに着いた。

写真:カマグエイのバスターミナル
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 トイレにいってみたが、水が一滴も流れない、なんとも素晴らしいトイレだった。
 汚い話だけれど、手さえも洗うことが出来ない。
 おしぼりウェッティは必携です。


 外に出るとき声をかけたチョフェ(車掌)がサンチアゴで自分の兄弟の家に泊まらないか、と言う。

 聞いてみると場所もなかなか良さそうだ。
 1日15CUCだって言われたけれど、サンチアゴには4回来て4回とも12CUCで泊まっていると言ったら、それでエスタビエン(OK)だという。

 行ってみる事を約束する。

 ビアスールのチョフェはいつも真面目で親切な人ばかりだから、今回も多分大丈夫だろう。
 フェルナンド、黒人。
 彼には今後も色々と助けてもらう事になる。


 ところで今回フジのFinePixF30とパナソニックのDMC-TZ3の二台のカメラを持参してきているので、その比較をしてみようと思う。
 フジは昨年の今頃コンパクトでは一番人気のあったカメラで、パナソニックは今、一番人気のある機種だ。
写真:フジFinePixF30
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写真:パナソニックDMC-TZ3
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 パナソニックは28mm広角と10倍のズームが魅力。
 それからメディアが安価なSDカードというところも良い。
 ただし、暗いところでの写りはやたら悪く、それからシャッターが遅いので、動く場面での撮影は苦手だ。
 暗いところで写すための専用モードも備えているが、これを使うと画質がかなりザラつく。
 つまり使えない。
 また広角だから仕方ないのだろうが、画面の四辺が歪むところも気になるところだ。
 液晶が大きいから電池の消耗が早い。
 液晶はせっかく大きいのに、いざ撮った写真をその場で見るのには色々な情報がごちゃごちゃとディスプレイされて見づらい。

 フジは例えば夜のライブやショーのような暗いところで写してもきれいだ。
 それからシャッタースピードが速いので、例えば走るタクシーの車内から狭い路地を写しても思ったように写る。
 この二点においてパナソニックはかなり使えない。
 また、フジは電池の保ちが良い。
 使い方にもよるだろうが、一週間ぐらいの旅では電池交換必要がないだろう。
 それから撮った写真をすぐ見る場合、そしてまた写真をすぐ撮る場合、フジのワンプッシュ方式はストレスを感じない。
 パナソニックのダイヤル式には時間がかかってストレスを感じる。
 フジは液晶ディスプレイも撮った写真以外には何も表示されないから、確認にはとても都合が良い。
 痛いところは値の張るXDピクチャーカードをメディアとして採用しているところだ。
 しかも2GBまでの容量のものしか存在しない。
 パナソニックの方では8GBのカードを何枚か持ってきているというのに、こちらは予算の都合で1GBx2、2GBx1だ。
 また、パナソニックの広角28mmに慣れてしまうと、35mmの広がりでは風景を撮る時に不満を感じる。

 私は日中の屋外ではパナソニックを主に使っている。
 この広角と望遠はなんといってもやはり魅力がある。
 遠くの被写体を10x望遠で狙っても手ブレしない、この性能は驚異だ。
 それから一人旅の自分撮りに28mm広角は便利だ。
 大体失敗なく自分が画面に収まる。
 とはいえ、きちんと自分撮りをしたいならやはりポータブルな三脚は必携。
 逆にライブなどの暗所では断然フジに軍配が上がる。
 暗いところでストロボを使わなくても鮮明に写って気持ち悪いくらいだ。
 大体ストロボ撮影というのはムードが出ない。
 ちなみに、なぜか大抵の女の子はストロボで撮られた写真を嫌がります。

 フジのコンパクトで28mm広角、10xズーム、SDカードが採用されたものが出たなら即買いなのだが、現実にはなかなかそうも行かないらしい。
 デジカメなんて似たようなものかと思っていると、かなり機種に差があるから驚きます。


 さて、外は快晴のサバンナが続く。
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 そんな中、結構な頻度で時折小さな街が出てくる。
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 賑やかな街角が垣間見えたかと思うと、8時ちょうどに今度はラスツナスへと到着した。
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写真:賑わうバス待合室
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 一応外に出て、その後バスの車内に戻ると、やはりこの冷やし方は異常だと思った。
 クーラーかけ過ぎ。


 8:30ご飯休憩とのアナウンス(マイクなし、肉声のみ)。
 小さなペソ(モネダナショナル)払いの屋台(車輪は付いていないが、そんな規模)。
 レフレスコ(ドリンク)がコップ一杯1ペソ。
 パンは1種類のみで5ペソ。
 パンの名前は忘れてしまったが、脂身の多い肉を挟んだ安いヤツだ。
 私は滅多にこれを食べない。

 外人の女の子がペソを持っていなくて困っている。
 隣にいたキューバ人のおばさんが彼女にレフレスコを一杯おごった。
 外人は普通、この国ではドルよりも高価なCUC(兌換ペソ)払いのみだからね。
 1CUC=24ペソ。
 このレートは長い事ほぼ変わっていない。
 一時期1CUC=25ペソになった記憶はある。
 だけど、そんな程度。
 街では1ペソでレフレスコ(清涼飲料)、3ペソでバティド(果汁+ミルク)が飲める。
 対して1CUCでセルベッサ(ビール)、あるいは0.5-0.7CUCほどでコーラが飲めるかも。
 コーラとかは滅多に飲まないので記憶が危うい。
 水のペットボトル500mlは0.5CUCくらいだ。
 ちなみに、ここではトイレはなさそうだった。
 本当に道端の露天にある、小さな店?だ。
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 この国の値段の付け方には極端な幅がある。
 同じようなコンサートが30CUCだったり5CUCだったり、ときには無料だったりする。
 宿一泊30-40CUCするところもあれば、地方なら10CUCで泊まれるところもあるらしい。
 ハバナでは以前7CUCで泊まれたところが、今や一般的に25-30CUCだ。
 以前23CUCで泊まれたビジネスホテルは現在60CUCほどもする。
 本日1CUCは約138円。
 しかもあの頃は1CUC=84円くらいではなかっただろうか。
もう遠い昔の話だ。

 今にしてみれば貧乏な学習時代に最強の円が存在したのは巡り合わせといえば巡り合わせで、とてもラッキーな事だった。
 最近では日本人観光客も激減しているらしいが、このレートでは無理もない。
 私だって正直キツい。


 バヤモには10:40到着。
 ここでも確認のため一応トイレに寄ってみた。
 水が流れて手も洗える。
 入り口の人にチップを20センターボ渡す。
 だいぶ陽射しが強くなってきた。

写真:街角で見かけた乗合馬車
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 11時を過ぎて、バスはどんどんと高度を下げる。
緩い下りが続き、耳が痛い。
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 12時。
 サンチアゴ・デ・クーバ市内に入ると再びアナウンスが入る。
 フィデル・カストロの弟であり、今彼に代わって国の舵取りをしているラウルの妻にして革命の戦士、ヴィルマ・エスピンが昨晩亡くなったそうで、弔いの行事により市内へはバスが入れないとの事。
 ぐるぐると狭い路地をまわって、いつものビアスールのバス停ではないターミナルに停車する。
 そう、ここは車庫だ。
 3年前に忘れ物を取りに来た事のある車庫。
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 タクシーでフェルナンドの薦める宿へ向かう。
 途中、フォコと呼ばれるカーニバルチームの名門、懐かしいロス・オヨスやカラバリの家がある付近を抜ける。

 宿が近づいてくると、なんとそこは・・・
 3年前に泊まったファン・カルロスの家だった!
 これは運命だな。
 話を聞いていて近い場所だなとは思っていたけれど、まさかドンピシャリだとは。
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 彼、ファンカルロスも私の事を覚えていてくれた。
 「ええっと・・・君は音楽家だったよね」って。
 部屋に入ってみると、3年前よりずっとずっときれいになっていた。
 ベッドもアメリカのホテルのようだ。
 壁も美しく張り替えられている。
 マレーシアやシンガポールでよく見かける方式のウオッシュレットになっている。
 努力を惜しまない人なのだろう。
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 シャワーを浴びて街に出てみるが、街角から全く音楽が聞こえてこない。
 カーニバル博物館も閉まっている。
 今日は歌舞音曲が禁止されているそうだ。
 せっかくここまで来た身としては残念である。

 陽射しが強い。

 街は色々と変わっていた。
 腕時計を直したり、そんなので便利だったフェリア(露天市場)がその場所にはなくなっていた。
 残念だ。

 気を取り直してカラバリの家に向かう。
 今日はエンサーヨ(リハーサル)のある日なのだが、さてどーだか。
 はたしてエンサーヨは中止だった。
 残念続きだ。
 ついてない。
 ついてないと言えば、コロンビアの街、カリブ海に面してひろがるカルタヘナでの出来事を思い出す。
 カルタヘナといえばウキウキとする楽しい音楽、バジェナートで有名だが、その街を夜、バジェナートの楽団を乗せながら走るオープンバスがある。
 私はそれに乗りたかったのだが、大統領選挙のために数日戒厳令が敷かれてしまい、残念な思いをした。
 海辺では普通にバジェナートが聴けたし、戒厳令の前日までは楽しく走るオープンバスを見ていたのに、いざ自分が乗ろうとしたらNGだったという・・・。

 さてカラバリ。
 道を歩いているとあちらから気付いてくれたのはキューバ最古のフォコ、カラバリ・イスアマの長、ジョアングラ。
 久々の再会を喜び合う。
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 最初に彼女へと投げかけた言葉は「おーい、今日はリハーサルないのかい?」だ。
 最後にここを訪れた日から3年経ってしまったと言う気が全くしない。
 家の中にはジャイリンや、彼女の息子であり、私がパドリーノ(後援者)のクリスチャンがいた。
 後援者になる事については教会で洗礼もした。
 クリスチャンは相変わらず恥ずかしがり屋であまり喋らない。
 いやいや、この後はすぐに慣れてメチャクチャ活発に喋りかけてくるようになる。
 名前の覚えも「コージ・フジータ」と、完璧だ。
 インファンタ657の裏表紙で私が抱いている子がクリスチャンである。
 6歳だから小学校1年生だそうだ。
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 カラバリの長、ジョアングラとカラバリのDVD化、あるいはCD化について話し合う。
 サンチアゴといえば世界文化遺産のトゥンバ・フランセサが有名だが、このカラバリがキューバで最も古いフォコだ。

 色々と雑談する中で給水の話が出てきた。
 最近ピオ・ロサド通りにあるこの地区では、水が6日おきにしか出ないそうだ。
 それは大変な事だ。
 明日、水が来るって言ってたけれど。
 宿ではホテル・カサ・グランダが近いせいで水が使い放題なのだけど、同じ市内でこの差別はひどいと思う。

 ジャイリンの弟、チーチョは技術系の先生になった。
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 3年前にはまだ学生で、よく一緒あちらこちらへと遊びに行ったっけ。
 勤め始めた今は、なんと日曜日にしか休みがないそうだ。
 8月に結婚するとも聞いた。
 あの頃よく遊んだもう一人、チャックは小学校の先生をやっているそうだ。
 今は軍のボランティアに出ているとも。
 時は流れる。

 しばらくしておいとまする。


 今宵、超珍しくサンチアゴの夜は静かだ。
 音楽が聞こえてこない。
 せっかくはるばるとやって来たのに残念です。
 明日は全てが平常に動く・・・らしい。

写真:3歳にしてボニータ!
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Junio 20, 2007

カーニバル博物館(Museo del Carvanal) 20 junio 2007

 昨晩早く寝てしまったから、今朝は6時に目が覚める。
 この宿では、昼間はエアコンの効きが悪くてやや暑いが、夜はエアコンを付けっ放しで寝るとさすがに寒い。


 今回キューバを訪れた最大の目的は、カーニバル博物館の打楽器奏者、ファン・オスカール・テヘラと共にラテンパーカッションの基礎を納めたDVDを作ることである。
 昨日はムセオ(カーニバル博物館)が閉まっていて残念ながら会えなかったが、今日は会えますように。
 そういえば、この4月に見つけた新刊でボニアティージョが表紙になっている本に、彼の写真も載っていたっけな。


 そうだ、せっかく早起きをしたのだからコブレに行ってみよう。
 コブレ教会とは、キューバ人にとって最も重要な聖地なのです。
 コブレに行く事を誰かに伝えると、よく「コブレの砂を持ってきてくれよ」と言われる。


 快晴。
 バイーア(湾)の方に鉄道駅やバスターミナルがあるので、まずそちらへと出掛けてみる。

写真:バイーアに面した通り
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 が、道行く人々に訪ね、ターミナルで訪ね、コブレ行きのバスは市街地反対側のターミナルから出ている事を知らされる。
 もしかしたらそうだったよなって、薄々わかってはいたけれど、あちらは遠いから出来れば行きたくなかった。

 ビシタクシーという名前の人力車でコブレ行きのバスがあるCalle4へ向かう。
 $3。
 近い割にいい値段だ。
 途中馬車と競争させる。
 下り坂では人間の方が速い。

写真:人力車の背中から
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写真:人力車の運転手と
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 バスターミナルに着いてみると、肝心のバスは発車してしまったばかりだった。
 うん、真っ直ぐこちらに来ていれば間に合ったものを・・・
 コブレ行きのバスは8:00,9:00,10:00にあるようだ。
 次はグッと時間が開いて12:30。

写真:バス時刻表の掲示
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 ムセオに行くことが先決事項なので、今日はコブレに行く事をあきらめる。
 12:30に街を出てコブレへ行ったら、カーニバル博物館のライブパフォーマンスには間に合わなくなってしまいそうだ。

 徒歩での帰り道、ムセオに寄ったら今日は16:00からショーがあるとの事。
 ファンが健在であることもわかった。

 ついでにトローバに寄ってみる。
 午前中はまだ何もやっていなかったが、午後からは演奏が目白押しの模様だ。

 ・・・12時から演奏が始まるはずだったが、13時を過ぎてもまだ始まらない。
 仕方なくそこいらをブラブラして戻って来ると、ようやく演奏は始まっていた。
 ソンの故郷、カサ・デ・ラ・トローバ。
 気持ちの良いリズムにのって、肉声が場内に響く。
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写真:トローバにて
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 いったん宿に戻って、今度はすぐにカーニバル博物館へと向かう。

 いたいた!
 ファンが階段から手を振っている。
 久々の再会を喜び合う。

写真:カーニバル博物館にてファンと
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写真:Juan Oscar De La Tejera
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 早速仕事の話。
 収録内容や場所の話、etc...。
 明日10時にここで落ち合って、コンガの雄、サン・ペドリートのフォコで収録する事になった。

 ファンはサン・ペドリート地区の出身だ。

 ショーが始まった。
 やはりファンのプレイはすごい。
 ショー自体、ダンスや音楽も多彩だ。
 場所柄、衣装がチープなのが残念だ。
 その点、首都ハバナでは数倍豪華だ。
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 ショーを見終えて、久々に懐かしのレストラン、1900(ミルノベシエントス)に行ってみた。
 ・・・絶句。
 前々から噂はあったが、ついにCUC払いに変わってしまった事を知る。
 食事は以前に比べて約10倍の値段を提示された。
 飲み物は10ペソ→1CUC。
 円安と通貨切り上げを換算すれば、飲み物については3年前までに比べてそれでも3倍ちょっとの値段。

 思わず注文するのを止めて飲み物だけ頼んだら、どこからかチーフがやって来て今日はペソ払いでも良いという。
 辺りを見渡してみると私の他に客が誰もいない。
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 カマレロ(ウェイター)に「何でだよ?」って尋ねてみたら、「今、他にお客さんがいない。私たちも稼がなければならない」との事。
 ラッキーだ。
 だけど、もうここにはそう易々と来る事は出来ないな。
 愛用のレストランだったので、寂しくはあるが、その値段を払うなら他に良いところがたくさんある。
 ちなみにこの後レストランを探してみたところ、ペソ払いのところをいくつか見つけた。

写真:レストラン、ノベシエントスの鶏ご飯
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写真:レストラン、ノベシエントスのトマトサラダとアトウェイ
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 宿へと戻る。
 今回の宿、ファンカルロスの家はバルコン・デ・ベラスケスの裏手にあり、街の中心、セスペデス公園からわずか2ブロック離れたところに位置する。

写真:ベラスケスのバルコニー
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写真:セスペデス公園にて
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 トローバへは3ブロック、ムセオへは5ブロック、どちらへ行くにしてもせいぜい歩いて5分とかからないだろう。
 トローバに次いで有名なチボリ地区にあるカサ・デ・ラス・トラディシオネスへも6ブロック程だ。
 カラバリの家へは少し遠いが、それでも徒歩12分くらいのものだろう。
 トゥンバ・フランセサの家へは歩10分くらいか。
 ロス・オヨスへは歩15分。
 チボリのフォコへもパドレ・ピコ通りの階段を上った先、すぐ近くだ。
 クトゥンバの本拠地へも3ブロック、5分以内だな。
 たまにお世話になる事があるプラサ・デ・マルテに面したパティオ・ロス・ドス・アブエロスへはちょっと遠いがそれでも多分徒歩15分以内。
 ちなみに宿側のセスペデス公園と、このプラサ・デ・マルテにはさまれた間が最も賑やかな繁華街だと思う。
 それからサン・ペドリートへはバイーアへと下って馬車を拾えば、さほど遠くもない。

 馬車!コーチェ!
 キューバでは馬車が公共の交通機関として普通に使われている。

写真:馬車
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 その他、中距離の輸送ではカミオンと呼ばれるトラックなども一般的な公共交通機関だ。

写真:カミオン
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 ちなみに馬車はいつでもOKだが、カミオンへは車掌の機嫌が悪いと外国人は乗せてもらえない。
 近頃サンチアゴで流行っているのはバイクタクシー。
 客は一人しか乗せられない。
 こちらは外人でも10ペソ。
 市内ならどこまで行っても10ペソ。

 ま、市内ではカリブの家のみが重要な音楽の場所のうち、トロピカーナとかホテルのショーとかの高価な場所は別として、歩いていくのが辛いところだろうか。


 22時少し前にカサ・デ・ラス・トラディシオネスへ行こうと宿を出る。
 狭くて、音楽の響きがリアルで、ある意味トローバ以上に面白い場所なのです。
 コロナ通りを確か112番地くらいまで下って右へ折れ、数区画先を今度は左に入ってすぐの場所にある。

 いざ行ってみたら・・・
 ・・・閉まっていました。
 初めてです。
 上で警備の人が何かが壊れたとか言っていたけれど、よく聞き取れなかった。


 今回はアンラッキーが多い。
 ハバナではマラカが洪水で中止、ラスベガスのルンバも大雨で行きそびれ、サンチアゴに到着したら今度は追悼の為にムセオもトローバも演奏なし、カラバリがリハ日だったのに中止・・・そして今回。
 見られるはずだったものを5本も落としてしまった。
 そんなだから今回はいつもの旅よりも睡眠時間多めで、健康には良いかもしれない。


 明日はいよいよ仕事中の仕事だな。
 午前中からファンとラテン打楽器の基礎を収めるDVDの制作だ。
 そして晩にはカラバリと打ち合わせ。
 濃い1日が待っている。

写真:夜のサンチアゴ・デ・クーバ教会
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Junio 21, 2007

ラテン打楽器のDVD収録 21 junio 2007

 快晴。
 朝10時にキューバ国立カーニバル博物館の前で、館の首席打楽器奏者ファン・オスカール・テヘラ”Nino”と待ち合わせる。

 彼は時間前に来ていた。
 さすがだ。
 マキナ(タクシー)でサン・ペドリートのフォコへ向かう。
 3CUC。

写真:サン・ペドリートのフォコにて
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 3人の奏者でDVDを作ることになった。
 今日の収録リズムはポピュラー系のダンソン、ボレロ、ソン、デングェ、チャチャチャ、ピロン、モザンビーケ。
 それにコンガやティンバレス、クラベス等を演奏するための基本テクニック。

 彼らがリハをしている間に録音レベル等を設定し終える。

 横着してそれをのせたままテーブルを運んだら、R-09の三脚を床に落とした。
 初めて使ってみた今日、早速壊すとは・・・。
 さすがだ。
 このローランドR-09は大変コンパクトなのに24bit48kHzの高品位で録音できる優れたアイテムだ。
 今回のようにマルチ録音を必要としない場合、重宝する。
 しかし別売の三脚はもろい。
 負担のかかる脚の接合部がプラスチックなのはどうかと思う。
 これで約5千円。
 そう言えばこの3~4月にロサンゼルスで買ったスーツケースもトロント-ハバナ便でチャックを壊された。
 スーツケースは大体1旅行しかもたない。


 さて、収録は非常にスムーズだった。

写真:DVD収録風景
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写真:3人の奏者と一緒に
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 が、嫌なニュースを聞いた。
 来週月曜まで歌舞音曲が禁止になったという。
 重要人物の喪に服すときは歌舞音曲の禁止、日本だけではなかったか。

 だから今日はムセオも休みだという。
 いや、困った。
 音楽の都、サンチアゴにいながら何も聴くことが出来ないとは・・・。
 カラバリのDVD収録もダメかもしれない。
 楽しみにしていた6月24日、サンファンの祝日に走るコンガのパレードも喪に服すため今年はなくなってしまったとの事。
 昨日まではあるよって話だったのに、残念だ。


 宿に帰ってデータの整理をする。
 帰りはコーチェ(馬車)に乗って帰ろうかと思ったらどれも満員で乗れない。
 仕方なくまたビシタクシーのお世話になるが、セスペデス公園まで入れないくせに2CUCは高いな。
 キューバ人なら1人10ペソだ。


 無駄だとは思ったが、帰ってすぐにトローバがどうなっているか見に行く。
 残念だが、店の扉にはやはり月曜まで閉店との張り紙がしてあった。
 道でムセオのダンサーにも会ったし(つまり彼女はオフ)、やはり月曜までどこにも音楽はないようだ。

 何のためにキューバに来たのか。
 その殆どは音楽を体験するために、である。
 なのに今日、木曜日から来週月曜日まで、つまりサンチアゴに留まっているあいだじゅう音楽がないなんて。
 殆ど意味がない・・・。
 しばし脱力。

 運命とは時に気まぐれで計算が立たない。
 思った通りには物事は運ばない。
 目的地までの辻々で回り道するものである。

 さて来年、再来年のキューバはどんな顔をして私たちを迎え入れてくれるものか。
 それは誰にもわからない。
 世界は一瞥普遍に感じられるが、しかし、ちょっとした出来事によって激変する。

 ここは潔くあきらめてリゾートするか。

 待て待て、とりあえず明日には大切な仕事がある。


 夕方カラバリのフォコへと出掛ける。
 今年はカラバリ、一度も見ることが出来ないかな・・・。

写真:カラバリのフォコへと向かう道
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 果たして・・・

 どうやら週明けの月曜日には音を出しても良いらしい。
 「Hasta Lunes(月曜まで)」に月曜は含まれないのか、ふーん。
 月曜日・・・サンチアゴに到着したその日に、カマグエイへと移動するバスの切符を買ったが、始め月曜の朝便を予約しようとしたのを考え直して夜便にしたのが、偶然に正解となった。
 月曜の出発は22:00だから、時間は充分にある。
 月曜朝9時に約束する。
 このDVDによって、彼らがもっと世に知られる事となったらよい。
 キューバ最古のフォコ、カラバリ・イスアマ。

 ジャイリンにマンゴーやパイナップルをご馳走になる。
 それから少しして、夜、ピザをちょい高めのレフレスコとご馳走になる。
 結構美味しい。
 フルサイズ、10ペソだって。

 今回おみやげとしてLEDライト(発光ダイオードのハンディライト)を持っていったのだが、結構重宝するらしく需要が多い。
 これで商売しようかな。
 ちなみにこちらではリンテルニータと呼ばれています。
 仕入れは日本で0.7CUCくらいだけど、換えの電池が8個も付いているから、もしかしたら10CUCくらいで売れるんじゃないか。
 いや、チーチョに聞いてみたら電池だけでも1個1CUCくらいはするし、12CUCでも売れるだろうと言っていた。
 100個売りさばけば、単純に1200CUCくらいの利益が上がる。
 約16万5千円・・・悪くないじゃん。
 もっとも最近はこれくらい持っていてもすぐなくなってしまいますが。
 円はここのところのキューバでは使いでがない。
 私の場合、観光が目的で来る人とは使い方が違うけれど。
 寄付が多いんだ。
 個人で支えられる人数には限りがあるけれど、近しい人の何人かに。

 しかし彼らには、色々なところへ連れて行ってもらえたり、演奏を聴かせてくれたり、ご馳走になる事もしばしばだから、寄付と言ってもあながち一方的なものではない。
 だからちょっとお金の使い方が違うだけ。

 ジャイリンの誕生日が23日(土)で、なんとカミオン(トラック)をチャーターして近所の人を50人ほど引き連れて海に行き、お祝いをするそうだ。
 それに招待を受けた。
 もちろん行きます。
 期せずしてリゾート行きが転がり込んできた。
 目的地はPlaya Caleton Blanco。
 この8月に結婚する弟のチーチョのフィアンセはもう一つ先のBoca de Los Riosがいいって言っているけれど。
 シエラマエストラ山脈が海岸に落ちるところ、市街地から西へ湾の向こうを海岸づたいに40kmほど行った辺りか。
 楽しみだが、朝6時半までに来いと言う。
 果たして起きられるだろうか。

 そういやチーチョのフィアンセは18歳、大学入学前だって。
 ちょっと早くないか。
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Junio 22, 2007

サン・ペドリート(San Pedrito)にて 22 junio 2007

 快晴。

 朝9時。
 バイーア沿いの大通りを走る馬車に乗ってサン・ペドリートのフォコへと向かう事にする。
 馬車の事を当地では「Coche(コーチェ)」と言う。
 語学の本で「コーチェ」は「自動車」だけど、馬車が自動車並の頻度で使われているキューバでは当然コーチェは馬車なのだろう。
 そういやコチェロといえば馬車の運転手だ。
 馬車を指してカバーヨ(馬)と言っても、思った意味ではイマイチ通用しなかった。
 今一度、辞書で調べてみると自動車も馬車もコーチェだそうだ。 

 しかし、通り過ぎる馬車はどれも満席で乗ることが出来ない。
 しかたなく人力車(ビシタクシー)を拾う。
 今回のチョフェは正直者だった。
 サン・ペドリートのフォコまで5ペソでよいと言う。
 気分が良かったからチップにリンテルニータ(LEDハンディライト)をプレゼントした。
 パッと顔がほころんで、帰りにも拾ってくれるという。
 大変ありがたかったのですが、時間がわからないのでお断りさせて頂きました。


 9:25にサン・ペドリートのフォコに到着。

 既にメンバーは揃っていた。
 ファン・オスカール・デ・ラ・テヘラにファン・バウステ・グランダ、それにアンリス・カブレラ・オリスの3人。
 それにアンリスの弟。

 ファンとアンリスは国立カーニバル博物館のミュージシャンであり、ファン・バウステはキューバ国立民族舞踊団(コンフント・フォルクロリコ・デ・オリエンテ)のミュージシャンだ。フランスへも演奏しに行っている。
 ファンはルンベロス・デ・オイのメンバーでもあるし、またアンリスはココジェのメンバーでもある。
写真:JuanOscarTejera
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写真:JuanBausteGranda
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写真:AnlisCabreraOris
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 今日は昨日なかったボンゴ、マラカス、それにカウベルを混ぜての収録。

 リズムはボレロ、ソン、チャングィ、それにルンバのヤンブー、ワワンコー、コルンビア。
 コルンビアはマタンサス、ハバナ、サンチアゴの各スタイルを演奏してもらう事になった。
 エレメンタリーなものを目指していたのだけれど、はからずも本格的なものになりそうだ。


 ちょっとしたリハーサルの後に収録。
 とてもスムーズに済んだ。

 収録後、サンペドリートの打楽器倉庫にある楽器を拝見させて頂いた。

写真:コンガの雄、サンペドリートのフォコで見つけた打楽器たち
Pilon
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Fondo
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Campana
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 お礼をしてサン・ペドリートのフォコをあとにする。
 帰る途中、ファンの家に寄った。
 彼の息子、オスカールを見るために。
 既に8歳となっていた。
 相変わらず大人しいが、打楽器奏者を目指しているらしい。
 少し脱線するけれど6歳になった我が息子、クリスチャンは医者になりたいと言っていた。

写真:ファンと息子オスカル
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 そういえばムセオでのショーが、週明けの月曜日にはあるらしい。
 ファンでさえもよくわかっていなかったから、スペイン語は難しいんだな。


 宿に戻ると11時。
 まだ、1日たっぷりと時間があるので、キューバの守護聖人を祭るコブレの教会へと今日こそ行ってみる事にする。

 バスやカミオンの出るCalle4までは宿のある街の中心、セスペデス公園付近から歩いて30分ほどだ。

 行く道すがら、宿の上にあるベラスケスのバルコニーに寄ってみた。
 ディエゴ・ベラスケスによってスペイン人のキューバへの入植が開始された。
 街の建設は1515年。
 バラコアの建設に遅れる事3年。
 キューバの首都として1523~56年の間繁栄し、そういうわけで最も古い時代に建設された都市のうちの一つである。
 近所にあるベラスケスの家は1522年に建てられたそうだから、こちらもほど同年代の建設だろう。
 バルコニーから眺める湾とシエラマエストラ山脈のはしっこの眺めが素晴らしい。
 もはや見慣れた風景だ。
 こちら見学だけなら無料、写真撮影は有料だ。
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 さて、バスターミナルに着いて切符売り場で尋ねるとコブレ行きは13時の発車だという。
 しかし、12:20頃コブレ行きに乗らないかと声がかかり、先日切符売り場で聞いたように12:30ちょうどにコブレ行きのカミオン(トラック)は出発した。

 トラックの荷台に乗っているものだから、結構揺れをキツく感じる。
 コブレ教会までは市内から20km、5ペソ。


 13:05、コブレに到着。
 景色が懐かしい。
 以前ここに来たのは確か2002年、5年も前の事だろうか。
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 キューバ人のこころのふるさと、コブレ教会。
 5年前に来た時には、ハバナに住む知人に頼まれてコブレの砂を持っていったり、人形を買っていったりした。
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御本尊「ビルヘン・デ・ラ・カリダ」
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 帰り道、偶然バスが通りかかったので、サンチアゴ行きかどうか運転手に確かめてからそれに乗り込む。
 1時間待ちを覚悟していたので、これはラッキーだ。
 まったく待つ事なくバスに乗る。
 なんてリッチなんだ。
 13:45発、14:20着。


 歩く帰り道、スーパーに寄ったら、以前会ったことのあるルンバのミュージシャンから声がかかった。
 確かバルバロって名前の。
 少し疲れていたので挨拶も程々にスーパーをあとにする。


 15:05宿に到着。

 ブカネロを一本飲み干して、今度はカラバリへと向かう。
 ジャイリンは明日の事で外に出ていたが、学校から戻ってきたチーチョがいた。
 毎日8時から16時まで仕事だそうだ。

 チーチョが「今回はいつ麦酒飲みパーティーをやるんだい?」と度々訊ねてくるので、ビールを買ってきてもらう。
 キューバ人が買うと1本12.5ペソでアトゥエイが飲める。
 以前ペソ払いでも結構麦酒を買っていたけれど、最近はダメなのかな、外国人。
 3年前は10ペソだったから値上がりした。

 色々話をしたけれど、ナイレのバンド、X-Alfonsoはやはり結構有名らしい。
 特にビデオクリップ祭?の時には必ず登場するそうだ。

 そう言えば、ついいつもキューバ人の発音を説明する時にキューバ=ハバナって感じで説明してしまうけれど、サンチアゴ人の喋るスペイン語では末尾の「S」が落ちない。
 その点サンチアゴ人の方がハバナ人よりもインターナショナルだ。
 ハバナ人、特にバリバリ下町みたいなハバナ人は
「2」を「ド」と発音する。
 より一般的なのは「ドス」だ。
 カタカナで「ドス」と書いても"dosu"ではなく、"dos"ですけどね。


 しばらくしてジャイリンが家に戻ってきた。
 鶏肉とパスタの盛り合わせ?をご馳走になる。
 いつも申し訳ない。

 明日出掛ける海岸がもう少し市街に近いブエイカボンに変更になった事を告げられる。
 50人集めるはずが30人しか集まらなかったので、少ない人数で遠くへ行くのをタクシーの運転手が嫌がったらしい。
 しかも6時ぴったりに出発するから、5:45までにここに来い、と。
 いやー、朝は不得意です。
 5:25には宿を出るつもりでないと危ないな。
 それは通常なら寝る時間だ。
 ま、頑張ります。

 帰り際にチーチョのフィアンセがやって来た。
 彼女は高校を卒業したばかりで、今は何もないそうだ。
 なかなか朗らかで可愛らしい子だ。


 いよいよリゾートが始まる。


 ・・・暗転。

 今、ジャイリンがわざわざモト(バイクタクシー)に乗って宿まで知らせに来てくれた。
 カミオン(トラック)が壊れたから、明日の海行きは中止になったって。
 キューバでは日本以上に一寸先は闇である。

 しかし中止のはずだったコンパルサは日曜日にはしるという。
 こちらは嬉しいニュースだ。

 さて、海行きが中止になった代わりに、チーチョとチャックと3年前に行った海に行こうか、と誘われて迷ったけれど、それを辞退する。
 あの海は濁っていて、とても泳げたものではなかったからだ。
 シボネイは?と聞いたら、シボネイ行きのカミオンに外国人は乗れないという。
 3年前にはカミオンでシボネイに行ったのだけど。

 3年前のシボネイ。
 泳いでいるうちに、砂浜に置いてあった荷物を全て持っていかれたシボネイ海岸。
 もっていかれるのを覚悟で持ってきた荷物だから、全く大したものは入っていなかったのだけれど、わずかな有り金全てとTシャツを持っていかれてしまったのはそれなりに痛かった。
 無一文では街に帰れないし、上半身裸で街を歩くのも日本人にはふさわしくない格好だ。
 あの時には、浜でフルーツを売っている兄ちゃんが帰るための1ペソを恵んでくれて、それから近所に住む見知らぬおじさんがTシャツを見ず知らずの私に貸してくれた。
 益々キューバが好きになった瞬間。


 さてジャイリン。
 明日、彼女は子供のコンパルサのための服を繕うから、どちらにしても海には行けないという。

 そんな事だけを私に告げて慌ただしく彼女は帰って行った。
 ありがとう、ジャイリン。

 さて、明日は何をしようか。

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Junio 23, 2007

カレトン・ブランコ(Caleton Blanco)海岸 23 junio 2007

 快晴。

 結局はカラバリの彼らとは別にシボネイ海岸へ出掛けることにする。
 外国人はトラックに乗れないと言われたが、さて、最近の実勢は如何なものか。

 キューバ。
 貧乏旅行者にももう少し門戸を拡げればいいのにと思う。
 以前は広かったのだが、民泊が禁止になり、トラックに乗る事が禁止になり、最近では外国人が必ず必要とする兌換ペソへの換金手数料を大幅に引き上げられた。
 ブエナビスタのブームも一段落して、キューバへと行く人が減っているようにみえるけれど、ここのところのキューバは貧乏人にとっては行きたくても行けない国になってしまっているのではないのかな。

 昔は良かったね。


 11時頃宿を出る。
 海に行くには遅すぎる時間だ。

 セスペデス公園を越えたところで急に気が変わった。
 そうだ、ジャイリンお勧めのカレトン・ブランコ海岸へ行ってみよう。
 そちらの方が停留所も近所だし。

 Calle4へ行くのは止めて、宿のある丘からすぐ下に降りたアラメダ大通り沿いにあるセラノ・バスターミナルへと歩く。

 カレトン行きのバスは10:45に行ってしまった。
 タキージャ(切符売り場)で聞いてみると、カミオン(乗り合いトラック)はあるだろうという。
 バスターミナル前であてどもなく待っていると、チビリコ海岸行きのトラックがやって来た。
 これに乗って途中で降りればカレトン・ブランコ海岸だ。
 5ペソだが、あいにくと細かいのを持っていなかったので車掌に20ペソ札を出してお釣りをもらおうとすると、「ベインテ・サブローソ!(20ペソ!素晴らしい!)」と言って指定席を作ってくれてしまった。
 別に20ペソ払うのはそんなに痛くはないけれど、根っから平民根性が染み着いているので、余分なお金を使って座っていた人を立たせてその空いた座席に自分が座るのは辛かった。

 この車掌がまた道中、品のない会話を浴びせてくる。
 隣の軍人は閉口していた。
 柔道にかけて「一本」はすごいが、キューバには「ウチママ」(内股、ではない)というすごい技がある、とかしようもない事を言う。
 わかる人にはわかりますね(笑)。


 ようやくカレトン・ブランコ海岸に着いた。
 キャンプ場併設の小さな海岸だ。
 チビリコ海岸まで行ってしまおうかとも思ったけれど、これに1時間45分、往復で3時間半乗るのにはかなりな根性が要求される。

 カレトン・ブランコ海岸には海水プールなどもあり、結構賑わっている。
 波は荒い。
 サンチアゴ周辺の海岸は有名なシボネイもそうだけど、結構波が荒い。
 潜ってみれば、シマシマの熱帯魚やベラ類、それにアジ系の魚、サヨリ系の魚などが見られた。
 東から西へ流れる海流が強い。
 珊瑚は殆ど見られない。
 基本、岩礁だし、とてもキューバ最大のリゾート、バラデロ海岸のような風情はない。
 岩礁でも珊瑚が発達していれば、それは砂浜海岸以上にとても面白いのだが、ここは珊瑚もそれほどではない。

 外人は全くいないようだ。
 シボネイのような物売りもいない。

 もしかしてサンチアゴ市街からちょろっと海へと遊びに行くのならシボネイ海岸の方が面白いかもしれない。

 シボネイの方が近いし、賑やかだ。
 珊瑚礁もシボネイの方が発達している場所がある。
 ただし・・・シボネイではこの時期、「ピカ」と呼ばれる海中生物が発生して、人によっては泳いでいるうちに刺されるようだ。
 ちなみに私は刺されたことはないが、一緒に行った仲間は刺された事がある。

 さて、1人で泳ぐときのスタイルだけど、以前シボネイ海岸に置いておいた荷物を持って行かれてしまった事もあるし、全て持ち泳ぐ事を基本としている。
 コインはポケットでOK、紙幣もチャック付きのビニール袋に入れておけばそうそう濡れることはない。
 その他の日焼け止めやティッシュ類、タオルはビニール袋に入れて口を閉じ、着ていたTシャツでくるんで巾着袋に入れ、肩に掛けて泳ぐ。
 ビニール袋の浮力で巾着袋は海面に浮いている事もあって、中の物は濡れない。
 Tシャツは濡れるのを覚悟。
 Tシャツを着て泳ぐのも日焼け止めになって良い。
 足はテーバ等の水陸両用スポーツサンダルをはいたままだ。


 キューバ人が海岸ではしゃぐなか、かなり本格的に2時間ほど泳いで海岸をあとにする。

 停留所で待つも、なかなかカミオンはやって来ない。
 30~40分待っていたら、サンチアゴからやって来たカミオンがここで転回した。
 そうなると、せっかくバス停で順番に並んで待っていたのに、もうそれは関係ない。
 早いもの勝ちの世界だ。
 帰りのカミオンは、行きのそれよりかひとまわり大きい。
 そのせいなのかどうか、こちらは一人3ペソと格安だ。

 カミオンの客室は全て鉄で出来ている。
 座席も鉄なら、背もたれも鉄だ。
 道路状態も良くないし、うっかりすると背骨などに損傷を負いそうである。

 帰りの終着地点はサンチアゴの鉄道駅前だった。
 宿至近のセラーノ・バスターミナルまでは行かない。


 宿に戻ってみたら16:45分だった。

 シャワーを浴びてカラバリに行こうとするも、なんとサンチアゴで初めての雨。
 雨が止むのを部屋でじっと待つ。


 ほどなくして雨が止んだので、カラバリの家へと出掛ける。
 チャックがいた!
 しばし再会を喜び合う。
 しばらくして息子のジャンカルロスもやって来た。
 初めてみたけれど、口が達者だ。
 3歳。
 チャックも頭の回りがとても早いから、彼も賢いだろう。
 彼は3年前の、私のバンドのメンバーの名前さえも全て覚えていた。
 なぜ?
 驚異的な記憶力だ。
 ヨウヘイ・タカサキは来るはずだったんだけど、流れちゃったんだと伝えておいた。

 しかし、チャックが2年前に早くも離婚していたとは・・・
 キューバ人にとってそれは日常茶飯事ではあるけれど。

 その逆に、この8月に結婚するチーチョのフィアンセは私と同じ5月5日が誕生日である事が判明。
 1989年5月5日。
 ゾロ目だから、何かご縁があるかもしれない。

 ビールを飲みながら、とめどもなく話が続く。


 明日は午前中にカラバリの撮影を済ませた後、彼らと昼食を共にして、そのあと飲みながらコンガのパレードを見る事になっている。
 やはりサンファンの日はこうでなくちゃね。

 サポーテのジュースをご馳走になる。

写真:サポーテの実
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 こちらサンチアゴでサポーテと呼ばれているものをハバナではマメイと言う。
 関東のイナダが関西でハマチになるのと一緒だな。
 とはいえ最近はハマチが全国的に優勢なようだ。


 帰りがけに3年前はドル払いだった、セスペデス公園から1ブロックのところにあるLos Columnasへとご飯をしに寄った。
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 ミルノベシエントスとは逆に、なんとこちらはペソ払いになっていた。

 タマリンドのジュースを飲んでみた。
 それからフライド・チキン。
 以前より安いけれど、安い分、量が少なくなった。
 私にはちょうど良い感じだ。

写真:チキンはてっきり単品かと思いこんでいて、ご飯をもう一皿頼んでしまったの図
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*注:この日は盗難が怖くてカメラを持ち歩かなかったので、海の写真は一枚もありません。残念!

写真:街の中心、セスペデス公園にて
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Junio 24, 2007

サンファン(San Juan)の日、カラバリ・イスアマ(Carabalí Isuama)の収録とコンガ(Conga)のパレード 24 junio 2007

 快晴。

 9:25に宿を出発。
 約束の撮影時間前にスタンバイしておきたいから早めに出掛ける事にした。

 今日収録するカラバリ・イスアマはキューバ最古のフォコ(民族音楽集団)だ。

写真:Carabali Isuamaのメンバーと
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 そう言えば、昨晩思い付いた。
 スペイン語と英語でもブログを綴ってみよう。
 語学を磨くためにも。
 外国語で例えば手紙を書くと、相当な数の単語を覚えるから、これは自分にとって有益な事だと思う。
 もちろん毎日というわけにはいかないと思うけれど。
 週に一度でも。
 間違いを見つけたら直ちに訂正個所を知らせてくださいね。
 これを読んで下さっている方々のうち、相当な数の方が語学に堪能なはず。


 カラバリには9:45到着。
 ささっと準備をし終えるも、メンバーがなかなか集まらない。
 あと二人がやって来ないという。


 ようやくメンバーが揃って演奏が始まったのは11時過ぎだった。
 収録は一度始まってしまえば順調に進む。
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 カラバリの歌と演奏は三部構成になっている。
 ゆっくりめのマルチャ、少し速めのマルチャ、それにオッビアだ。
 順番はあまり重要でないらしい。

 私はいつもオッビアから始まるものとばかりに思っていたが、今回オッビアは三番目に登場した。
 また、オッビアのみ伝統的な(フランス系?)衣装を身にまとう。
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 収録を終えた後、チーチョの彼女のお婆ちゃんが詩人だから吟じさせてくれと言ってきた。
 ビデオに撮ってあげたけれど、なかなか良い感じだった。
動作に照れがなくて良い。


 カラバリのジャイリンにアルムエルソ(昼食)をご馳走になる。
 ポーヨ・コン・コングリ(鶏肉に豆ご飯)、それにギネア(甘くて小さいバナナ)、それからバティド・デ・マンゴー。
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 このマンゴージュース、大好きです。
 一度飲んだら止められない。
 ポーヨ・コン・コングリ、キューバでは一番食べる機会が多いかも。
 どこで何を食べるのが好きかにもよるけれど、鶏肉は大体いつもある。

 もう、超おなかいっぱいです。


 昼食後、音楽学者グラディス・ゴンサレス女史の家へと遊びに行く。
 カマグエイについて色々と教えてもらった。
 黒人はハイチ出身の人が多いそうだ。
 また、国内ではオーケストラが有名らしい。
 色々な物が穫れて豊かな土地のようだ。
 また、アカデミックな雰囲気も感じた。
 それから市街地からそう離れていないところに日本人のコミュニティがあるそうだ。
 ちょっと楽しみになってきたぞ、カマグエイ。

 それから彼女はユネスコに関わる仕事をしていて、今、このカラバリ・イスアマを世界文化遺産にするべく働いているそうだ。
 トゥンバ・フランセサの次はカラバリが指定されるとよい。


 カラバリの家に戻ると、突然嫌な知らせが入った。
 ジャイリンのお婆さんが亡くなったとの事。
 84歳だったそうだ。

 彼女と弟のチーチョは急遽そちらへ向かう事となった。

 そしてコンガのパレードへはジョアングラ達が連れて行ってくれる事になった。
 

 15時半となったので、いよいよコンガのパレードを見に行く。

 今回はパレードの出発地点まで見学しに行った。
 到着してみると、まだ行進しないでロス・オヨスが演奏している。
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20070624CongaUp.jpg

 しばらくハバナのコンガを聴いていないから、コンガと言えばこのオリエンテ(東部地方)のものがまず頭に浮かんでしまう。
 ロス・オヨスとは、カーニバルのコンペティションで何度も優勝している伝統あるコンガのチームだ。
20070624LosHoyos.jpg

 しばらく見た後、引き返しがてら今度はマルティ大通りで走るコンガのパレードを人の波に埋もれて楽しみ、さらに続いて、知人の家のバルコニーから道に繰り出してくるカーニバルのパレードを見物としゃれこむ。
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 ここから行列を見下ろすのは2度目だけれど、やはりすごい迫力だ。
 演奏と共に、住居の谷間を人々が河のように流れてゆく。
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 始めのコンガ集団に知人のエミリオがいた。
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 主にバタを使った古いかたちのコンガを演奏していて興味深い。
 あとに続いて先ほどのロス・オヨスがやって来た。
 時に流血を伴う捕物帳も見られてエキサイティングだ。
 上から下へ、人と音楽がうねうねと流れ下ってゆく。
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 一通り見た後、さらにしつこく先回りして今度は路上から楽しむ事にする。
 見ている途中で突然スコールがやってきた。
 あえなくコンガは雨のため、ここまで中止。
 コンガで使用する太鼓は生皮を使っているから当たり前だ。
 雨の中では皮が湿って音が出ない。
 とても残念だ。

 しかし、今日は充分過ぎるほどコンガを堪能した。

 ちなみに日本で言うところの楽器のコンガは、スペイン語ではトゥンバドーラと言う。
 コンガとはキューバのカーニバルで演奏される音楽の名前だ。
 仮装して行列するからコンパルサとも言う。


 コンガを見終えてカラバリの家で雨宿りさせてもらう。
 ジョアングラの息子、ファンカルロスや好青年マウリシオと話が弾む。
 今度は近所のおばあちゃんが誕生パーティーを開いているからって、その会場へと連れていってもらう。
 飾りがすごいから是非とも写真に撮れよとの事。
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 神様への供え物は確かにゴージャスな感じだった。
 白いオバタラ、黄色いオチュン、青いイェマヤ、赤いチャンゴ、などなど。
 私もそれに祈りを捧げて、その後食事を頂いた。
 パスタにケーキにちょっとした揚げ物にレフレスコ。
 全く食べきれないなと思ったけれど、根性で食べきった。
 今日は食べ過ぎの日だ。
 日曜日だし、サン・ファンのお祭り日だから仕方ないかな。
 いや、仕方ないなんておそれ多い。
 食事を頂くのはありがたい事です。


 宿に戻ったら、もう20時近かった。
 結局一日出ずっぱりだったな。
 これからデータの整理をしなけりゃ。


 ・・・データを整理し終えたら23時半。
 ここいらへんは辛いところだけど、DVDを作ろうとしている今回は仕方のないところ。

 しかし弔いによって音楽体験する事がまったく出来なくなりかけて、一時は暗澹たる気持ちになったけれど、こうして結局コンガは聴けたし、カラバリも聴けたし、案外ダメージは少なかったかな。

 明日はカマグエイへと発つ日だけれど、音楽が復活する日だからたっぷりと堪能しよう。
 午前中にカラバリ、お昼はトローバ、夕方にはムセオ・・・かな。

 そして夜にはバスで出発だ。


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Junio 25, 2007

サンチアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)最終日 25 junio 2007

 快晴。
 空気が乾いて、風がやや涼しい。
 しかし、サンチアゴはハバナに比べると、ずっと天気が良い。

 朝9時前に宿を出る。
 まず歩いて1分ほどの市場脇にあるカデカに行って持ち合わせが少なくなったペソを作る。
 その後、トローバで本日ライブの時間を確認。
 パティオで15時からって言うから、時間通りに始まるのなら見に行くけれど、スタートは大抵遅れるし、遅れるとムセオと時間がかぶるから、今回はもうトローバでのライブは見られないかも。

 ペソ払いのラス・コルンナスで朝ご飯。
 パン・コン・ビステクにレフレスコ。
 本当は生ジュースが飲みたかったのだが、今朝はなかった。


 その後、カラバリへと足を運ぶ。
 ジョアングラが欲しがっていたリンテルニータ(LED懐中電灯)を届けに。
 しかし、あいにくと留守だった。
 カラバリが留守なんて初めてだ。

 仕方なく繁華街へと引き返す。
 する事もないので、お店を冷やかしてまわる。
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 売り子さんがポーズをとってくれて面白い。
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 アディダスの模造品が多いが、それはないだろうってデザインでいっぱしの値段だ。
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 信じられない。
 香水なども知らないブランド目白押しの上、かなり高価だ。
 サングラスがほしいのだが、メキシコに遠く及ばずモノがない。

 途中、ロス・オヨスのコルネッタ・チーナ(チャルメラ)奏者に声をかけられた。


 宿に戻ってしばらくするとジョアングラが息子のファンカルロスと共にやって来た。
 リンテルニータを受け取りに。

写真:ファンカルロス17歳
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 しばらく雑談をしてお別れ。


 する事もないので、久々に部屋でビールを1本開ける。
 最近発売されたブカネロマックス。
 アルコール6.5%。
 ビールにしてはやや強い。


 再び宿を出て散歩する。
 トローバの前を通ったら今晩は私のお気に入り、セプテート・サンチアゲロのライブが入っていた。
 もう今回は見る事が出来ない。
 残念だ。

 ムセオは閉まっていたけれど、16時にオープンだと言われた。

 銀行で為替を見たら、どうも市内の目立つ銀行では日本円の両替は扱っていないようだ。
 持ち込みはカナダドルが有利なのかな?
 きちんと計算したわけではないが、一瞥してそんな気がした。
 また、ある銀行ではユーロとドルのみ手数料として10%を頂きますとなっていた。
 やはり万が一、外貨を持ち込むならCAD、カナダドルか。

 メインストリート、アギレラ通り沿いのカデカはいつも混んでいる。
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 ペソへの両替は湾に下る途中にある市場前にあるカデカ(両替所)がスムーズだ。

 カフェは一杯0.45ペソ。
 これにカップ一杯のロン(ラム酒)を混ぜた物は0.60ペソ。
 安く酔いたい向きには良いかもしれない。

 ソフトクリームは1ペソ。
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 とても小さいけれどね。
 味はまあまあのものもある。
 主にバニラ、イチゴ、キャラメル、チョコレートの風味のものが売られている。
 が、キューバでアイスクリームを食べるなら、やはりコッペリアだ。

 スーパーで売られている製品は相変わらず見栄えがしない。
 今時ソニー製ブラウン管の大きなテレビが12万円くらいする。
 充電器なども高い。

 やはりおみやげは日本で安くてキューバで高い電気製品にかぎるな。
 あるいはボールペンをくれないかってよく言われるから、これもおみやげとして良いのかも。


 16時近くなったので国立カーニバル博物館へと足を運ぶ。
 ファンや、収録で世話になったアンリスがいた。

 たくさんの観客。
 ファンによれば、月曜日はいつもフランス人で混むそうだ。
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 今日はまた前回とは出し物が微妙に変わっている。
ルンバ・ワワンコーで始まって、トゥンバ・フランセサのマソン、フレンテと続き、タホーナ、バタなどが続いて、シメはコンガだ。
 きっちり1時間のステージ。

写真:トゥンバフランセサ「マソン」の踊り
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 ステージが終わった後、請われてファンに日本語の単語をいくつか教えた。

 その後、ムセオすぐ目の前のカサ・デ・アルテックスへと一緒に飲みに行く。
 ダンソンやソンを演奏するバンドが入っていた。
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 隣の席に韓国人の娘がいたので声を掛けてみる。
 ジヌという子で、ラテンアメリカを半年くらいかけてまわるそうだ。
 28歳。
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 色々と韓国の音楽事情を聞いてみる。
 やはりキューバ音楽と言えば、韓国でもブエナビスタ・ソシアル・クラブらしい。
 カシーノを上手に踊っていた。


 宿に帰ると既に掃除中だった。
 エアコンを結構使ったからって、今回は電気代を余分に請求される。
 また、ここは14時のチェックアウトだった事を今更知る。
 仕方なく宿の前の階段に腰掛けて、こうして時の過ぎるのを待つ。

 今日は朝から賑やかだな、と思っていたら、家の主人ファンカルロス40歳の誕生日だそうだ。
 かなり豪華なフィエスタだったように感じられた。


 さて、時間になったのでタクシーを探しにセスペデス公園に来る。
 立派なタクシーがバス停まで3CUCだ。
 やっぱりな。
 行きのタクシーはボッていた。
 ほとんど誰もが何かにつけて旅行者から余分に金を巻き上げたがる。

 珍しくおなかが空いたので、ターミナルの外に出てジャムとチーズのパンとピザを食べた。
 こうして長年の生活で染み着いた貧乏性はいくつになってもなかなか抜けるものではない。
 その一方でさっきはファンやアンリスに何杯かおごったんだけどね。
 ジヌはなぜかおごられたがらなかった。
 私たちより先にお店にいたから、実際お腹一杯だったのかもしれない。


 20:40。
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 ターミナルに戻るとようやくタキージャ(切符売場)に人がいた。
 街中のクーバツールで予約したチケットを搭乗券と交換してもらう。
 荷物預かり所ではなんと天秤式のはかりが健在だった。
 しつこく計っているが、今回は絶対に20kgを超過していない自信がある。
 しつこく計った挙げ句に多めの重量を言う。
 挙げ句、問題ないからチップをよこせと。
 サンチアゴのターミナルのみ、なぜかいつも必ず1CUCほど荷物を預ける時にチップを要求される。
 今回は腹に据えかねたのでチップは渡さなかった。
 もしかしたら荷物が到着地のカマグエイまで届かなかったりして。


 ビアスール社のバスは定刻の2分前に発車した。
 早いのは、ちょっとでもどうかと思うけれど。
 ぎりぎりに来たら乗り遅れるじゃない。
 そして車内は相変わらず寒い。


 さて、カマグエイ・・・キューバ第三の都市。
 初めて訪れる街。
 キューバ最大の区域に歴史的建造物群が広がる街。
 また、豊かな産物がある街でもある。
 どんな出会いが待ち受けているのだろうか。

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Junio 26, 2007

コンガ・カマグェヤーナ(Conga Camagüeyana) 26 junio 2007

 バスは3:45にカマグエイに着いた。
 あれっ?クーバツールでは5:30頃の到着って聞いていたのに・・・。
 これは早過ぎます。
 しかもターミナルではなく付近の道路で降ろされ、仕方なく歩く。

写真:バスを降ろされた通り
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 この時間にして、どういうわけか既に人通りが多い。
 狂ったように早駆けする馬車が一台、脇を通り過ぎて行った。
 カマグエイは人口30万、キューバ第三の都市にして牧畜と精糖業の中心地だ。
 また、文化の街でも学園都市でもある。

 バスターミナルへと歩く途中で車から声が掛かる。
 「ハバナへ行かないか?」

 いやいや。
 宿を探している事を伝えると、一緒に探してくれると言う。
 彼の名はアルフォンソ。
 シエンフエゴ市に住み、カマグエイに彼女がいる。
 明日の午後、私をマタンサスに連れたがっている。
 客を乗せれば帰り道のガス代が浮くからね。

 偶然なのだが、今、カマグエイはカーニバルの真っ最中だそうだ。
 これはラッキーかも。
 しかし、こういった期間は宿探しには不便だ。
 また、宿泊も普段より高い。


 宿はすぐに見つかった。
 市内の中心にあるロス・トラバハドーレス広場から3ブロックのところだ。
 邸宅はコロニアルな雰囲気で立派だが、客室はベッドとエアコンのみのシンプルな作り。
 バス・トイレはシェアだ。
 ・・・これで20CUCは正直高いと思ったが、そこはこの時間に着くと立場が弱い。
 やはり宿を探すのは、お昼過ぎから夕方までに限る。
 都市間の移動は出来ればそれくらいの時間に着くように心がけたい。

 車窓から垣間見えたカマグエイの街は既に歴史を感じさせてくれた。

 朝。

写真:宿のパティオ(中庭)。中々コロニアルです。
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 やはり早朝着だとまだ暗いから1泊分余分に持っていかれる。

 タバコを見せてもらった。
 コイバの24本入り、小さい方が15CUC、大きい方が40CUCだと言う。
 お爺さんがタバコのマエストロだから工場から何箱かもらえるそうだ。
 この値段が高いか安いかはたばこに全く興味のない私にはわからない。

 何か服を売っていないか?と宿の主、アルバに聞かれた。
 外国人の中にはそうやって物売りをするものもいるという。
 そうか、ではいずれリンテルニータ(LEDライト)を誰かに売ってみる実験をしよう。

 ダンナがコーヒーを入れてくれた。
 とても人が良さそうだ。
 しかし、正直なところ、宿はこのファシリティにしてこの値段では高いだろう。


 街に繰り出してみる。
 商業地区はハバナより、サンチアゴよりよっぽどきれいだ。
 キューバではないみたい。
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 お店でペソ払いの生ビールを飲んでみる。
 ・・・相変わらずマズい。
 馬の・・・のようだ。
 1杯6ペソ。 
 ディビサ払い、クリスタルのディスペンサーダはまあまあなのだが。
 ティナヒートという瓶入りオレンジジュースも6ペソ。
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 グラン・オテル前のCafeteria La Ragazzaというお店。

写真:街一番のグラン・オテル
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写真:ラガッサ
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 街角のそこここでポスターを見かけ、ここカマグエイでは6月24日から29日までサンファンのお祭りがある事がわかった。
 コンガのパレードも時には走るらしい。
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 商業地区は非常に活気があり、首都ハバナや第2の都市サンチアゴよりも物資が豊富だと感じた。

 また街が非常にきれいだ。

 街一番の繁華街にカサ・パルティクラルを見つけたので、どんなものか見せてもらう。

写真:カサ・パルティクラル(部屋貸)の入り口
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 あいにくと満室で部屋は見せてもらえなかったが、とても良さそうだ。
 同じ階の部屋の前にプライベートなバルまである。
 明日には一室空くそうなのでいくらか聞いてみた。
 同じ料金でプライベートバスや冷蔵庫が付いている。
 またここは今、泊まっているところよりも繁華街だ。
 明日はこちらの宿に移動する事にした。
 目抜き通りに立つグラン・オテルの目の前の家。

写真:宿の屋上はこんな感じ
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 初めての街では一発で当たりの宿を見つけるのはかなり難しい。
 それは運に左右される。
 それに大荷物を持ってぶらぶらと宿を探すのにも限度があるから、初めての街の初めての宿ではまず一泊のみとして、一度荷物をほどいてから街をぶらつきつつもっと良い条件の、別の宿を探すようにしている。
 結構どこの国のどこの宿でも気軽に部屋を見せてくれるものだ。

 豚の丸焼きをパンに挟んだボカディートを売っていたので食べてみる。
 なぜか量をサービスしてくれた。
 これは美味しい。
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 ブカネロの生ビールを見つけたので立ち飲みに寄るとカヒータ(弁当)の箱を作っている人と仲良くなった。
 庶民の3倍稼いでいるそうで羽振りがよい。
 ビールを何倍もおごってもらった。

写真:箱折り職人と。
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写真:ブカネロ生のディスペンサー
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写真:お店の前の広告塔
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 隣の席には当地、カマグエイのミュージシャンがいた。
 Conjunto Los Agramontinosの打楽器奏者、アンドレス・マルティネス。
 彼に、今晩19時に走るというカマグエイのコンガのリズムについて色々と教えてもらった。
 それはサンチアゴのものともハバナのものとも違うようだが、どちらかと言えばハバナのものに近い。

 そうか、今晩はコンガが走る!
 当地が今、カルナバルの真っ最中だとは知る由もなかったが、これはラッキーだ。

 カマグエイには6つのコンガチームがあるそうだ。
 1.La Estrella
 2.Los Comandos
 3.Los Letono
 4.La Forola
 5.La Haroyadora
 6.・・・6つ目は彼らも思い出す事が出来なかった。


 特設の野外バルを出て、郊外に尖塔が見えるから、そちらへと足を進める。
 すると、突然のスコール。
 しばし軒下で雨宿り。

 10分か15分ほどで雨は止んだので、再び尖塔に向けて歩き出す。


 あった。
 それはマルティ広場に面してそびえ立っていた。
 しばし見物する。
 珍しいキューバン・ゴシックの教会、ヌエストラ・コラソン・デ・サグラド・ヘスス。
写真:ヌエストラ・コラソン・デ・サグラド・ヘスス
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写真:遠景
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 再び繁華街へ。
 2週間で200mlのシャンプーを使いきったので、それを買いに。
 キューバでは日に4度水浴びする事も珍しくないから、シャンプーもすぐになくなってしまう。
 そこは涼しく快適な、ロサンゼルスのようなわけにはいかない。
 水洗いだけにすればいいじゃん、って話もあるけれど、それはなんだか気持ちが悪い。
 売り子さんに話をして、自分に合ったものを選んでもらう。
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 タクシーのアルフレッドに公衆電話から電話をかける。
 電話は3つ目にしてようやく使えるものがあった。
 しかし、この電話もなぜか自分の声ばかりが大きく聞こえて、相手の声が小さく聞き取りづらい。
 結局のところ、マタンサス行きは明後日でもOKだそうだ。
 14時出発の約束をする。

 夕方になったので、いよいよカーニバル見物にと出掛ける事にする。
 コンパルサの人たちの後を追って歩いて行くと、いつの間にかそれぞれのチームが準備している地点に到着した。
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 それは中心市街から鉄道を越えた、さらに先だった。

 時間を追うに従って、じわじわとコンパルサのメンバーや観客が集まってくる。
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 パレードの開始時間は18時とも19時とも言われていたけれど、結局は19時半頃始まった。
 もうすんなりとは宿に戻れない程に、道路は人で溢れ返っている。
 最後尾チームの出発地点はどうも先ほどの尖塔があったマルティ広場の辺りらしい。(・・・これはまちがいだったとあとでわかる。確かに尖塔はあるが、マルティ広場のものとは別の尖塔だ)

 時にはブラジルばりの、電飾されたオープンカーが踊り子を乗せて走る。

写真:電飾された車
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写真:踊り子さんに手が伸びる
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 カマグエイのコンガは初めて聴いたけれど、今回3種類ほどに聴き分けることが出来た。
 1つはハバナのコンガでも使われるようなボンボのパターンに乗って、しかし6/8拍子を刻む速いコンガ。
 それから勇壮な低音太鼓の頭打ちが印象的なリズム。
 さらに2つ目のものと非常に似通っているけれど、より8分音符を強調して連打するリズム。
 もしかしたら2つ目と3つ目のものは、同じ名前のリズムのちょっとしたバリエーションかもしれない。
 その2つ目と3つ目のものは基本的にはミドルテンポだが、急激にどんどんと速くして踊りを煽ることもある。
 3つともカマグエイのコンガに特有のリズムだ。

写真:コンガの太鼓
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 コンガのパレードは始まってから2時間ほど、21時半頃に終了した。
 今回、当地カマグエイがカルナバルの真っ最中にある事を到着するまで全く知らなかったので、非常に運が良かったと思う。


 パレードが終わる頃、ロス・トラバハドーレス広場付近でムラータに声をかけられた。
 マリア、25歳大学生。
 細身でなかなか活発そうなお嬢さんだ。


 その後、明日泊まる予定の宿に、何時にチェックイン出来るか確認しに行く。
 13時にはOKとの事。
 グァバの100%生ジュースをご馳走になる。
 おまけにロンまですすめられたが、これは辞退させて頂いた。
 自宅を拝見させてもらったけれど、これ以上はないってくらい豪華な作りだった。
 正真正銘のお金持ちだ。


 それから小一時間ほど話をして宿へと戻る途中、偶然に再びマリアと遭った。

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Junio 27, 2007

カマグエイ(Camagüey)2日目 27 junio 2007

 朝、目覚めるとアパゴン(停電)だった。
 今回初めての停電だ。
 以前は停電しない日の方が珍しかったけれど、ここ数年は随分と電力事情が好転しているようだ。
 気が付いてから10分と経たないうちに復旧する。

 カマグエイのカルナバルは6月24日、サン・ファンの祝日に始まって6月29日、サン・ペドロの祝日で終わる。
 サンチアゴでも6月24、29の両日には必ずコンガが走ると言っていたし、オフシーズンの6月末は音楽を聴くのに狙い目かもしれない。
 マタンサスでも何かが起こるような予感。


 よく晴れた空。
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 9時半、昨日会った打楽器奏者のアンドレスが突然私を訪ねてきた。
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 キューバンリズムについての著作物を私に売りたそうだったが、残念ながら既に知り尽くしたものばかりで興味の持てる事柄は記されていなかった。
 しかし、せっかくだからと一緒にエル・ラピドへ飲みに行く。
 エル・ラピドとは、キューバにおけるファストフード店だ。
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 色々な話をする。
 個人的に外国人相手に打楽器を教えても、ギャラの60%は事務所に持って行かれてしまう話は興味深かった。
 また、彼はカマグエイのサンタ・ルシア海岸でもよく演奏しているらしい。
 カマグエイまで来る外国人に打楽器を教えるなら、キューバン・パーカッションのベーシックよりもカマグエイ独特のリズム、例えばカマグエイが持つ2つのコンガなどを教える方が需要があるのではないかと彼にアドバイスした。
 ベーシックを習いたい向きは、たぶんわざわざカマグエイまでは来ないだろう。
 きっとハバナかサンチアゴに留まると思うからだ。

 また全く別の話であるが、国内での移動はタクシーよりもレンタカーした方が安いのではないかという話もあった。

 これも道草話。
 外国人に部屋貸しをしている家は結構お金持ちに見えるのだけど・・・という話をしたら、そうでもないよと言う。
 部屋貸しは政府認可のもとで営業しなければならないのだが、それには1部屋毎に月100CUCを税金として政府に払わなければならないそうだ。
 お客は毎日入るわけではないだろうから、それは結構大変なのかもしれない。
 流行らないところは廃業してしまうとの噂も耳にした事がある。

 ちなみに彼は音楽事務所に属してサラリーマン生活を送っているが、月給は並のキューバ人の2倍ほどだそうだ。


 エル・ラピドを出て、今度は彼の家へとお邪魔させて頂く。
 教則本の音源を聴かせてもらったり、楽器をデモンストレートしてもらった。
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 彼の家のある地区にはミュージシャンが多く住むらしく、近所の道沿いに野外ライブの特設ステージがしつらえてあった。

 その後、奥さんが子供を連れてやって来た。
 3歳になるそうだ。
20070627Andres%E3%81%AE%E5%AE%B6%E6%97%8F.jpg

 いつの間にか13時を過ぎてしまったので、今夜ピアノが聴けるライブハウスで会う約束をして、荷物をまとめるためにおいとまさせていただく。

 これから同じ市内の新しい宿へ小移動するために。


 宿と宿の間はそう遠くないのに、重い荷物を運ぶとなると結構遠くに感じる。

 今日初めて部屋に通されたけれど、思った通りの素晴らしい部屋だった。
20070627CasaDeAngelito-Cama.jpg

 まず、今まで泊まった中でもエアコンの効きがダントツに良い。
 エアコンはLG製なのだが、よくあるキューバの、ガーっとうるさいエアコンに比べたらずっとまともだな、これは。
 その他、冷蔵庫、扇風機、プライベートバス、窓付きで換気も出来る。
 インテリアはウッディにまとめられている感じだ。
20070627CasaDeAngelito-Woody.jpg

 部屋を出てすぐのおしゃれなパティオにはプライベートなバル(バーカウンター)までしつらえてある。
20070627CasaDeAngelito-Bar.jpg

 実際ここで生ジュースを何杯もごちそうになった。
 今はマンゴージュース。
 部屋に通された時には既にエアコンが効いていて涼しかったし、まぁ日本ではそれも当たり前ですが、キューバでは初めての事だ。
 そういったホスピタリティがこの宿は素晴らしい。
 ここは流行って当たり前だ。
 こちらの財布のヒモもついついゆるくなる。

 商の精神。
 価値あるものを、それを欲しいと思う人達に届ける。
 経済の発達した現代では、音楽家といえども商才がなければ生きにくい。
 私たち音楽家は一見しただけでは価値の付けづらいものを売り物としている。
 それだけに売り方にはかなりな工夫が必要だろう。
 ただひたすらに売り込みをかけるだけが良いとは思わない。
 いかにそれに満足してもらえるか、を追求すれば、音楽そのものの他にも色々と大切なものがある事に気が付くはずだ。
 今回は彼の見せてくれたホスピタリティにそのヒントを感じた。
 とはいえ、しかしその前提として、価値あるものを創り出す能力を磨いておかなければならない事は言うまでもない。
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 さて街に出ようとするも、昨日に引き続いて突然のスコール。
 しばし足止めを食う。
 カマグエイもこの季節、ハバナと同じように雨がよく降るらしい。
 サンチアゴやバラデロはそうでもない。

 時間を持て余す中で、思い出したからタクシーのアルフレッドに電話した。
 留守だった。


 雨は止まないけれど、再び街に出た。
 結構強い降りで、為す術もない。

 久々にまともな量の肉を食べる。
 ポーヨ・フリート(フライド・チキン)1/4。
 ナイフとフォークがプラスチックで食べ辛い。
20070627PolloFrito.jpg


 18:30。
 カーニバルのパレードが通る道へと向かう。
 今日は通りに人がまばらである。
 コンパルサを準備する人たちも全くいない。
 嫌な予感が膨らんでゆく。
 はたして道行く人に尋ねると、今日のコンパルサは中止になったとの事。
 雨を恨む。
 マラカに次いで、雨での中止は今回2度目。
 弔いでも色々と中止になったし、今回はやたらと中止になるコンサートやライブが多いな。
 とはいえ、それを残念がるより、今は昨晩ああやって偶然にもカマグエイのカルナバルと出会えた事に対して感謝する事にしよう。
 カルナバル体験はたったの一度だけとなってしまったけれど、それでも心に残ったものは大きい。


 帰り道、この街には尖塔が2つあるのをみつけた。
 だからコンパルサ隊の出発地点だと思っていた場所はマルティ広場ではない。
 距離や方向の感覚からしておかしいな、とは思っていた。
 市街中心マセオ通りからはレプブリカ通りをどこまでも真っ直ぐに北へと上り、鉄道駅を越えたさらに先の辺りだ。


 21時半、アンドレスと約束したプラサ・デ・ラ・カリダに面してあるというライブハウスへと向かう。
 プラサ・デ・ラ・カリダ・・・カリダ広場なんて、手持ちの地図には載っていないので、道を尋ねながらそれを目指す。
 しかし・・・それは橋の向こうで、歩いていくと40分以上かかると言われて行く事を断念する。

 生演奏の音が聞こえてきたので、ついフラフラとそちらへ行ってみると、ロス・トラバハドーレス広場で野外ライブが繰り広げられていた。
20070627Banda.jpg

 コメディあり、サルサあり、メレンゲもダンソンもボレロも、さてはロックっぽいものまで何でも有りのステージだ。
 もちろんダンサー付き。
 キューバのライブはどこで見てもハズレが非常に少ない。
20070627Musicos.jpg


 途中、立ち疲れたのでティニマというカマグエイのビールを飲みに行った。
20070627Tinima.jpg

 ・・・あの味だ、あのまずかったディスペンサーダ(生ビール)の味と同じ・・・。
 残念だった。
 本当は水が飲みたかったのだが、カマグエイでは小さいペットボトルの水を見つけるのが難しい。
 観光客が少ないせいかもしれない。
 地元の人はわざわざ買ってまで水を飲まないという事だろう。

 ライブは23:30を過ぎてもまだ続いていた。


 宿に帰るとタクシーのアルフレッドから伝言があり、電話をかけ直す。

 曰く、本当は5人乗せて行きたかったのだが、あと1人集まらない。五割り増しで払ってくれないかとの事。
 丁重にお断りした。
 あとで宿の主人に聞いみても、それは法外な値段だった。

 急展開。
 明日は朝イチに代わりのトランスポーテーションを探さなければならなくなった。
 アストロのバスも、汽車もマタンサスまでは一日おきに1本しかない事は知っている。
 さてどうなるのだろうか・・・。

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Junio 28, 2007

カマグエイ(Camagüey)3日目 28 junio 2007

 8:30に宿を出て旅行会社クーバツールへ。
 快晴。
 そして朝は風が涼しい。
 当地では早朝が一番気持ちの良い時間かもしれない。
 クーバツールに来てみると、まだお店は閉まっていた。
 ウインドーの掲示によれば、開店は9時、12時からお昼休みを1時間はさんで17時までの営業だった。
20070628Cubatur.jpg


 今日は珍しく宿の朝食を頼んである。
 9時から遅い朝食。
 チーズもハムも美味しい。
 キューバの目玉焼きとか、マヨネーズを付けてパンを食べたり、11年前ハバナに住んでいた頃を突然思い出して懐かしかった。
 食は急に過去の記憶を呼び覚ます事がある。
 カフェオレにパンをつけて食べたりもしたっけな、あの頃。
 100%生オレンジジュースも今回はじめて頂いた。
 フルーツの盛り合わせもいい感じだ。
 これは案外お値打ちだ。
 宿にもよるのだろうけれど。
20070628Desayuno.jpg


 アストロバスの事務所やクーバツールに、宿の人が問い合わせをしてくれる。
 が、どちらも電話に出ない。
 9:50。
 宿の人によれば、昨日はフィエスタだったから、飲み過ぎてまだ寝ているのだろう、なんて言っている。

 仕方がないのでもう一度クーバツールへと出掛ける。
 まだ閉まっている。
 昨晩見かけたロス・トラバハドーレス広場付近のイスラスールだかインフォ・ツールだかにも行ってみた。
 バスチケット取り扱いの掲示はあるものの、ここでは売っていないと言う。
 もしやと思い、宿の目の前に建つグラン・オテルでも聞いてみた。
 ドアマン曰く、普段はバスのチケットを取り扱っているが、今日は売り子さんが病気でお休みとの事。
 おそらく昨晩のフィエスタで二日酔いでもしているのだろう。

 ついでに通りすがった銀行で日本円の両替は扱っていないか、尋ねてみた。
 インデペンデンシア通り沿いのバンコ・フィナンシエロでは扱っているという。
 これで市中に4つ、銀行を見つけた。

 宿に戻ると主人アンヘルの叔父さん、アリスティデが再びあちこちに再びあちこちに電話をかけてくれる。
 バスのオフィスにかけても、鉄道のオフィスにかけても電話をあちこちに回される。
 あるいは話し中。
 話し中が多いのは、どうもオフィスの電話を私用で使いまくっている様子だ。
 キューバではこの手の問題が数多い。
 最悪の場合、帰りたくても帰れない。
 オフィスの怠慢により。
 よって予約は早め早めにしておくべきだ。

 電話はようやくアストロにつながったけれど、ガイドブックとは話が違い、外国人はアストロバスには乗せられないとの事。
 トレン(鉄道)へはつながらない。
 どうやら今はサンチアゴーバラデロ間にビアスールの便があるらしい。
 仕方なくそれに乗る事を決断した。
 カマグエイ午前2:45発バラデロ行き、25CUC。

 出発するには厳しい時間だけど、ここは一つ前向きに、もう一度カマグエイのコンパルサが見られる事に感謝しよう。

 そういえばアリスティデは自分の事を「アリスって呼んでくれ」と言っていたけれど、彼をアリス九号(字が出ない)のアコーデオン奏者として迎え入れる事は出来ないだろうか。
 それとも誰かやってみないか、ビジュアル・ラテン。
 結構新しいと思うけどな。
 コンガ奏者にはサンチアゴからアンリスを呼んでやってくれ。
 ガタイが良くて真っ黒でコワモテの本格派、最高です。


 換金しに街に出る。
 バンコ・フィナンシエロはマセオ広場に面してあった。
 大体どこの街でもこの銀行だけは日本円を扱っているようだ。
 レートは先週よりほんの少し良い。
 頑張ってくれ、日本。
 あの頃、1CUC=84円ほどで換金出来た頃、もう二度とこんな時代はやって来ないだろうと思っていたけれど、やはり二度とは来ないのだろうか。
 20070628現在、1CUC=138円の換金レート。
20070628BancoFinanciero.jpg


 帰りがけに一応クーバツールに寄ってみたら、午後にはオープンしていた。
 今夜のバスを予約する。
 宿の人は予約しなくても大丈夫と言っていたけれど、これで完璧に安心だ。
 出発の30分前にはターミナルに着いているようにとの事。
さらにマタンサスまでタクシーでつなぐと36km、10-15CUC位かかるだろうとも教えてくれた。


 さらにドーニャネリというケーキ屋に立ち寄り、1.5Lの水を一気飲みする。
 水を飲むのは久々だ。
 キューバに着いてからというもの、マジ殆ど全ての水分がビールだ。
 たまには純粋に水が恋しくなる。
 お茶でも良いのだが、当地に甘くない飲料は存在しない。
20070628Agua.jpg


 17時。
 強風と共に雷雨は今日もやってきた。
 もしかしたら今日のコンパルサも中止かもしれない。
 コンガの太鼓にとって雨は大敵だ。
 この季節、毎日夕方には雨が降るらしい。
 とすると、やはり当地でこの季節にコンガのパレードが見られたのは奇跡に近い事なのか。
 天候次第というのは不安なものだ。


 カルナバル。
 仮装して行列を作り、踊りながら道を流れてゆくコンパルサ隊。
 それを煽るのは強力なリズムを打ち刻むコンガの楽団。
 大太鼓が刻む2種類の、強拍に特徴のあるリズムに呼応して、さらにもう1種類のボンボがアウフタクトを特徴的に刻む。
 2/2拍子だとして、小振りのレドブランテは8分を刻み、カンパーナ(鉦)に見立てた車のホイールは4分や8分を全員のユニゾンで刻む。
 これがコンガ・カマグェヤーナのベーシック。

写真:Bombo
20070628Tambor.jpg

写真:Redblante
20070628TamborPequeno.jpg

写真:Campana
20070628Campana.jpg


 当地のカルナバルで、ルンバと呼ばれているもう一方のリズムは6/8拍子だ。
 センセーロ(鉦)がルンバ・クラーベと頭打ちを刻む。
 ボンボはハバナのコンガと同じように、真ん中の音符にアクセントをおきながら1小節に4分音符3つを刻む。
 サパート・サリドールは馬の足音の様にスラップとオープンを2発ずつ、交互にアフタービートを刻む。
 こちらは2/2で表記した方が適当な感じだ。
 大体キューバには2/2で表記するべきか、6/8で表記するべきか、迷うようなリズムが大変多い。
 トレス・ドスはまた別のアフタービートのリズムを刻み、それら打楽器のリズムに乗ってトランペットやトロンボーンがメロディーを賑やかしく奏でる。
 それからキントはアドリブだ。

 まだたったの1度聴いただけでそんなに詳しくはないけれど、言葉にしてしまえば当地カマグエイのカルナバルで聴かれるリズムはそんな感じであろうか。


 雨は早めに止んだから、今夜は走るかな、コンガのパレード。
 期待を胸にふくらませて、とりあえず街に出る。
 晴れ間も出てきたし、これは案外期待できる・・・かも。

 出掛けに宿の人達と写真を撮ったりしていたら、やたらと会話が弾んでしまい、その間にビールやグァバのジュースをたらふくご馳走になってしまう。
 アリスはやたらと洒落好きだ。

写真:左アンヘリート、中央筆者、右アリス
20070628Angelito%26Alistede.jpg


 早めに出掛けようと思っていたものの、結局は宿に長居してしまったけれど、そうこうしているうちにコンガの音が聞こえてきたのでそれを聴きに外へ出る。
 マセオ通りの終点辺りでは、一昨日見た出発地点以上に人が集まっていた。
20070628Conga.jpg

 色々な人の話を総合すると、終着地点のカリダ広場が一番盛り上がるらしい。
 しばらくこの場所で見た後、6/8タイプのコンガ隊の横に付いて、私もカリダ広場に向けて走り出す。
 道々すごい人の数。
20070628Conga2.jpg

 昨日道を尋ねた時に聞いた、プエンテ(橋)をも渡る。
 しかし、疲れたのでカリダ広場までは行かなかった。
 途中2/2タイプのコンガにも付いてゆき、リズムを堪能した。
 遠くで聞いた時に、頭打ちだけだと思っていたボンボはよく聴くと、あいだに細かなリズムを刻んでいた。

 22:30頃にパレードは一段落した。
20070628Bandera.jpg


 帰り道、「カンビオ」と言う名前の酒場に寄る。
 モヒートを頼んだ。
 ここは革命前まで、宝くじの販売で有名だった場所だそうだ。
 雰囲気のある、良いバーだ。
20070628Cambio.jpg

 そういえば、今日は夜になるまでアルコール類は飲まなかったな。


 シャワーを浴びたら25時。
 もちろん今夜1泊分は払った。
 荷造りをも終えて、ただタクシーが来るのを待つ。


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Junio 29, 2007

ルンバ(Rumba)の本場、マタンサス(Matanzas)へ 29 junio 2007

 結局、今回の移動もビアスールだ。
 バラデロにいったん出てから、タクシーでマタンサス市街に出る予定。
 以前はなかったサンチアゴ-バラデロ線。
 3年前までサンチアゴからバラデロまでの移動は、仕方なくトリニダに出て、そこでタクシーを拾ってバラデロへと向かうのが常套手段だった。

 1:30。
 予約通りにタクシーの迎えが来る。
 1:45、ビアスールとアストロの共同バスターミナル着。
 4CUC。
 ここカマグエイのバスターミナルでは預け荷物の重量を計る設備がない。
 また残念ながら荷物を預ける時、サンチアゴと同じように1CUCを請求される。
 今回もチップは出さなかった。
 これはどう考えてもおかしいもの。

 待合室にいると、結構頻繁にバスはやって来る。
 どうやらアストロのバスのようだ。
 以前はアストロのボロボロバスにピカピカのビアスールバスってイメージがあったけれど、今やアストロのバスもビアスールバスと同様にピカピカだ。


 バスから外に出てたばこを吸う客が多いから、待合室まで煙草臭くなり大変に不愉快だ。

 2:10にはいったん全てのバスがターミナルから離れていった。

 そう言えば、サンチアゴ-バラデロ線だとばかり思っていた路線は、サンチアゴ-ハバナ線がバラデロにも立ち寄るようになったものの様だ。
 便の終点はハバナだと告げられる。

 その後もアストロのバスはひっきりなしに到着する。
 ピカピカとは言ったけれど、どうやら中国製のバスのようだ。
 知らないブランドだが、安全性は大丈夫なのか。

写真:アストロは中国製ユトン
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ちなみにビアスールのバスはベンツだ。

写真:ビアスールはベンツ
20070629Benz.jpg


 バラデロの行き先表示を付けたビアスールのバスは、2:35にターミナルへとやってきた。

 再び荷物管理室の黒人係員に呼ばれる。
 0.25CUCでもいいからチップをよこせとしつこく要求してくる。
 それをも断ると、彼は彼の仕事を放棄した。
 つまり荷物は客の手自らで運べと。
 それはそれで全然構わない。
 わざわざ預けた荷物を、荷物管理室から自分自身でバスの荷室まで運ぶ。
 彼、このビアスールにはふさわしくない男だな。
 腐ってるよ。

 なんと、行きのバスで世話になった乗務員フェルナンドが乗っていた。
 何とはなく心強い。
 2:45の予定が5分遅れ、2:50にバスはカマグエイを出発した。
 これで一安心だ。
 体がだるい。

 7:20。
 集落が大きいなと思っていたらビージャ・クララ州々都、サンタ・クララのターミナルに到着した。
 ここで朝食のために15分の休憩をとるという。
 ここでいったんバスを降りてみると変な取り決めがあって、一度外に出てしまうと出発の瞬間までバスには入る事が出来ない。

 ビアスールバスのシートピッチはやたら狭い。
 普通の夜行バスがもっているようなピッチではないと感じる。
 前席をリクライニングされると、決して大きくない私でも膝の辺りがキツい。
 しかし不運な席だった。
 上部にあるエアコンの吹き出し口が壊れて丸々穴になっていたものだから、冷風がびゅうびゅうと吹き付けいつもに増して寒かった。

写真:壊れたクーラーの吹き出し口
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 ブラジルの長距離バスでもそれが常識だったけれど、ここキューバでも15分休憩と言われたら、その倍の30分間は停車しているようだ。

 7:50ちょうどにサンタ・クララのターミナルを出発。

 11:05バラデロ着。
 バラデロ付近の景色は相変わらず華やかできれいだ。
 ターミナルで電話をしていると、乗務員のフェルナンドがマタンサスへは同じ便でチケットを買い直せば行ける事を教えてくれる。
 11:20発で6CUC。
 タクシーの半額だ。
 なぜかこの便は自由席らしい。
 しかし、同じ便で同じビアスール、カマグエイのクーバツールではマタンサス行きの切符を求めたのに、それがダイレクトに買えないところがキューバだ。

 マタンサスまでは36km。
 今までバラデロから首都ハバナへと帰るタクシーで市街の縁を通った事はあったけれど、セントロの奥深くまで入り込んだのは初めてだ。
 マタンサスのターミナルでバスを降りてフェルナンドとお別れの挨拶をする。
 すぐに宿を紹介するという青年がやって来たが、フェルナンドがバスの中から「ダメだ、ダメだ」と合図を送ってくるので、不安になったから彼について行くのはやめにした。
 ガイドブックで見つけておいた宿に電話をかけて予約をした上、青年の呼んでくれたタクシーに乗ってその宿へと向かう。
 彼に何のメリットがあるのか、わけがわからない。
 タクシーの料金は宿に電話した時に相場を聞いておいたので、タクシーのチョフェは始め五割り増しを要求してきたけれど、すぐに割り増しなしの料金で納得してくれた。

 宿は街の中心、リベルタ公園から1ブロックの大変便利な場所にある。
 2つ部屋を持っていて1階はエアコン、もう一つはらせん階段を登った上にある風通しの良い部屋だ。
 風通しに飢えていたから、今回は思い切ってエアコン無しの部屋にした。
 3泊の予定。

写真:部屋の内部
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写真:宿の螺旋階段
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 街に出ると、図書館の前でかわいい娘と話をする。
 携帯を持っていて、リッチで聡明そうな子だ。
 キューバ的セレブ。
 街の事について色々と話をしてくれる。
 せっかくだからと、写真を撮ってお別れする。
20070629BonitaDeMatanzas.jpg


 今度は黒人の青年がやってきた。
 彼の名前はダニエル。
20070629Daniel.jpg

 ロス・ムニェキートス・デ・マタンサスのディレクトールが知り合いだというので付いて行く。
 はたしてディレクトール、ディオス・デドゥの家はリベルタ公園からそう遠くはないところにあった。
 2007年にはクーバディスコの賞を取ったそうだ。
 ライブがないか聞いてみるが、日曜日からカナダへ演奏旅行に出てしまうという。
 残念だ。
 メンバーのイバンも一緒にいた。
 しばらくルンバのDVDを鑑賞させていただく。
 ダニエルと一緒においとまするが、彼はそのまますっと別れて自分の家へと帰って行った。
 不思議だ。

写真:ディレクトールの家の飾り
20070629CasaDeLosMunequitosDeMatanzas.jpg


 いよいよ何もなさそうなので、バラデロやハバナに電話して宿の予約を変更しようと公衆電話を探していたら、今度は白人の大学生につかまる。
 教会の中へと案内してくれた。
 キューバの守り神を祭ってあるという古い教会。
 カテドラル・デ・サン・カルロス・ボロメオ。
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 スペイン人による街の建設が始まったのと同時に1693年、この教会は建てられたと説明された。
 色々と話をしてみると、彼は日本についてかなり詳しい。
 キューバを旅していると、この国の人々の日本への関心の高さをしばしば感じる事がある。
 彼は続いて市場やサン・ファン川にかかる二つの橋などを案内してくれた。
 歩き疲れたので少しカフェで休憩する。
 彼は帰る時に、ガイドしたんだし、食べるのに困っている、いくらか金をくれないかと言った。
 それが外国人に声をかけてくる普通のキューバ人だと思っているけれど、今回はさっきの娘のように、何も要求しない人たちに多く出くわしている。

 彼と別れた後、テルミナル・デ・ナシオナル(ビアスールの発着所)まで歩いて行った。
 明日のチケットは買えなかったが、バスの時間は教えてもらった。
 バラデロ行きは10:05、14:05、20:05の3本だ。
 逆にハバナ行きは8:50、12:20、18:50の3本。
 バラデロの空港へはバラデロ方面行きのバスに乗る。

 バラデロとハバナの宿に日程の変更を電話で伝える。
 キューバで宿の予約はダイレクトが便利だ。
 エージェントを通すと変更等の融通が利きづらいし、またコミッションを取られる場合も多い。
 直接の次に良いのは、クーバツール等、キューバ国営のエージェントを通す事だ。
 この場合もコミッションは取られない。

 宿に戻り、大変申し訳ないけれど2泊キャンセルしたいと告げる。
 宿では快く対応してくれた。
 ありがたい事です。
 ロンプラに載っている、街中にある宿です。

 ノドが渇いたのでエル・ラピドに行ってみた。
20070629Rapido.jpg

 道中、そして店内で色々な人に話しかけられるが、この街の人々はなぜかまったくしつこくない。
 教育が良いのだろうか、それともマタンセーロ(マタンサス人)の気質なのかどうか。
 しかし、どうも英語を話したがる人が多いのには閉口する。
 問いかけられればそれは理解できるけれど、喋りたくない言語だ。
 戦後60年以上経った今でも喋りたくない言語だ。

 黒人と白人の二人組に引っかかる。
 途中、場所を代えてまで話し込む。
 これがまたビールを2本ほどおごってもらった。
 もちろん私も彼らにおごったけれど、対等だ。
 職業は何なのか聞きそびれたけれど、興味のあるところだ。

 宿に帰るとみんな寝静まっているようだった。
 申し訳なく思いながら呼び鈴を鳴らす。
 約24時。

 シャワーを浴びた。
 今回の旅で初めて水がなくなった。
 ここの部屋にはタンクが一個しかなかったので心配はしていたが、しばらく断水がなかったので油断した。
 3度のシャワーに一度の洗濯、それに3度ほどのトイレで断水だ。
 ちょっとキャパが少ないと思う。
 明朝になれば、また水道が供給されるだろう。

写真:シャワーの上付近に取り付けられた水タンク
20070629Tanque.jpg


 明日はいよいよバラデロだ。
 これはほぼ純粋な休暇に近い。
 本当はもう少し先の予定だったのが、今期マタンサスで音楽が聴けない事がわかってしまった以上、ここに長居してもあまり意味がない。
 早めにバラデロを通過して、ラテン音楽の首都、ハバナに予定よりも長居する事にする。

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Junio 30, 2007

マタンサス(Matanzas)を出発 30 junio 2007

 快晴。
 水は結局、宿の人が止めていたようだ。
 なぜ?
 8時まで待ったが、出ないのでたまらず階下のシャワーを借りようと思ったところ「1分待って」と言われ、自室の方でも水が出始めた。
 しかし、タンクを満タンにする前に水は止められてしまった。
 充分に水が使えないのには、何か理由があるのだろう。
 しかし、いずれにしても旅行者にとって断水は最も恐ろしい。
 例えば、あなたはトイレが流せない恐怖を味わった事がありますか?
 どちらにしても残念ながら、こちらの宿に長居は出来なかったな。

 そういえば、ここマタンサスで今回初めて蚊に刺された。
 虫避け、虫刺されの準備はハバナとサンチアゴ、それにカマグエイといったキューバ3大都市の中心にいる限りは必要ない。
 が、ここマタンサスやこれから行くバラデロでは必要だ。
 特に夜、バラデロのセントロにたくさんあるオープンテラスのレストランで食事をする時には。
 最近では電池式で携帯できる蚊取り器もあって、それが便利だろう。
 とはいえ一番効くのは昔ながらの蚊取り線香。
 いずれもバラデロにいる期間分の必要量を準備すればよい。

 リベルタ公園前で待つも、タクシーはなかなかやって来ない。
 10分ほども待っただろうか、一台の車から声が掛かった。
 闇タクシーだ。
 降りる時にお金の受け渡しをすると、彼にとっては都合が悪いだろうから乗車中にお金を渡す。
 ほどなくしてナショナル・バス・ステーションに到着。
20070630BusWaitingArea.jpg


 どうやらバラデロ行きのビアスールバスには間に合いそうだ。

 10:26。
 バスは遅れているようだ。
 する事もないので、アストロのバスを観察したりする。
 ユトン・バス(YUTONG BUS)だそうだ。
 この名前は中国製・・・ですよね?
 バス停前にコッペリアがあって、いつも混んでいる。

 10:35、突然にバスはやって来た。
 待合室にいれば、係の人がバスの到着を教えてくれる。
 慌ただしく乗ってすぐに出発。
 運賃は車掌に払う。
 ビアスールが30分も遅れるなんて珍しい。

 11:45ホテルに到着。
20070630Hotel.jpg

 ここまでのタクシーは2.4CUC。
 メーター制だ。
 景色が懐かしい。

 早速泳ぎに出掛ける。
 久々に見るバラデロ海岸はやはり真っ白できれいだ。
20070630VaraderoBeach.jpg

 泳いでみるが、今日は全く波がない。
 あれっ、いつもこんなに穏やかだったっけ?
 潮流の特に速いところもない。
 クラゲもいなければ藻も生えていない。
 珊瑚も全く見られない。
 時折小魚は見受けられるものの、ここは静かで巨大な海水プールのようだ。
20070630VaraderoAgua.jpg

 海岸線に平行して泳ぐなら、それぞれの好みに応じて適当な深さの場所がどこまでも続く。
 物売りも皆無。
 喧噪とパッションがキューバなら、この穏やかさもキューバだ。
20070630VaraderoBeach2.jpg


 1時間半ほど泳ぎまくってホテルの部屋へと戻り、シャワーを浴びる。
 さ、コッペリアに行くぞ。
 行ってみたら・・・
 ・・・コッペリアはどうやら改装中だ。
20070630Copperia.jpg

 残念。
 これは結構楽しみにしていたのだけれど・・・。
 キューバの有名なアイスクリーム店「コッペリア」は通常どこの街のでも混んでいて、列を作り1時間も2時間も待たなければ食べられないのだが、ここバラデロでのみは外人租界地だからキューバ人で混む事が殆どなかったのだけれど。

 仕方なくすぐそばのラピドに行った。
20070630ElRapido.jpg

 以前にはなかったブカネロの中生(500ml)があった。
 即注文。
 1杯1.2CUC。
20070630Bucanero%E7%94%9F%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AD.jpg

 日本に比べるとビールはまだ安い。
 しかし日本の最盛期には100円で飲めたものが、今や170円だ。
 これでは日本人旅行客が減って当たり前。
 初めてキューバに来た11年前、日本人にはほぼ全く会わなかった。
 それは観光客としてではなく、キューバ人の家庭に住んでいたせいであるかもしれないけれど。
 日本人を頻繁に見かけるようになったのはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブによりキューバブームが起こった頃だ。
 今回はまた日本人を全く見かけなくなった。
 この為替レートでは、来たくても来られない人が大勢いるに違いない。
 10年前の自分は、為替レートが1CUC=120円なんて世が訪れた時にはもう二度とキューバには来られないなと本気で思っていた。
 現在1CUC=138円。
 3年前には確か1CUCが107円、手数料込みくらいで両替出来たのではなかっただろうか。

 大通りを挟んで宿の筋向かいにあるスーパーは入り口にゲートが出来ていた。

 もう少し海沿いをブラブラする。

 以前よりもキューバ人が多いように感じたが、そのせいだろうか、ペソ払いの店も増えている。
 泊まっているホテルから海に向かった辺りにたくさん屋台が並んでいる。
 そのうちの一つの店の行列をつくり、ついついペソでピザを買ってしまった。
20070630PizzaTienda.jpg

 5ペソ。
 これはしかし美味しいです。
 生地から作って窯焼きだ。
20070630Pizza.jpg

 この5倍の値段はするラピドのピザは冷凍ものだから、そりゃあこちらの方が美味しくても納得だ。
 レストランによっては10倍、15倍の値段が付くけれど、はたしてこれを越えるものかどうか。
 少なくともこの価格差分の価値ある一品を出せるピザ屋はキューバには存在しないだろう。
 ペソ屋台万歳。

 16:00。
 バラデロでは滅多に雨が降らないけれど、それでもこの時期、午後にはやや雲が多くなってくる。
 快晴とはいかないけれど、よく晴れ渡っている。

 キューバ人の日帰り団体が多い。
 16時には帰りを知らせるチャーターバスのクラクションがいくつか鳴った。
 カミオンのチャーターもちらほらと見かける。
 カルデナス辺りから来ているのであろうか。
20070630Camion.jpg


 16:40。
 何やら急に黒い雲が押し寄せてきた。
 雨は降らない。
 ホテルから裸足で泳ぎに行ってみる。
 お昼過ぎよりもかなり潮が引いていた。
 かなり波立っている。
 推定海水温34℃
 夕方の海は、ぬるめの露天風呂にでも浸かっているような温かさだ。
 時々熱水の固まりが肌に当たる。
 推定40℃。
 なぜか葉っぱの浮遊物が多い。
 潜ってみれば昼間よりも魚影が濃く、白い砂浜にぴたりと合う、真っ白なアジ科の魚が作る群れがいくつも見られた。
 それからヒトデ。

 人は相変わらず多い。
 真っ赤っかに肌を焼いてしまった子どもが、明日の痛さを知らずにはしゃいでいる。
 上空を、三角の羽二枚と後ろにプロペラエンジンを積んだゴムボートが飛んで行く。
 そして私は浮遊物の多さに閉口して、今回は1時間と泳がずに浜に上がる。
20070630VaraderoBeachNuberado.jpg


 18時過ぎ、散歩に出る。
 雨が15分ほどパラッと降って、すぐに止んだ。
 以前よく行ったショッピングコンプレックスはキューバ人に占領されていた。
 もはやバラデロのセントロは外人租界地ではない。
 世の中、変われば変わる。

写真:近くのショッピングセンター入口付近
20070630ShoppingCentre.jpg


 20時。
 まだまだ夕方って感じの明るさだ。
 20:40。
 まだ空に青さは見える。
 街で見かける人の殆どはキューバ人だ。
 キューバ人観光客は日帰りばかりだから、大繁盛していたペソ払いの屋台群は軒並み店を閉じ、しかし、CUC払いの高級レストランには活気がない。
 人がいない。
 何より痛いのは以前あちこちのレストランに入っていた生演奏の団体が今回は一つも見あたらない事だ。
 これは大変残念な事だ。
 バラデロセントロは変わってしまった。

 超高級な雰囲気の一店に入ったが、客は私の他には誰一人いない。
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 調理にも40分ほどかかるという。
 そりゃそうだ、お客がいないから、たぶん一から始めるんだ。
 ここは確か以前はエアコンのよく効いた店のはずだったが、エアコンは止まったまま。
 味は良かったけれど、うっかりして1CUCボラれてしまった。
 そして結局、自分の他に客は誰一人現れなかった。
20070630Comida.jpg


 こうして、ペソで物を買うのが好きな私にはむしろ好都合な環境となってきたけれど、とにかくバラデロセントロは地元キューバ人のための行楽地へと変わってしまったようだ。
 これでは再開したとしてもコッペリアも長蛇の列だな。


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Julio 1, 2007

バラデロビーチ(Varadero Beach) 1 julio 2007

 快晴。
 7月。
 ついに夏は始まる。
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 バラデロはわずか数百メートルの幅を保ちながらどこまでも海に突き出た地形だから、半ば大海原に浮かぶ船で過ごすような気候だ。
 今までの滞在地の中では最も涼しく、しかし、湿度が高いのだろうか、洗濯物が乾きにくい。
 このリゾートまで来て洗濯なんてしたくはないが、貧乏旅では致し方ない。

 ホテルの室内は快適だ。
 きれいだし、エアコンがよく効く。
 タオル類も豪華だ。
 シャワーはキューバや中南米でよくある電熱式ではなく、給湯式だ。
 レバーのひねり方次第で水からお湯まで自由に加減できる。
 テレビでは久々にCNNを見た。
 朝食付き。

 朝食は始め焼いたパンにフルーツの盛り合わせ、それにパイナップルジュースにコーヒー、あとから主菜?が出てくる。
 これはメニューの中から選ぶ。
 朝だからサンドウィッチみたいのだとか、玉子料理だとか、そんなものの中から。
 ホテルはさすがに外国人観光客で埋まっていて、何だか変な話だが、少しホッとする。
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20070701Cafe%26Jugo.jpg

 ・・・以前選ぶ事の出来た主菜(と、言えるかどうか?)はどうやら有料化されたようだ。
 メニューをもらっておいて「これはタダですか?」と聞くのはさすがにはばかられるから、ここはスマートに目玉焼きを注文してみた。
20070701Huevo.jpg

 しかし会計の時にこれは朝食に含まれるのか聞こうかと思ったけれど、既にウエイターもウエイトレスも見つけることは出来なかった。
 どこへ行ってしまったのか?

 朝食後、海岸を散歩していると男から声がかかる。
20070701Chino.jpg
 キューバと中国のハーフで今はハバナとパナマに家を持っていると言う。
 名前は中国風で覚える事が出来なかった。
 ちなみに娘さんの名前は「あすみ」とか「あずみ」とか言うそうで、日本のドラマのヒロインの名前からとったそうだ。
 嬉しい話だ。

 次いで、キューバ人の男女から声がかかる。
20070701Amigos.jpg
 ホルヘ、経済を専攻していたが今は調理人の40歳とレディス23歳、保母のカップル。
 しばしビールを飲んで語らい、その後、彼らの娘とお母さんのいるパラソルの下でご飯をご馳走になる。
 コングリ(小豆ご飯)、ポーヨ(鶏)、アグアカテ(アボカド)。
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 娘5歳、ネリス・レディス・ゴンサレス・アレナ・デ・ラ・カリダ・・・長い名前だ。
20070701Nelis.jpg
 仲良くはしていたものの、徐々にタカラれ始めたので水着に着替えてくると言っておいとまさせて頂く。
20070701Redis.jpg
 その後ホテルまで追ってきた。
 さすがにしつこい。
 程々ならおごっても楽しい。
 が、しかし、あまりにタカラレるのはごめんだ。


 以前の、3年前までのバラデロならこういった事はまず起こらなかった。
 そういった意味でもバラデロはすっかり変わってしまったと言わざるを得ない。
 バラデロでタカラレたのは、今回が初めてだ。

 いまや愛すべきキューバ人のリゾート、それがバラデロセントロだ。
 もちろん1泊3万円ほどの(詳しくは知らないけれど)超高級ホテルが密集する半島の先端部は今まで通りのたたずまいだろう。

 なぜタカラれる事をわかっていながらどこの街でも頻繁にこうして彼らと絡むのか・・・それは彼らと一緒に話をしていると、友達同士からでは得られないような情報を手にする事が出来るからだ。
 信頼関係がすでに成立している友達同士では言うのがはばかられるような事を、しばしば彼らは私に伝えてくれる。
 自分を見る鏡として、彼らと一緒にいるのはとても面白い事である。
 その他、既に人間関係の出来上がった友達同士の間柄ではなかなか伝えにくいようなキューバの現実を、彼らは時折垣間見せてくれる。
 親友といるのも楽しいけれど、そんなこんなで見ず知らずの人間と絡むのはとても興味深い事である。
 多少のタカリなら、むしろ心地良い。
 しかし限度はある。

 12時過ぎ。
 彼らから解放されて泳ぎに行く。
 ビーチは今日もキューバ人で埋め尽くされている。
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20070701%E8%B3%91%E3%82%8F%E3%81%86Playa2.jpg
 外国人は100人に1人もいない感じだ。
 この3年間で、キューバ人の一部が裕福になったのは間違いないところだろう。
 3年前は「インファンタ657/藤田浩司」のジャケット写真のように、殆ど誰もいないビーチを撮影出来たものが、今では望むべくもない。
20070701Infanta657.jpg
 あの静かだったバラデロは、もうここにはない。
 それとも明日からの平日にはビーチのたたずまいもガラっと変わるのだろうか。

 泳いでみると、今日は浮遊物も全くなく快適だ。
 しかも私のように沖合まで泳ぎに来るものは誰一人いないから、半ばこの広い大海原を独り占めしている感じだ。
たまにはプカプカと海面に浮いてみる。
 すると半島の先端に向けてやや海水の流れがある事がわかる。
 見る事の出来る魚はやはりアジの群れ、それからアジよりもずっと体高の低い魚の群れ。
 尾ひれの形からは、やはりアジ科の魚に見えるのだが。

 1時間半ほど泳いでシャワーを浴びる。
 こうしていると、自分の身体にも健康が戻ってくる感じだ。

 再び散歩。
 昨日雨に降られたショッピングコンプレックスに再び行ってみた。
 昨日は気が付かなかったけれど、なんと裏手が一大遊園地となっていた。
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 びっくりだ。
 小さいながらもジェットコースターまである。
20070701JetCoaster.jpg
 確か以前から遊具はあったものの、これほどの規模ではなかったはず。
 そして今日も店内はキューバ人で埋め尽くされていて、カフェやラピドでは座る席もない。
 座れない事なんて、絶対になかったのに。

 16時。
 帰り道。
 陽射しはいよいよ肌に厳しい。
 持っていたタオルで腕を覆う。
 サングラスを買った。

 再び泳ぐ。
 一日中よく晴れたせいか、水温は昨日より高い。
 熱水の固まり、というには広すぎる範囲が温泉のように温かい。
 この時間となっても、ビーチには人があふれている。
 午後は二日続けて波が高くなったけれど、これはどこのビーチでも一緒かもしれない。
 午後の方が波は高くなる。

 行列のピザ屋台には、今日も人が並んでいる。
 惜しげもなくチーズを投入しているのが見える。
 生地をこねているのも見える。
 手作りは、やはり良いものだ。

 ラピドでブカネロの生ジョッキを飲もうとしたら、ジョッキが足りない、と断られてしまった。
 バラデロセントロ、日曜のラピドはキューバ人で一杯だ。

 余りに髪が傷むので、普段は使わないコンディショナーを買った。
 うっかりと道沿いのニナ・リッチとかを扱っている高級店でそれを買ったら、同じ品がスーパーの2倍以上の値段でびっくり。

 19:30。
 まだまだ太陽が見える。
 サマータイムも悪いものではないな。

 ホテルに戻って、ふとテレビをつけるとメキシコの楽団が演奏していた。
 Fue Un Placer Conocerte(君と逢えて良かった)というボレロ。
 メキシコ人の楽団は服装がきちんとしている。
 厳しい階級社会の現れだろうか。
 メキシコはボレロの名曲をたくさん生み出しているけれど、賑やかなトランペットも定評高い。
 マンボはキューバ人のペレス・プラードがメキシコの高地で肺を鍛えられた、メキシコ人のトランペッターを使って成功させた音楽だ。


 全然、関係ない話だけれど・・・
 為替について考える。
 今、日本人にとってこの円安の中、海外を旅する事は大変苦しい事だけれど、それを逆手に取って自分も製品を海外に輸出すれば為替がどちらに傾こうが安定した生活を送れるんじゃないか。
 日本での売り上げのみでは為替が円安に傾いた時、それは目減りするけれど、海外でユーロかドルにペッグさせた値段で商品を売ってそのまま売り上げを外貨でストックすれば円安も痛くない。
 むしろ円安によってクライアントは日本発の製品を買い易くなるのだから、円安の時にはオフェルタ(特売)をかけるとか、売り方によっては売り上げは伸びるというメリットさえ生まれるだろう。
 しかし、基本的には為替差益で利益を生み出すのではなく、為替に左右されにくい体質に自分の経済を変えたいのである。
 まあ、こんな事は誰もが承知の話で、特に何も目新しいことではないのだが、今、初めて自分でそれをやってみる気になった。
 円高の時には国内で経済活動をして日本円を稼いだ方がメリットが大きかったので、こんな事は考えもしなかったけれど、海外へと出るようになってから最もレートの悪い今(特に自分がよく使うキューバ兌換ペソCUCに対して)、急にそんな考えが頭の中を駆け巡るようになった。

 先日拙著「ラテンキューバンドラム教本」に海外から初めて注文が入った。
LatinCubanDrumming.png
 つまりこのインターネット時代、それをほしいと思う人に適切にその情報が届けば、個人でも海外を相手に商売出来るのである。
 特に私が扱っているような専門性の高い商品は、インターネットで販売するのにふさわしいと考えられる。
 自分の消費行動を考えても、一般の店に置いていないような専門性の高いものを購入する時にはまずネットで検索をかける。
 そういったものを求める、多くのインテリが同じような行動を取っているのではないか、と想像する。
 すると、インターネットは世界を等しく駆け巡るから、たとえ日本の千葉県茂原市で販売していようと、その商品を求めてベルリンやマドリードやロンドンの人が消費行動を起こす事に何も不思議はない。

 まず英語サイトとスペイン語のオフィシャルサイトを開設して、そこに商品をおく。
 商品のアイデアは既に色々とあるから、あとは製品化するだけだ。
 こういう事を考えていると、ホントにわくわくしてくる。

 また、少し前までは引退したら海外年金暮らしすれば良いと思っていたけれど、こうして円安が進むとそれも不安に思えてくる。
 円建ての年金が海外で威力を発揮すると思っていたのは、つい日本人の傲慢で円が永遠に強い、という前提に立った考えだった。
 国民年金は積み増ししていなければ、今の制度のままなら月にわずか6万円ちょいだ。
 今は海外暮らしよりも、老いても出来るような仕事で、しかも円と外貨のダブルインカムを狙うのが一番良いような気がしている。
 あるいは貯蓄や投資を円のみに頼らず、外貨にもまわすとか・・・しかし、それは日本を売ってしまうようで、自分にはためらいがある。
 円安が進んでしまえば、もしゲインが同じなら日本で暮らした方が暮らしやすい環境になる事も充分に考えられる。

 自営の、もしくはフリーのあなたは老後、どう生きていきますか?


 20:45、外にはまだ本格的な暗闇は訪れていない。
 そろそろ一杯飲みに行こうかな。

 近所の飲み屋で一杯頼むとすぐ乞食のおっちゃんにからまれる。
 「ビールを一杯おごってくれないか」と。

 その後、テーブルにいると変なおっちゃんがやって来た。
 バラデロで柔道を教えているというサンチェス氏。
20070701Sanchez.jpg
 今、初めて会う私にビールや食事をおごらせてくれと言う。
 しかもカルネ(身分証明証)や職業のカードまで見せてくれる。
 いよいよ怪しいと思ったが、ここはご相伴にあずかる事にした。
 さてどうなるか。
 聞けば彼はグァンタナモの出身でお父さんは米軍基地勤務だと言う。
 オリンピック女子柔道で金メダルを取った子もグァンタナモ出身だから友達だと言う。
 怪しいから食事は断った。
 何度も「本当にいらないのか?」と言われたけれど、丁重にお断りした。
 彼はジュースにピザを頼んだが、そのピザを私にも分けてくれる。
 色々と話をしたけれど、彼は本当に全てのお金を払ってスッと去って行った。
 なぜかとても感動した。
 キューバ人におごられたのは、記憶に間違いがなければいつもおごってくれるお金持ちのインテリでマブ達のアントニオを除けば、4年前にヘスス・ルバルカバにおごられて以来だ。
 いや、そういえば今回もカマグエイの宿では頻繁におごってもらった。
 忘れているだけで結構おごられているのかもしれないな。
 とにかくこの一件でもキューバの経済が相当に上向いているのを感じるのである。
 さわやかだった。
 おごられて屈辱という感じが全くしない。
 裏を返せば、こういうお国柄だから、タカリも後を絶たないのだろう。
 ちょっと納得の夜。
 カトリック万歳。

 さらに何かハプニングしないかと夜の街を歩いていたら、帰る途中の海沿いのレストランで声がかかった。
 一人は近くにある姉妹ホテルのウエイターだった。
 計4人。
20070701AmigosPorLaNoche.jpg
 楽しく会話は弾み、歌い踊った。
 そうこうしているうちに写真を撮ろうと言ったら、うちの一人、サンチアゴに住んでいて、今は休暇でバラデロに来ているという22歳の女の子にいきなりキスされた。
 腰を押し付けてくるし、若干身の危険を感じたので、みんなでディスコに行こうとか言っていたのを残念ながら辞退させて頂く。
身長150cmほど、金髪の細身で、とても感じの良い子だったし、素直で可愛らしい子ではあったけれど・・・。
 だけど私には、そこはかとなく教養の溢れているような子じゃないとダメみたいだ。
 知性。
 それに一夜限りの恋、みたいなのは苦手でもある。
 そんな夜でした。
 はは。
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Julio 2, 2007

バラデロ(Varadero)・・・水の反映 2 julio 2007

 当然のようにバラデロはよく晴れる。
20070702PlayaNadieNoEsta.jpg
 長い砂嘴をカリブ海に向けて突き出したその地形のせいだろうか、雲がここでは発生しない。
 雨を降らすような雲が出る時、それはいつも必ず陸地のある東南東の方角から流れて来る。
 ちなみに雨期のハバナで毎日のように繰り返される天気は大体こんな感じだ。
 ~朝はよく晴れた空、午後になると東の空に黒い雲が見え初めて、夕方にはいつの間にかスコール。しばらく降ると雨はピタリと止んで、夜空に星が出る。~
 当地バラデロビーチも午前中の方が良い天気だ。
 昨日は雨も降らなかったけれど、降るとしたら決まって夕方だ。


 カフェテリアに降りると、朝食のサービスはやはりパンとフルーツのみになったようだ。
20070702Desayuno.jpg

 その後、海を見に行った。
20070702PlayaFrenteDeAmanecer.jpg

 今日は人がとても少ない。
 あの喧噪は土、日のためであったのか。
 以前のバラデロのようだ。
 今朝はビーチに外国人も見受けられるが、しかし、それでもキューバ人の方が多い。
 とはいえ数えることの出来る人数。
 見渡した限りでは50人といないだろう。


 部屋に戻ると、ベッドの上にタオルで装飾が施されていた。
20070702Towel.jpg
 ここいらの習慣だ。
 昨日はメイドがやって来た時間が思ったより早かったのでチップをあげ忘れたけれど、今日は朝食へと出る時にチップを置いていったから、それなりにサービスがよい。


 しかし以前はちらほらとあちらこちらで見かける事の出来た流しのミュージシャンが、一昨日、昨日と全く見受けられない。
 これは大変に残念な事である。


 泳ぎに出る。
 午前中はまだ朝の陽射しでアスファルトも熱くないから、裸足でビーチへと向かう。
 推定水温28℃、朝の海水はやや冷たい。
 しかし、どこまでもクリアだ。
20070702AguaLimpia.jpg

 一粒の夾雑物さえ見つける事の出来ない海面。
 ミネラルウォーターを注ぎ込んだかのような透明。
 世界中の名だたるビーチでも、これほどのクリアな海水で泳ぐ体験はそうそう出来ないだろう。
 クロールで泳ぐと、手先から散る水滴が海底に光の輪をいくつも描く。
 それから海底に見える波の反映は大きめだ。
 これは1.5~2mほどの浅い場所だから。
 深さ5~7mになるあたりの水面を泳ぐのが好きだけれど、そこいら辺では海底に映る波の紋様はずっと細かくなる。
 沖合で泳ぐ人は、今日も私を除いて誰一人としていない。
 ま、ここいらへんで万が一にでも体に変調をきたせば、ほぼ確実にこの世とおさらばだ。
 今日は体長30cm超のアジを見かけた。
 料理したら食べごたえがありそうだ。
 海面近くの水中から海面を見上げると、水面にはやはり塵ひとつ見つける事が出来ない。
 完璧な透明。
 何もないから安心して前に進める。
 クラゲがいたり、あるいは何かが水面に浮いていると、それらが気になり落ち着いて海中を覗き見る事も出来ないし、また、思い切りクロールする事も難しい。
 しかし、ここバラデロビーチではそれが出来る。
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 長時間平泳ぎで泳いでいたら、首が痛くなってきたので浜に上がる。
 椰子の葉のパラソルにビーチチェアーがあったのでそれに寝そべっていると、これは有料で30¢かかりますと英語で言われた。
 なんだ、ちぇっ・・・30¢くらい惜しくはないけれど、今は一銭の手持ちもない。
 これって以前、有料だったっけ?
 再び海へ。
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 帰り道のアスファルトはすでに熱かった。
 より白いコンクリートはそうでもない。


 ビールを飲みに外へ出る。
 あの行列のピザ屋は閉まっている。
 平日はキューバ人が少ないから閉店するのか、それとも月曜定休なのか。

 昨晩彼女と飲んだオープンテラスに、今日は楽器が置いてあった。
 店内には外国人観光客ばかり。
 今日はチップも多い事だろう。
 あそこは1缶1.5CUC。
 キューバでビール1缶飲むのに日本と同じお金を払うのはちょっと厳しい。
 が、ライブミュージックがあるなら、それもOKだ。
 そう言えば「INFANTA 657/Koji Fujita」のジャケット写真を撮影したのは、このオープンテラス「アマネセール」の前だった。
 イルカの群れを見たのもここだったな。
 思い出深い場所だ。
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 コッペリアに人影が見えたので入ろうとするも、全てのゲートが工事中で閉じられている。


 コッペリアすぐ側の方のラピドでブカネロの中生をたのむ。
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 店内は静かで外国人ばかりだ。
 要するに平日は今まで通りなんだ。
 以前だって休日にはキューバ人が増えた。
 しかし今回の増え方は半端ではなかった。


 帰り道に行列の出来ない方のピザ屋に寄ってみる。
 こちらは本格炭火焼き。
20070702%E9%87%9C.jpg

 これはこれで美味しいのだけれど、しかし何かがあちらとは違う。
 材料は多分同じだ。
 値段も一緒。
 どうも焼き方が違うんだ。
 調理も芸術ですね。
 ここ一帯ペソ払いの屋台ではどこでもマヤベが1缶18ペソ(=0.75CUC)。
 これの風味はブカネロやクリスタルと比べても遜色ない。
 マヤベはオルギンのビール。

写真:ピザとマヤベ
20070702Pizza.jpg

 これを注文していると「マナカを飲め」と声がかかる。
 こちらはビージャ・クララ州のビールで1瓶10ペソだ。
 やばい味のビールかもしれないけれど、近いうちに味見させてもらう事にしよう。

 今や庶民の街、バラデロ・セントロ。
20070702Carro.jpg

 午後、珍しく全天曇り。
 曇りのなかで泳ぐと海中の視界が落ちてイヤなものだが、ここはそんな感じがしない。
 表層を泳ぐサヨリの仲間。
 珍しく中型のアジが群れて泳ぐのを見た。
 午後、と言っても18時頃だけど、この時間には釣り人が多い。
 中には釣り竿を持っている人もいるけれど、大抵はテグスをそのまま手に持つシンプルな釣りだ。
 アジ狙いだろう。
 釣り人のいる沖合を泳ぐ時には注意が必要だ。
 曇ってはいるが、波は全くなく透明度は高く、巨大な塩湖で泳いでいるようだ。
 沖合から岸を眺める。
 海に面したレストラン、アマネセールには人影がちらちら見えるけれど、もう1ブロック先のエル・カスティジートには誰もいない。
 曇りの中で泳ぐのも日焼けをまったく気にしなくてよいから悪いものではない。
 特にここバラデロでは曇りでもイヤな感じがしない。
20070702Nublado.jpg

 夜、闇の中を泳ぐのは怖いけどね。
 夜になると海中の生物は入れ替わる。
 夜に泳いだ事はないけれど、夜釣りでは釣れる魚が全く変わってくるし、それに防波堤から夜の海を眺めるのは好きだから、夜には海の様相が一変するのは知っている。
 どちらかと言うと、夜の海の方にグロテスクな生物が増える気がする。


 ホテルに戻る途中のオープンテラスからは英語が聞こえてきた。

 中国語のまねのつもりで発音してくる少女達がいたから、日本語で「何言ってるんだ?」と語りかけてやったら、それがやたらウケた。
 街を歩いていると、通りすがりにデタラメ中国語を浴びせてくるキューバ人は意外に多い。
 バカにされているようで、それは案外不愉快だ。
 大体「チーノ(中国人)」と言われるとやたらムカつく。


 部屋に戻ると1時間とちょっと過ぎていた。
 いいペースの運動時間だ。

 20時過ぎ夕方の街。
 うっかりと虫避けを塗り忘れたら、早速3カ所刺された。
 通りを歩く人には外国人が目立つ。
 全く理解できない言葉を喋る人たちがいた。
 英語でもスペイン語でもイタリア語でもポルトガル語でもフランス語でもドイツ語でもない。
 しかし、白人だからヨーロッパの言語だ。
 どこからやって来た人たちだろう?

 散歩は初めてバラデロに来た時、宿を取ったオテル・エラドゥーラ前で引き返す。
 道々で見かけるレストランへの人の入りにはばらつきがある。
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 途中、ネットカフェを見つけたが、料金は全国840円/hが相場のようだ。
 これで回線が遅かったら目も当てられない。

 泊まっているホテルの前を通り過ぎて昨晩サンチェス氏におごってもらったダ・プリッサに寄る。
 今日はボトル瓶が冷えている。
 ここも今夜は外国人ばかりだ。

 今夜は特別に涼しくて、軽井沢にでもいるかのように涼しい。
 快適です。

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Julio 3, 2007

バラデロ(Varadero)の何気ない1日 3 julio 2007

 バラデロでは海に突き出た砂嘴という、その地理的条件のせいであろうか、洗濯物が乾きにくい。
 それともエアコンを常時回していて飽和水蒸気量を下げてしまっている部屋の管理の問題なのか。
 とにかく洗濯物は洗って4日経っても何となくしなしなとしている。
 以前洗い物が全く乾かず、水浴びしてもたちまちにして汗が吹き出てきて、とにかく湯気の中で暮らしているかのように高温で湿った、恐怖世界を体験した事がある。
 コロンビアのカリから太平洋に出たところにある海辺の街、ブエナ・ベントゥーラの雨期。
 2日間いて全く太陽が拝めず、常に高温でジトジト・・・マジ病気になるかと思い、もっと長くいる予定を切り上げてカリへ舞い戻った。
 南米サルサの首都、カリで、ここブエナ・ベントゥーラに来れば太鼓の音楽が聴けるとの情報をキャッチしたのだが、残念ながらこういったものはタイミングが合わなければ耳にする事は出来ない。
 で、バラデロ。
 ここは今まで訪れたキューバの都市、ハバナ、サンチアゴ、カマグエイ、マタンサス、トリニダの中ではダントツで最も快適な気候を持つ都市だ。
 それほど暑くない。
 しかもなぜか洗濯物は乾かないけれど、ここにいてジトジトした皮膚感覚もない。
 むしろ湿度は低めな気がしないでもない。
 年間晴天日数は確か二百数十日だったはず。
 確かにここにいたらこうして多雨期でさえも一日中曇りの日なんて滅多にないし。
 なぜ洗濯物が乾きにくいのかナゾなのである。
 バラデロの気候は快適そのものだ。

 朝8時、9時に見える太陽の傾き加減は夏、同じ季節の関東地方5時、6時の頃と同じであろうか。
 ハバナやここバラデロでは朝の訪れが遅い。
 サンチアゴはずっと東にあるから朝が早い。
 この違いは下関から地元千葉に戻った時感じる時差と同じくらいのものか。
 例えば九州西部、野茂崎や九十九島、雲仙の温泉があるあたりまで行ってしまうと、ハバナ-サンチアゴ間よりももっと日の出、日の入りの時刻には差が出るように感じる。
 九州西部では、夏の時間が実に有意義に流れる。
 夜の訪れが非常に遅いから、日中明るい時に色々な事が出来る。
 サマータイム導入、関東に住む私にとっては賛成すべき事項です。


 海。
 快晴で無風。
 今日は海の男が言うところのベタ凪。
20070703Yotte.jpg

 ビーチに人はわずか。
 当然のように透明度は高い。
 距離を測ると、海底に映る光の波紋はおおよそ自分のいる位置から25~30mほども見通せている。
 砂底でありながら。
 時折30~35cmほどの体長を持ったアジ科の魚の群れが目の前を通り過ぎる。
 クルメサヨリのような小さいサヨリが表層を泳いでいた。
20070703%E5%87%AA%E3%81%AE%E6%B5%B7%E3%81%A7.jpg

 沖合で海面から首を出すと、そこは静寂の世界。
 映画「タイタニック」で船が沈没した後、訪れた沈黙の世界のようだ。
 あるいは静かな森の中にある湖面に浮いているかのような。
 身体から離れて、魂のみが水面に取り残されてしまったかのような非現実的な感触。
 とはいえ、遠くビーチからの歓声もかすかに聞こえてくる。
 少し潜れば透明で、万が一、支笏湖か摩周湖を泳いだらこんな感じなのかもしれないと思った。
20070703%E5%87%AA.jpg

 網を持った漁師がいる。
20070703Pescador.jpg


 砂浜でちろっと足の裏を切った。
 流木か何かのようだった。
 砂浜はあまり清掃されていない雰囲気だ。
 見るにはきれいだが、躊躇なく走る事は出来ない。
20070703Arena.jpg


 それから砂浜の植物にいわゆる日本で言うところの「どろぼう」に似た実を付ける草花があるので要注意だ。
 どろぼうは振り払えばなんとか落ちるが、こちらの物は実だけ落ちてトゲは肌に残る場合がある。
 また完全に取り除いても痛いのは、若干毒性を持っているせいなのかもしれない。
 よくはわからない。

 今日は泳ぎに出たのが早かったせいか、ホテルの部屋に戻るとベッドメイク中だった。
20070703BedMake.jpg

 部屋の外で待ってメイドさんをせかすのも気が引けるから、水着で上半身裸のまま、財布だけ持ってビールを飲みに行く。
 ついにマナカを飲んだ。
20070703Manaca.jpg

 瓶は砂浜で危険だから、ここではプラスティックのカップを買うのが規則らしい。
 で、瓶ビールの中身をそれに注いでもらう。
 ビールは10ペソ、カップは3ペソだ。
 隣のおじさんに「なぜマヤベを飲まないんだ?」と笑われる。
 暗にこれは国民の飲む大衆的なビールなんだ、という意識が感じられる。
 ハバナにいたならマナカは絶対に飲んでいるはずだとも。
 ハバナでお祭りの時にディスペンサーダで出るのがもしかしたらこのマナカかもしれないな。
 これはようするに発泡酒の類だ。
 売り子に聞いてみるとフルータボンバ(パパイヤ)を副原料として使っていると言う。


 昼を過ぎたが、今日はいまだに雲一つ湧き出てこない快晴だ。
 季節を違えて冬のバラデロにいるかのようだ。

 帰り道、さすがにアスファルトの持つ熱が裸足にキツい。
 行列のピザ屋が今日は開いていた。
 どうやら月曜が定休日だったらしい。
20070703Pizza.jpg


 シャワーを浴びてからその例のピザを食べに行った。
 今日はチーズのピザ(Pizza de queso)以外にもソーセージのピザ(Pizza de embutido)があったので、1ペソ高いけれど、そちらを頼む事にした。
 これも美味しい。

 あまりに天気が良くて海がきれいな色をしていたから、写真を撮りにいった。
 ビーチで写真を撮っているとキューバ人にガン見される。
 そりゃ変だものね、確かに。
 ビーチにいながら服を着てカメラをセッティングする中国人。
20070703Foto.jpg


 暑いから、あまり時間が経っていないけれど、再び泳ぎに行く。
 午後14時半くらいだろうか。
 少し風が出てきて波立ってきたけれど、大したことはない。
 泳いでいたら、ソンの生演奏がどこかの店から聞こえてきた。
 急いで聞こえた辺りの地点に上陸した時にはすでに音楽は終わっていた。
 残念。
 だけど、今夜はバンドがありそうだ。
 再び泳ぎだし、泳ぎ始めた地点に戻り、ビーチにあがってその後、露店を冷やかしにいく。
 マヤベを飲む。
 忘れていたけれど、マヤベもクリスタルもブカネロも全てオルギンのブカネロ社がつくっているのであった。
 マヤベは安いし、アルコール4%ほどだから、ノドの渇きを癒すにはうってつけのビールだ。
 店をかえて鶏を食べる。
 露天で食べればラピドの6割6分引きだ。
 それはおいておくとして、露天で食べていると店員や集っているお客さんと色々な話が出来るのがよい。
 せっかくキューバにいるのに、キューバ人と接触がなければ寂しいではありませんか。
 話をしていて感じるのは、キューバ人の基礎的教養の高さだ。
 何気に市民が世界情勢について色々な事を知っている。
 日本についても、一般的に関心が深いようで色々な事を知っている。


 夕方、外に出るがやはり街は静かだ。
 珍しくビールは飲まずにアイスクリームを食べてぶらつく。
20070703Paseo.jpg

 初めてバラデロに来た時泊まったエラドゥーラのすぐ側にあるレストラン、ラ・ビカリアはいつ見ても流行っている。
 今、突然思い出したが、エラドゥーラに泊まっていた時にはこのレストランによく来たものだ。

 結局Uターンしてラピドでブカネロの生ジョッキを飲む。
 選択肢がクリスタルかブカネロの場合、キューバ人は見る人見る人、殆どがブカネロを飲んでいるのに、なぜかクリスタルはおしゃれな雰囲気でより派手に宣伝されている気がする。
 なぜだろう?

 今日も雨が降らなかったな。
 風が吹き渡って、いい夜だ。
 しかし生演奏の音楽は聞こえてこない。


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Julio 4, 2007

バラデロ(Varadero)・・・水流に逆らって 4 julio 2007

 永遠のリゾート、バラデロは今朝も快晴。
20070704Playa.jpg

 大体キューバで朝から曇りとか雨にあたった記憶がない。
 記憶の中では朝はどんな季節でもどんな場所にいても、すっきりと晴れ渡っている。
 少なくとも、今回の旅ではまちがいなく朝は全て晴天だったはず。

 朝食を食べに地上階のレストランへと行った。
 レストランにお客さんは1人もいなかった。
 まだ9時過ぎなんだけど。

 朝食後、少し海辺で写真を撮ってから着替えて泳ぎに行く。
 部屋でメイドさんとバッティングしてしまったので、日焼け止めも塗らずにさっと水着に着替えて部屋を出る。

 今日もガンガンに泳ぐ。
 ホテルのあるCalle53から、エラドゥーラのあるCalle35まで泳ぐが、海の底には殆ど全く変化がない。
 地図で見ると区間距離1.8kmくらいのものだろうか。
 往復すると3.6kmほどだ。
 途中、エル・カスティジート前からコッペリア前を過ぎた辺りまで、人の気配がだいぶ薄くなる。
 コッペリアを越えた賑やかな道路前から再び人が増え始め、この人の波はずっと先まで続く。 

 行きは良かった。
 俺はオリンピック選手かと思うような快調さでエラドゥーラまで進む。
 が、しかし・・・
 戻りがキツかった。
 うっかりと海流の下手へと泳いできてしまったのだ。
 普段、出だしはなるべく海流に逆らって泳ぎ始めるように注意しているのだけれど、今回はうっかりした。
 今日は先日と岸辺付近の水流が逆方向であった。
 これは快調に下った谷底から、再び地上へと降り立つ時のキツさと同じだ。
 天気が良いから日焼けのし過ぎも気になり、背泳ぎを混ぜて泳ぐ。
 背泳ぎはいつもと違う筋肉を使うから、案外と気持ちが良い。
 海で背泳ぎ出来るなんて、幸せな事だ。
 日本も含めて大抵の海ではクラゲに気を付けながら注意深く水を掻いていかなければならない。
 背泳ぎは海水中に何の障害物もない場合にのみ、許されるのである。

 その後、例によってビールを飲みに行くが、先日買ったバソ(コップ)を持ってマナカを飲みに行った。
 途中見知らぬ黒人におごられ、3杯1リットル以上も飲んでしまったから、結構酔った。
20070703TomoManaca.jpg

 マナカに含まれるアルコールは3.5%だそうだ。
 マヤベは4.0%、ブカネロは5.5%、・・・ブカネロマックスは6.5%だったかな?
 じゃ、クリスタルは5.0%か???
 ブカネロ以外は滅多に飲まないから、そこいらへんはあやふやなのである。
 キューバでは何故かアルコール度数が高いビールほど値段が張る傾向にある。
 私はキューバではビールを水代わりに飲んでいるから、アルコール度数の低いものの方が具合が良い。
 そこで今回のヒットはマヤベやこのマナカだ。
 しかし、マナカはパパイヤを混ぜた発泡酒。
 だから普通に水として飲むならマヤベか。
20070704Mayabe.jpg

 今の今までブカネロ・ネグロの時代からブカネロばかりを飲んでいた。
 とはいえ、夜はマヤベではなくやはりブカネロだな。
 時にモヒート、あるいはダイキリ。

 行列が出来るピザ屋の調理人もここに飲みに来たけれど、あっと言う間にマナカを飲み干して仕事場に帰っていった。
 店員さんや、集うお客さんたちと話をしていると、相変わらずNHKの朝ドラ「おしん」は強烈だったようで、ここでも話題に出る。

 酔っぱらった勢いで、さらにもう一度着替えてもうひと泳ぎ。
 午後は波が立って、透明度もかなり落ちた。
 見通しが効かない。
 また、波立つと背泳ぎはキツい。
 顔に水をかぶるから。
 バラデロで泳ぐなら、日本人的には朝だな。
 水もやや冷たくて爽やかだ。
 逆にキューバ人は午後が良いと言う。
 理由は水が温かくなるから。
 冬はあまり泳がないものね、キューバ人。
 外国人的には冬がハイシーズンだ。

 ホテルに戻ってシャワーを浴び、街へ。
 豚肉を食べてみた。
20070704Cerdo.jpg

 うまい。
 ヘタなレストランより屋台の方が良い肉を出す。
 こうしたペソ払いの店でもディビサ(CUC)を使って代金を払う姿をよく目にする。
 お釣りは1CUC=24pesoに従ってペソで出る。

写真:屋台の内部
20070704%E5%B1%8B%E5%8F%B0.jpg

写真:メニュー表
20070704Menu.jpg

 
 夕方になっても良い天気が続き、今日はこの時間になって日陰にいても汗が止まらない。
 今回のバラデロ5日間では、今日が最も暑い日だ。

 こうして店でトゥコーラ・ディエテティカ(ダイエットコーク)を飲んでいると、物乞いが目の前にまで手を出してくる。
 それを無視したら舌打ちされた。
 その後しばらくして、その物乞いはクリスタル(ビールの銘柄)を手にして去っていった。
 物乞いしてビールを飲むとは一体どういう了見だろう。
 あれを許していたら、彼は一生働かなくなるだろう、と私などは思ってしまう。
 それでもカトリックは与える。
 夕方と言っても、今は19:45。
 雀がチュンチュン鳴いている。

 帰りがけにゴミ箱をあさり、鶏肉のカスや飲み残しのペットボトルなどを集めている乞食を見た。
 このリゾート地、バラデロにこんな人もいるのか・・・。

 スーパーを覗くとレジ打ちのお姉ちゃんが物を食べながら仕事している。

 それぞれがキューバ社会の一面だ。
 
 また、キューバのコンクリート製電柱は資源節約のためか、資材の中心部に穴を開けて軽量化している。
 耐久性について少し不安に思うが、ちゃんと計算されているのであろうか・・・それとも。
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 話は変わって・・・夜のバラデロでは蚊避け対策が必要だが、今回持ってきた医薬品ムヒの虫よけはよく効く。
 これを塗ると、全く蚊に刺される事がない。
 また、刺されてもそれほどには痒くならないから虫さされの薬の方は必要ないかもしれない。
 ホテルの部屋に蚊が出る事もないので、蚊取り器は必要ない。
 結論として、ハバナ、サンチアゴ、カマグエイの中心部にいる限り、蚊避け対策は必要ないと思う。
 バラデロでは肌に塗布する虫避けが1本欲しい。
 肌に薬品を塗るのが気持ち悪く感じるなら、夜の外出には蚊取り器があった方が良いかもしれない。
 勿論ブラジルのようにダニや南京虫に悩まされる事もない。
 キューバでは案外殺虫剤を撒く光景を目にするけれど、そんな事もあってか亜熱帯でありながら都市に蚊は少ないのかもしれない。
 あっ・・・バラデロの中でも、私は行った事のない高級ホテルの建ち並ぶ半島先端部でリゾートするなら、虫対策は必要ないのでしょう、たぶん。
 ここで言うバラデロは、バラデロのセントロに宿を取った場合の事です。

 寝る前にビールを1本飲みに行く。
 この場合はブカネロだ。


写真:初めてキューバに行った頃のスナップ
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Julio 5, 2007

再びハバナ(La Habana)へ 5 julio 2007

 バラデロの朝は遅い。
 日の出は7時少し前だ。
 本日もよく晴れた空。
 結局、バラデロで雨が降ったのはほんの少しの間だけだったな。
 さすがは世界のリゾートだ。

 
 今日はビアスールバスでハバナへ移動しなければならないため、少し早起きした。
 バスの出発時刻は11:45。
 逆算すると11時頃にホテルを出なければならないから、9時頃泳ぎに行って10時には戻ってきたいと思う。
 だから朝食は8時。
 朝食後には写真の撮り納めもしておきたい。
 バラデロは絵になる風景の宝庫だ。
 キューバ的なものを表したい時、バラデロの風景はかかせない一枚だ。

 
 朝食。
 どうやら早い時間の方にお客さんが多いようだ。
 給仕する人に「レチェ?」ではなく「ミルク?」と聞かれた。
 その時、ふと思った。
 ウエイトレスがサービスのつもりで日本人である私に向けてあやふやな日本語を使ったとする。
 「乳?」
 ・・・もし彼女に「チチいりますか?」と聞かれた場合、私たちはどういう反応をすれば良いだろうか。
 日本語で正しく聞くなら、コーヒーに入れる場合にはやはり「ミルク?」、あるいはせめて「牛乳?」が正解だろう。
 「乳?」はその物質を指す正しい名称ではあるが、この場合にはふさわしくない。
 私も似たような恥ずかしい問いかけをスペイン語でしているに違いないと思う。
 例えば馬車を「コーチェ」と言わずして、「カバーヨ(馬)」と思わず言ってしまうように。
 
 今日は初めてフルーツが最後に出てきた。
 フルーツはサラダ代わりだと思っていたから、私としては始めに食べたかった。
 が、これを甘いデザートと捉えれば、フルーツは最後に出てくるべきものとなる。
 果たしていかに???
 ま、キューバ人のウエイトレスはそこまで考えていないだろう。
 出来てきたものからどんどん出しているんだ、多分きっと。 


 泳ぐ。
 今日は風があるせいか、岸辺では波が砕けている。
 潮騒が聞こえる。
 空には珍しく、秋に出るような線の細い雲が。
 今日は時計をしているから泳ぎのペースがはっきりと掴める。
 ふーん、10分でこんな辺りか、みたいな。
 本日の潮流も昨日と同じく、半島の付け根方向に向かっている。
 よって今日は浜辺に出て右方向、半島先端部に向けて泳ぎ始める。
 波立っているから当然、透明度は今一つ。
 自然は毎日、同じ場所で違った表情を見せる。
 一応ハーフタイムで折り返してみた。
 帰りは行きの2倍近くも速い事がわかった。
 やはり潮流はバカにならない。
 余った時間に気の良いオバチャンのいるペソ払いの露天でマヤベを飲む。
 今回、バラデロ最後の風景を惜しみながら。

 
 11時ちょうどにチェックアウトする。
 セーフティーボックスの鍵を危うく返し忘れるところだった。
 レセプションで確認すると、正式な宿のチェックインタイム
は14時、そしてチェックアウトタイムは12時だ。
 ホテルの入り口にバッゲージクレームがあるから、12時にチェックアウトしてしまい、午後、海で存分に遊んで18時台のバスでハバナへと帰るのも一つの手かもしれない。
 水場もトイレもフロント付近にある。

 タクシーはすぐにつかまった。
 メーターを倒さない場合、バスターミナルまで2CUCで、メーターを使うより安く済んだ。
 運転手の彼には何かメリットがあるのだろうか?

 バスターミナルに到着していざ切符売り場に行ってみると、昨日レセプションで聞いた発車時刻と食い違っている。
 昨日受付の彼女は11:45発だと私に教えてくれたが、実際には11:25発だった。
 危ない。
 こういった時刻は運営会社に直接聞くべきだな。
 間に合ったものの、肝を冷やした。

 バラデロの空港を経由して、マタンサスには12:15分に到着した。

 13:00頃、15分のご飯&トイレ休憩が告げられる。
 15分って言ったから、また30分か。
 ハバナには何時に着くのだろう?
 実はバラデロからバスでハバナに向かうのは初めてだ。
 いつものようにタクシーならばホテルを11時の出発で、すでにこの時間、13時にはハバナへと到着する予定だったのだが。

 ・・・バスはきちんと15分後に出発した!!!

 その後、14時ちょうどにアバナ・ビエハでいったん停車したので、そこでバスを降りる。
 宿へはここからの方が、絶対にバスターミナルからより近い。

 ビエハからはメーターのタクシーを使って2CUCほどで宿には到着しました。
 10分はかかっていないと思う。
 宿からバスターミナルへ向かったときには6CUCだったから、随分と違う。

 宿の入り口には偶然イルダのアパートの通路向かいに住んでいる人がドアを開けて待ってくれていた。
 すぐに換金に向かう。
 アバナ・リブレにあるバンコ・フィナンシエロに行った。
 日本円はここでOK、しかし、ペソに換金するにはやはりコッペリアのところにあるカデカへ行かなければならないらしい。
 両方換金し終えた後、ご飯しに行く。
 3年前まで4年間よく通ったハンバーガーやサンドイッチの店はやはりつぶれてしまったようだ。
 おいしかったのに残念だ。
 その代わり、10年前まではよくビールを飲みに行っていたペソ払いの一杯飲み屋が同じ場所に復活していた。 
 銘柄はハバナのビール、ポラール。
 一瞬、ベネズエラのポラールかと思った。
 マークも北極熊だし。
20070705Polar.jpg

 
 飲んでいたら偶然アリエニイに会った。
 ロベルティコやレオ、コキの従兄弟だ。
 いつの間にか彼の子供達は3歳と7歳に育っていた。 
日本で売り込んでくれって、音源を預かっているから何か心苦しい。
 しかし、私一人の力で彼を日本に紹聘するには、まだちょっと力が足りない。


 バンボレオの元ドラマーで現在日本に住んでいるルドゥイグの話が出た。
 彼に私の連絡先を教えたのはアリエニイだそうだ。
 おかげで楽しい思いをさせてもらっている。

 それからレゲトンはもう古いぜって。
 よく知らないうちに流行が過ぎてしまったか。
 さらにサルサは今、最悪だとも言っていた。
 あの1996~7年あたりがマックスだったよなって。


 宿に帰って電話をかけまくる。
 ミゲリートがいた。
 この間は英国に行っていて留守だったが、つい先日キューバに帰ってきたようだ。
 ブエナビスタのボンゴセロ、マエストロ・ロベルトの甥っ子だ。
 
 色々と選択肢はあったけれど、ロベルト・コンセプシオンに会いに行く。
 マノリートとラサロが競演しているDVDを見せてもらう。
 やはりサルサはいいな。

 そろそろおいとましようと思ったところ、家主のダニアから夕飯の誘い。
 悪いな、と思いつつも頂いてしまいました。
 美味しかった。

 ロベルト・コンセプシオンが席を外している間に、彼の誕生日パーティーへの招待を受けた。
 当日はロベルト・ビスカイーノやルイ・ロペス・ヌッサなど、キューバの著名ドラマーが勢揃いするって言ってました。
 それはとても楽しみだ。
 恩師ロベルト・コンセプシオンも明後日には70歳。
 時が経つのは早い。
 とはいえ、彼はまだ現役の教官だ。
 キューバに定年はないのだろうか。

 その後、しばしダニアの息子、クリスチャン推定5~6歳と相撲、柔道、空手、ボクシングごっこをする。
 子どもは加減を知らないから、こちらは上半身裸になって汗だくだ。
 チビのくせにいつの間にか私の事を「従兄弟」と呼ぶ。
 オレって一体・・・。
20070705Cristian.jpg


 そんなこんなしているうちに3時間も4時間も過ぎて、ロベルト・コンセプシオンとジャズカフェに行った。

 ロベルト・コンセプシオンは相変わらずどこに行っても知り合いが多い。
 ここでも挨拶の嵐だ。
 この顔の広さが、彼の人徳を表している。 

 今日はオスカール・バルデス率いるディアカラが出る。
 名前は知っていたけれど、ライブは初めてだ。

 バタを取り入れたステージはまさしくアフロキューバンジャズそのものであった。
 曲もバタ・フュージョンからポピュラーなソンまで取り入れられたものでバラエティーに富んでいて楽しい。
20070705Diakara.jpg


 ライブは1ステージのみだった。
 しばし色々と話をする。
 そんな中で、ISA(キューバ国立芸術大学)の入学試験についてが話題に上った。

 聞くところによると、ISA打楽器科の合格者数は毎年4~5人だと言う。
 全国から入学希望者が集まってくるけれど、合格する者は首都ハバナ出身者が多いそうだ。
 地方によって情報の差が極端だから、キューバの場合それも仕方のない事だろう。
 実はISAの合格者数はもっと多いのかと思っていた。
 自分の周りにたまたまISA出身者が多いので、入学はそれほど困難ではないだろうと思い込んでいた。
 彼らは特別優秀だったのだ。

 日本の東京芸術大学音楽学部打楽器科の合格者数は毎年3~4人ほどで、少ない時には2人、多いと5人、日本1億2692万(2000)、キューバ1115万(1999)という国人口との兼ね合いで考えれば、確率的には日本の芸大に入学する方がずっと困難に見えるけれど、キューバ人の音楽センスを考えると一概にそうとも言えないだろう。
 どちらに入学するにしても相当な難関だ。
 ちなみに現在、外国人の在籍は全学年でフランス人1名のみだそうだ。
 一般にキューバに打楽器を習いに来る外国人は、打楽器のみを履修したがり、正式に大学へと入学するのは嫌がるとも言っていた。
 気になる実技試験の内容はというと、任意の楽器を用いて自由に演奏するのみとの事。
 これは簡単なようでなかなか大変ですよね。
 捉えどころがない。
 また演奏スタイルは、クラシックでもポピュラーでも良いというあたりがキューバらしい。
 より素晴らしい演奏をした者が合格。
 単純明快である意味分かりやすい。
 確かにその人の演奏を聴けば、そのレベルは直感的にわかる。
 言い表すのは難しいけれど。。
 これでは受験技術なんて小手先の事は気にする必要がないし、また、通用しない。
 受験者の持っている音楽そのもののみで合格を判断しましょうという事だ。
 合格するには相当なタレントが必要だろう。


 ライブから宿に帰ると、もう既に3時をまわっていた。
 ハバナの夜は特別に遅い。


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Julio 6, 2007

ルバルカバ(Rubalcaba)の家でお昼ご飯 6 julio 2007

 朝、ネレイダから電話が来る。
 昨晩ご飯を作って待っていたのにって・・・。

 昨日の電話では「もしかしたら行けるかも」って話したつもりだったのだけれど、ちょっと行き違ってしまったようだ。

 今日のお昼ご飯においでって。
 ありがたい事です。
 今日はエリサベスもいるらしい。

 結局12時頃出掛けた。
 デザート付きフルコース?をごちそうになりました。
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写真:キューバンカフェ
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写真:ドゥルセ(デザート)
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 ミッチェルが出ていたチリのテレビ番組やエリサベスが出ているPVなどを見せてもらった。

写真:Michel Rubalcaba
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 その後、大写真閲覧会となる。
 ヘススとマルティカが結婚する前からの写真に始まって、ミッチェルやエリサベスが小さかった頃のや、エリサベスのキンセアーニョの写真集、さらにはゴンサロ14歳という珍しい写真やら私が写っている各時代の懐かしい写真まで、出てくる出てくる。

写真:以前お世話になっていた家にて
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写真:ミッチェルを抱きかかえるゴンサロ・ルバルカバ14歳
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 エリサベスが私の事を忘れないようにって、写真を一枚くれた。
 ・・・忘れるわけないじゃん。
 今日はスペイン大使館のフィエスタで演奏するそうだ。
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 ボニアティージョとホアキンの奥さんが急に訪ねてきた。
 久々の再会。
 ボニアティージョに日本で見つけた彼が表紙になっている本の話をした。
 記憶にないって。
 こんなポーズの写真だったよとポーズをとったら、ああ、あの時のか、と納得がいった様子だった。

写真:ボニアティージョと
20070706ConBoniato.jpg


 おいとまさせてもらう時に時計を見たら、すでに17時だった。
 いやいや・・・しかし話は尽きないものである。
 
 そういえばミッチェルが参加しているCDや、エリサベスが参加しているDVDをおみやげにもらった。
 後で聴いたり見たりするのが楽しみだ。
 あいにくこちらにはCDプレイヤーもDVDプレイヤーも持ってきていない。

 ふと宿の窓から外を眺めると、23通りとインファンタ通りとマレコン通りの交差するあたり・・・というか、最高の格式を持つオテル・ナシオナル・デ・クーバの前に野外特設ステージがしつらえてあった。
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 そういえばエリサベスも言っていたし、昨日ロベルト・コンセプシオンも今日は23通り(La Rampa)でお祭りがあるって言っていたっけ。
 今晩はサルサが聴けるかも。
 期待大。


 ライブが始まったのが見えたから、宿を出る。
20070706%E9%87%8E%E5%A4%96Stage.jpg

 ルンバはあったけれど、サルサはなかった。
 最後に出てきたアコギとカホンのコンビに会場がやたら盛り上がる。
 キューバは変わってしまった。
 今やアコギで盛り上がるキューバ。
 とはいえ、彼らの音楽はソンやルンバをアコギとカホンのアンサンブルにトランスレートしたものだ。
 あとで聞いたところによれば、ブエナ・フェというグループであるとの事だった。
20070706AcoGuit%26Cajon.jpg


 22時半頃全てのコンサートが終わった。
 まだ寝るには早いからジャズカフェに行った。
 23時頃着くと、ライブをよく見る事の出来る席はあと一つしか空いていなかった。
 ミュージシャンの到着は24時少し前。
 ライブは24時半頃始まった。
 フロントはサクソフォンにギター。
 ピアノ、ベースにドラム&コンガ。
 ちょっとロックよりのビートを持ったラテンフュージョンだ。
20070706JazzCafe.jpg


 25時半ライブ終了後すぐにジャズカフェを出る。
 出てすぐの海岸通りマレコンでルンバをやっていたから輪に入ってみた。
 カメラを構えに行くのだが、すぐオバさんに手を取られて踊る羽目になってしまう。
 何度近づいてもその度に踊らされる。
 しばらくルンバを楽しんで、その場を去る。

写真:道端のルンバ。堤防上のオバちゃんがイケイケだった。
20070706Rumba.jpg


 海岸通りには色々な音楽をやっているグループがある。
 プロとおぼしきトランペッターがいた。
 
 またまた飲んでいるグループに引っかかる。
 デタラメ中国語で話しかけられたから、こちらもデタラメなスペイン語で応戦してみた。
 男:「チンカントンチャンフォ?」
 私:「ティンコマンガークラリーフォセンティーバォ」
 男:「ウォティンハオハオハオアブラベスィー?」
 私:「セテドール、ヨセビーベンカレフォーノ!」
 お互いにまったく訳の分からないまま、最後に「アッ・ミーゴ、アッ・ミーゴ(注・アタマにアクセント)」と言い合い、固く握手して別れた。


 最後に宿直前、オテル・ナシオナル・デ・クーバの前辺りで、ボンゴにギターのデュオを囲むグループに捕まる。
 結局明け方まで一緒にいて、そのままアバナ・デル・エステにあるという彼らの家に行った。

 グループの中心にベネズエラで医者をやっているという男がいた。
 名前は忘れてしまった。

 グループの中に18歳になるという黒人の血が濃いムラータの娘、サレマがいた。
 男がこっそりと私にサレマを買わないかと言う。
 もちろん断ったが、彼らはどうみても友人同士なのに、友人の売春を斡旋するのか・・・。
 しかもよりによって医者の友人なのに。

 ・・・結局、翌日のお昼まで飲み明かして、帰ったら12時過ぎ。
 突然思い付いてルバルカバの家の前で降ろしてもらい、マルティカに来週タクシーでサンタ・マリア海岸へみんなで一緒に泳ぎに行かないかと誘ってみた。
 一応月曜10時に、乗ってきたタクシーを予約しておいた。


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Julio 7, 2007

恩師ロベルト・コンセプシオン(Roberto Concepcion)の誕生日 7 julio 2007

 そういうわけで、お昼過ぎに宿へと帰ってきた。
 そして目覚ましをかける前に寝入ってしまった。
 
 ハッと目が覚めるとすでに17時だった。
 約束の時間は17時。
 これはうっかりした。
 急いでシャワーを浴び、タクシーでロベルト・コンセプシオンの家に向かう。

 到着は17:50頃になってしまったけれど、パーティーはまだまだ始まる感じではなかった。

 19時頃になってようやく飲み物がまわり始め、本日の主役もこの場に登場となった。
 誕生日の歌がルンバの太鼓に乗って歌われる。
20070707Salud.jpg

 ゾロ目誕生日の人とは、なぜか縁が深い。
 彼、ロベルト・コンセプシオンもその一人だ。
 師にはいまだにお世話になりっぱなしである。

 誕生日を祝う時のケーキがとても大きい。
20070707Feliz.jpg

 以前ルバルカバの家で誕生日を祝ってもらった時のケーキを思い出した。


 庭先でルンバが延々と続く。
 打楽器奏者がずらりと集まっているからね。
 ロス・バンバンのサムエル・フォルメルがいる。
 それからチャンギートやタタ・グィネスのライブでよく見かける有名なチェケレ奏者パンチョ・テリーetc・・・。
20070707Terry.jpg


 ・・・昨日、というか、今日の昼まで酒を飲んでいたから、ロンが匂うだけで、胸が気持ち悪くなる。
 今は一滴たりともアルコールを体内に入れたくない感じだ。
 こうして自分でコーラをついでも、ロベルトが気を利かせてロンを入れてくれる。
 ・・・入れてくれてしまう。
 今は飲みたくない、と言っても冗談だと受け取られてしまうし。
 いや、参った。
 実際身体が参っていたので、20時半頃においとまさせて頂く事にした。
 帰り道もタクシーを使ったけれど、今日も歩行者天国のために宿までは車で入ることが出来ない。
 ステージのセットを見ると、どうやら今日はサルサがありそうだ。

 宿に帰ってしばらくこうして日記を書いていたら、外で「バンボレオ!」というアナウンスが流れた。
 続いてバンボレオのテーマ曲が聞こえてくる。
 窓からライブ会場を見下ろすと、すでに黒山の人だかり。
 うわっ、マジかとばかりに急いで宿を飛び出した。
 
 バンボレオを見るのは久しぶりだ。
 やはりサルサはキューバ音楽の華だな。
 そして今日は昨日以上に人が多い。
 万はいるだろう。

 ビデオカメラを回していると、前のおじさんが肩車をしてくれて、その気持ちは嬉しいながらもちょっと困った。
 確かに良い絵が撮れたけれど、なんだか恐縮してしまう。

 パイラの兄ちゃんが格好良い。
 見ててほれぼれとするグルーヴだ。
20070707Pailero.jpg

 それからボーカルのタニアはものすごくパワフルだ。
 デビューしたての頃にはとてもかわいい感じだったのだけれど、いまや勇ましくもある。
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 今晩はこれで大満足。

 恩師、いつまでも元気でいて下さいね。
20070707RobertoConcepcion.jpg


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Julio 8, 2007

ハメルのルンバ(Rumba de Hamel) 8 julio 2007

 日曜日と言えば、ハバナではハメルのルンバだ。
 ハバナに住んでいた頃、家族は私にその存在を全く教えてくれなかった。
 なぜかいまだに、しかも平等が徹底しているはずのキューバで、黒人でない人たちは黒人との接触を嫌がるのだ。
 当然のように、私が黒人のコミュニティーへと顔を出す事を彼らは嫌がったのである。
 ルンバの会場近くに市場があるので、そこへはしばしば出掛けたけれど、行く度に「この付近はちょっと危ないから」と言われたものである。
 ハメルでルンバがある事に気付いたのは2001年、4年振りにキューバを訪れた時の事である。

 毎週日曜日12時から始まるルンバに、今日も出掛けてみた。
 到着してみると、今日も前回来た父の日のように女性陣が中心となって演奏していた。
20070708Hamel.jpg

 ルンバの後に、音楽はオリシャへの捧げものへと変わる。
 それらが一通り終わった後、メンバーが入れ替わって今度は男性陣のルンバが始まった。
20070708Hamel%E5%85%A8%E4%BD%93.jpg

 トゥンバドーラ(コンガ)に加え、座っているカホンをアクセントに混ぜるスタイル。
 キント奏者もトゥンバドーラを2本使っている。
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 ある奏者は割竹を叩いて細かなビートを刻む。
 スティックにはサトウキビか何かの棒を使っている。
 普通のスティックではおそらく出音が固すぎるのだろう。
20070708Hamel%E5%85%A8%E4%BD%932.jpg

 クラーベやカンパーナ(カウベル)はかなりテキトーな楽器だ。
 クラベスの片方は四角いただの角材にも見える。
 また、カンパーナの裏は完全に破れている。


 適当な時間を見計らってカンパのカゴがまわってくる。
 それはよいのだが、しつこくしつこく何人もの人にコピー品のCDやDVDを売り込まれるのは閉口する。
 一度断っても同じ人から再び声がかかる。

 また、夏場だといつ来てもハメルは大変に暑い。
 いつもTシャツを絞れるほどに汗をかく。
 なぜ?風通しが悪いから???

 まだまだルンバは続いていたけれど、余りに暑いので14時過ぎに引き上げた。
20070708HamelHombre.jpg

 今晩はアントニオと、出来たら最近出来たという彼女も連れて来てもらって一緒にジャズカフェに行こうと誘ってある。
 彼女が来られるかどうか確認してから席の予約を入れようと思い、アントニオに電話をしたところ、衝撃の事実が・・・。
 もうすぐパパになるって。
 彼女のお腹は今9ヶ月目だそうだ。
 いやいや、この間会った時に教えてくれればよいものを・・・
 びっくりしました。
 お祝いを用意しようにも、今日は日曜日だ。
 参ったな、これは。
 とりあえずホテル等で換金出来ないかと街に出る。

 ついでだからCDショップにも行ってみた。
 そろそろキューバを出る日も近いから、資料収集しなければならない。
 実はCUCが現在、不当に高いので以前の様にこちらでCDを買う事はないだろうと考えていた。
 買うべきものを見つけたら、今や日本で買った方が安いのではないかと考えていた。
 しかし、そこは敵もさるもの。
 CUCをつり上げた分、CUC表示での値段は下がっているように感じる。
 つまり、ドルに照らすと多分今も等価、以前と同じような買い得感を感じたのである。
 特に少し古いけれどまだ手に入れていないものなどは、かなり割り引きされていてお買い得だ。
 ロベルト・コンセプシオンの家で見せてもらったラサロとマノリートのDVDなどを手に入れた。
 CD10枚にDVD5本で2万円ちょっと。
 クレジットカードで直接買うと11パーセント高くなるから換金して現金で買った方が得だと店員に言われたけれど、どうせクレジットカードからお金を作っても11パーセントのコミッションを取られるから、もしかしたらカードで直接買っても損はしないのではないだろうか。
 ここの店員はそういったシステムに関してあまり知識がないように感じた。
 店員にクレジットカードからの換金は目の前、コッペリア入り口にあるカデカ(両替所)で出来ると言われ、列を作って並んだが、いざ自分の番になって換金しようとするとクレジットカードはここでは扱っていない、ナショナルホテルへ行ってくれと指示された。
 仕方なく今度はここから少し遠いオテル・ナシオナル・デ・クーバへ歩く。
 こちらでは問題なく換金出来た。
 ただし、なぜか楽天VISAはNGで、オリコUPtyMasterはOKだった。
 コミッション11%。
 計算してみると、日本円の現金からの換金と比べてそんなに悪いレートでもなさそうだ。
 本日のレートを知らないから、今はアバウトにしかわからない。
 セキュリティの事も含めて考えると、クレジットカードから現地通貨を作るのが最も良い方法なのかもしれない。
 ただしカードは何枚も持っていった方が良さそうだ。
 理由がよくわからないけれど、使えるはずのカードが使えない事が頻繁にある。
 所持カード1、2枚では、自分としては大変な恐怖を感じる。
 以前にも米系ではなしに使えないカードがあった。
 イオンカードだったような。
 今回は8枚持ってきている。
 うち普段メインのシティカードは、もちろんここキューバでは使う事が出来ないけれど。
 

 どうにかこうにか換金出来たので助かった。
 アントニオにお祝いを渡す事が出来る。

 帰り道にマヤベを一本飲んだ。


 おっと、そういえばさっきネレイダから電話をもらったんだった。
 ご飯を食べさせてくれるって、わざわざ。
 またまた出掛けなくちゃ。
 ありがたい事です。

 行ってみると今日はランゴスタ(伊勢エビ)だった。
20070708Langosta.jpg

 伊勢エビはキューバだって高級食材だ。
 恐縮。
 おまけにブカネロまで付けてくれた。
 ランゴスタには白ワインかビールだって。
 確かに。
20070708Cena.jpg

 色々と海に行く相談をする。
 もしかしたらレンタカーを運転する事になるかも。
 日は火曜日に決定。

写真:本日のデザートを手に
20070708Dulce.jpg


 宿に帰ると外からはロックっぽい野外ライブの音が聞こえる。
 キューバは変わってしまった。
 バラエティに富んできたといえば、それは豊かになった事でもあるのか。

 ジャズカフェ。
 アントニオを待っている間に、男が警察に逮捕される瞬間を見た。
 見た目では誰が逮捕されるような事をするのかわからないものだ。
 

 今晩は女性コーラスグループの登場だ。
 心地よいサウンドだし、フロントの娘達のパーカッション、これがまたツボにはまっていい感じだ。
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20070708JazzCafeBonita.jpg


 色々な事についてアントニオと話をした。
 女性の話から政治の話まで、とめどもなく色々と。

 途中、偶然にミゲリートが私たちのテーブルにやって来た。
 久々の再会を喜び合う。
 ミゲリートはブエナビスタのボンゴセロ、マエストロ・ロベルトの孫だ。
 このジャズカフェでもしばしば演奏すると聞いている。

 その後アントニオとは場所を変えて、宿近所のライブハウス、ラス・ベガスで飲み明かす。
 帰る前に再び会う約束をしてサヨナラしたけれど、既に朝の4時半をまわっていた。

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Julio 9, 2007

超スコール! 9 julio 2007

 今日も朝からよく晴れる。
 再び訪れた首都ラバーナではなぜか全く雨が降らない。
 7月になると雨が少なくなる、季節が変わったという事なのだろう。
 全国各地で様々なフェスティバルが開催され、それが本格的な夏の訪れを感じさせる。
20070709HaceBuenTiempo.jpg


 昨日、レンタカーについてアントニオと話しそびれてしまった。
 私としてはもっぱら肝心なところであったにもかかわらず。
 お互い、それ以上に重要な人生の問題を抱えていたという事だな。

 お昼前、日本大使館に電話してみた。
 レンタカーを運転するのにはやはり免許証が必要らしい。
 当たり前か。
 今回はタクシーだな。
 うーん、結構かかりそうだ。

 ホテルナショナルの玄関前にたむろしているタクシーに運賃を聞いてみた。
 ハイエースみたいな1ボックスワゴンでサンタマリア海岸まで行き帰りで80CUCだそうだ。
 メルセデスはもっと高いと言う。
 通りがかりのパナタクシーにも値段を聞いてみた。
 こちらは一台30CUCで2台だと60CUCだと言う。
 本当は片道20CUCなんだとも言っていた。
 確かにそれくらいはかかりそうな距離だ。
 片道30km弱。

 宿に帰るとエリサベスから電話があった。
 バンが運転手付き、40CUCで借りられたという。
 これはラッキー。
 申し訳ないけれど、パナタクシーはキャンセルさせてもらおう。
 しかし、電話すれども回線が思わしくない。

 ボンゴセロ、マエストロ・ロベルトに電話する。
 在宅であった。
 ミゲリートもいる。


 出掛ける事を約束して宿を出るも、到着目前にして突然の大スコール。
20070709LLuvia.jpg

 道路が河となって、色々なものが流れて行く。
 雨もすごいけれど、間近を横に這って行く雷の方が怖い。
 マジ、当たりそうな距離だ。
 落ちると辺りが360度明るくなる。
 道路を流れる水は、さらに波となってこちらに押し寄せて来る。
 運良くガソリンスタンド併設のコンビニで雨宿りさせてもらえたが、これではもう帰る事も出来ない。
 目の前の緩い坂道を、早瀬のように水がかけ落ちてゆく。
 雨は15分ほど激しく降って小降りになった。
 が、道路は相変わらず早瀬状態だ。
 まだ、靴の中を濡らすことなく道路を横切る事は出来そうにない。
 さらにずっと時間が経ち、急激に道路の水かさが減った。
 ぱらつく雨の中、マエストロの家を探す。
 この近くのはずなのに、見つからない。
 キューバの住所はどこそこの道路に面した家で、何通りと何通りの間にある、という風に表示するから、あまり間違えようがない。
 全ての道に名前がある。
 しかし、どうも記憶の中の景色とは辺りの雰囲気が違う。
 もしやと思い、W-ZERO3に格納されているエクセルを開いてみると、いつも確認に使っている携帯の住所の方は、写し間違えられている事に気付いた。
 うっかり「L」と「I」を間違えた。
 この二つはゴシック体で筆記した場合、時に判別するのが難しくありませんか?
 紙の原本から書き写す時に誤ったようだ。

 言い訳はともかくとして、比較的短時間で彼らの住む家に着いた。
 ネルサと、マエストロとミゲリートと、その弟にお母さん。
 久々の再会だ。
 マエストロやミゲリートと色々な話をする。
 彼らは海外経験も豊富だ。
 東京の物価の話や、秋葉原の話、ロンドンの交通機関についてや、風情、リオの話やフィンランドの話、それにもちろんスペインの話。
 その他諸々。
 アフリカへはまだ誰も行った事がない。

 ミゲリートはルーウィーと一緒に仕事してた事があるって言ってたな。
 東京には今、「サトシ」って素晴らしいコンガ奏者がいるとか。
 もし、これを目にすることがあったら連絡下さい?みたいな。

 ISAの入学試験についても聞いてみた。
 試験はすべてクラシカルな課題曲によって行われる。
 シロフォン、スネア、ティンパニの課題曲がある。
 シロフォンの課題曲は「ガーデン」、スネアはロシアの「オサチュ」、それにAll Americanの中からウィルコクソンの名前が冠されている曲、それからSteacy Duganの1番。
 ティンパニについてはよくわからなかった。
 が、とある1冊のティンパニのための練習曲集をすべてマスターしなければならず、試験にはその中から数曲が与えられるとの事。
 それからキューバ人学生がISAに入るには、その前の1年間、軍に在籍しなければならないという。 
 意見は先日のロベルト・コンセプシオン氏のものと随分違う。
 きちんと確かめるには結局資料請求しなければならないだろう。
 
 「インファンタ657/藤田浩司」を持っていったけれど、さっきの雷による停電が続いていて、聴く事が出来ない。
 ミゲリートのバンドのPVも見ることが出来ない。
 2時間ほども話し込んで、帰途に着く。
 水曜日、朝10時に彼のバンドのリハーサルを見学させてもらう事を約束する。


 宿に帰ってみると、なんとこちらの地区も停電中。
 苦しいところだけれど、エレベーターが止まっているので仕方なく10階まで自力で登る。
 宿に着いた途端、電気が息を吹き返した。
 これは喜んでよいものやらどうやら。
 すぐにエアコンが使えたのはとてもありがたかったけれど、あと5分早く復旧していれば、階段を登る事もなかっただろう。
 着替えて、まずタクシーの運転手に電話したら今回はつながった。
 その後、アントニオに電話したら彼は今、眠っているとの事だった。
 無理もない。

 その後、何度か彼に電話をするものの、うまくつながらない。
 

 

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Julio 10, 2007

サンタ・マリア海岸(Playa Santa Maria) 10 julio 2007

 随分前から彼らとは海に行こう行こうって約束していたものの、なかなか実現する事のなかった海水浴。
 それが今日、ついに実現した。
 って、そんなに大した事でもありませんが、サンタ・マリア海岸は私たちの住むセントロ・アバナから東へ30km弱離れたアバナ・デル・エステという地区にある、とても美しい海岸です。
 個人的には、もう何年間も行っていない海岸だけれど、その昔にはよく出掛けた場所です。
 カミオン(トラック)に乗って1ペソで。

 エルネストの仕事が終わる時間の都合もあって、少し遅めの11時にルバルカバ家に集合する事になっている。
 エリサベスがバンタクシーを見つけてくれてあるはず。
 そりゃ出来れば2台に分乗するよりも、1台でワイワイと出掛けた方が楽しいに決まっている。
 運転手付きだから、気兼ねなく飲めるな。
 あとは天気。
 昨日みたいなスコールにならなければよいのだけれど。

 シャワーを浴びて、いざドライヤーしようかと思ったら急に停電。
 まず220Vのエアコンが止まって動作がおかしくなった。
 電気は流れているようだが、動作がおかしい。
 その後すぐに110Vの方が停電。
 220Vも停電したようで、エアコンが全く動かなくなった。
 今回は殆ど停電がなかったのに、昨日の落雷のせいか、2日続けて停電だ。 
 以前は毎日のように停電していたものが、年を追うに従って電力供給は安定してきているように思う。
 停電で一番怖いのはエレベーターへの閉じ込みだろう。
 一度、現場に出くわした事がある。
 真っ暗で暑苦しい中に、しかも10階の高さから宙づりの状態で何時間も閉じこめられる事を想像もしたくない。
 電気がないのは結構大変な事だ。
 暗いところは暗いままで見通しが利かないし、エレベーターなしで10階まで登るのは一苦労だ。
 それにいざ部屋に着いたところでエアコンなしの中、全く涼しさはない。
 冷蔵が必要なものは鮮度が落ちるし、アイスクリームの買い置きなんて、もしあったら大変残念な事になる。
 私にとってより重要なのは充電が出来ないということだ。
 これは本当に困る。
 いまや電気なしでは何の資料も作成できない。

 早くも10時前にネレイダから電話。
 11時半がエリサベスたちには都合良いけれど、早めに食べにおいでとの事。

 ありがたい。
 言われなくても早めに出たかったところ。
 エアコンなしの中、室内温度は急上昇中だ。


 ルバルカバの家に着くと、すでに停電から復旧していた。
 今朝の停電はほんのわずかな時間だった。
 デサユノ(朝食)を頂く。
 マンゴーの生ジュースが美味しい。


 タクシーは約束の時間の少し前に到着した。
 個人営業の闇タクシーかと思っていたら、ちゃんとしたパナタクシーでベンツ製の1ボックスワゴンだ。
 これにはびっくり。
 ナショナルホテル前で同車種の値段を問い合わせた時には80CUCと言われ、その値段はアントニオも言っていたのでボラレ値段でもない。
 エリサベスはなぜかそれを半額で借りる事が出来た。
 これからタクシーをチャーターする時にはエリサベスに頼む事にしよう。
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 30分ほどで目的地、サンタマリア海岸に到着した。
 ここを訪れるのは実に10年振りであるが、その変わりように驚いた。
 以前はとてもひなびた、だけど水のきれいな海岸だったものが、今はビーチにパラソルが乱立する、とても賑やかな海岸へと変貌を遂げていた。
20070710Lleno.jpg

 少し豪華めにタープ付きの寝そべりイスを3席キープしたら、あまりの高額にびっくりした。
 18CUCだ。
 バラデロでは椅子1個パラソル1個確保するのに数十セントしかかからなかったから、あまりの違いに愕然とする。
 今日の予算にそれほどとは思っていなかったから、この後、今日は充分な飲み物が振る舞えるか、心配になった。
20070710PlayaSantaMaria.jpg

 さて水の中へ遊びに行くと、このサンタマリア海岸は魚がたくさんいる。
 足に当たってくる。
 中には結構大きいものも。
 ベラにアジ、それに一番多いのはウミタナゴとおぼしき魚。
 潜って手で捕まえようとするも、それは中々かなわない。
 足で蹴る事は出来るのだが。

 一緒に遊んでいると、どうもキューバ人は人を持ち上げて海に投げる遊びが好きなようだ。
 投げ方には色々なパターンがある。
 組んだ手に腰掛けさせて投げる、あるいは立たせて投げる。
 2人、あるいは3人で手を組み合わせて、その上に人を乗せて投げるパターンなどなど。
 数人での組み手にもいくつかパターンがあった。
 それから人の股を潜水してくぐりっこする遊び。
 列を作ってくぐらせる場合、時に足で挟み込んでイジワルをする事もある。

 ゴーグルを使って魚を捕まえようと潜水するのだけど、その時に他の人が足を潜っている人の背中に乗せて浮いて来ないようにするのにはちょっとドキドキした。

 海岸にはイキの良いミュージシャンのグループがいた。
 ビーチで寝ころんでいる人を囲んでは演奏している。
 ここでもビロンゴを聞いた。
20070710Musico.jpg


 ビーチには人がたくさんいる。
 休日にはもっともっとすごいらしいけれど。
 イスに寝そべっていると、目の前を水着の美女達がたくさん通り過ぎて行く。
 中にはカバレの衣装みたいな水着を付けた娘もいる。
 真っ黒な肌にわずかな白いストライプがのっている。
 目の前の光景は、なるほど芸術の素材となって当然の美しいものだ。
 若い女性が彼女ら特有の美しさを持っている事については疑いようがない。
 完全なる曲線。

 帰り際に海から上がる時、エリサベスが「コージはおしっこしないの?」と聞いてくる。
 「私はもう済ませたわよ」って。
 海水浴に来ると、キューバ人はみんな海の中でおしっこをするそうだ。
 その話は懐かしかった。
 なぜならば学習時代にお世話になった家の娘も同じ様な事を言っていたから。
 そちらは10年も前の話。
 話はさらに続き、人によっては海で脱糞するという。
 海から上がってくる人の海パンに糞が付いているのを見たとか見ないとか。

 結局6時間半遊び倒して夕方ようやくにして帰途に着いた。
20070710SantaMaria.jpg


 私たちの乗ったベンツの1ボックスワゴンタクシーがルバルカバの家に到着する直前、一人の女性から声が掛かった。
 フロールだ。
 やはりアイツとは必ず街で会う。
 これは宿命かも。
 もちろん友達として彼女の事は嫌いではないけれど、彼女といるとこちらのペースが作りづらいのも事実。
 今回はあと2日を残すのみだし、もう絶対に会う事はないと思っていた。
 ジンクス破れたり、と。
 しかし、彼女とはやはり今回も街中でばったりと会った。
 ハバナにいる間、何の連絡も取らなかったので、その事は少し恥ずかしく感じた。
 いい子なんです、実際。


 帰ってすぐにシャワーを浴びて再びルバルカバ家へ。
 エリサベスが作ったスパゲッティをご馳走になった。
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 エリサベスの料理は初めて頂いたけれど、美味しかったです。
 ああ、この子も料理出来るようになったんだと、ちょっと安心。
20070710CasaRubalcaba.jpg

 その後おいとましたのは既に22時半。
 既にアントニオとの約束の時間だ。


 今夜は彼がLa Zorraに招待してくれた。
 バンボレオのリーダー、ラサロ・バルデスのジャズユニットだ。
20070710LazaroValdes.jpg

 ラサロは久々に間近で見たら老け過ぎて同一人物とは思えなかったけれど、自分も同じだけ歳を取ったという事だな。
 La ZorraもJazzCafeと同じシステムで、5CUC払うけれど、その分丸々何か飲む事が出来る。
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 ライブ終了後、場所をかえて更に話し込む。
 主に日本行きのチケットの事、日本の教育問題、信仰、歴史、現政権、前政権の問題点、それからキューバ政府の今後などについて話し合った。

 そして今夜も朝帰り・・・。

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Julio 11, 2007

アントニオの家へ 11 julio 2007

 今朝もハバナは快晴だ。
 雲のかけら一つも見あたらない。
 ここでは朝方から天気の悪い日など、ほぼ一日もない。
20070711HaceBuenTiempo.jpg


 今日は朝10時にミゲリートのバンドがリハーサルをするという会場に出掛けた。
 8 y Calzadaにあるカサ・デ・ラ・クルトゥーラへ。

 多分リハーサルの開始時間は遅れるだろうと踏んで、11時の到着を目標にバスに乗った。
 乗ったバスが交差点で乗用車とケンカになった。
 乗用車のボンネットを開けると、なぜかそこには棍棒が用意されていて、それを手に取った男数人がバスの運転手めがけて押し寄せる。
 運転手も悪かった。
 ヒドい言葉を彼らに向けてマシンガンのように連射する。
 一時はどうなる事かと思ったけれど、場は一応事なきを得た。

 カサ・デ・ラ・クルトゥーラに到着すると、偶然にも歩いているミゲリートとばったり出くわした。
 しばらく建物の前でダラダラと会話する。

 そうして、エンサーヨ(リハーサル)はやはり11時過ぎに始まった。
 伝統的なソンを演奏するグループだった。
 先月はこのグループで英国に行っていたと言う。
 ベーシストが北原実さんやファンカルロスと知人だった。
 トランペッターはとても力強い音を持っていたが、とある日本人から随分と言葉を教えてもらったらしい。

 12:15にエンサーヨは終わった。
 家がこの場所からあまりに近いので、お別れの挨拶をしようとロベルト・コンセプシオンの家に出掛けてみた。
 あいにくと彼はいなかったが、家の仲良し同居人が今日の15時よりベダドでコンサートがあるという。
 しかも招待してくれるって。
 今日はこの後ミゲリートの家に行く約束があり、その後にルバルカバの家に行く約束もある。
 出来ればフロールやホアキンの家も訪ねたいし、それに夜にはアントニオの家に招待されている。

 結局コンサート会場がマエストロの家にとても近い事がわかったので、ツアーバス?みたいなのにご一緒させてもらう事にした。
 場所はLa Redというクラブだった。
 ここで一度お別れをしてミゲリートの家へと向かう。

 ミゲリートの家には弟のミッチェル、マエストロ・ロベルトにネルサ、それにミゲリートのお母さんレティや彼のガールフレンドがいた。
 ミゲリートの部屋にはパソコンがある。
 どうやらPCでレコーディングする環境を整えつつあるようだ。
 E-muソフト音源のデバイス設定とか、色々と訊かれたけれど、正直私もそんなに強くはない。
 しかしあまりにも基本的なミス、ミディコントローラーのUSBドライバーや動作ソフトはインストールされていたものの、音源のそれはまだインストールされていなかったので、それを伝えてその話は終わった。
 音源ソフトのCD-ROMは今、手元にはなかった。
 メモリー512MB、他ははっきりと思い出せない。
 音楽をやるには最低1GBは欲しいと言っていたけれど、確かにそうだ。
 他のプログラムを使う時には512MBもあれば充分だろうけど。
 時間は迫る。
 お別れする前にネルサがアイスクリームをご馳走してくれた。
 それから今はスペインにいる元同居人たちに宜しくって。
 もちろん私だって彼女たちとそうそう会えはしないけれど、Eメールで連絡を取る事は出来る。
 彼らは以前、私が住んでいたアパートで隣の部屋に住んでいたのだ。


 さて、再びLa Redへ。
 楽団はダンソン、ソン、チャチャチャといった音楽を演奏するという。
 もちろんバイオリン奏者やフルート奏者もいてなかなかに賑やかだ。
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 コンサートが始まって、少し飛び入りさせてもらったら、前の席に座っていたご婦人にとても気に入られたようで、その後彼女が何かと私に話しかけてくる。
 あとで1stと2ndのあいだに、彼女もステージに立って詩を朗読したので詩人だとわかった。
 コンサートが終わった頃、ロベルト・コンセプシオンがやって来た。
 音楽がうるさくて会話がしづらい。
 次の予定が迫ってきたので、ダニア達にお礼を言っておいとまさせて頂く。
 その時、詩人にも挨拶をしに行くと、なんと彼女は私の唇にキスしてきた。
 品の良い、賢そうな人だったけれど正直ちょっとひいた。
 う~ん、しかしこれがキューバ。

 ロベルト・コンセプシオンと一緒の帰り道、さらにDVDのおみやげを用意してくれたという。
 かなりタイトなスケジュールだが、深夜それを受け取りに行く事を約束する。
 いつもありがとう、ミ・マエストロ!

 さてその後、休む間もなくエリサベスの待つルバルカバの家へと出掛ける。
 どうなるかはわからないけれど、一応プロフィールを預かっておこうという事で。
 バモス・ア・ベール。
 彼女は以外にも器用に、私のW-ZERO3へと文字を打ち込んでゆく。
 ちょっと意外だった。
 結構出来るじゃん。 
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 少しばかり話もした。
 私になんとプレゼントがあるという。
 明日の出発前にそれを受け取りに来る事を約束して、今度はアントニオの家へ。


 3年振りのアントニオの家。
 行き過ぎたりして少し迷いながらもなんとか辿り着く。
 懐かしい家だ。
 その昔、まだ学生だった同居人とよくこの家に遊びに来た事を思い出す。
 アントニオのお母さん、妹、それから姪っ子がいた。
 シルビア、イボン、クリスティアーナ。
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 典型的なコミーダ・クリオーヤをご馳走になる。
 少し辛目の味付けをしたそぼろ肉にコングリ、アグアカテ、パーパ・フリータ、それにアロスなどなど。
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 最後にはエラドのデザート付き。
 今日も無茶苦茶にビールを飲んでいる。
 どうもハバナに来てからというもの、1日平均3リットル以上は飲んでいるようだ。
 会う約束が1日に何度もあるから、これも致し方ない。
 それに、ライブに行って飲み物を頼まないわけにもいかない。
 かといって、私がそういった場でレフレスコを頼む事もポリシーに反する。
 やはりビールだ。
 でなければモヒートかダイキリ。

 アントニオが最近買ったというコンピューターを見せてもらう。
20070711PC.jpg

 CPU3GB、メモリー512MB、ハードディスク80GBとなかなかのスペックだ。
 これで日本のアニメを見たり、カラオケを流して踊って歌いまくる、アントニオの意外な一面を見た。
 今年キンセ・アーニョ(15歳)をむかえる姪っ子とデュエットしている。
 振りつけ付きで。
 オタクだな。

 リビングには日本刀、鎧甲冑、その他諸々が飾ってある。
 おまけに彼の部屋には大きな日の丸。
 正直嬉しいね。

 2004年に彼が日本に来たときのビデオなども見せてもらった。
 彼にとって、また、私にとっても大切な思い出だ。
千葉にあるディズニーランド併設のバルで飲んだシーン、私のライブのシーン、等々。

 話は尽きなかったけれど時計はすでに25時をまわり、これでさようならだ。

 今は大使館の仕事があるから、彼が実際に日本へとやって来れるのは爺さんになった時だなって、寂しい話もあった。

 明日はいよいよ帰国の途に着く。


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Julio 12, 2007

さよならラバーナ(La Habana)、こんにちはトロント(Toronto) 12 julio 2007

 今日も比較的早起きをして荷物をまとめる。
 すべての日程を終えて本日帰国の途に着く。
 おみやげを渡し終え、消耗品は使い尽くし、帰りには荷物が軽くなっている予定だったのに、たくさんの頂きものでかえって重いくらいだ。

 11時頃、ルバルカバの家にお別れの挨拶をしに行った。
20070712CasaRubalcaba.jpg

 エリサベスがきれいな服を着て待っていた。
20070712Elizabeth%26Koji%20Fujita.jpg

 そしておみやげをもらった。
 日本に到着するまでは開けるなと言う。
 また壊れやすいとも。
 それが何であるのか、とても楽しみだ。

 ネレイダがデサユノしていかないの?とありがたい事を訊いてくれるので朝食(デサユノ)を頂く事に。
20070712Nereida%26Koji%20Fujita.jpg

 ハムサンドにマンゴージュースを頂いた。
 これでしばらくマンゴージュースは飲まないだろうな。
20070712Desayuno.jpg

 エリサベスの彼氏エルネストもスタジオの仕事を終え、挨拶をしにルバルカバの家へとやって来てくれた。
 一緒に写真を撮る。
20070712Ernesto%26Koji%20Fujita.jpg

 偶然か意識的にか、マリアナウに住むティンバレスの巨匠ボニアティージョもやって来た。
 先日頂いたCDのお礼を言う。
20070712Boniatillo%26KojiFujita.jpg

 そうこうしているうちに慌ただしくもお別れしなければならない時間がやって来た。
 電話をかけ、タクシーを呼んでおく。

 扉のところで最後の挨拶をする。
 アスタ・ラ・プロキシマ!(また次回!)


 宿に戻ると今度はイルダと挨拶だ。
 記念に写真を一枚撮らせてもらった。
 とても居心地の良い宿なんだ。
20070712Hilda.jpg

 エレベーターで階下へ降りると、すでにピカピカのパナタクシーが到着していた。
 エアコンが快適だ。
 車窓に過ぎ往く風景を惜しむ。
 そう言えば革命広場とか、こちら方面の名所は何もまわらなかったな。
 ラバーナは人口230万人ほどの都市というわりには、少し走るとすぐに田舎の景色だ。
20070712CampoDeLaHabana.jpg

 空港に着いた。
 やはりパナタクシーを呼ぶに限る。
 空港まで12CUCしかかからない。
 ありがたかったからチップをはずんだ。
 行きのタクシーは偉そうな車ではあるが、無条件に25CUCを要求してくる。
 次回は行きにもパナタクシーを呼ぶ事にしよう。
 電話番号は855-5555。
20070712PanaTaxi.jpg


 ホセ・マルティ空港の国際線ターミナルは3だ。
 小さいながらも近代的なターミナル3。
 メキシコのカンクンにある空港と似た雰囲気かな。
 初めて来た頃、飛行機にかけられたタラップをマッカーサーのように降りてパスポートコントロールのある建物へと向かったのも、いまや昔話だ。

 チェックインカウンターにはかなりな人の列。
 しかしまあまあの所要時間でチェックインをし終える。
 チェックインの後、キューバでは出国税を払いにそのカウンターへ行き25CUCでチケットに収入印紙のようなものを貼ってもらわなければならない。
20070712Impuesto.jpg

 ちょっと面倒で、また忘れやすい事項だ。
 大抵の国へはチケットを買った時に合わせて空港諸税を支払えるのだが、この国だけはそういかない。


 チェックイン手続き終了後、まずは昨晩行けなかった事をロベルト・コンセプシオンに謝りたくて、あちこちと電話を探す。
 私の持っている国内通話専用のカードを受け付けてくれる電話機が見つからない。
 コインを入れる電話も見つからない。
 疲れるから空港中を探し回ったわけではないけれど。
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 空港内のカフェテリアで今回最後のブカネロを飲む。
 ここでは1.5CUC。
20070712Bucanero.jpg

 出国審査を終えた後となると、値段は2.5CUCに跳ね上がる。
 その出国審査も非常にスムーズだった。
 エアラインもクバーナではないから何も混乱がない。
 キューバ行きには絶対にエア・カナダを使うべきだろう。
 クバーナは以前にも機内で煙を噴いたり、機体の整備に時間がかかり出発時刻が遅れに遅れ、しかも翌日発になるかもしれないなんてアナウンスが流れ、それでも大した補償もない。
 実際クバーナはよく落ちる。
 以前調べた事があるが、アフリカ系のいくつかの航空会社よりはマシなものの、はっきりとは数字を覚えていないけれど例えば日本の千歳空港の発着数で換算すると年に4機くらいは事故を起こしているとか、マジでかなりヤバいし当てにならない。
 メヒカーナも結構色々とやってくれる会社だ。
 とはいえクバーナとは雲泥の差がある。
 しかし、普通にストレスを感じないのはこのエア・カナダだ。
 安いし、お薦めです。

 さよならキューバ、さよならラバーナ。
 愛する人たち。
 そして私は機上の人に。
 エアカナダ、トロント行き965便にて。


 機内食の軽食、ハンバーガーやサンドウィッチは有料だ。
 6ドル。
 結局食べなかったからスチュワーデスの言ったドルがカナダドルなのか、米ドルなのかはわからない。
 常識的にはCADだろう。
 久々にノーマルなコーヒーを飲んだ。
 もちろんこれはこれで結構。
 キューバではキューバのカフェが美味しいし、日本に帰れば挽き豆してペーパードリップで飲むコーヒーが美味しい。
 機内では英語が普通になりつつある。
 残念だが仕方なかろう。

 青い目をした前席の少女が何度も後ろをのぞきこんでくる。

 今のうちに色々な人に手紙を書いておこうと思う。
 日本に帰ったら多分暇がない。

 今回自分には直接関係ないが、カナダ国内に免税で持ち込めるアルコールの量はリキュールだったら1.14リットル、ワインでは1.5リットル、缶ビールは24本までだそうだ。

 ジェットは着陸態勢に入る。
 高層ビルが林立し、鋭く高いタワーもそびえるモダンなトロント市街の向こうに、水平線しか見えないからそれはまるで海であるかのような青いオンタリオ湖が広がる。
 オンタリオ湖は五大湖のうち最も小さいが、それでも世界の淡水湖中、14番目に大きい。
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 トロントのピアソン国際空港へは予定より10分早い18:10に到着した。
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 出国審査と税関を抜けて、まずはインフォメーションで市内への行き方を聞き、それからツーリストエイドで市内マップをもらい、19時頃から市内へ抜けるバスを探し始める。
 始めはGoBusというのに乗ろうかと思っていたのだけど、#192の市バスが先に到着したところでその運転手に訊いたところ、地下鉄まで行くと言うからそちらに乗ってみた。
 どちらもターミナル1の出国ゲートを出た1階下にあるバス乗り場から乗る事が出来る。
20070712GoTransit.jpg

 地下鉄一番はじっこの駅、キップリング駅まで15分ほどで到着した。
 そこから市内までは地下鉄で30分ほどだ。
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 だからうまくつながれば、空港のバス乗り場から2.75カナダドル、50分くらいで市内中心部まで到達出来る。
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 一度Bloor-Yonge駅で乗り換えてCollege駅で地下鉄を降り、さてどちらの出口から出ようかと改札の少し先で地図を眺めていたところ、「何か困っていますか?」と、大きな体をしたご婦人が私に声をかけてくれた。
 バスに乗っている間に、持っていた地図へと印を付けておいたので、「ここに行きたいんです」とホテルの場所を指さしてみた。
 そうしたら、その場所は夜になると治安の悪い場所なんだと教えてくれて、しかもホテルまで連れて行ってくれるという。
 場所はもうわかっているし、充分ではあったけれど、ここは彼女の親切にあやからせて頂く事にする。
 駅構内のお菓子屋さんで店員に話しかけ、私たちにお菓子の試食を振る舞うように言う。
 ちょっと恥ずかしかったけれど、頂いた。
 店員は中国系の顔立ちをしていた。

 道案内のあいだに運悪く、雨が降ってきた。
 「いや、すみません」と話してみる。
 「イギリスでは夏の間は毎日こんな天気だから大丈夫よ。」と笑顔で話す彼女。
 イギリスから移住してきたそうだ。
 今はチャイナタウンに住む、底抜けに明るくて親切なマリアンヌ。
 私は日本人だけれど、今日はキューバからの帰りだという事を伝えた。
 すると、彼女もキューバへバカンスに出掛けた事があると言う。
 カナダの住民にとってキューバは手頃なリゾート地だそうだ。
 6万円弱で一週間の高級ホテル滞在、しかも滞在中の食事と飲み物はすべてフリーだという。
 オールインクルーシブで一週間6万円弱!
 カナダ人にとってキューバへ行く事は、日本から手軽にグァムやサイパンへと出掛ける感覚と一緒なのだろう。
 トロントのチャイナタウンでは日本食などアジアンフードが900円ほどでお腹いっぱい食べられるらしい。
 また、近くのマーケットではフルーツが非常に安く手にはいるそうだ。
 駅から15分ほども歩いてホテルに着いた。
 ロビーで少し話をしたけれど、ほどなくして爽やかに彼女はその場を去っていった。
 ありがとう、嬉しかったよ、マリアンヌ!
20070712Marianne%26Koji%20Fujita.jpg

 その後、雨はすぐに止んだので夕方の街へと散歩しに行く。
 夕方といってもすでに21時半だ。
 あたりはまだ薄明るい。
 ここは高緯度地域なのだという事を感じる。
 街は地下鉄の走るYonge通りに出ると華やかさを増す。
 ここからオンタリオ湖方面に向けて歩いてみた。
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 トロントは人口67万4千人、オンタリオ州の州都にしてカナダ最大の街だ。
 ナイアガラの滝に水力発電所を持つおかげで、工鉱業の中心として栄えている。
 街ゆく人は私たちと同じ北東アジア人も非常に多い。 もちろん白人も黒人もいる。
 ラティーノもいれば、南アジア系の顔をした人もいる。
 それから頭巾で髪を広く覆ったムスリムも。
 今まで見たどこの街よりもトロントは多民族都市だ。
 配分が散らばっている。

 街はとても涼しい。
 まるで真夏の夜の札幌でも歩いているかのようだ。
20070712DownTownYonge.jpg

20070712EatonCentre.jpg

 Yonjiからユニオン駅方面に向かってすぐのところに怪しい街があり、そこいらへんに手頃な値段の日本食屋、アラビアンフード、その他諸々がある。
 それから、どこのコンビニを覗いてみてもアルコール類は一切置いていない。
 そこいらへんは米国と随分と様子が違う。
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 1時間半ほど散歩した帰り、ハンバーガーショップに寄った。
 コンボの値段は日本より高いが、その量とクオリティを考えるとむしろ日本よりずっと安い。
 ドリンクの量は日本と米国の中間だ。
20070712Burger.jpg

写真:ホテル、客室の中
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Julio 13, 2007

トロント(Toronto)の朝 13 julio 2007

 ホテルの朝食は7時から9時半まで。
 飛行機の離陸時間は遅く、あまり急いでも仕方がないので9時少し前にご飯しに行く。
 キューバから戻って来てみると、食パンもコーンフレークもずっと日本のものに近い。
 コーヒーも日本のファストフードで飲めるような味のものだ。
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 食後、あたりを少し散歩してみた。
20070713EconoLodge-KojiFujita.jpg

 ホテルの向かいには一見古そうな教会がある。
20070713Church-KojiFujita.jpg

 朝の街は涼しくさわやかで、やはり北国の夏を感じさせる。
20070713CercaDeHotel-KojiFujita.jpg


 10:15にホテルを出た。
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 だらだらと写真を撮りながらで10:35頃College駅に到着、10:46には2つ先のBloor駅でKipling方面に乗り換え、11:15には終点Kipling駅に着いた。
 駅を出てバス停に向かうと、運悪く丁度空港行きAirprt Rocket#192は発車するところだった。
 仕方なく次の便を待つ。
 外のベンチに腰掛けているとむしろ寒いくらいだ。
 どうやらバスの運行間隔は30分ほどらしい。
 11:55にやっと#192のバスが来たと思ったらサービス停止の表示に切り替わった。
 出発まですでに約1時間半。
 ああドキドキする。
20070713BusStation.jpg

 11:58に再び#192のバスはやって来た。
 それには乗る事が出来たけれど、一度空港行きのバスを逃すと次便は40分待たなければならない場合もあるという事だ。
 要注意。
 ちなみに空港行きのバス停の場所は、バスの進行方向に向かって一番先にある。

 バスは15分ほどでターミナル3に着き、その後ターミナル1へとまわる。
 所用20数分。
 到着したのは12:20。
 行きはここから歩くのが大変だ。
 バス停のあるグラウンド階Rからみて出発階は2階上、しかも結構な距離がある。
 さらに出発階に到着したところで国際線カウンターLまでは結構な距離。

 12:30。
 チェックインカウンターは幸いな事にガラガラで助かった。
 スムースにチェックイン。
 ここから順調に出国ゲートをくぐって成田行きのエアカナダ001便の出発ゲートへ進む。
 これがまたたいそう遠いのである。
 動く歩道はあるものの、そこを早歩きして12:50にようやく出発ゲートにたどり着いた。
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 既に搭乗は始まっている。
 すぐに列へと並ぶ。

 ゲートが閉じたのは定刻の13:30。
 だからこの時刻までにたどり着けば、まあなんとかなるのだろう。


 13:56に飛行機は離陸した。
 眼下のオンタリオ湖の水はきれいな色で、対岸がうっすらとしか見えないから、これはまるで海のようだ。

 現地時間15時少し前には飲み物が出た。
 もちろんカナダのビールを頂く。
 隣の乗客はカナダのエールを飲んでいた。
 しまった、そちらにすれば良かったと思ったときには既にプルトップを開けてしまっていた。

 ビールと言えば、キューバで飲んだビールの総括。
 実際のところキューバではブカネロばかり飲んでいたから他のビールの味は少しうろ覚えの部分がある。
 まずよく飲むブカネロを例えて言うと、実は私の嫌いなアサヒスーパードライの味に似ている。
 しかしキューバにいるとなぜかブカネロに手が出てしまう。
 ま、他に選択肢がないとも言える。
 2大シェアを誇るであろうもう一方のメジャー、クリスタルを例えて言うなら、これは米国バドワイザーの味と言えよう。
 非常にマイルドである。
 もしかしたら若い女性の口にはこれが一番合うかもしれない。
 今回好きになったマヤベもブカネロに似た辛口めの味付けだ。
 最近発売となったブカネロマックスはアルコール臭が強く、私としては飲めたものではない。
 世界にはアルコール度が高くても素晴らしいビールはたくさんあるが、このビールにはそういった芳醇さがかけらもない。
 サンチアゴでペソ払いのレストランによく置いてあるアトウェイはモルトがねっとりしていて独特だ。
 これは飲んでみる価値がある。
 ただし世界中の正当なビールのうち、どのスタイルにも当てはまらない不思議な味だ。
 ペソ払いの国民ビール、マナカとティニマはお互いよく似た傾向を持つ発泡酒で、原料にパパイヤが混じっているとみられ独特な味がする。
 まあ、これらは私に言わせるとビールの範疇には入らないアルコール飲料だ。
 のどの渇きを癒すのに、たまには飲んでみてもよいだろう。
 ちなみにマナカはハバナの、ティニマはカマグエイのビールである。
 ブカネロとクリスタルはオルギン、アトウェイはさっき言ったようにサンチアゴ・デ・クーバのビールだ。

 現地時間で13日の15:50、日本時間の14日4:50に食事が出てきた。
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 今度はエールビールを頼んでみる。
 カナダのスリーマン・クリームエール。
 カップに注いでみると、名前の如く上品で柔らかな泡が立つ。
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 しかしドライな味付けだ。
 わずかにエールらしい匂いがする。
 そろそろ芳醇なビールが飲んでみたい。
 日本に帰れば手に入りやすいサントリープレミアムモルツや銀河高原のバイツェン、その他諸々のプレミアムビールを比較的簡単に飲む事が出来る。


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Julio 14, 2007

トロント(Toronto)から成田に到着 14 julio 2007

トロント時間7月13日午後4時は成田時間の7月14日午前5時だ。
 ここからは日本時間に合わせてお話します。
 先ほどまでしばらく流氷の浮く海の景色が続いていた。
 流氷を機内から見下ろしたのは初めてだ。
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 過去にもニューヨークに行った時とかにはこの辺りを通過しているのだろうけれど、たまたま一度も目にした事はなかった。
 好んで通路側の席に座ってしまうせいもあるだろう。
 今、上空から眺める海は鏡のように穏やかで、空に浮かぶ雲をきれいに映し出している。
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 日本に帰ると今日は従姉妹、なっちゃんの結婚披露二次会パーティー、明日からはハードにも1日に12時間超のレッスンが控えている。
 ピアノもバンバン弾きたいところだけれど、DVD編集や英語版、西語版ホームページの作成、今回キューバで撮った写真の整理、1ヶ月分たまりにたまった日記のアップ、それから関係各所氏へのメール等々、雑用が目白押しだ。


 エアカナダはすごいサービスで、5:34に早くも3回目のドリンクサービスが。
 今回ももちろんビール。
 パシフィック・ドライというビールを頼んだ。
20070714Beer.jpg

 ジャパン・インポート・クオリティと銘打ってある。
 うーん、どこかで飲んだ味だ。
 同じドライでもブカネロのような辛口ではない。
 うすいけれど、どこか若干甘みが残る。
 とはいえ、バドワイザーのような甘さまでもいかない。
 これで飲酒1リットル超。
 しかしこれでキューバ1日消費量のまだ1/3なんだな。

 5:45。
 眼下には薄い氷と共にものすごく平たい土地が見える。
 どこだろう?
 凍る湖と溶けた水の両方が見える。


 8:45。
 とにかくずっと不毛の凍り付いた湿地帯が続く。
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 どこまでも土地は平たいし、地面と、そこに点々と点在する池のバランスは半々だ。
 時折、川をなしている場所もあるから、池の氷の表面は凍っていても、その底の方では暖かな水となって流れているはずだ。
 とにかくずっと凍てついた湿地帯が続く。
 ここはどこなのだろう。
 米国の北東部に向かう場合には同じ凍てついた世界とはいえ、氷河をなす峻険な山々が続いていたように思う。
 エアカナダの液晶ではなぜか地図サービスが停止されているから場所の特定が難しい。
 みんな寝ているのであまり度々に窓を開ける事は出来ない。

 9:00、ジェットは大海原へと抜けた。


 9:30、またまた軽食。
 スライスされたリンゴが袋に詰まっていて珍しい。
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 やはり機内食って量が多すぎると思う。
 しかし、この量が世界標準なんだろうな。
 ・・・と、言っている間にさらに追加でカップヌードルが・・・。
20070714CupNoodles.jpg

 いやいや、エアカナダは特別に量が多い気がする。
 

 9:45、気が付いた時には外は山のある景色に変わっていた。
20070714%E5%B1%B1.jpg

 11:40 、気流の悪いところを通過中。
 眼下には雲が見えるのみ。

 西語の手紙を四通書き終えた。

  13:30、最後の食事が出る。
 さすがに今回はビールの代わりにダイエットコークを頼んだ。
 米系の航空会社と違って、これも丸々一缶。
 外の景色は相変わらず雲ばかり。
 一瞬低い山が見えた。
 ・・・少し疲れて来た。
 今日目覚めてから既に16時間以上が経過している。
 何しろ12時間の空の旅。
 しかしその間食事が3回、はちと多いですよね。
 出発後すぐと到着直前には出ないから、ほぼ4時間毎に1度の食事を摂っている事になるのだろう。
 胃がもたれる事この上ない。

 14:10にアナウンスが入った。
 定刻よりも早く、14:55に成田着との事。
 ちなみに15:20着の予定でした。
 天候は小雨。
 あと少しばかり関東地方は梅雨時です。
 相変わらず外の景色は真っ白。
 高度を下げてきているから、上空の青空も見えない。

 久々にやった。
 油断していたら耳が痛い。
 痛いからそれどころではないのだけれど、なんとか数度あくびをして耳抜きする。
 色々な方法を耳にするけれど、自分としてはこの方法が完璧だ。
 しかし、あくびというのはそうそう自由に出来るものでもないところが問題でもある。
 以前一度だけ着陸の際に耳をやってしまった。
 高度を下げる時には耳の中に決定的な気圧の差が生まれる前にあくびをしてしまう事だ。
 高度の下げには常に敏感でいる必要がある。
 耳がひどく痛み出す頃になると、その痛みのストレスのせいであろうか、なぜかあくびは非常に出にくくなる。
 その時には鼓膜がベコベコと凹み、一週間ほど音が聴き取りづらかった。
 幸いな事に、鼓膜は再生する。

 14:53、急に成田の土地が見えた。

 変更された予定通り無事に着陸し、入国ゲートを通過、バッゲージクレームで荷物を受け取り、16:04電車に乗る。
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 うーん、やはりこれくらいはかかってしまうのか・・・。
 着陸後1時間10分が過ぎた。

 嫌なニュースも届いた。
 うちの車が壊れて7月1日から動かないと・・・。
 帰国して間もないというのに、身近な日常の問題がすでに山積している。

 しかし、今日の成田はじめじめし過ぎだ。
 なんという気候。
 これならキューバの暑さの方がカラッとしていてずっと良い。
 一説には台風が接近中とか???
 とにかく暑くてじっとり・・・参りますね。
 冷房で車内温度を下げているのは感じるけれど、湿気が抜けない。

 さて、日本での日常が再び始まる・・・。

 思いの外時間を食い、なっちゃんの二次会には間に合いそうにない・・・。
 残念だ。


 検見川の自宅に着いて、エリサベスからもらったおみやげを開いてみたら、それはマグカップとビアジョッキだった。
20070714Cup.jpg

 マグカップには「Tomamos Cafe(コーヒーを飲もうよ)」と書いてある。
 ちょっとアイツは無理したんじゃないか、これは?
 だけど、かなり嬉しい(^^)

藤田浩司-koji fujita-の2007CUBA-音楽の旅- ・ 完
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Julio 15, 2007

帰国! 15 julio 2007

 なんとか無事にキューバ1ヶ月音楽の旅から帰って参りました。

 今回もキューバ第3の都市カマグエイにて幸運にも偶然にしてカーニバルに巡り会ったりと、素晴らしい体験を重ねる事が出来ました。
 特に首都ハバナ滞在では、自然と眠る時間もないほどに行事が詰まり、大変に充実した時間を過ごしました。
 途中カストロの弟であるラウルの妻、ビルマの死による歌舞音曲の禁止など、やむを得ないアクシデントもありましたが、全体としては興味深い体験を重ねる事が出来ました。
 自分を取り巻く主要な人たちと親交を暖める事が出来たのも自分にとっては大切な事でした。

 道中の細かな話はこれから日記に順次アップしていきたいと思っています。
 どうぞ今後とも宜しくお願い申しあげます。

 2007年7月15日、茂原のスタジオにて。

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